三日月ワタル
今回は初めてのホラーです。がんばって書いてきました。少し長めですが、読んでいただければ幸せです。物足りなかったら、ごめんなさい!
雲ひとつない、きれいな夜空だった。小さな星が点々と灯り、細い三日月が鋭く輝く真下を、一台の黒いセダンが滑らかに走っている。車内には、幼い男の子とその父親らしい男が乗っていた。
「お父さん、あとどれくらいで着くの?」
男の子は、父親の後ろ姿に向かって尋ねた。幼稚園の制服を着たまま車に乗っているのは、今日から新しい家に住むからで、お別れ会でもらった寄せ書きの色紙をひざの上に載せている。
父親は、ラジオのボリュームを下げながら、
「向こうに見える明るい所に、ワタルの新しい家があるんだ。もうちょっとかかるから、それまで眠っていたらどうだ?着いたら起こしてあげるよ」
男の子は、うんと言って両眼をつむった。が、すぐに薄目を開けて窓の外を見る。車を追うように、三日月が並んで走っていた。
(ちゃんとついてこいよ)
かすかに微笑んだ目が、三日月のように細くなる。
男の子の母親は二年前に行方不明になり、今では父方の妹が時々身の回りの世話をしている。
新居に移る今日も娘を連れて、一足先に運ばれた荷物を整理していた。
「ねえママ、ワタル君、またこんなもの持ってるよ」
娘が開けた段ボールの中をちらっと見ると、頭だけのぬいぐるみや人形が、ぎっしり詰め込まれている。
「マミ、そこはもういいから、こっちの荷物を分けてちょうだい」
マリコはすぐに箱のふたを閉じた。
マリコにとって、ワタルはかわいい甥っ子だった。演劇で、天使の役がぴったりなほど愛らしい顔立ちに、どこか大人びた表情が魅力的だと思った。
だが、母親が失踪してから、何かが変わった。それが何なのか、マリコには説明できないが。
外で車が止まる音に続き、ドアの開閉音も聞こえてきたので、ナナカはそっとカーテンの隙間からのぞいた。
隣にできた新しい家の前に、親子らしい人影が動いている。家の中には、もう誰かがいるらしく、明かりが灯っていた。
幼稚園から帰ってきた時、家の前に小さなトラックが止まっていたのを、ナナカはふと思い出す。
(同じ年の子ならいいのにな)
明日は日曜で幼稚園が休みなので、家の前で出てくるのを待ってみよう。早く明日になあれ、と小さくつぶやきながら、ナナカは布団にもぐり込んだ。
「あら、結構時間がかかったのね。渋滞していたの?」
玄関のドアを開けながら、マリコは兄のケンイチに言った。予定では、午後の七時には到着しているはずだった。
ケンイチは、肩をポンポンと叩きながら、
「いや、空いてはいたんだが、途中でタイヤがパンクしたから、交換するのに手間取ってしまった」
と言って、ワタルを見やった。
ワタルは、こくんとうなずくが、マミが人形を持って立っているのを見るなり、思いきり突き飛ばした。
「痛いよ〜!」
床に倒れたまま、マミは激しく泣いた。
「バカ野郎!何てことするんだ!ワタル、マミちゃんに謝れ!!」
ケンイチはワタルの頬を激しく打ち、泣きじゃくるマミの前にひざまずかせた。ワタルの口から血がにじみ出す。無表情だが、目は獣のように凄みがあった。
「マミが僕の人形を壊したんだ」
床に転がった人形は、どこにも壊れた形跡がない。
「・・・だって、お人形さんがかわいそうなんだもん」
マリコはすぐに、マミがバラバラになった人形を直したことに気付く。
「ごめんね、ワタル君。これはあなたの人形なんだもんね、マミ、勝手に触っちゃだめでしょ。でも、女の子に乱暴なことするのは良くないんじゃないかな」
すると、ワタルの目が穏やかになり、
「ごめんね、マミ」
と、小さな声で謝った。
マミは黙ってうなずいたが、家を出る翌日まで、口を利かなかった。
ナナカは朝食を食べ終わると、さっそく隣の家を観察しに家を出た。家の前の道に、チョークで絵を描きながら待った。
やがて、家から男と男の子が出てきた。男はナナカの父親よりも体が大きく、優しそうな感じに見えた。両手に幾つか紙袋をさげている。その脇に、ナナカと同じ年くらいの男の子がいたので、思わず見つめていると、向こうも気付いてナナカを見た。
(わあ、あの子、かっこいい顔だな。テレビに出ている子かな?)
「あ、君、ここの家の子供?お父さんかお母さんいるかな?」
ケンイチはにっこり笑って、ナナカに近づいた。引っ越しの挨拶をするために、手土産を持って回るところだった。
「うん、呼んでくる・・・お父さ〜ん!」
すぐにドアが開き、小柄な夫婦が現れた。
「初めまして、隣に引っ越してきました、三日月と申します。これからもよろしくお願いします。家族は私と、息子のワタルの二人です」
ケンイチはそう言って、ワタルの肩をポンと叩いた。
「三日月ワタルです。よろしくお願いします・・これどうぞ」
ケンイチが持っている紙袋の一つを、小さな手で夫婦に差し出した。女がそれを受け取った。
「まあ、ありがとうワタル君。初めまして、山野です、こちらこそよろしくね。ワタル君は年いくつ?」
「五歳です」
ワタルとナナカは同じ年だった。
やがて、子供同士はもちろんのこと、家族ぐるみでつきあうことが多くなっていった。ケンイチは温厚で社交的な男だった。ケンイチの妻が行方不明と知るや、山野夫婦は深く同情し、ワタルの面倒をよく見てくれるようになった。
春も終わりに近づき、少し汗ばむ陽気のなか、ナナカとワタルは近所の公園へ遊びに行った。しばらくブランコや滑り台で楽しんでいたが、突然ワタルが帰ると言い出した。
「どうして?」
「秘密」
ワタルはそう言って公園を走り去った。
ナナカはまだ帰りたくなかったので、ワタルのあとを追った。ワタルは家には帰らず、住宅街を通って古いマンションの敷地に入っていく。そして、駐車場に停めてある車の後ろに身を隠し、何かを待っているのか、動かなくなった。
ナナカは駐車場が見える植え込みに隠れ、ワタルを見守った。
ワタルが何を考えているのか分からない時が度々あった。そんな時は、目が人形のように表情をなくし、ナナカがどんなに話し掛けても、反応がないのだ。今、目の前にいるのが、その状態だった。
しばらくすると、マンションの入口から男の子が出てきた。
(どこかで見た顔だな)
ナナカが思い出そうとしていると、ワタルが車の陰から飛び出した。それからさっきの男の子に駆け寄り、何かを頭に振り下ろした。
「うっ!ぐぅ・・!!」
地面に倒れた男の子に馬乗りになり、同じことを繰り返す。ワタルの手と男の子の頭が、次第に赤くなっていく。
「何をしてるんだお前!!」
駐車場にきた男が、慌ててワタルを引き離した。ワタルの手から赤い石が落ちる。顔は無表情だが、目が狂ったようにあちこち見ている。
倒れた男の子が力なくナナカの方を向く。
その顔は・・・ナナカの中で消えていた記憶が蘇る・・・ランドセルを投げてきた奴・・・髪をつかまれ、きたないハンカチを口に入れられた・・・誰もいない公園の茂み・・・おもしろそうにナナカの体を見る・・・ワタルが大声で叫びながら現れた・・・そいつはワタルをさんざん殴って逃げた・・・。
「やあぁぁぁぁぁ・・・・!!」
ナナカはその場に倒れた。
「ナナカ、ちょっと買い物に行ってくれない?ここにリストを書いたから」
ナナカの母チエミはそう言って、小さなメモを娘に渡した。夕食の材料に買い忘れがあったからだ。
「うん、ちょうど気晴らしをしようと思っていたところ。行って来ま〜す」
週明けに中間テストがあるので、がんばって勉強していたが、そろそろ机に向かっているのに飽きてきたのだ。
外に出ると、どうしても隣の家を見てしまう。が、誰も出てくる気配がないと分かると、少しホッとした。
ナナカは今年で十六才、高校生になった。三日月ワタルとは別々の高校に進学したが、家は相変わらず隣同士で、何度か姿を見る時があった。あの出来事以来、ナナカの両親はワタルを避けるようになった。ナナカの身に起こった出来事については、一切触れることがなかった。というのも、ワタルがどんなに問いつめられても、終始黙っていたからだ。ワタルの父ケンイチは、毎日のように被害者の見舞いと謝罪のために病院と自宅を訪ねた。しかし被害者の少年は、脳に大きな傷を残したまま、八年前に亡くなった。
夕方のスーパーは想像以上に混んでいた。人とカートを避けつつ、ナナカはリストの商品をさっさとカゴに入れ、レジ待ちの行列に並んだ。
順番を待ちながら、何気なく表の通りを見ると、制服姿のワタルがゆっくりと通っていく。どんなに遠くにいても、たとえ人混みに紛れていても、ナナカはワタルを見つけることができた。理由は、ワタルの端麗な容姿にある。高校生になったワタルは、幼稚園児だったかわいさに変わり、思わず見とれてしまうほど魅力的な少年になっていた。
それでも、ワタルの周りに人がいないのは、彼が持つ独特の雰囲気のためで、ほとんど一人で行動していた。
レジで会計を済ませ、いつもよりもゆっくりと商品を袋に入れながら、ワタルの姿を目で追った。
スーパーを出てからも、ワタルに追いつかないように、なるべくのんびりと歩いた。
(私何やってるんだろう・・・でも、あれから一度もしゃべってないし・・・)
やがて公園の前に来た時、ベンチに座っているワタルの姿が目に入ってきた。周りはすっかり薄暗くなり、くすんだ外灯が彼を背後から照らしている。
公園の嫌な記憶を振り払うべく、ナナカが通り過ぎようとしていると、公園に入っていく女の姿があった。女は、迷うことなくベンチに並んで腰掛け、ワタルの肩にしなだれた。
(誰だろう。ワタル君に彼女がいたなんて、知らなかった)
これ以上見ていてもしょうがないと、ナナカはそっとその場を離れた。
「ねえ、三日月君、話ってなあに?」
ユエミはそう言いながら、ワタルの腕にもたれた。ワタルとは同じクラスになってから親しくなった。告白されたわけでもないので、彼女とはいえないかもしれないが、一応デートらしいデートをしているつもりだった。ただ、(好き)とか(かわいい)とか言われたことがないし、にっこり笑っているワタルを、ユエミはまだ見たことがなかった。
それでも、嫌いな人とつきあう人なんて、いるわけがないと思っているので、単に照れくさいだけなんだと納得する、プラス思考なユエミなのだった。
「もう二人きりで会うのはやめよう」
ワタルはそれだけ言うと、突然立ち上がった。
「何それ、どういうこと?新しい彼女でもできたの?」
確かにもてるタイプだとは思うが、ユエミは自分に多少は自信があっただけに、納得が出来なかった。
「僕には元々彼女なんていない。誤解をさせていたのなら、悪かったよ」
ユエミが手を差し出すが、それよりも早くワタルは離れて行った。
「何よ、私だって彼氏と思ったことなんてないわよー!」
とは言ったものの、自分の言った矛盾さに気づいて頭がかっと熱くなった。
夕食を食べ終え、ナナカは勉強を再開した。が、さっきの女が気になってなかなかはかどらない。知らない女だが、ワタルと同じ高校だろうと思った。両親がワタルを避けているのは、本当の理由を知らないからだが、だからといって話してしまうと、ナナカ自身が平静でいられなくなるのが怖かった。
(もし、あんなことが起きなかったら、今も友達でいたかもしれない)
しんと静まりかえった夜の公園。ここを一歩出れば、車がたまに通るだけで、道路を挟んだコンビニや弁当屋が並ぶ通りの前には、低木の並木が目隠しのように植えられている。
ユエミはまだベンチに座っていた。自分のプライドを傷つけずに、友達に失恋したことを話す方法を考えていたからだ。
背後の外灯が消えたような錯覚を覚え、思わず振り返ったが、実は錯覚ではなく、ユエミは頭から何かを被せられた。
「誰か、助けてー!!」
ユエミは必死に叫んだが、声がくぐもって息苦しくなっただけだった。おまけに首に何かを巻き付けられて、もう声が出ない。
ドスン!
ユエミはベンチから転げ落ちた。
ズルズル・・ズルズル・・。
頭をつかまれたまま、どこかに引きずっていかれる。
(ああ、お願い、助けて・・・)
・・・しかし、心の叫びが届くことはなかった。
平日の昼間、公園はたくさんの野次馬とそれらを威圧する警察官であふれていた。
早朝に散歩をしていた老夫婦が、公園の砂場にある異様な物に気付き、すぐに警察に連絡した。
砂場の中央に、大きな山があって、そのてっぺんに赤い袋が載っていた。しかしよく調べてみると、山の中に人が膝を抱えた格好で埋まっていたので、袋の色は、その頭から染み出した血であることが分かった。
袋を開けるのが難しいくらい、皮膚はボロボロになっていた。監察医によると、数え切れないほど蹴られたり踏まれたりしない限り、ここまでひどくはならない、ということだった。
公園は封鎖され、近隣を刑事が聞き込みに回った。当然、ナナカの家にも刑事が来た。被害者の写真を見せられたが、知らない顔だったので、ナナカは無反応だった。刑事はその様子を見るなり、早々と出ていった。
しかし、ナナカの中でわずかな不安が残った。
(あの時、ワタル君は彼女らしい子と会っていたけど、顔までは見なかった)
もし、写真の女性がワタル君の彼女だったら・・・ナナカは自分の考えをすぐに否定した。だが、刑事の話によると、被害者はワタルと高校も年も一緒である。
ナナカは、赤い石を何度も打ちおろす幼いワタルが、頭の中で鮮明に再生されるのを、止められないでいた。
暗闇に浮かぶ女のかげろう・・・。
頭の角度が異様で、両手を前に突き出している。
「く、来るな!」
ワタルは持っていた石を振り上げる・・・が、そこには誰もいない。
人形がたくさん山積みしてある。みんなワタルを見ている。
「わぁぁぁぁぁあ!!」
ワタルは人形の首を引きちぎる、ねじる、かじり取る。
あっという間に二つの山ができる。
頭だけの山と、頭のない体の山。
「うぅ・・・!」
ワタルは汗で濡れた髪を乱暴にかきむしる。また同じ夢を見た。
窓を開けて夜の空気を吸い込む。半分に欠けた月が、どんより浮かんでいた。
警察は、被害者と親しかった、三日月ワタルという少年に事情聴取を行った。しかし、被害者が亡くなった時刻に、本屋で立ち読みをしている姿が何人もの人に目撃されている。そのほとんどが女性だったことは、いうまでもない。
「・・・運のいい奴だ」
外見に自信のない刑事は、思わずつぶやいた。
ナナカがワタルの姿を見たのは、公園の出来事が世間に語られなくなった頃だった。
クラブ活動で遅くなり、帰路を急いでいると、前方にワタルの後ろ姿があった。その隣に、見たことのない女の子がいて、何やらしゃべっている。
(もう新しい彼女ができたんだ。前の彼女がかわいそう)
ナナカはムッとしたまま、早足で前の二人を追い抜いた。
「ナナカ、あんまり遅くなったら危ないぞ」
ワタルが、ナナカの背中に向かって言った。
ナナカは思わず立ち止まりそうになったが、何も言わずに歩き続けた。
「ワタル〜、今の子だあれ?ちょっと親しげじゃない?」
リミは少しふくれっつらで言う。ワタルとはクラスが違うが、入学した時から目をつけていた。
「隣に住んでる幼なじみ」
ワタルは無表情で答える。今日はどうしても家に遊びに行きたいというので、仕方なく父ケンイチの許可をもらい、夕食を一緒に食べることになった。
「お邪魔しま〜す!」
二人が居間に入ると、すでに夕食の用意がされていた。
「いらっしゃい、リミさん」
ケンイチが鍋つかみをつけたまま、満面の笑みで現れた。つられてリミも、笑顔になっていた。
「・・・またか」
刑事は難しい顔で、階段に転がる死体をのぞきこむ。駅の小さな出入り口の階段に、一人の女が倒れているのを、駅員が見つけて通報したのだ。例の公園からさほど遠くない駅でのことなので、刑事はすぐに過去の事件を思い浮かべたのだった。
被害者は制服と持ち物から、前の被害者と同じ高校生だと判明した。顔にはやはり袋がかぶせられ、階段で何度も叩きつけられたらしく、階段には大量の血が流れていた。
三日月ワタルの名前が挙がったが、今回もたくさんの証言者がいたため、前回同様、行き詰まってしまった。
暗闇に浮かぶ女の姿・・・。
顔はほとんど骸骨に近い。
「お前が悪いんだ!」
女の手を避けながら、夢中で逃げ回る。
女の体がバラバラになり、周りを取り囲もうとする。
「よせ!来るな!!」
女の悲しそうな嗚咽が響き渡る・・・どこまでも。
ナナカはなぜか元気がなかった。少し熱があるようなので、母チエミが学校を休ませた。
「どうしたの、ナナカ。何か悩んでいることでもあるの?」
チエミはそう言ってはみたものの、何となく気付いていた。最近ナナカは、窓から隣の家を見ていることが多い。
(きっとワタル君のことが心配なのね)
ワタルが五才の時に起こした出来事を、チエミは今も忘れることができない。しかし、あんなに仲が良かった二人を引き離したことは、多少後悔している。
最近起こった恐ろしい事件が、ワタルと無関係であるようにと、祈らずにはいられなかった。
「何でもない」
ナナカは頭から布団を被った。
「コーヒーでも飲む?」
ケンイチは一週間程、出張で家を空けているため、従妹のマミが夕食を作りに来ていた。小さい頃は、ワタルに怖い印象しか持っていなかったが、今では会うのが楽しみになっていた。
今日の深夜に、ケンイチが帰ってくるので、二人きりでいられるのもあと少しだった。
「うん」
ワタルが押し入れに顔を突っ込んだまま、動こうとしないので、マミも後ろからのぞいてみる。
ワタルの手に、大きなナイフがあった。箱の中には首だけのハトの死骸が、ぎっしり詰め込まれている。
「な・・・何やってんの?こ、これ、ワタルがやったの?」
ワタルはあの時から何も変わっていなかったのだ、とショックのあまり、マミは意識を失ってしまった。
「クックック、マミは大げさだなあ」
ワタルは箱をさらに奥に隠してから、マミをソファーに寝かせた。その拍子に、ソファーの溝から、一冊のノートが出てきた。中を見ると、ケンイチの日記だった。
「・・・」
ワタルは、ノートを破ろうとしたが、何とか思いとどまった。
そして、マミを置いて家を飛び出した。
(あれ?怖い顔してどこへ行くんだろ?)
ナナカがぼうっと外を見ていると、突然ワタルが家から出てきたので、とっさにカーテンに隠れた。しかし、妙な胸騒ぎを覚えたため、急いで跡を追うことにした。
(こんな所に何の用があるの?)
ナナカは息を切らせ、ぐんぐん走るワタルの姿を追った。二人は明るい通りから、やがて工場が密集している寂しい場所に入った。工場から小さな明かりと蒸気が所々にもれているが、人の気配は感じられない。
今まで走っていたワタルが急に立ち止まり、(関係者以外立ち入り禁止)と書かれた金網のフェンスに、軽々とよじ登って中に入った。
ワタルがいなくなってから、ナナカも苦労してフェンス内の敷地に入る。歩いていった方へゆっくりと進んでいくと、ザクッザクッと、土を掘っている音がしたので、そっと隠れてのぞいた。
元々柔らかかったのか、かなりの深さまで掘っていた。ガン、という音と共に、赤いドラム缶が姿を見せた。ワタルが蓋代わりの段ボールを取った。すると・・・。
(わっ、何この臭い!)
ナナカが鼻をつまんでいると、ワタルが何かをつかんで持ち上げた・・・それは、変色した腕だった。よく見ると、目を開けたままの頭も、足も、胴の一部も、のぞいている。まるでおもちゃ箱のように、収まっていた。
「うそ・・・いやああああああ・・・!!」
ナナカは無我夢中でフェンスを上り、息の続く限り走った。
「あれ、私、どうしたのかしら?」
マミはソファーの上で上体を起こした。ワタルを探したが、どこかへ行ってしまったらしかった。
「そうか、ワタルが押し入れに・・・ううん、忘れちゃおう」
マミが足下に落ちているノートを拾っていると、玄関のドアを開ける音がして、ケンイチの声がした。
「あ、もう帰ってきたんだ」
ケンイチは鞄を持ったまま居間に入る。
「おじさん、お帰りなさい」
「あれ、マミちゃん一人?ワタルは・・・」
ナナカはやっと家の前で止まると、ゼイゼイと息を整えた。
(信じられない・・・ワタル君が・・・)
ワタルの家の窓から明かりがもれている。その一つに、動く人影があった。
(ワタル君のお父さんに言った方がいいかな・・・)
ちょっと迷ったものの、意を決してワタルの家の前に立った。
ピンポ〜ン。
誰も出てこないのでもう一度鳴らしたが、やっぱり反応はない。
恐る恐るドアのノブを回すと、あっさりと開いてしまった。
「こんばんは・・・隣の山野です」
玄関に男女のクツがあった。居間の明かりが廊下にのびている。誰も答えてくれない。ここまで来てしまったし、あんな恐ろしいことを黙っているわけにはいかなかった。父親なら何とか出頭させられるんじゃないかと思い、ナナカはクツを脱いで廊下を歩いた。
居間には誰もいないらしく、大きな鞄だけが置かれている。だが、奥の浴室からシャワーの音が聞こえてきた。
(ちょっとまずい場面かも・・・)
ナナカはすぐに居間を出ようとしたが、床に散らばったノートの残骸が気になり、一部を拾った。
それは、日記らしく、ケンイチが妻のことについて、書いていたようだ。
・・・ マドカの笑顔は最高だ。いつも隣で笑っていてほしい。今日、マドカのおなかに、新しい命が宿っていることが分かった。マドカにそっくりのかわいい赤ちゃんだといいな。僕は何て幸せ者なんだろう!・・・
(ワタルのお母さん、マドカさんっていうんだ)
思わずまた、床のノートを拾い上げる。
・・・あいつは絶対に浮気をしている。相手が誰か、突き止めないと!・・・
・・・驚いた。相手が自分の弟だったとは!!あいつら、絶対に許せない!!・・・
・・・あいつらに罰を与えた。当然だ。あいつは最後まで弟をかばっていた。同時に殺すのは気に入らないから、マドカは閉じこめておく。あいつらの子供が高校生にでもなったら、裁いてやろう。子供は・・・殺人鬼にでも仕立ててやるか。・・・
「見たんだな、ナナカちゃん」
ナナカが声を出す間もなく、ケンイチの大きな手が、ナナカの鼻と口を覆った。相手の恐ろしい形相と力に、抵抗することができなくなっていた。
ナナカの鼻が、鉄のような臭いを吸い込み、むせかえりそうになる。
「洗っても洗っても取れないんだよ〜。血の臭いは嫌いかい?」
ケンイチの手に力が入る。息ができないし、胸を押さえられているので、ナナカの意識はもうろうとなっていく。
「ゲボゲボ・・・!!」
ケンイチの喉が裂け、大量の血が流れている。ナナカは悲鳴をあげながら、ケンイチから離れた。
そばに、ワタルが立っている。手に、大きなナイフを持っていた。刃先から、赤い液体が床に落ちる。
「ワタル君・・・」
ナナカは、そっと声を掛けるが、ワタルの耳には入らない。ワタルはケンイチに近付くと、ナイフを何度も突き立てた。
その時ケンイチは、なぜかうれしそうに、
「マドカ、マドカ・・・」
と言っていた・・・が、もうこれ以上言えそうになかった。
ナナカは同じ悪夢をみているような気がして、その場に倒れた。
「ナナカ、大丈夫か?」
ナナカは軽いめまいを感じながら、周囲を見回した。自分が座っているのは、公園のベンチだった。目の前に、ワタルが心配そうにナナカの顔をのぞき込んでいる。いつもの澄んだ目だった。
「ワタル君・・・」
ワタルは、そっとナナカの口をふさぐ。
「いいか、さっきのできごとは、一切忘れるんだ。お前は、何も見ていない。今から、家に帰るだけだ、分かったか?」
ワタルの顔を見ていると、誰もあんなことをするように思えないだろう。ナナカはふと、ワタルのことが心配になった。
「ねえ、これからどうするの?私、ワタル君は悪くないって、ちゃんと警察に説明するよ」
するとワタルは、ふっと息をもらした。
「ありがとう、でも、大丈夫、一人で説明できるから。そんなことより、怖い思いをさせて、ごめん」
ワタルはそう言って、立ち去ろうとした。
「待って!私、ワタル君のこと、初めて会った時から好きだったの。ずっとそばにいて欲しい・・・」
ナナカの顔は真っ赤に染まっている。ワタルは、驚いた様子で立ち止まる。
「何言ってんだ、僕の家族はおかしな人間ばかりだし、僕自身も何をするか分からない。今のは聞かなかったことにするよ」
ナナカは、夢中でワタルにしがみついた。ワタルと離れたくなかった。
「・・・嫌」
「もしかすると、僕はナナカを殺してしまうかもしれない。それでもいいのか?」
ナナカは、こくんとうなずいた。
「ワタルになら、殺されてもいい」
ワタルは、黙ってナナカを強く抱きしめた。
(お願いだ、僕を空から見張っててくれ。だいじな人を傷つけないように・・・)
三日月が、二人を優しく照らしていた。
・・・おわり
読んでくれて、ありがとうございます!!どうか、感想もお聞かせ下さい!またがんばります!!