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第1章 4 「絶対言うなよ!」

 正直に言おう。

 ここで自分を偽ってまで、恰好つける必要はない。ありのまま素直に、今この身に起きたことを洗いざらい吐いてしまおう。


 吐いた。

 文字通りの意味だ。

 前述の文章と掛け合わせた、何か風刺の効いた言葉遊びなどでは決してない。

 そうだったら、どんなによかったか……。

 私は天井を見上げながらぼんやりと独りごちる。

 まさか花葬島かそうじまに到着していきなり、胃の中身をほとんどテイクアウトすることになるとはね……。いや、お持ち帰りするわけではないので、テイクアウトという表現は間違いかもしれない。テイクオフと言う方が正しい気がする。胃という狭い陸を離れ大空へ――

「飛び立つなよ……」

 翼を授けた覚えはない。レッドブルを飲んだ覚えもない。

 あるのは「今朝食べたパン、思いのほか形がしっかり残ってたなぁ」というささやかな感想くらい。

 という1人ツッコミも弱々しい限りだ。

 徹夜の影響でぐったりするのは明日の予定だったのに、どうやら体調を先取りしてしまったらしい。

 まぁ、ぐったりを通り越してげっそりという感じだけれど。

 原因はいたってシンプル。

 乗り物酔いである。

 クリストローゼ様を30分近く膝に乗せたまま、馬車に揺られていたのが効いたらしい。確かに重かったし痛かったし、不安定な姿勢ではあった……。その上、隣に座って髪を梳かしたり、挙句の果てには馬車の中で跪いたり……。

 冷静に振り返ってみれば、酔わない方がおかしいくらいだった。

「あー……情けない……」

 思わず呻いてしまう。自分の体調管理もロクに出来ず仕事先でぶっ倒れるなんて、そもそも社会人としてアウトだろう。頑張り過ぎ、なんて都合のいい言い訳だ。どれだけ頑張ろうと、その影響で結局仕事が進まないのなら、その努力は本質を見失ったただの独りよがりだ。

「何をもって失敗と呼ぶのかを考えてみたらいいよ、アンク。失敗して、それを糧に次に繋げることができたら、その失敗は活かされた、昇華されたことになるよね。全ての出来事に普遍的な意味なんてないんだよ。捉え方次第で、過去も未来も変えられる」

 こんな時、クリストローゼ様ならそう言うだろう。当たり前のことだと言わんばかりに、例のごとくニヤニヤと笑いながら。

 彼女の考え方は正しい。

 ひどく――いや、酷く、正しい。

 そして恐ろしいほどに優しくない。

「……今更か」

 私はどうにか体を起こした。喉がひりひりと痛むものの、中身をすっかり吐き出したせいか、胃は案外すっきりしていた。その感覚にほっとする。

 のそのそと布団を這い出て、部屋と廊下を仕切る御簾(みす)を潜った。(すのこ)の濡れ縁を跨いだ先には坪庭がある。手入れの行き届いた新緑の木々が配され、柔らかな春の日差しが、そこに穏やかな濃淡を織り上げていた。

 沓脱石の上の草履を何気無く突っ掛けようとして――

「――っ⁉︎」

 目の前の景色がすとんと落下する。

 いきなり迫る乾いた土と下草。遅れて、じんわりと熱いような痛みが手のひらを始めそこかしこを駆け回る。汚れた袖口。埃まみれになった裾。打ち付けた膝。しつこく痛みを主張し続けるそこかしこ。

 それよりも、羞恥の感情の方がまさった。

 もうどこまで情けないんだよ私。

 吐いた挙句こんなところで転ぶとか……。

 あぁもう恥ずかしい不甲斐ないどうしようもない。

 ほんとに……どうしてこうかなぁこうも不様かなぁ。

 まったく、何をやってるんだ私は――

「何やってんだよお前は」

 突然低い声が響いて、私はがばっと飛び起きた。

 振り返ると、廊下からこちらを見下ろす、長身の影。

「靴下履いてんだから、草履は無理に決まってんだろ」

 やれやれと言わんばかりに呟いて、手にした来客用の簡素な沓をぽいと沓脱石に置く。それを履いて歩いてくると、

「大丈夫か?」

 手を差し出しながら、セドリアス・オルバは私に尋ねた。

 ふっと遮られる日差し。私の顔に落ちる、柔らかな影。


 その薄い墨色の場所で、私は――己に蓋をする。


「……すみません、セドリアスさん」

「いいってことよ」

「手汗すごいですよ」

「助けてもらっておいてそれかよ!」

 それでも、手にしたもうひとつの来客用の沓を渡してくれる。

 セドリアス・オルバ。

 背が高く、小麦色に焼けた肌に引き締まった体つき。

 けれど不思議と威圧感がないのは、大型犬を思わせる優しい垂れ目のせいだろう。

 チャームポイントは顎髭。似合わないけど。

「お姫さんの挨拶がそろそろ終わりそうなんでな。様子を見に来たんだよ」

「護衛の方は?」

「ルシルナが付いてる」

 そのまま並んで歩きながら、坪庭にあるつくばいに向かった。手水鉢ちょうずばちには清らかな水が豊かに満ちている。静かに溢れ出るその水が、敷き詰められた砂利を濡らしていた。

「ところで、この前もルシルナさんに勝負を挑んだそうですね」

 セドリアスさんの方を見ずに尋ねると、なんでもう知ってんだよ、と彼は小さく呻いた。

柄杓ひしゃくで水を汲み、手に注ぎ移してから口を濯ぐ。じん、と痺れるほど冷たく澄んだそれが、乾いた口腔内を潤した。

「まぁ今回は……あれだ、春先だったし、気温が不安定だったろ?それで足元の土がぬかるんでてだな…体勢を崩しやすかったというか……」

「これで何回目でしたっけ?」

「24回目だよ悪いか!」

「懲りないですね、あなたも」

 ポケットから取り出したハンカチを湿らせて、顔を拭う。嫌な汗をかいていた肌が、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。

 柄杓を元の位置に戻す。その時――


 水面越しに、目が合った。


 濡れて張り付いた前髪。その隙間からこちらを覗き込む、額に描かれた目の紋様。

 角目つのめと呼ばれるこれこそが、秘書官を秘書官足らしめる力の象徴だ。この目で歌巫女の声に姿を与え、花葬島を見渡し、目的範囲を定め――干渉する。

 神話にある通り、神獣たる一角獣から賜った角と、歌巫女うたみこの血を混ぜ合わせたもので描かれた、赤黒いそれを――前髪で隠す。更に目深に帽子を被れば、これでいつも通りの出勤スタイルだ。

「お待たせしました。行きましょうか」

「……だな」

 返事をするまでにあったわずかな間。そこに込められた、気づかわしげな目線には、敢えて気が付かないふりをしながら、私は濡れ縁に戻った。

 セドリアスさんと並んで南へ透渡殿すきわたどのを進む。幅の広い板敷きの床は緩やかに隆起し、その縁に配された高欄といい、梁を巡らせた高い屋根といい、渡り廊下の役割を担う場所だがさながら橋のようだ。

「いつかルシルナさんに勝てるといいですね、副隊長さん」

「ふん、次は必ず勝つ!俺より10歳も年下の小娘に、いつまでも護衛隊長を任せておけるかよ」

「で、勝ったら告白するんでしたよね?」

「ばっ……!」

 真っ赤になって立ち止まるセドリアスさんを、今度は私がやれやれを見やる番だ。全く、いい年してそれくらいのことで照れないで欲しい。乙女か。

「こ、告白なんて、だ、誰がするか!あんな俺より強くて生意気で可愛い女に!」

「そうですね。応援してますよ」

「だ、誰にも言うなよ!絶対言うなよ!」

「わかってますって。頑張れ31歳」

「いいだろ31歳でも、こ……恋くらいしたって!」

 また自分の発言で勝手に赤くなってまぁ……賑やかな人だ。せっかくの精悍な顔つきが台無しである。

 彼の2年越しの片思いに決着をつける日は、果たしていつになることやら。

 透渡殿の先に、ようやく正殿せいでんが見えてきた。

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