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肖像画の婚約者は、笑わない

作者: 夜華カナタ
掲載日:2026/09/01

普段はほのぼの系が多いのですが、今回は少し肌寒くなるような話を書いてみました。夜、一人で読むのはおすすめしません(笑)

自室に飾られた肖像画を、セシリア・ランドは毎朝眺める習慣があった。


 婚約者、アルヴィン・ヴォルグレイブの肖像画。柔らかな金の髪、穏やかな微笑み。半年前、婚約が調った際に贈られたものだった。


(――今日は、瞳の色が違って見えますわね)


 いつもは澄んだ青のはずの瞳が、今朝はどこか灰みがかって見える。光の加減だろうか。セシリアは軽く首を傾げただけで、それ以上は気にしないことにした。


「お嬢様、そろそろお茶の支度が」


 侍女の声に、セシリアは肖像画から視線を外した。



「今日は肌寒いですね」


 庭園で顔を合わせたアルヴィンは、いつものように礼儀正しく挨拶をした。だが、その口数は以前よりも明らかに少なかった。


「アルヴィン様、以前お話しくださった、湖畔での思い出のお話――」


「……ああ、あれは」


 アルヴィンは一瞬、言葉に詰まった。


「あれは、確か、夏の初めの頃でしたか」


「いいえ。真冬に、凍った湖に落ちかけたと、そうおっしゃっていましたわ」


「――そうでしたね。失礼、少し疲れているようです」


 微笑む口元は変わらないのに、目だけがまったく笑っていない。セシリアは、その違和感に小さな棘が刺さったような心地がした。



 夜、自室に戻ったセシリアは、再び肖像画を見上げた。


(――やはり、変ですわ)


 絵の中のアルヴィンの口角が、記憶よりもわずかに下がっているように見える。まるで、絵自体が少しずつ、何かを表現しようとしているかのように。


 侍女に思い切って尋ねてみた。


「ねえ、アルヴィン様は……近頃、お加減が優れないのかしら」


「さあ……わたくしどもには、詳しいことは」


 侍女は視線を逸らした。それから、独り言のように小さく呟いた。


「坊ちゃまが本当にお倒れになったのは、去年の冬でしたから……」


「――今、何と?」


「い、いえ!何でもございません。忘れてくださいませ」


 侍女は慌てたように一礼し、逃げるようにその場を去った。


 残されたセシリアは、去年の冬、という言葉を、頭の中で何度も繰り返した。


(去年の、冬……去年の冬に、何があったというの)



 数日後、侯爵邸を訪ねたセシリアは、思い切って侯爵夫人に尋ねた。


「アルヴィン様は、去年の冬に、何か――」


「まあ、そんな古い話。覚えておりませんわ」


 夫人の笑顔は完璧だったが、扇を持つ手が、ほんのわずかに強張っているのをセシリアは見逃さなかった。


「アルヴィン様は今、どちらに?」


「――部屋で休んでおりますの。今日は、お会いにならない方がよろしいかと」


 それ以上、何を尋ねても、夫人は同じ笑顔で話をすり替え続けた。



 その夜、セシリアは眠れないまま、再び肖像画の前に立っていた。


 月明かりの下、絵の中のアルヴィンと目が合う。


 いや――目が、合った、ような気がした。


 瞬きするはずのない絵の中の瞳が、確かにこちらを見つめ返している。セシリアは、息を止めた。


 そして、絵の中のアルヴィンの口元が、ゆっくりと、初めて、はっきりとした笑みの形に動いた。


 まるで、「ようやく気づいたか」とでも言うように。


 セシリアは、震える手で燭台を持ち上げ、肖像画から一歩後ずさった。


 翌朝、庭園でいつものように顔を合わせたアルヴィンは、今日もやはり、笑わなかった。


 セシリアは、それ以上、何も尋ねないことにした。


 どちらが本物のアルヴィンなのか。


 その答えを、セシリアは、まだ知らない方がいいような気がしていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


説明しすぎない、余韻の残る怪談を書いてみました。真相はあえて明言していませんが、想像していただけたら嬉しいです。

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