本心
一体あの人は何がしたかったのか?あの時のことを思い出しても、僕は全然わからない。
虚ろだった僕を人間にしたのはあの人で、愉しいことに飢えるようになった要因もあの人のせい。
本心が分からない人は、あの人だけだった。
がらんどうとなった薄暗がりの中で、少年は銀に光る瞳で周りを見た。
薄く笑みを浮かべるその姿は、この場所でさえなかったらとても無邪気で純粋なもののように見えただろうに違いない。だが、この場ではその笑みは純粋で綺麗なものが故にぞくりと肌が恐怖で粟立つような恐ろしい笑みだった。
「あーあ、またやっちゃったよ。これ如何しようかな」
「こうするもこうするもない。また面倒ごと増やして馬鹿かお前は」
「馬鹿じゃないよ。酷いな」
国柄に合わせてイギリス語で少年が呟くと、後方からイギリス語で返答が返ってきた。
呆れたような態度を見せる青年に、にこりと笑いかける。するとどうでもよくなったのかさっさとこっちに来いと一言だけ言い、路地裏から背を向けた。その後ろ姿に、死体を踏みつけ、何かの潰れる様な音や血をぴちゃぴちゃと降る音を響かせながら、その後ろ姿に続いた。
「ユーリ、僕お腹すいた」
「弟子の分際で厚かましい。というか師匠って呼べ。さっき旨いもん作ってるとこ見つけたからそこで食うぞ。オレもそろそろ腹減った」
「はーい」
軽い返事をし、真崎音和は自分より少し高い青年の横で笑った。
「それで、何であいつらをのしたんだ?」
会話を聞かれないためなのか、フランス語で問いかけられた言葉に音和は食べていたものをごくりと飲み込み、同じようにフランス語で返した。
「ユーリをあそこの路地近くで待ってたらいきなりあそこに引っ張られてナイフで脅されたから。そのついでに僕の事なんかいやらしい目で見てきたから面倒だしやっちゃおうかなって」
「せめて動けないレベルにしとけばいいだろ」
「ほら、死人に口なしだよ。それに自分であの路地は自分たちの縄張りだから他の奴らはめったに入ってこないって言ってたしね。今日中にここから違う国に発てば何とかいけるんじゃないの?」
ぱくぱくとサンドウィッチを咀嚼している姿とはちぐはぐなことを淡々と話す様子を青年は自分が注文したものを食べながら見ていた。
音和にとって、人を殺すということは、物を壊してしまうことと同じことなのだ。何か大切なものならばそれを壊すこともしないが、特に思い入れのないものならば罪悪感にさいなまれることも無く易々と物を壊せられる。音和は不利益なものならそう簡単には壊さないが、その反面で、もしそうだとしても気に行ったり興味を惹かれなければ自分がそれでどうなろうと特に気にしない。気分で生き死を決めることのできる様な虚ろを持っていた。
今は青年と一緒にいるためかそういう狂気的とも言われるようなことは早々しないが、根本的に、人の命をものと同価値に見るような価値観は変わっていない。
「ふーん。まオレも人の事言えた立場じゃないからいーがな。それに大変なのはここの公務員くらいだろうし。てか音和フランス語も話せるのか」
「割と何でも話せるよ。英語さえ覚えれば後は大体似たようなものだしね」
イタリア語で青年の質問に答え、音和は近くにあった紅茶に手を伸ばした。
「にしてもほんと吸収が早い、ナイフの使い方はもう完璧だろ?銃の使い方は全然なくせして、空間把握能力はほんとないのにな」
「近距離にそれは必要ないし。というかいつもいつも僕にあれこれ仕込んで何したいのかユーリの考えてることだけはさっぱりだよ」
「別に、拾った弟子を馬鹿馬鹿しいことで簡単に死なせないようにの他に目的は特にない」
心底愉しそうな顔で笑った青年に、音和は無意識に顔をしかめた。
いつもそうだ。
音和は、相手の行動や言動を見ていれば相手の考えていることは大体知ることが出来た。なのに、目の前にいる青年の考えは全く呼べない。無愛想な態度かと思えば、心底面白いと言わんばかりの満面の笑みを見せたり、呆れともつかない態度を見せたり、どうも何処か飄々としており、空を流れる雲のように全く掴みどころがない。
ユーリ・クライン。それが青年が最初に出会った時の名前だ。偽名なのか本名なのかは正直に言って音和にとってはどうでもいいことだった。ただ、半場一方的に師弟関係とされ、師匠である青年の性質が問題だった。その性質そのものが、音和にとって唯一安心できるものであり、どうしても演技ができないということからのもどかしさが解消できない。
そうはいっても、普段からあまりそういったことを意識しているわけじゃない。いちいち気にしていたら身が持たない。
「いいけどね、人間死ぬときは死ぬよ。僕も、もちろんユーリもね」
「当たり前。でももし死ぬならおまえよりも前に死にたい」
「何で?」
「一人で生きるのは辛いだろ?」
それを言うのなら音和だってそうだ。自分勝手というよりも、自由奔放。
それに対して音和は特に反応する様子もなく、二つ目のサンドウィッチを口に入れた。
「にしても、もう大分身はこれで対人間になら守れるだろ。次はなんか面白いものでも作ろうか」
「え?作るの?」
「まあな、簡単なものなら大抵は作れる」
「ふーん。まあ、それは後でいいよ。どっか別の国についたらすれば良い事なんだしね」
最後の一口を口に入れ、手についたソースと舌でなめとった。
未だ食べているユーリを見ながら、もう冷め切ってしまった紅茶を口に運んだ。
「一つ聞きたいんだけど、外国人ってバイが多いよね」
「いやいや、何でだ?」
イギリス語で音和がそういうと、少し眉を顰めたユーリがフランス語で返した。
「今までの経験からだよ。それに皆小僧って言うし。後もう少しで二十代なのに」
「外国人にそんな変な偏見もつな。お前が偶々そういう奴に狙われやすいんだろ。どう見ても十代前半にしか見えないし一見して弱そうだからじゃないか?確か今は十九だったか」
「さあ?自分の年なんて覚えてないよ。でも季節から言って多分それくらいだと思う」
ユーリは急ぐ様子もなくマイペースにフォークを使い、もぐもぐと口を動かした。
「誕生日とかは?」
「詳しくは覚えてないけど……たしか十二月。冬は寒いから嫌いだけどね」
「クリスマスがある月、って考えるとイメージに合わないな」
「何故?人から何かを奪ってばかりだから?」
くすくすと自虐めいた笑いをこぼすと、一回首を振って否定を表した。
「赤い服が似合わなそうだから」
「……すいません、ギャグで言ってるんですか?」
「いや、マジ。音和には白い服が似合うと思うんだが」
あっけにとられたような顔をした音和は今までの大人っぽい態度に似つかわしくない反面、その少年と形容するに相応しい見た目には合っていた。
「白い服、僕には似合わないよ」
「そうか?」
「ユーリの方が似合うと、いや、黒の方がらしい気がする」
そう言って殺人者とは思えないほどの無邪気な笑みを音和は口元に浮かべた。
昨日、我が英国で殺人事件が起きた。被害者である人間四名は全員死亡。心臓や頸動脈を刺されたと思われるナイフの跡が見つかり、その凶器は持ち去られている。調査から被害者が持っていたものと思われる。被害者たちは裏路地に引き込み金をゆする等の行為を繰り返していた人間であり、その凶器と思われるナイフも殺された被害者のものだと前回被害にあっていた近隣の住民からの証言がある。ただ、気になるのがそのナイフは果物を切るために使われるような果物ナイフであり、普通は人を殺せるようなものではないという証言である。そのことから、使われたものが別物だという可能性や、自分がもともと別のナイフを持っていてそのナイフを使っていないということが考えられている。男たちがどこかのグループに所属したことからその仲間割れではないかと警察は調べを進めているが男達を恐れてか目撃者となる人間が側におらず、そのうえ鑑定するような指紋、髪の毛などが一切見つからなかったことから調べは難航している模様。
(英国、新聞記事より一部抜粋)