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第四節

・割とグロいかも。苦手な方は注意。


・勢いだけで書いてます。誤字があったらサーセン。




毎週火曜に更新予定。経過報告はブログで。


狐火クイックブースト http://ninetailsound.blog90.fc2.com

 気付くと、緩やかな斜面を登っている最中だった。

 若干の肌寒さと息苦しさの中、剥き出しになった岩肌の隙間を縫うようにして先へと進む。草木は見当たらず、殺風景である。空も地面も、何もかもが灰色に塗り潰された景色。遠望すると、連なる山々の頂に雲が掛かっていた。――ああ、僕は山にいるのか。ならば、これは夢に違いない。

 暫くすると靄が立ち込めている場所に差し掛かった。足を止める事無く、臆する事なく、その只中へと突入する。すると指先や首筋にひんやりとした感触があり、冷たい空気が露となって服を湿らせた。視界が通らず、少しでも油断すれば路傍の石に躓いてしまいそうだ。杖の代わりになりそうな物も見当たらないので、足の爪先で探りながら一歩一歩慎重に歩いた。酷く手間の掛かる方法だったが、こうでもしないと足を挫いたり、下手をすると転落の可能性もある。

 どれくらい経っただろうか。徐々に周囲の明度が増し、完全に靄を抜けると青空が飛び込んできた。遥か高みには太陽が座していて、白い光をギラギラと降らせている。更に前進していくと道は細り、左右は切り立つ崖となっていた。試しにそこから覗いてみると、眼下には綿のような雲が敷き詰められていた。どうやら相当高い所まで登って来たらしい。空気は薄く、気温は低く、吹き付ける風は強烈で、陽光は肌を焼く。人間のような脆弱な生物にとっては過酷な環境といえる。

(そもそも、僕はどうして登山などしているのだろう)

 自問しても答えなど得られる筈もなかった。これは夢なのだ。脈絡の無い事象が沸々と湧いては流れていくのが夢というものであり、その一つ一つに根拠を求めるのはナンセンスだと僕は思う。ゼダ曰く『人の無意識が作り出す』との事だが、果たして本当にそうだろうか。『無意識』のみが夢の全てを構築しているのだろうか。例えそうだとしても、今まさに夢に呑まれているこの身に許されているのは自己分析などではなく、行くか引くかの二択だけ。道があれば進み、脅威があれば逃げる。それだけだ。

 そんな事をつらつらと考えている内に、僕は終点へと辿り着いた。終点、と表現したのは、道が途切れていたからである。厳密に言えば此処が山頂という訳ではなく、崩れ落ちた地面の四、五メートル先に道が続いているのが見えた。彼岸と河岸の両端は突き出ていて、中央部が抜け落ちた橋のような有様である。

 飛び越えるにはいささか距離があり過ぎる。しかし、僕はこれ以上山を登る必要が無いのを悟った。一番会いたかった人物が崖の向こう岸にいたのだ。

「あんたは……」

 一番会いたかったという事を思い出した、というべきか。今回の夢の趣旨はこの一点にあったのだろう。そこで僕を待ち構えていたのは、神秘的な雰囲気を放つ金髪の少女だった。夢の中で彼女に会うのは、これで三度目。

「貴方を待っていた」

 女の子の口が小さく動いた。彼我の距離はそれほど離れていないので、その小さな声も充分に聞き取れる。

 僕は唖然として言葉を失っていたが、すぐに我に返ると頭を働かせ始めた。これはチャンスだ。この機を逃せば、こうして面と向かって会話出来るタイミングは二度と訪れないかもしれない。何しろ、今まで彼女に話しかけようとする度に怪異に見舞われたのだ。今後もそうならないとは限らない。

 尋ねるべき事柄なら山程ある。そして、いざ問おうとして女の子の目を見た時――その瞳は硝子のように澄んでいた――僕は、用意していたそれとは全く異なる質問を口にしていた。口にしてから、そんな問いを投げ掛けた自分自身に驚いた。

「あんたは、ゼダなのか?」

 ――似ていた。何もかもが似ていた。目も、鼻も、口も、耳も、肌も、背丈も、声も。違うのは、髪の長さと人柄だけ。いや、今目の前にいる彼女がどういう性格なのかを知っている訳ではないが、快活で傍若無人なゼダとは違って落ち着いた人物であるのは明らかである。逆に言えば、それくらいしか差異を見出せない。容姿が瓜二つなのだ。これこそが、ゼダという人を初めて知った時に感じた即視感の正体だった。あの時は深く考えなかったが……今、ようやく理解した。

 女の子は僕の唐突な問いに対して、頷く事も首を横に振る事もしなかった。ただ、「同じだけど、違う」とだけ言った。

「それじゃ分かんないよ。もっと詳しく教えてくれ」

「……彼女は、貴方が望んだ私。私と同じ姿をしているけれど、私とは違う魂を持っている。彼女は偽りの果実、永久の園の守人。本当の私ではない」

 ――永久の園?僕が、望んだ?

「ますます分からない。いくら此処が夢の中だからって、ちょっと抽象的過ぎるだろ。そりゃ確かに僕はあんたに会いたかったけど、それは色々と聞きたい事があったからで、……どうして、僕の夢の中での願望と現実にいるゼダが関係あるんだよ?大体、僕は今の今まであんたの事なんかすっかり忘れてたんだ。会いたい、という願いすら忘れてたんだ。あんたとゼダが似てるのには――例えば、双子とか――それなりの理由があるんだろうけど、そこに僕が絡んでくるのはおかしい」

 こちらの反論に、女の子は瞼を閉じた。何か思案しているらしい。焦らされているような気分になったが、僕はその沈黙に耐えた。ややあって、その目が再び開いた。

「貴方の認識には幾つか間違いがある。まず、此処は単純な夢の世界では無い。この世界が映しているのは虚構ではなく、現世の記憶。貴方が現実だと思い込んでいる世界よりも現実に近い」

 冷たい風が僕の背後から吹いて、彼女の絹のような髪を揺らした。

(……こっちの方が現実だって?)

「そんな馬鹿な。本当の僕は今頃、自分の家のベッドで眠ってる筈なんだ。こっちは真面目に聞いてるんだから、そういう冗談は勘弁してくれ」

 考えるまでもない。見ず知らずの山を登り、崖を挟んで少女と会話するという非現実的な状況が、夢でなくて何だというのだ。

 鼻で笑う僕には構わず、女の子は言葉を続ける。

「次に、貴方が私に会いたいと思っていたのは、私と問答をする為ではない」

「いや、そう言われても。じゃあ何の為だよ?」

「貴方は既に知っている。一時的に思い出せないでいるだけ」

「何だよ、それ。……『時が来れば自ずと理解する』、とでも言いたいの?」

 女の子は小さく頷いてみせた。

「またそれか。やっぱり似てるよ、あんた達」

 内心、辟易していた。適当に言い繕ってその場を凌ぐのが、汚い大人のやり口だ。正解を知っているのに「苦労を経験するのも勉強」などと理屈を付けて、遠回りさせようとする。大人はいつだってそう。僕は今すぐにでも答えが知りたいのだ――連日僕を苦しめる悪夢から開放される為の答えを。楽になる術を。だから同じく悪夢の住人であるこの少女から、その鍵を得る必要がある。

 ――そうだ。僕が一番に聞き出すべき情報は、それだ。ゼダと似ているとか、そんな些細な事はどうでもいい。

「もう一つ教えてくれ。悪い夢を見ないようにするには、どうしたらいい?」

 自分の夢の中で、夢を見ない方法を尋ねる。傍から見れば、これ程滑稽な事もそうは無いだろう。が、形振り構ってなどいられない。毎日少しずつではあるが、僕の心身は確実に磨耗しているのだ。笑って済ます事の出来ない事態まで発展しつつあると言っていい。このまま野放しにしておけば、待っているのは心が潰れるか身体が壊れるかのどちらかだ。今はまだ平気でも、いずれそうなる。

 しかし。帰って来たのは絶望的な答えだった。

「それを防ぐ手段は、無い。貴方はこれから先もずっと、苦痛に怯え、恐怖に怯え、孤独に怯えなければならない。永い時を、そうやって過ごさなければならない」

 それは。

 それは僕にとって死刑宣告に等しかった。ぐらり、と足元が揺らいだ気がした。

「嘘だ。……あんたは嘘を吐いてる。認めるかよ、そんな話」

 うわ言のように呟く僕に、女の子が諭すような視線を送った。

「嘘は吐いていない。本当の事」

「いいや、嘘だね!あんたならこの状況を打破出来る筈なんだ!助けてよ!あんたも僕の夢の一部なら、僕を救えよ!」

 叫んだ。怒声というより、悲鳴に近い。酸素が薄い。息が、苦しい。

 僕は根拠の無い確信に囚われていた。思い返すと、骸骨に足を掴まれた時も軟体生物に身体を貪られた時も、同じようにこの少女に助けを求めていた。助けてくれると信じて疑わなかったし、彼女にはそれが出来ると知っていた。彼女自身の事は何も知らないのに、である。もしも僕の中にもう一人の僕がいるのなら、これはそいつが持っていた記憶なのだろう。前世があるのなら、その時の記憶だ。馬鹿馬鹿しいが、そんな風にでも思わないとこの気持ちに対して説明がつかない。

「私は貴方を救えない。……貴方の言う『救い』を、私は救いとして認めたくない」

「どうして!」

 女の子の表情が僅かに歪んだ。視線を逸らし、俯く。

「私が、貴方を愛しているから」


   ***   ***   ***


「夏希―、ちょっと外出てるわー」

 台所にいる夏希に声だけ掛けて、玄関へと向かう。

 今日は休日。考える時間が沢山あるのは喜ばしい事だが、考える以外にやる事が無いのは辛い。昨夜の夢を思い返さずにはいられないからだ。

(愛している、か)

 嬉しいとか、恥ずかしいとか。そういう感情よりも先に、悲痛なものが胸中に居座っていた。決して報われない想い――少女が告白の直後に一瞬だけ見せたあの表情には、そういう類のフレーズを予感させる何かがあった。でも。だったら、僕はどうすればいい?例え彼女のいう『愛している』が恋愛感情を意味するそれだったとして、それが何だっていうんだ。むしろ僕の事が好きなら、率先して助けてくれたっていいんじゃないか。分からない。何一つ分からない。彼女が誰なのかも。彼女の意図も。

 靴を履きながら、溜息。こういう時は家で鬱屈としているより、外の空気でも吸って頭を冷やした方が良い。そう判断して、僕はドアを開けた。

「はろー、少年。来ちゃった」

 僕はドアを閉めた。

「……ねえ、あのさあ。流石に酷いんじゃないの、その対応は。お姉さん怒っちゃうぞー?」

 再び半分だけ開かれたドアの隙間から、ゼダの張り付いたような笑顔が覗く。僕は彼女の侵入を拒むべく、両手でドアノブを引く。

「帰れ。帰ってください」

「そんな事言わないでさー、どっか遊びに行こうよー。今日どうせ暇なんでしょー?」

「嫌だよ。僕は忙しいんだよ」

「君が忙しくても私は暇なんだよー。仕事が休みなんだよー」

「知るかよ。何なんだよあんた、マジで何なんだよ」

 全力で引っ張っても、ドアはびくともしない。くそ、相変わらずの馬鹿力だ。年上だか何だか知らないが、男子が女子にパワー負けするとは。

 その時、エプロン姿の夏希がやって来た。

「兄ちゃん、外行くなら牛乳と卵……って、何やってんの?」

「あ、夏希――のわあっ!」

 気を取られた瞬間、ドアが凄い力でこじ開けられた。僕はドアノブに上半身を持っていかれて、そのまま前のめりに倒れてしまった。

 目を丸くした夏希だったが、軒先に立つゼダに気付くと怪訝そうな表情を浮かべた。

「……兄ちゃん。この人、誰?」

 僕がそれに答えようとする前に、ゼダが口火を切った。

「初めまして。夏希ちゃん、だっけ?私、ゼダっていいます。今後ともよろしくっ」

「は?……はあ、どうも」

 ゼダの無駄に高いテンションに気圧されたらしく、曖昧に会釈する夏希。

「という訳で。君のお兄さん、ちょっとだけ借りてくわね」

「おい、勝手に決めんなよ」

「いいじゃない、少しくらい。ほら、さっさと立つ」

 言いながら、ゼダは抗議する僕の手首を掴んで無理矢理立ち上がらせる。その様子を、夏希は何故か不機嫌そうに見据えた。

「あの、ゼダさん。あたしの兄ちゃ……兄と、どういう関係なんですか?」

「ああ、それは――」

「カノジョでーす」

「違っげーだろ!」

 許されざるボケに素早くツッコミを入れる。夏希は「へえ……そうなんだ」と呟き、刺すような視線をゼダと――どういう訳か僕にも向けてから、片手をひらひらと振った。

「いってらっしゃい。兄ちゃん、あんまりゼダさんに迷惑掛けないようにね。それと暗くなる前にちゃんと帰ってきて」

「あ、うん。分かってると思うけど、僕とゼダはその、そういうんじゃないからな。てか、さっき何か言い掛けてなかった?」

「何でもない。後で自分で買いに行くから、いい」

 踵を返し、夏希は家の中へと戻っていった。……釈然としない態度である。

「ようし。妹さんの許可も得たし、早速出掛けよう」

 ゼダが僕の腕を掴んだ。一度こうなると振り解くのは至難の業。僕は抵抗も虚しく家から引きずり出されてしまった。情けない事この上無い。

 二人並んで海岸通りを進む。陽は翳っているが、雨雲が出ている訳でもない。今日は少しだけ気温も高めで、潮風がいつもより心地良いものに感じた。

「そういえばさ。前から思ってたんだけど、君の妹さんってかわいいよね」

 渋々横を歩く僕に、ゼダが言った。僕は首を傾げた。

「何処が?うるさいだけじゃん、あんなの」

「そんな事無いって。……ねえ、やっぱり付き合ってたりするの?」

 発言の内容を理解するのに数秒を要した。

 ――何を言ってるんだ、こいつ。

「何、そのギャグ。笑えない」

「いやいや、至極真面目なんだけど」

「付き合ってる訳無いだろ!ていうか、それ以前に妹だから!僕達が兄妹だって知ってる癖に、意味不明な事言わないで!」

「でもほら、最近流行ってるし。血の繋がった兄と妹の禁じられた愛、的な。ちなみに逆パターンも可」

「そんなの知らないし、僕達には関係無いだろっ?とにかく、そういうのは一切無いっつーの!」

「そうなの?でもなー……どうだろうなー……君のその気が無くてもなー……」

 声を大にして親切丁寧に説明してやったが、ゼダは合点に至らないようだ。これ以上気味の悪い話をされては敵わないので、僕は半ば強引に話題を変えた。

「それよりも、何処に行くつもりなんだ?右に曲がったり左に曲がったり、ふらふらしてるだけな気がするんだけど」

「んー。決めてない。まあいいじゃない、折角のデートなんだし。適当に歩いてるだけでも割と楽しいでしょ?」

「で……ちょっ、はあ?デート?」

 素っ頓狂な声を上げる僕を見て、ゼダは自分の金髪を撫で付けた。その何気ない仕草が、僕には妙に艶のあるものに感じられた。

「デートでしょ。男と女が二人で出掛けたら、それ即ちデート」

「えええ……?」

 そういうものだろうか。馴染みのない言葉なだけに、どうにもピンとこない。

「あははっ、そう緊張しなくていいのよ。今日は私に任せて存分に楽しみなさい。起きてる時くらい、夢の事なんて忘れて精一杯遊ばなきゃ。ね?」

「子供扱いするなってば」

 頭を撫でてくるゼダの手を払いのけつつも、僕は密かに感心していた。感心してしまう自分に対して、困惑を覚えてもいた。彼女に対する認識を改めようとした自分自身を、意味も無く否定する。

 でも確かに、彼女の提案には一理ある。寝ている間は苦しまなければならないとしても。それに怯えて起きている時まで苦しむ必要は無い。そう、僕一人が苦しんだって、それで誰かが特をする訳ではないのだ。


 貴方はこれから先もずっと――


「……」

「ん、どうかした?急に怖い顔しちゃって」

「別に。少し思い出しただけ」

 僕は首を振った。昨晩見た夢の事を、わざわざゼダに話す必要は無い。第一、「ゼダとそっくりな女の子が夢に出てきた」なんて教えでもしたら、また無意識がどうの、年頃がこうのとからかわれるに決まっている。

「ふーむ。まあ君が話したくないっていうなら、無理には聞かないけど――お?」

 ゼダは突然足を止めた。……と思ったら、走り始めた。

「ちょっとそこで待ってて」

 彼女が向かったのは、海沿いに店を構えるクレープ屋だった。地元ではそこそこ有名な店で、僕の通う中学の女子生徒がここのクレープを頬張る姿を、学校の帰りなどにちょくちょく見かける。

 言い付け通り大人しく待っていると、ゼダが両手にクレープを携えて戻ってきた。片方をこちらに手渡す。

「はい、どうぞ。甘い物食べれば元気出るよ」

 ――ゼダなりに、僕に気を遣ってくれているのだろうか。我侭なのには違いないが、こういう細かい所に目が届くのは美徳といっていい。僕には真似の出来ない優しさだ。

「ありがと。いくらだった?」

「いいのいいの、これは私の奢りって事で。人知れず戦う君に、今日はご褒美あげちゃう」

「いや、でも――」

「つべこべ言わずに、さっさと食べる!こういうのは出来たてがおいしいんだから」

「わ、分かったよ」

 勧められるまま、手にしたクレープを一口齧る。柔らかな感触と共に口の中で生クリームとストロベリージャムが弾け、溶けていく。懐かしい味だった。

「……甘い。うまい」

 率直な感想が口から出た。すると、僕の顔を覗き込んでいたゼダが嬉しそうに笑った。

「でしょ?ふふっ、良かった。効果てきめーん」

 その笑顔を真近で見て。僕は、自分の中で形容し難い感情が生まれた事に気付いた。俄かに顔が熱くなり、鼓動が早まり、思考がぐちゃぐちゃに絡まる。

「じゃ、私も食べようっと。……んー、おいしーい」

 僕の身に起こった急激な変化を察した様子もなく、ゼダは幸せに満ちた顔でクレープを咀嚼している。

「そ、そういえばさ。自分の姿が他人には見えてない、とか言わないんだな、今日は。さっきも夏希と普通に喋ってたし」

 自分を落ち着かせる為に、あえて興味の無い話題を振っておく。

「ん?ああ、それね。今日はね、誰でも私の事が見えるようにしてあるの。肉体組織の配列をちょちょーっと弄ったのよ」

「成程、そういう設定で来たか」

「あーっ、また疑ってるな?もう、本当だってば。仕事の関係上、普段は人の目に触れない方がやり易いんだけどね。今日はほら、デートだし。君以外の人にも見える状態でいた方が、何かと都合がいいじゃない」

「デート……」

 ……駄目だ。どうしても意識してしまう。いてもたってもいられなくなり、僕は手にしたままのクレープを一気に食べ尽くした。冷静になれ、僕。

「さーて、次はどうするかな。いっちょ海で泳いでみる?目の前にあるし」

「殺す気かよ。まだ寒いっつーの。水着も無いのに何言ってんだ」

「まだ若いんだし、準備運動すれば大丈夫!最悪でも心臓麻痺で済む!」

「いや、だから死ぬよね?普通に死ぬよね、それ?本気で言ってるんじゃないよね?」

 ゼダは自分のクレープを平らげると、僕の手を掴んだ。――これは、まずい。

「よし、善は急げ!青春っぽく走るよ!」

「え。待っ、勘弁――」

「突撃いっ!」

「人の話を聞けえええええ……」

 僕の悲鳴がドップラー効果を残す程の勢いで、ゼダは海へ向かって疾走した。堤防を降り、砂浜を駆け――ハンマー投げの要領で、僕を躊躇無く海へと投じた。あ、これ凄い飛距離……いや、今はそんな事はどうでもいい。

「ごぼっ?……ぶはっ。冷てえええっ、死ぬーー!」

「あっははははは!頑張れー、あははっ!」

 波打ち際で笑い転げるゼダ。正直、この時程彼女を恨めしく思った事は無い。

 僕は必死になって水を掻きながら、早くも後悔し始めていた。自分の気持ちが僅かでもゼダに傾いてしまった事を、である。

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