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そんな不思議な名波との出会いから二日後。
目覚まし時計が鳴り飛び起きてそれを止める。ベッドの隣のチェストに置いてある眼鏡を手に取りかける。視力の悪い間宮は、普段外に出るときはコンタクトをするが、休日や家にいる間は眼鏡をするようにしていた。
眠たい目を擦りながら洗面所へと歩く。そこで眼鏡を外して水を出し、洗顔をする。側に置いたタオルで顔を拭いて鏡を見つめる。数秒見つめて次は歯を磨く、口を濯いでカランと音を立たせ歯ブラシを片付けたなら、左右のコンタクトを痛そうにつける。数回瞬きをして顔を確認してから、部屋へと戻る。パジャマ代わりのスウェットズボンとTシャツを脱いで洗濯機へ放り込み、実家から無事に届いたスーツを着て、鏡の前で身だしなみを整える。
ゴミ出しは今日、引越しに使ったダンボールと鞄を持ち、革靴を履いて玄関をでる。
「おいしょ・・・んっしょ・・・」
鍵を閉めていると隣から声が聞こえ、横をみる。すると名波がゴミ袋を手に苦戦している。
「あの、大丈夫ですか?」
一応声を掛ける間宮。
名波は間宮に目を向け舌足らずに喋り、家の中から次々とゴミを出す。最初に会った時と服装は変わらない。Tシャツの柄が変わって、ゴムの緩んだハーフパンツを履いている。そこから下着が見えそうだ。間宮は若干顔を赤くしながら彼女の声を聞いた。
「あ、カステラさん、あ、もう1ヶ月もゴミ出し遅れちゃって、んっしょ、ゴミ屋敷になってるの。」
僕、カステラさんじゃないんだよな、と心で呟く間宮だが取りあえず手伝おうと思い
「僕、これだけなんで手伝いますよ」
と呟いて鞄を脇に抱え、外に出されているゴミを三袋一気に手に持つ。
「ありがとう」
名波もゴミ袋を二袋持ち笑顔でお礼をいう。
「あ、早くしなくちゃ」
名波は呟き、先にエレベーターへ向かう。間宮も後に続きエレベーターへ乗り込む。中には人はおらず、名波と間宮の二人だけだった。間宮は一階のボタンを押す。壁に寄りかかりエレベーターのドアについている小さな小窓をみつめた。
「ふぅ・・・やっと出せる。」
安堵の表情を浮かべる名波。そんな名波の声を聞き、横目で見つめる間宮。すぐにエレベーターが止まり、間宮が先に出ると後から名波が雛のようにヨチヨチとついて来る。
ゴミ出し場へ着くと籠のドアを開けゴミを入れる。それに苦戦している名波をみてくすっと笑うと、間宮はゴミ袋を名波の手から奪い籠に入れてやった。
「ありがと、カステラさん」
笑いながらお礼をする名波。
「いえいえ、でも俺カステラさんじゃないです。」
そんな名波に苦笑いしながら言う間宮。
「あ、そっか。くれたのがカステラであって、くれた人はカステラさんじゃないんだ。」
名波は首を左右に傾げたり、指を使いながら一人で確認を始めた。
「あ、じゃあ誰?」
間宮を見上げて指を差し、首を傾げる名波。とても愛らしいその仕草に数回パチパチと瞬きをして軽く会釈をして答えた。
「あ、間宮和彦です。」
「間宮・・・ね。わかった」
名波は悪戯っ子のような笑顔をみせて間宮をみた。
「私はね、名波 美由姫っていうの」
舌足らずに自分の名を名乗る名波。
「よろしくおねがいします」
間宮は口元を押さえて笑いながら言った。
思いついたように間宮は気になることを聞いてみる。
「あの、お仕事なにしてるんですか?」
「私?私は、絵描き。」
自分のことを親指を立てて指差し、自慢げに答えた名波。間宮は首を傾げ名波をみつめた。
「だーかーらっ、絵描き。竹原いつかとは私のこと!・・・」
名波は自慢げに言った後、すぐにしまったという顔をして周りを見渡し、誰もいないことを確認した。
「あちゃー・・・」
そう呟いて髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き始めた。
「あー!今のなんでもないっ」
名波は逃げるように走ってゴミ出し場を去りながら大声で叫んだ。なにかいけないことを口走ったのだろうか。間宮はその理由もなんとなくわかるような気がした。名波は行き成り有名な画家の名前を言い出したのだから。
「竹原いつか」とは今、巷の若者に人気の画家だ。若者の心を掴むような、そんな絵を描く。当の本人の顔や正体は全く明かされていないのも竹原いつかの魅力だ。間宮自身はテレビで何度か拝見しただけだが、その人気は把握できている。つい最近も画集が発売され、多くの書店で売り切れになったとニュースでやっていた。
きっと絵描きというのは嘘ではないが、「竹原いつか」という嘘を口走ってしまったのだろう。本当に不思議な人だ。間宮はそう解釈しておいた。
ふと腕時計をみた間宮は焦った。出勤時間まであと三十分しかない。ここから会社までは最低でも二十五分はかかる。初日から遅刻なんて絶対あってはいけない。と心で呟きながらマンションをでて、運よくタクシーを捕まえた。
「あの、ここまで行ってください!」
ポケットから会社の住所が書かれた紙を取り出し運転手に渡す。
間宮は落ち着かない様子で窓の外を眺める。それにしても名波さんは何故「竹原いつか」を名乗ったのだろうか。まさか本当に?いや、それはわからない。けれども間宮は心のどこかに彼女のような不思議な人が「竹原いつか」であって欲しいと思っていた。
ぐるぐると思考を巡らせているうちに会社へとついた。運転手に料金を支払い、腕時計を確認する。出勤時間まであと五分。間宮はダッシュで会社へと入っていった。