札束の息子。
母は、札束の中に息子を見た。
老朽化したアパートの一室は、時間そのものが腐りかけているように見えた。
壁紙は黄ばみ、湿った染みのひろがる天井からは時折、淀んだ水が滴り落ちる。そこに、キンは五十年以上も住み続けていた。
つつましく、ほとんど影のように。夫を若くして亡くし、一人息子の小吉を女手一つで育て上げた。
大学へ進め、一流企業へ就職させた息子を、キンは誰彼構わず自慢した。鼻を高くして。その誇りだけが、貧しい日常を照らす唯一の灯だった。
アパートの傷んだ箇所を自分の手でコツコツと修繕し、いつか息子にきちんと残すことだけを考えて生きてきた。
ある日、その光が消えた。息子が事故で命を落とした。突然の報せは、キンの世界を音もなく崩壊させた。
葬儀の後、遺されたものの中に、株式投資で築かれた三億円の預金があった。息子の命が、冷たい札束へと変わったのだ。
キンは、その金に触れることができなかった。一円たりとも使えば、息子の魂が霧散してしまうような気がした。
金を使えば、小吉が本当にいなくなってしまう――そう信じ込んだキンの体は、みるみる衰弱していった。
食事も喉を通らず、夜も眠れず、ただ部屋の隅に積み上げられた札束を、じっと見つめるだけの日々が続いた。
ある夜、キンはふと、奇妙な考えに取り憑かれた。目の前に広がる札束が、息子の魂そのものに見えたのだ。
それらを自分の中に取り込めば、小吉は永遠に自分と一体になれるのではないか。金を体に収めれば、魂は消えずに済むのではないか。
震える手で、キンは一枚、また一枚と札を取り上げた。口に運び、ゆっくりと飲み込んだ。紙の感触が喉を擦り、苦いインクの味が口中に広がる。
それでも止まらなかった。次々と、次々と。息子を取り戻すために。やがて喉が塞がれ、息が詰まった。
キンの視界が暗く沈む中、札束の隙間から、小吉の若い顔がぼんやりと浮かび上がるような気がした。
微笑んでいるようにも、泣いているようにも見えた。
部屋は再び静まり返った。積み上げられたままの札束の上に、キンの痩せ細った体が、まるで紙のように軽く横たわり、夜の闇に溶けていった。
息子の魂は、結局、どこにもいなかったのかもしれない。
ただ、古いアパートの湿った空気の中に、かすかな紙の擦れる音だけが、いつまでも残っていた。
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