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最終節

・割とグロいかも。苦手な方は注意。


・勢いだけで書いてます。誤字があったらサーセン。




毎週火曜に更新予定。経過報告はブログで。


狐火クイックブースト http://ninetailsound.blog90.fc2.com

 ――夢を、見ていた。幸せな夢だった。


 僕は毛布を跳ね除け、ベッドから身体を起こした。節々に鈍い痛みが走る。かなり長い時間寝入っていたらしい。喉の奥が張り付くように乾き、口の中が粘つく。靴を履いて立ち上がると、予め汲んでおいた井戸水を口に含んだ。眠っていた肉体が徐々に息を吹き返す。考える力を取り戻す。

 簡単に身支度を済ませて僕は家を出た。ドアを開けて最初に見えるのは、視界一杯に広がる墓碑の数々。いつもと代わらぬ、見慣れた風景。

「償いにすらなっていない」

 感情を含まず、口の中で唱える。

 これは己に対する戒めだ。自分がやってきた事を、犯してきた罪を、忘れないように刻み続ける為の。言い換えれば、単なる自己満足に他ならない。墓の下には誰もいない。適当な棒切れを突き立てて墓標とし、時折がらくたを見つけては、それを遺物に見立てて紐で括りつけていくだけの作業。稚戯に等しい。僕は、夢の中で僕自身に対して繰り返し嘘を吐いた。自らを騙し続けた。

 水浴びをするべく家の裏手へ。普段は井戸で済ませているが、今日は久々に湖まで行ってみようと思う。

 草一本すら生えていない、荒涼とした大地を歩く。この惑星には僕以外の命が存在しない。人も、花も、鳥も、木も、虫も。全て僕が根絶やしにした。結果として食べる物も無くなったが、僕は既に食事を必要としない身体になっていた。

 程無くして岸辺に至った。服を脱ぎ捨てて冷たい湖水に身を浸す。全身を包むひんやりとした感触と、耳に届く水音が心地良い。掌で掬い、顔を洗う。そうしてから何気なく水面に視線を落とした。そこには活力を失って骨と皮ばかりになった老人が映っている。愚かで惨めで情けない、人の形をした魔物。

(僕は、誰だ?)

 自問する。それは答えの無い問いだった。答えが無いと知っていて尚、僕は自分に問い続けた。何十年も、何百年も繰り返してきた。何故僕は名を与えられなかったのか。僕は何の為に生まれてきたのか。この世界を破壊し尽くす事が僕の役割だったのか。仮にそうだとして、誰がそれを望む?――神か。『運命』、『天命』、そんな言葉で片付けろというのか。

 僕は掌で、水面に映る自分の顔に触れた。波紋が輪になって広がり、僕の姿はゆらゆらと揺れる。今更、怒りも悲しみも感じはしない。あるとすれば、そう――

「そろそろ来ると思っていたよ。あんたを、ずっと待っていた」

 声を掛ける。水面の波が凪ぐと、僕の背後に立つ少女が映し出された。感動の再会、という事にしておこう。長い間恋焦がれていた相手が、ようやっと姿を現してくれたのだから。

「すぐに着替えるから、ちょっと後ろを向いていてくれないか」

「……何故?」

 少女は首を傾げた。肩に掛かっていた金髪がさらりと零れる。

「人間っていうのは、基本的に裸を見られるのが恥ずかしい生き物なんだよ」

「貴方は人間ではない」

 ――これはまた手厳しい指摘だな。

「そうかもしれないが……人の社会に混ざって暮らしていたから、そういう習慣が身に付いてしまっているんだよ。そういう訳で、頼む」

「貴方がそう言うのなら、そうする」

 少女が素直に背を向けたのを確認して、湖から上がった。布で身体を拭いて、服を着る。髪は……結ばなくてもいいか。

「待たせた。もう大丈夫だ」

 僕がそう言うと、彼女はくるりと振り返った。初めて会った時と同じ、儚さを感じさせる少女の姿がそこにあった。

 無表情のまま、彼女は淡々と言葉を放った。

「貴方がずっと私を求めているのを、私を呼んでいるのを、私は知っていた。でも、私はそれに応じなかった。応じる資格が無いと思っていた」

「そんな事は無いさ。どうしてそう思ったんだ?」

「私は貴方から、貴方の大切な人を奪った」

 脳裏に夏希の顔が浮かんで、消えた。

「別にあんたのせいではないだろう。元々の原因は僕で、あんたは自分の仕事を全うしたに過ぎない」

 少女は黙ったまま、僕の声に耳を傾けている。

「僕はあんたを知っている。あんたは、『死』そのものだ。夏希を殺した自分自身を恨みこそすれ、あんたの事まで恨むのはお門違いって奴だろう」

 ――そう。少女の名前は、『死』。彼女は、全ての生命にとって最も忌避されるべき概念・現象が顕現した存在であり、謂わば死の化身だった。時間も空間も超越した、真の平等をもたらす者。それが彼女だ。

「むしろ、あんたには感謝しているのさ。あんたが形を伴って僕の前に現れてくれたおかげで、僕は心を取り戻す事が出来た。人の身体に戻れた。まあ、今ではヨボヨボの爺さんになってしまったがね。僕があんたを必要としているのは、別に謝罪して欲しいからじゃない。あんたに望むのはただ一つ。……僕を、死なせてくれ」

 そう言い終わった瞬間、少女の表情が僅かに曇った。人間と同じように、彼女には確かな感情がある。ある意味、僕よりも人間味を有している。

 少女は僕に近付いて両手を差し伸べた。僕の両手を掴み、そっと握った。

「私が貴方から去ったのには理由がある。貴方の傍に留まり続ければ、いずれ貴方は私を求めるだろうと予測した。だから二度と貴方の前には立たないつもりでいた」

「でも、あんたは今こうして僕の目の前にいるじゃないか。気が変わったのか?」

「永久の園は砕かれた。これから先、貴方を待っているのは苦痛と孤独だけ。真の意味で貴方を救済するには、永遠の眠りに就かせるしかないと判断した。よって私は、私の一存だけで貴方を生かし続ける事に疑問を覚えた。迷っているのだと、思う。貴方には生きていて欲しいのと同時に、私を受け入れて欲しいとも願っている。だから貴方の要望は、嬉しい、悲しい」

 繋いだ手から、少女の痛切な想いがひしひしと伝わってくる。彼女はジレンマに戸惑い、その苦悩を僕に訴えている。

「頼むよ。僕はもう疲れた。あんただけが僕を救えるんだ」

 一方の僕は、彼女に対して残酷な選択を迫っているという自覚がある。彼女の想いを知った上で、それでも我欲を押し通そうとしている。本当に自分勝手で、どうしようもない奴。

 躊躇いがちに、少女の瑞々しい唇が動いた。

「後悔しない?」

「何を今更。僕にはもう思い残す事なんて無いよ。それに十字架を背負ったまま永遠に生き続けるなんて、とてもじゃないけど耐えられないからね。それともあんたは、僕が死んで寂しくなったりするのか?」

「貴方が命を失うという事は、貴方が私と一つになるという事。貴方は私の一部となって、悠久の刻を過ごす。故に、寂寥を感じるには至らない」

 ――『死』に呑まれ、『死』と同化する、か。そいつは結構。

「だったら、これ以上この世界に留まり続ける理由は無いな。僕の魂を解放してくれ」

「……分かった」

 少女は一歩足を踏み出し、ぎこちない動作で僕の身体をそっと抱き締めた。

「貴方を好きにならなければ良かった。愛さなければ良かった。そうすれば、私も貴方も苦しまずに済んだ」

 僕を見上げ、少女は呟く。その瞳には影が差している。

「随分な言われ様だな。僕はこんなにあんたを好いているっていうのに」

「貴方は……現実から逃げたくて、私を求めるの?」

「さて、どうだろうな」

「答えて」

「僕にも分からないのさ。ただ、あんたを好きになれて良かったとは思っている。あんたに出会えて良かったと思う。この気持ちは本物だ、後悔なんてするもんか」

 心情を吐露している内に、妙な即視感に包まれる。

「貴方は、夢の中でも私に――『ゼダ』に、同じ内容の発言をした」

「……覚えてないよ。最近は記憶力が衰えていてね」

「恍けても、無駄。それに貴方が忘れていたとしても、私が全て覚えている」

「そうかい」

 決まりが悪くなって、僕は苦笑いを浮かべた。

 僕達はほんの僅かな間、互いに見つめ合った。それから、どちらからともなく吸い寄せられるように唇を重ねた。僕は腰を屈め、少女は背伸びの体勢になって高さを合わせる。押し当てられる柔らかな感触と共に、太陽の香りが鼻腔をくすぐる。ふと足元に視線を落とすと、二人の影が重なって一つに溶けていた。

「すまないね、こんな年寄りとキスさせてしまって」

 唇を離しながら、僕は冗談めかしてみせる。

「何故謝るのか理解出来ない。貴方がどのような姿だとしても、貴方の本質は変わらない」

 薄く赤みを帯びた表情で、少女は不思議そうに尋ねた。

「喜んでいいのかな、それ。まあ……あんたが気にしないっていうのなら、僕はそれでいいんだ」

「そう」

 二度目の接吻。先のそれよりも少しだけ長く、少しだけ強く。全てが失われた世界の片隅。僕がいて、彼女がいて。他には何も無い。何もいらない。

 痺れるような恍惚感と抗えない脱力感が、やんわりと全身を覆った。少女と触れ合っている部分を通じて、生気が僕の身体から抜け出ていくのが手に取るように分かる。熱が逃げて血の巡りは緩やかになり、鼓動が和らいで全身が重くなる。苦しみも痛みも無い。それは心地良い気だるさだった。

 立ったままでいるのが困難になり、地面に膝を突く。すると少女が僕の上半身を支えて、自らの膝の上に僕を横たえた。実年齢はともかく、外見が自分よりも幼い女性に膝枕をしてもらうというのは、それなりの気恥ずかしさがあったが……まあ、この期に及んで気にするような事では無いかもしれない。

 少女の姿越しに、薄く雲が掛かった灰色の空を見る。空は無限に広がって、やがて宇宙へと至る。『死』によって満たされた星の他愛無い風景。それが何故か愛しく、美しいものに感じられた。僕は今日、初めて空を仰いだ。

「ありがとう」

 感謝の想いを口にする。瞬間、不意に視界が霞む。

「……『ありがとう』。それは嬉しい時に使う言葉。胸が温かくなる言葉。それなのに何故、貴方は泣いている?涙は、悲しい時に出る筈」

 指先で僕の目から水滴を取り除きながら、少女は問い掛ける。

「そうと決まっている訳じゃない。嬉しかったり、感動したり……気持ちが昂れば勝手に出てくる。僕みたいな、枯れた身体でもね」

 次第に意識が朦朧としてきた。僕自身は横になっている筈なのに、地面へと向かって落ちていくような感覚。それはまるで、深い眠りへと誘われるような――

「しゅめい」

「……ん、何?」

「貴方の名前。赤色の『朱』に『命』と書いて、朱命。私が考えた」

「僕に名前をくれるっていうのか?」

 驚き、少女の顔をまじまじと見つめる。

「貴方が苦しみながら、悩みながら、孤独に耐えて懸命に生きてきたのを私は知っている。貴方の命は炎のように輝いていた。絶望の底で真紅より深い光を灯していた。それは紅よりも赤い、朱。だから、朱命」

 少女の言葉が一つ、また一つと染み込んでいく。纏まらない思考の海を自在に泳ぐ。僕は与えられた名を何度も反芻した。

「随分と大袈裟な名前だな」

「嫌?」

「まさか。気に入ったよ」

「良かった」

 『死』は、僕に優しく微笑んだ。

 空を覆う雲に切れ間が生じた。陽光が放射状に差し込み、薄暗い大地を仄かに照らした。薄明光線、所謂『天使の梯子』という現象だ。だが生憎と、お迎えなら間に合っている。天国も地獄もありはしない。絶対的な『無』が、前途には広がっている。

 自分の身体が冷たくなっていくのを感じる。恐怖は無かった。ただ、黎明の静けさにも似た平穏だけがあった。名を得た僕は、これから一人の人間として死ぬのだ。これ以上何を望むというのか。

「おやすみなさい、朱命。良い夢を」

 少女は静かな声で、僕に別れを告げた。

 視界が暗くなり、やがて何も見えなくなった。僕は、少女が、音が、世界も、光も、全部、全部、薄れて消えた。


 そうして、僕は再び夢を見る。終わりの間際に垣間見た一瞬を抱いて、終わりの無い永遠を漂う。


   ***   ***   ***


 高校受験の合格発表があった、その日の事である。帰宅した僕はまっすぐに自室へ向かおうとしたが、それは叶わなかった。

「ほらほら、早く座ってよ兄ちゃん」

 夏希にぐいぐいと背を押され、僕は訳も分からぬままリビングの椅子に腰を下ろした。するとタイミングを見計らっていたのか、ゼダが台所から大きめの平皿を持って現れた。皿の上に乗っているのは……ケーキ、だと思う。萎んだスポンジの上に、べっとりと塗りたくられた生クリーム。ぐずぐずに崩れて不格好、お世辞にもおいしそうには見えない。おまけに巨大。とことん食べる気力が殺がれる。

「よっ……と」

 ゼダが皿をテーブルに置くと、その衝撃で更に崩壊するケーキ。何だ、一体何が始まろうとしているんだ。

「それじゃ、早速。……えー、こほん。朱命、受験合格おめでとう!」

「おめでとー!」

 二人は拍手と共に祝辞を浴びせる。

「あ。ああー、そういう事。どうも、どうも」

 ようやく趣旨を理解した僕は、締まりのない返事で応えた。合格した旨を帰宅前に予めメールで伝えておいたので、それを受けて祝賀の席を用意してくれたのだろう。

 そんな事を考えていると、ゼダに肘先で小突かれた。

「何よ、そのパッとしない態度。せっかく美少女二人が祝ってあげてるんだから、もうちょっと嬉しそうにしなさい」

「美少女?」

 聞き返すや否や拳骨で頭を殴られる。

「痛っ。……そう言われてもな。僕自身、受かったっていう実感が無いんだよ」

 ぼやく僕を尻目に、夏希は手際良くケーキを切り分けていた。

「このケーキね、手作りなんだよー」

 いや、うん。それは見れば分かる。

「あたしとゼダさんで作ったの。はい、兄ちゃんの分」

 小皿に移されたケーキを受け取る。料理や菓子作りは夏希の得意分野。それを鑑みるに、この残念なビジュアルは間違い無くゼダのせいな訳で。

 僕は横に立つゼダの表情を盗み見た。彼女はニコニコと笑っている。……食べる以外に道は残されていないらしい。勇気を振り絞り、フォークで口に含んだ。

「あれ?意外とおいしい」

「ちょっと、どういう意味よ」

 ゼダが睨んでくるのには構わず、ばくばくと口の中へ放り込む。ある程度自信があったとはいえ、『合格』の二文字をこの目で確認するまでは精神的に張り詰めた状態が続いていたのだ。疲弊した身体には糖分摂取が非常に効果的だという事を、改めて思い知った。

「ゼダさんもどうぞー」

「お、サンキュー」

 夏希に皿を渡されたゼダは、嬉々として席に着いた。最近になって、夏希のゼダに対する態度が軟化している。家庭内の諍いが減ってくれる分には、僕としても喜ばしい限りである。

 ゼダが我が家に転がり込んできてから、半年が過ぎようとしていた。「廃業して行く当てが無くなっちゃったわ」とは本人の談。以来、彼女は月々に幾らかのバイト代を納めながら悠々自適な生活を送っている。僕は別にどうでも良かったのだが、夏希がこれに猛反発した。家で顔を会わせる度に刺々しく声を荒げ、それが受験勉強で苦しむ僕のメンタルに追い討ちを掛けて――やめておこう、もう過去の話だ。

 そして現在、ゼダはお母さんの部屋を自室として一時的に使っている。両親が二人共海外出張で出掛けているので、実質この家で暮らしているのは僕達三人だけ。今はそれで問題無いが、お父さんとお母さんが帰ってきたら新たにゼダの部屋を工面する必要が出てくる。いや、それ以前にゼダの事をどうやって説明すればいいのだろうか――やめておこう、未来の心配をしていたらキリが無い。

「しかし、これで君も四月から高校生になるのかー。時間が経つのは早いわね」

「こいつはまた、年寄り臭い事を……」

 鼻で笑う僕に向かってフォークが投げられた。ステンレス製の狂気――もとい、凶器が凄い勢いで頬を掠め、後ろの壁に突き刺さる。

「危っ……!」

 発言一つすら命懸けというこの状況。戦場か、此処は。

「生意気なのよ」

「わ、悪かったよ」

「いや、そうじゃなくて。朱命、また身長伸びたでしょ?」

「え?ああ、まあ、成長期だし」

「私より背が大きくなっちゃったじゃない。私の方が君よりお姉さんなのに。……むかつく」

「無茶言うなって」

 呆れて溜息を吐いた、その時だった。僕達の遣り取りを眺めながら黙々とケーキを食べていた夏希が、「あたしも兄ちゃんと同じ高校行こうかな」と呟いた。

「は?何でだよ」

「……別に。あたし、先に部屋戻ってるね」

 全身から不機嫌オーラを放ちながら、夏希は食べ掛けのケーキを持って階段を昇っていった。僕とゼダの二人だけが、リビングに取り残される。

「何だ、あいつ」

 後姿を目で追いながら、僕は首を傾げた。

「ふふっ、流石は夏希ちゃんね。女の嫉妬は怖いわよ~?」

「嫉妬ぉ?何言って――」

 刹那。振り向き、言い掛けた僕の唇が何かで塞がれる。柔らかくて、甘い何か。目と鼻の先にはゼダの顔。これは、つまり。

「……っ?」

「んぅ……ちゅ……」

 ――つまり、キス?

 そうと分かった瞬間、僕はゼダを突き飛ばした。弾かれたように椅子を蹴って立ち上がる。頭が沸騰しそうになる。

「ちょっと。驚いたからって乱暴にしないでよ、もう」

「なっなっ、あんた今、何を……!」

「何って、キスよキス」

「そんな事は百も承知なんだよ!そうじゃなくて、何考えてるのあんたは!」

「んー?そりゃもう、君の事しか考えてないわ。君の事で頭が一杯」

「ちょっ……!」

 ――よくもまあ、恥ずかしい台詞をぬけぬけと。

 反論しようとするも、舌が上手く回らない。頭が上手く回らない。畜生、何がどうなって、こうなった。

「好きよ、朱命。君の事が好き。愛しているわ。好き、好き、大好き」

 この世で最も不可解な単語を矢継ぎ早に口走りながら、ゼダは僕に抱きついた。僕はもうどうしていいか分からなくなって、その場で硬直してしまう。

「やっと伝えられたわ、私の気持ち。返事が遅くなっちゃってごめんなさい。でもこれで、晴れて私達は相思相愛って訳ね」

「相思、相……っ、何言ってんの!何言ってんの急に!」

「覚えてないの?君、前に言ってくれたじゃない。『僕は、あんたが好きなんだ』、って」

 ゼダは真顔で信じられない事を言っている。冗談にしては性質が悪過ぎる。

(えええ、何それ……?)

 ショート寸前の頭脳を懸命に働かせ、記憶野をほじくり返す。そんな歯の浮くような台詞を、果たしてこの僕が言っただろうか?いや、絶対に言ってない。

「記憶に無いんだけど」

「本当に?」

 上目遣いで僕を見るゼダ。その表情はやめてくれ、反則だろう、ルール違反だ。

「し、知らない。言った覚えが無い」

「ありゃ、残念。その部分まで無かった事にされちゃったか。……まあいいわ、また言わせればいいだけの話だし」

 まるで意味不明な言葉を繋げながら、ゼダはそっと僕から離れた。ほっと胸を撫で下ろす。あのまま抱きつかれ続けていたら、興奮と緊張で脳血管が破れかねない。

 ある程度落ち着きを取り戻した僕に向かって、ゼダは口を開いた。心なしか、言葉尻に切実さがある。彼女の纏う空気が変わる。

「今度こそ、胸を張って宣言するわ。『時間は沢山ある』、ってね。無限の幸せが私達を待っているの。それはとても素晴らしい事」

 嬉しそうに、ゼダは笑った。


 永久の園は砕かれた――


(あれ……?)

 それは些細な違和感だった。ゼダの声が一瞬だけ重なって聞こえた。同じ声質で、違う内容を喋っていた。『同じだけど、違う』……?

 違和感が連鎖して、次々と見えない音を響かせる。肥大化する、感情。この感情には色が無い。色が無いから形を成さない。

「あ……」

 不意に。一筋の閃光が、僕の体内を駆け抜けた。


 貴方の名前。赤色の『朱』に『命』と書いて、朱命――


 ゼダとそっくりの少女。長い金髪の女の子。それが誰か思い出せない内に、淡い像は霧散して闇の淵に埋もれた。僕の中で決定的な何かが、ぷつりと音を立てて断ち切られた。溶けて失われた色彩と旋律。例えるなら、それは一睡の夢。

「朱命。君の名前は朱命よ。何度でも、何度でも呼んであげる。君と私は業から解き放たれた。私達を縛る鎖は取り除かれたのよ。この世界が偽りだとしても、私達は確かに今を生きている。それに夏希ちゃんだっているわ。欠けているものなんて一つも無い。大丈夫、もう何も怖くない」

 自分の身に何が起きたのか分からず愕然とする僕に、ゼダは繰り返し呼び掛けてきた。僕の名を呼んだ。

「ゼダ。僕は――」

 ――僕は、誰だ?考えるまでもない、僕は僕だ。『朱命』という名前だってある。揺ぎ無い存在として、二本の足でしっかりと立っている筈だ。それなのに。

 それなのに、どうしてこんなに悲しいのだろう。

「……もっとだ。ゼダ、もっと僕の名前を呼んでくれ」

 そうしてもらわなければ不安になる。繋ぎ止めておけなくなる。今はただ、証が欲しい。

「ええ、いいわよ。それを君が望むのなら」

 ゼダは手を伸ばし、僕の頭を自らの胸元へと抱き寄せた。

「楽しみましょう。永遠に」

 その目は此処ではない、何処か遠い場所を見ていた。

読んで下さってありがとうございました!あとがき・設定・ネタバレ・その他諸々はこちらですー。


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