002
「はあ……たった一日なのに何でもかんでもありすぎるだろまったく」
僕は一人、すっかり薄暗くなってしまった路地を一人で歩く。
結局藍川は時間管理官に糸島を引き渡すため残る事になり、僕は最寄の駅の電車に乗って一人で帰ることとなった。
しかし、まさか僕の記憶のせいで僕が苦しむ事になるとは夢にも思っていなかった。自縄自縛というか、状況はあまりにも芳しいとは言えない。
なんて複雑な生涯を送っていたというんだ僕は。
「はあ……一人で嘆いても仕方ないな……」
僕は真っ直ぐ現在住居としているアパートの方へと歩みを進める。だがそこで、僕は見慣れた顔と鉢合わせをしてしまった。
「あっ!刹那さんじゃないっすか!お疲れ様です」
そこにいたのは、半袖のワイシャツ姿の貴船だった。そういえば貴船の奴、僕たちについて来なかったのだが、今まで何をしていたのだろうか?僕が最後に見たのは、パソコンをいじっている姿だったが。
「刹那さん、一杯飲んでいきませんか?初仕事の記念にです」
「ううん……まあいいか」
「やった!実は僕、良い飲み屋知ってるんですよ。と言っても、刹那さんに教えて貰った居酒屋なんですけどね」
「へえ……じゃあ行ってみるか」
僕は貴船に連れられて、居酒屋へと向かう。過去に僕が貴船に薦めた店か……どんなところだろうか?
「着きました。ここです」
都内にある小さな居酒屋。どこにでもあるような、普通の居酒屋だった。
僕と貴船はカウンター席へと座り、メニューを広げる。
「早速何か飲みましょうか。僕は……ハイボールにしようかな」
「ううん……僕はそうだな……ビールの中ジョッキかな」
「あっ、やっぱりそれ飲むんですね刹那さんは」
「やっぱり?」
「ええ、僕と飲む時はいつもビールの中ジョッキを飲んでましたよ。なかなかの酒豪だった事を記憶してます」
自然と目がその場所へ向いてしまっただけなのだが、どうやら習慣になってしまっているようだ。何と言うか、恐ろしい習慣だ。
「ところで刹那さん、何かサイボーグになって悩んでる事とかありませんか?やっぱり人間と違うから使い勝手が悪いでしょ?」
「サイボーグになってね……やっぱり記憶かな」
「記憶……ですか。まあそうですよね。自分が何者なのか分からないっていうのは、もしかしたら一番人間にとって辛い事かもしれませんからね」
「そうかもしれないな……」
実際、僕はそれで悩んでいる訳だし、自分の事を蔑ろにする事は出来ない。
僕は高梨刹那である以前に、キタガワセツナであるのだから。
「実は刹那さんの記憶、消えた訳ではないんですよ。ただ少し、複雑なロックがかかっているというか、思い出せないようになっているんです」
貴船は僕の顔を見ず、カウンターの先にある何かを見つめながら話し始める。
「ロックがかかっているのか……じゃあ僕はもう過去の記憶を完全に思い出す事は出来ないのか?」
「いえ、そうではありません。ただロックがかかっているだけですから、それを外す事もまた可能なんです」
「外す事も……でも記憶のロックなんてどうやって開錠しろっていうんだよ?頭のどっかを弄らない限り無理だろうよ」
「……最初に言ったと思いますが、刹那さんの基礎は人間で出来ています。人間の基礎の基礎といったら何だと思いますか?」
「基礎の基礎……細胞とか?」
「確かに人体の基礎は細胞です。ですが人間として、一人の人としての基礎は頭脳ですよ。個性も感性も何もかも全てが入っている、いわゆる人としての司令塔なのですから」
「な、なるほど……確かに」
人間の基礎が脳なのだとしたら、僕の今の体にも脳が入っているという事になるのか。僕の基礎は、人間であるのだから。
「……待てよ、じゃあ記憶のロックってのは一体何なんだよ」
「それは一種の催眠術のような物です。過去の記憶を思い出そうとするとセーフティがかかるというか、妨害が入るような仕様になっているんです……けれど突破口はあります」
「突破口?」
「ええ。それは催眠波を打ち破る程の強い思い出と衝撃です。それが重なった瞬間、完全に記憶のロックは解けるものかと思います」
「マジかよ……」
何というか、アニメか漫画のような方法だなというのが率直な意見である。
けれどそれで戻るのなら、やるしかない。自分自身を、思い出すために。
「……でもさ貴船、何でそんなカラクリを僕に取り付けたんだ?何か不都合な事でもあったのか?」
何気なく振り掛けた質問だったが、それを聞いた瞬間、明らかに貴船の顔色が変わる。真剣と言うか、戦々恐々とした表情。
「……刹那さん、ここからは絶対に秘密ですよ。誰にも言ってはいけませんからね。特に……藍川さんには絶対に口が裂けても言ってはいけませんから」
この念の押しよう……マジだ。藍川にも言えないという事は、かなり核心を突いたものなのだろう。
「……分かった」
僕は重く返事をする。
これを聞いてしまえば、もう後戻りは出来ない。それは貴船も同じはずだ。
「……刹那さん、あなたはあるミッションで未来の真相を知ってしまったんです。セツナドライブのような時間管理会社の存在理由、時間変換の意義、そしてペンタゴン、いわゆる未来政府の暗躍。それら全てです」
「……何かやばいなそれ」
「ええ、だから記憶を操作された訳です。ペンタゴンからの直々の指令でね。僕は躊躇ったのですが……藍川さんがそれを承諾してしまって……藍川さん、昔は時間管理官をしていましたから、公務員のさだめって奴なんでしょうね政府に従うっていうのは」
「なるほど……お前結構言う事が厳しいな」
「僕は一般人出身ですからね。やっぱり公務員にはどうしても厳しくしてしまうものなんですよ」
貴船は笑って答える。
何というか、やはり一般労働者と公務員の壁というものは何年経っても取り払われる事は無いようだな。
未来への希望が、また一段と薄れてしまったな。いや、本当に。
「まあとにかく、そんな感じなんです。僕はどちらかと言うと政府の犬にはなりたくない人間なので、刹那さんを応援しますよ。堂々と立ち向かう刹那さんかっこよかったし」
「立ち向かうねぇ……やれるかな今でも」
「やれますよ絶対に。でも、それにはまず記憶を取り戻す必要がありますね」
「だよな……強い思い出に衝撃か……よし、やってみるか!」
「僕には応援しか出来ませんが、力一杯抗ってください。今日は決起会ですね!」
「よっしゃ!今日は飲むぞぉ!!」
貴船と僕はハイボールとビールの中ジョッキのグラスを鳴らし、一気に飲み干していく。
やはり誰かと一緒に飲むビールの味は、格別な物だった。