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第4章 7 「頂に立つ!」

 喧騒というのは、こういう状態を指すのだろう。

 あらゆる音が互いにぶつかり合い反響し、更に大きな音となって谺している。話し合う声は勿論、食器の触れ合う音、衣擦れの音、足音……この場における物音という物音が、とにかくでたらめに押し込められ、団子状になりながら、この場を隙間なく埋め尽くしていた。

 ひとつひとつを聞き分けることなど到底できない、その音の塊は、容赦なく鼓膜を殴りつけてくる。それは、音というよりはもはや単純な衝撃と言っていい。ぐわんぐわんと、波状の痺れが頭の中を駆け巡り、意識の底を霞ませていく。

 そんな、(やか)ましく騒々しい只中に、私は放り込まれていた。

「さぁさぁ秘書官様、ぐいっといきましょう、ぐいっと」

 赤ら顔の男が、私のグラスに少しでも隙間ができれば容赦なく飲み物を勧めてくる。それに乗じて更に数人、やはり赤ら顔の男たちが、そうだそうだ!と囃し立てる。でも彼が手にしているのは、泡立った金色の飲み物……どう見てもお酒だ。

「いや、その、未成年なので……」

「だぁいじょうぶだって!これ、金色のお茶だから!金色のお茶!ちょーっと泡立ってるかもしれないけど、これがまた美味しいんだから!」

 一体何がどう大丈夫なのか、まるで説明になってない……。

「秘書官様、これも美味しいよ!あ、こっちも!」

 小柄な少年が、私のテーブルに次から次へと料理を運んでくる。そのそばかすの浮いた顔には見覚えがあるような……と思っている間にも、彼は見た目通りのすばしっこさで店内をくるくると立ち回る。あっという間にテーブルは見目鮮やかな皿でいっぱいになった。

「わぁ、すごい!ありが……」

 と、私がお礼を言い終える前に、彼はすぐ人波に消えてしまった。小回りが利き過ぎるというか、まるで旋風(つむじかぜ)だ。これじゃまともに話もできない……。

「あら秘書官様、楽しんでらっしゃる?」

 ふいにしなだれかかってきたのは、褐色の肌をした女性だ。ヒラヒラした淡く透ける衣服と相まって、その様は異国の踊り子を連想させる。ぽってりと厚い下唇に、まろやかな丸みを帯びた腰つき。妖艶、というのはこういう人を指す言葉なんだろうな、などと思っていたら、ぐいと豊満な胸を押し付けられて、私は思わず飛び上がった。

「ひゃあ!」

「ねぇ、ヨリリのこと、どう思う?」

「え、いや、どうって……」

「もし狙ってるんだったら、悪いことは言わないからやめときなさいな。あいつ、女には本当にだらしがないのよ?」

 狙ってるって、一体ヨリリの何を狙うんだろう。あ、もしかして、隙あらば海に沈めてやろうとしてたことがバレたのかな?そ、それはまずいかも……。

「おいジャクリーヌ。ワシの悪口を秘書官サンに吹き込むのはやめんかい」

 私のテーブルのすぐ近くから、偉そうな声が響いた。声の主は勿論、ヘラヘラした笑顔を貼り付けたヨリリだ。周囲に数人の美女を侍らせ、椅子に踏ん反り返って瓶から酒を煽るその姿は、どう見ても子供には見習ってほしくない大人ナンバーワンである。女にだらしないというのは、悪口でもなんでもなく、ただの事実だろう。まぁこの男の場合、頭のてっぺんからつま先まで、余すところなく全てだらしないのだけれど。

「あらあら、よほど秘書官様のことがお気に入りなのね。こんな挨拶代わりの世間話にまで、口を出してくるなんて」

 なおも私に胸を押し付けながら、ジャクリーヌと呼ばれた彼女は、ヨリリをちらりと横目で見やる。うわ、ど、どうしよう、ルシルナさんのおっぱいは、ほよほよふにふにの極上マシュマロで素敵なんだけど、この人のおっぱいには弾むようなハリとツヤが……。これはこれで素晴らしいじゃないですかちょっと。

「なんじゃ、嫉妬かのうジャクリーヌ。なら今夜はベッドの上で、たっぷり可愛がってやらんといかんかのう?」

 軽薄な笑顔の奥から、ほんの一瞬だけ蠱惑的な気配が覗いた。切れ長の瞳がゆらりと細められ、誘うように口元が歪む。

 そんなヨリリの様子に、ジャクリーヌさんは心底呆れたといった様子でため息をついた。

「ほら、ご覧なさいな。女はみーんな自分のことを好いているとでも思っているのかしらね?付き合ってられないわ。ねぇ秘書官様、あんなの放っておいて、私とイイコトしない?」

 彼女の華奢な腕が、私の身体にするりと絡みつく。頬に寄せられた唇から、微かに香る果実酒の匂い。押し付けられた豊満な胸から伝わる、むにゅりとした熱――。

 い、いや、ダメだ。私にはルシルナさんという最高のおっぱい……じゃなくて最高の友が……。

「なぬぅ⁉︎秘書官サンとイイコトするのはワシが先じゃ!」

 お前はお呼びじゃない!まな板おっぱいは引っ込んでなさい!

 という私の内心の叫びなど当然無視して、ヨリリはやや覚束ない足取りでこっちに踏み出し、私に向かって手を――

「……痛っ!」

 そこに突然閃いたのは、長い長い、赤い紐。

 立派な体格の三毛猫が、ヨリリの腕に飛びかかりその鋭い爪を立てたのだ。

 思わず仰け反るヨリリ。遅れて滲む鮮血。

 その猫は、首輪に繋がる紐を翻して華麗に着地すると、何事もなかったかのようにスタスタと立ち去った。その貫禄さえ漂う後ろ姿に、誰かがピィー!と口笛を吹く。

「さすがは先代の置き土産!若の目に余る女たらしっぷりに、釘ならぬ爪を刺したようだな!」

 そんなヤジに、どっと笑い声が起こる。

 誰もかれもが、心から相好を崩し、楽しそうに、愉快そうに、はしゃいでいた。酒杯を打ち付け、料理を頬張り、そして笑い合う。

 オレンジ色のランタンの灯りが、そんな彼らを――みんなを、温かく照らしていた。

「……ったく、あの年寄り猫め」

 ヨリリは腕を抑えながら、ぶつくさ文句を言いつつ私の横にどっかりと腰掛ける。

「あの子には、前回もお世話になりました。後でお礼をしないといけませんね」

 テーブル上の酒瓶をヨリリに勧めながら、私は初めてここに来た時のことを、ぼんやりと思い出していた。

 去年の12月初旬。赤の歌巫女(うたみこ)であるクリストローゼ・エーランサーの要望で、伝説の舞台屋と評されるヨリリに仕事を依頼するため、私はこの店を訪れた。

 その時の顛末というか、経緯については……なんとも簡潔にはまとめ難い。それでもざっと整理してみるなら、こんな感じだ。

 ちょっとした寄り道によって金魚界のニューヒーローになった私とセドリアスさんは、たどり着いたこの飲み屋ジャ・ノーメにて、濃縮いちごシロップと沼地の泥スムージーの内ひとつを選べという無理難題をふっかけられた挙句、筋肉ハゲダルマことネーナさんと、先ほどの看板猫を利用して黒のミックスジュースを作り上げ、結果ヨリリに認められ契約は成立したものの、ミックスジュースの呪いによりセドリアスさんがトイレの前で真っ白な灰に成り果てた……。

 うーん全然まとまってない。

 まぁ、とにかく。私とヨリリの出会いはここから始まったのだ。この飲み屋ジャ・ノーメから。

 改めて店内を見回すと、屈強な体躯の男性に色香漂う美女、いかにも堅物そうな若者に破顔しっぱなしの陽気な老人、旋風のような子供たち、気ままな猫など……揃いも揃って、まるで統一感のないメンバーだ。そんな彼らが、決して広いとは言えないこの平凡な飲み屋に集い、誰もかれもが和気藹々と、心から楽しそうに笑い、語らっている。

 彼らが全員、ヨリリの部下である舞台屋かと言うと、実はそうでもない。

 初めてここに来た時のヨリリの言葉が、ふと甦る。


「ワシは伝説の舞台屋、ヨリリじゃよ?ワシが一声かければ、芸術家も職人も関係ない。誰も彼もが、舞台屋じゃ。そしてその持てるもの全てを、ワシの舞台に引きずりこむ。それが可能だという点が、伝説と言われる所以かのう」


 これだけの多様な人たちを惹きつけ、更には巻き込むだけのものが、本当にこの男にあるのかどうか……残念ながら、それは未だに判然としない。

 何しろ当の本人ときたら――

「よぉーし!酒も回ってきたところで、いっちょ秘書官サンにワシのカッコいいところでも見せようかのう!」

 酒瓶の中身を一気に飲み干し、またそんな、調子のいいことを叫び始めたのだから。

 勢いよく椅子から立ち上がり、私の方を振り返るヨリリ。オレンジ色のランタンが、彼の整った目鼻立ちを鮮やかに浮き上がらせる。いつもの人を小馬鹿にしたようなヘラヘラ笑いに得意げな表情が加わって、それはなんとも人の神経を逆なでする笑顔だった。

 ――普段なら。

「おっ!若がいつものアレをやる気だぞ!おい、誰かネーナを呼んでこい!」

「ヨリリ、今日くらいは勝ちなさいよね」

「俺はネーナの兄貴が勝つ方に1000リオ賭けるぜ!」

「オレもネーナに2000リオだ」

「じゃあアタシは思い切って、3500リオ。勿論、このお店の素敵なマスターにね」

「お前らなぁ、たまにはワシが勝つ方に賭けんかい!」

 にわかに盛り上がり始めた周囲に向かって、ヨリリが思わず声を上げた。よっ!敗北伝説の舞台屋!とのヤジに、更にどっと笑いが起こる。

 この部屋いっぱいに、弾けるような笑顔が溢れていた。オレンジ色の喧騒が、ぶつかり合い、溶け合い、混ざり合い――金色の奔流と化す。

 そんな笑いの渦が、先ほどからひっきりなしに流れ込んでくるのだ。私の内に、染み渡ってくる。

 まるでここは、先ほど勧められたあの酒杯の中のようだった。

 くるくる渦巻き、そして弾ける金色の泡でできた海。

 お腹の底から、周囲を漂うこのキラキラの泡が湧き上がってくる。

 普段なら腹立たしいだけの、ヨリリの笑顔。なのに、ここから見るそれには、なぜだか不思議と、どんどん泡が溢れ出してくるようで、楽しくて、可笑しくて、嬉しくて――

「じゃあ私は、伝説の舞台屋が勝つ方に、5000リオ」

 えぇ⁉︎とひときわ大きなどよめきが、波のように広がった。その向こうで、ヨリリが高らかに叫ぶ。

「聞いたか皆の者!秘書官サンは、ワシの勝利を信じてくれておる!この伝説の舞台屋の勝利をな。今宵のワシは一味違うぞネーナ!」

 ダサい決めポーズ付きで彼が振り返ったその先には、ネーナさんが立っていた。つるりとした禿頭が、ランタンの灯りを纏い輝いている。その見上げるほどの筋骨隆々とした体躯からは、静かな、しかし絶対の自信が伺えた。

「いいのかヨリリ。秘書官様の前で恥をかくことになるぞ?」

「ぬかせツルピカマッチョマスター。今日こそワシが、頂に立つ!」

 部屋の中心。皆が取り囲む中で、2人は立ったまま向かい合った。

 相変わらずの軽薄な笑みを湛えたヨリリ。対してネーナさんは、静かな中にも余裕の滲む姿勢を崩さない。

 囃し立てる周囲の声などまるで聞こえてないかのように、両者はしばしの間睨みあったかと思うと――おもむろに服を脱ぎだした。

「えぇ⁉︎ちょ、ちょっとなに脱いでるんですか⁉︎」

 何の勝負か聞きもせずにのっちゃった私も私だけど、なんで服を脱ぐ必要が⁉︎いったい何をどうやって戦うつもりなの⁉︎

「さぁさぁ!これで17回目のこの2人の勝負!今日はどっちが攻めでどっちが受けだ⁉︎」

「なんですと⁉︎」

 どういうヤジなのそれは⁉︎攻めと受けなの⁉︎ナニが攻めてアレが受けるの⁉︎いやいやちょっと待ってこれはまずいまずいよ2人はそういう関係だったのあらイヤだってそうじゃないよなんだこれ⁉︎こんな風に公開して競うものなの⁉︎ヤバいどうする⁉︎

 と私がテンパってる間にも、ヨリリとネーナさんはすっかり上半身の服を脱ぎ捨てていた。

 髪をかきあげ、華奢な割に程よく引き締まった身体を晒すヨリリに黄色い歓声が上がる。

 一方のネーナさんは、今日の夕方、プラナス港の桟橋で見た通りだ。丸太のように太い腕からは、私なんて彼のデコピンを受けただけで首がもげるだろうことが十分想像できる。

 上半身裸で向かい合う2人。そのままぐいぐいと距離を詰めああああヤバいやめてストップストップ!2人とももうボーイじゃないでしょ⁉︎ダメだってそんなガチムチ成人男性の絡みとか需要ないから!ないからぁぁぁぁ!

「「じゃあぁぁぁんけぇぇぇん……」」

 …………は?

「「ぽぉん‼︎」」

 ヨリリはグー、ネーナさんはパー。

「あっち向いてほぉぉぉぉい!」

 落雷の如き重低音を纏い、ネーナさんの腕が唸りを上げる。その指が指す方向は――右。

 ヨリリの視線はそこにはない。その軽薄な笑みは、既に真逆へと躱されていた。そして再び両者は素早く向かい合う。

「「じゃぁぁぁんけぇぇぇんぽぉん‼︎」」

 ヨリリが鋭く繰り出した手は剣を型取っていた。対するネーナさんの手は――紙だ。

「あっち向いてほぉぉぉぉい!」

 強烈に突き上げられた腕。その先は遥か天空を示す。だがネーナさんの視線は、それに真っ向から争うように大地を見つめていた。

「はぁ……はぁ……腕を上げたなヨリリ」

「っ……はぁ……ま、まだまだ、今宵のワシはこんなものじゃないわい。特訓の成果、思い知れい!」

 むき出しの肌に汗を光らせながら、なおも彼らはその持てる限りを尽くして腕を振るう。

 上、下、右、左。たった4つの選択肢の中から、その場のあらゆる情報を駆使して勝利を見極めるのだ。敵の指し示すただひとつを、出し抜くために。

 時に苛烈に攻めこみ、時に華麗に受け流す。

 2人がしているのは、ただのあっち向いてほいではない。これは、蝶のように舞い蜂のように刺す、まさに戦士による舞踏演武であった。


 ……ってんなわけあるかい。


 というツッコミを胸の内に響かせながらも完全に放心状態の私を残し、彼らの熱い戦いは、真夜中まで続いたのだった。

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