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第1章 5 「私は本当に幸せ者だ」

 風見鶏のようだと思う。

 些細な風にさえくるくると向きを変え、あっちを見たかと思えばこっちを見てを繰り返す。けれどその場からは一歩も動かず、飾り物の翼を引きずり回すだけ。地上から遠く、空からは尚も遠い屋根の上で、ぽつんと1人片足で踊る、風見鶏。

 よく似ていると、そう思う。


 鳴り響いた拍手の音にはっとして顔を上げると、クリストローゼ様の挨拶が終わったところだった。

 白砂を敷いた南庭で、集められたナギたちに笑顔で手を振るクリストローゼ様。普段見せるような、ニヤニヤという形容がどうしようもなく似合ってしまう笑い方ではなく、春の日差しを思わせる温かな微笑みだ。優しく潤んだ赤い瞳。微かに赤らめた頬。美しい金髪をかきあげながらドレスを翻して手を振る様は、可愛いらしくも気品漂う、まさに一級品のお姫様。

 そのクリストローゼ様の手を取る人物がいた。恭しく頭をたれ、けれどその立ち姿はどこまでも凛々しい。その人物の登場で、歓声が更に黄色味を帯びた。

「セドリアスさん、自分の上司に見惚れないで下さいね?」

「誰がそんなことするか!」

 セドリアスさんはまたムキになって否定するけれど、見惚れてもおかしくはないと思う。

 21歳の若さでクリストローゼ様専属護衛隊隊長を務めるルシルナ・ロドーは、赤の姫騎士とも呼ばれ、その立場を超えた人気ぶりを誇る。すらりと伸びた長い手足に、ネコ科の獣を思わせる凛々しい目元。赤い髪を高く結い上げ、護衛隊の証であるエーランサー家の花紋入りのマント身に纏うその姿は、確かに騎士と呼びたくなるほどの勇壮さだ。

 クリストローゼ様と並び立てば、その美しさはどこか浮世離れしていると言ってもいい。

「名実ともに二番手かぁ……」

「おい聞こえてるぞアンク……誰が二番手だって⁉︎」

 隣でこめかみをひくつかせて吠える、冴えないおっさんは放っておこう。めんどくさい。

 それにしても……。

 フリルやレースをふんだんにあしらったドレスをまとうクリストローゼ様。その傍らに控える、マントにブーツ姿のルシルナさん。それに対峙する、浅葱色の袴に草履という出で立ちの少年少女たち。

 さすがに見慣れたとはいえ、なかなかに異様な光景ではある。服装だけとって見ても、文化が違い過ぎるのは一目瞭然だ。

 まぁこの花葬島かそうじまにおいては、異様なのはむしろ私たちの方なのだけれど。

 小袖に袴に草履、檜皮葺ひわだぶきの屋根を頂く正殿せいでん、白砂の庭に太鼓橋の架かる庭、渡殿わたどのに坪庭につくばい……どれもこれも、アズマモノと呼ばれる花葬島独特の品だ。


 光の源たる東のさと――東源郷とうげんきょう

 神々の住まう場所であり、女神はそこからこの世界に来たとされている。

 そして2つの贈り物を授け、それに付随する義務を与えた。

 ここまでは神話のとおり。

 ここから先は、人間の歴史のお話だ。

 女神により救われた人々がまず取り組んだこと――それは、女神の歌った言葉を、つまりは歌詞を記録することだった。現在ではアズマコトバと呼ばれる東源郷の言葉は、その具体的な単語の意味や文法こそ未だ明らかではないものの、今も連綿と歌巫女によって受け継がれている。

 その次に人々が取り組んだのは、女神の姿を再現することだった。彼女が見に纏うものをつぶさに思い起こし表現し、そこから連想される生活様式を形にした。見たこともない神々の国の文化を、知りうる限りの情報から、この世界に生み出そうとしたのだ。そのために長い長い年月と、あらゆる知識と知恵を絞って数百年――。

 そうして、次から次へと、あらゆるものにおいて東源郷を真似た結果――生まれたのがこの数々のアズマモノだ。

 ナギと呼ばれる、花葬島で花の管理にあたる少年少女たちのこの服装も、勿論アズマモノ。白の小袖と浅葱色の袴は彼らの制服だ。先ほどの草履も、普段は彼らが使用している。彼らの身につけている足袋なら当然、問題なく履くことができるだろう。先の割れていない靴下では、つまづくのも致し方ない……と思いたい。うん、あれは不可抗力だ。


 神々の国に見立てた死者の楽園。

 私たちの姿が浮くのも、至極当然のこと。

 ここでは生者の方が異様にして異端。本来居場所などないのだから。

 生きているうちは、まだ。


「アンク・フィンス!具合はもう良いのか?」

 よく通る声に振り向けば、ルシルナさんがこちらに向かって駆けて来るところだった。高く結い上げた赤い髪が、颯爽と風になびく。豊かな胸元が盛大に揺れているのが遠目にもわかった。いいなぁ羨ましいなぁあの胸……ほんのちょっとでいいから分けてくれないかなぁ。それにしても相変わらず、些細な行動さえも凛々しくて様になる――

「ちょっ……!」

「どれ、本当にもう良いのか?貴様は相変わらず乗り物に弱いのだな……。むっ、また少し痩せたのではないか?やはりもう少し筋肉を付けた方が良いぞ。きちんとバランスの良い食事を取らねば仕事にも差し障る。よし、今度私が食事を作りに行って……」

「ル、ルシルナさん!とりあえず降ろしてくれませんか⁉︎どうして私は高い高いされてるんですか⁉︎」

「む?何故って、この方が貴様の健康状態が良く把握できるからに決まっていよう。どおれ、もう少しつぶさに観察を……ほーら高い高ーい」

「あやすな!」

 心配してくれるのは嬉しいけどめちゃくちゃ恥ずかしいよこれ⁉︎いくら私が年下とはいえ、あやされるような年齢じゃないって!あと実を言うとちょっと怖い……思いのほか視点が高いよ!

「おっ、セドリアス副隊長!ご苦労であったな」

 私を空高く掲げたまま、ルシルナさんは自身の部下であるセドリアスさんに声をかけた。

「べ、別に大したことはしてねぇよ」

 本人は素っ気なく答えたつもりだろうけど……その赤らんだ頬では素っ気なさも何もあったもんじゃない。

「貴様はいつもそうやって謙虚に働いてくれる。貴様のような部下を持って、私は本当に幸せ者だ」

「そ、そうやって隊長面してられるのも今のうちだぜ?俺は必ずお前を倒して、護衛隊長になってやる!」

「はははっ!それは楽しみだ。貴様がそうやって上を目指し続けるからこそ、私も日々の鍛錬に張り合いを持って臨める。上司と部下というのは、こうして切磋琢磨し合える仲でなくてはならんな。いつでも受けて立つぞ、セドリアス副隊長」

「ふ、ふん!その首洗って待ってやがれ!」

「だが……」

 ふいにルシルナさんが目を伏せた。先ほどまでの凛々しさから一変、ふわりと舞う春風のような柔らかなその眼差しに、セドリアスさんがあからさまに動揺する。

「な、なんだよ……?」

「貴様が私を倒すその日までは、どうか私のそばにいて欲しい。貴様ほど頼りになる部下は、本当にそうはいない。クリストローゼ様を守る私のそばで、どうか私を支えてはくれないか?」

 飾り気のない、まっすぐな言葉。

 好きな相手に「そばにいて欲しい」と言われて、喜ばない人はいないだろう。

 たとえそれが、仕事を前提とした上司から部下へのものだとしても。

 当然それはセドリアスさんも例外でなく。

「なっ……!あ、あ、あああ当たり前だ!俺にだって、お姫さん……じゃなくてクリストローゼ様の、護衛隊としての矜恃が、あるからな!ま、まぁせいぜい、お前を負かす時までは、きちんと役割くらい果たしてやるよ」

「そうか!良かった!ありがとうセドリアス副隊長!」

「べ、別に大したことじゃねぇって……」

 そう、ルシルナさんの言葉に、恋愛感情は込められていない。精一杯の照れ隠しに潜むセドリアスさんの思いは、未だに届かないままだ。

 けれど、その輝くような笑顔の前では、長年続くすれ違い気味の片思いも悪くないなんて、こんな日常がいつまでも続いて欲しいなんて、そう思わされてしまうのだった。

 うん、それはわかったから。

 そろそろこの少女漫画のモノローグみたいな描写を呟くの、もうやめてもいいかな?完全に背景と化してるけど、私未だに高い高いされたままだからね?聞いてるこっちが恥ずかしくなってきたし、取り敢えず降ろしてくれないかなぁほんと……。

「アンク」

 その声に、一瞬全身が緊張する。

 下からの呼び声に顔を向けると、クリストローゼ様が腕を組んでこちらを見上げていた。

 しかしその目は思ったほど冷めてはいない。彼女が本気で怒った時は、もっと、ぞっとするほど冷気の宿った目をする。その奥底に真っ白な霜が下りたかのような、凍てつく怒気を孕んだ瞳を。

 ふぅとため息をひとつついて、クリストローゼ様は長いまつ毛を瞬かせた。

「まぁ、仕事には間に合ったしいいけどー。次からはちゃんとしてよね。ボクたちがここに何をしに来ているか、きちんと意識しないとダメだよ。と言うより、無意識下レベルで意識するような状態にならないとダメ。意識の表層には浮かび上がらないけど、根幹には必ずそれがあるような。これは何にでも言えることだけれど、物事の本質は、木の根みたいに、心の深いところにしっかりと広がってないといけないよ」

「はい……。申し訳ありませんでした」

 私は項垂れて謝罪する。確かに、この花葬島に何をしに来たかをきちんと捉えていれば、無理をするなんて愚かなことはしないはずなのだ。秘書官としての本来の職務である、クリストローゼ様を支えること。それが疎かになるようでは、どんな努力を重ねたところで、それはクリストローゼ様のためにしたこと、などと言えるわけがない。目的を見失った本末転倒の独りよがりは、努力とさえ呼べる代物ではないだろう。

 しかし困ったことに、未だに高い高いされたままなので、謝っているのに上から目線だ。なんとも締まらない……。ちゃんと申し訳ないという気持ちが伝わっているか心配になってくる。

「わぁ、部下が文字通りの上から目線で謝ってきて不愉快だな」

「あっさり本音言っちゃった!」

 全然伝わってなかった。むしろ逆効果だった。

「これは申し訳ありませんクリストローゼ様!ではこのルシルナ・ロドーがクリストローゼ様にも高い高いを……」

「そうじゃねーだろ!とりあえずアンクを降ろせっての!」


 やれやれ……。

 今日も今日とて、私の周りは、賑やかで騒がしい風が吹いている。

 この片足の風見鶏に、飛べない鉄の翼に――心地よく、吹いている。

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