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雪華蛇の檻  作者: 三屋城 衣智子


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5/5

5、終わる始まる

 雪の降る中を、足早にバス停へと向かう。


『……逃げられルなどト、おモウなよ……』


 低く唸るような声がして、俺は思わず後ろを振り返った。

 誰もいない。


「達也?」


 隣を小走りでついてきていた来華(きはな)が不思議そうな顔で、俺を見る。


「何でもない」


 気のせいだと思い直して、視界の悪い中歩みを再開した。

 少し歩いたところで、突然視界を黒い影が(さえぎ)った。


「きゃっ」

「来華?!」


 見ると、その腕をとり誰かが門柱の中へと引っ張っていこうとしている。


「戻レ……わシのだ!」

「その手を離せぇ!」


 俺は思わずその相手を殴りつけた。


「ぐァ!」


 地面へともんどりうって倒れたのは、吉田のじじいだった。

 喋り方がおかしく、顔が土気色になっている。


「……何なんだよ、一体」

「ふ……うぅっ……」


 啜り泣きが聞こえる方を見ると、来華のコートの前は無惨にも破かれていた。

 背中をさすった後、吉田のジジイが首にしていたマフラーを奪い、前が隠れるように巻いてやる。


「今はこれで我慢してくれ。……走れるか?」


 無情にたずねる俺に、来華は目をゴシゴシ擦った後一回だけ力強く頷く。

 俺たちは遅れを取り戻すように二人で走った。

 走って走って。

 けれど襲われたのが効いたのか、運行アプリを確認すると、二時間に一本しかないバスはもう行ってしまったらしかった。


「どうしよう……」

 考えろ考えろ考えろ!

「……そうだ、あそこ」


 周囲に誰もいないことを確認すると、来華の手を取り森の方へと進んだ俺は、昔の記憶を頼りにあの懐かしい洞穴(ほらあな)を目指した。


 もう小さくはない俺たちが苦労して進んだ道は、今は使われていないのか獣道ですらなかった。

 洞穴は、入り口からすぐのところに、昔に置き去られたカードゲームなんかの切れ端が落ちていた。


「崩れずにいたんだね」

「だな」


 数年前、別の方角の崖が崩れた。

 幸い死人は出なかったけど、ちょうど山仕事をしていた数人が怪我をしていた。


「次の便まではもつだろ」

「見つからないかな」

「俺たちだけの秘密基地なこと祈るわ」


 実際、村民の誰にも見つかっていないか、はなんとも言えないところだ。

 だからそんな軽口しか言えなくて、自分が情けなかった。


「適当に座ろう」


 穴の奥へと入りすぎなよう気をつけながら、平たい場所を見つけ二人で座る。

 沈黙が落ちると恐怖までやってくる気がして、取り止めもないことを話し出す。


「そういや、何で今日制服着てたんだ?」

「……入学前のサイズ合わせで、見せに行ったの覚えてるかな」

「あー」

「さては覚えてないな? ま、良いけど。その時珍しく褒めてくれたんだよね。すげー似合ってる可愛いじゃん、って。それだけなんだけど、なんか、近づけた気がしてさ」

「近づけて?」

「うん。中学生じゃなくなって、自分でもブレザーが少し大人っぽく感じてたし、達也に近づけたかなって」


 そういえば何だか嬉しそうにしてたっけと、はにかんでくるりと一回転してみせた来華の姿が脳裏によみがえった。


「あとさ、学校って親いないじゃん、宗教関係の人も身近にはいなくって。普通になれた気もして、嬉しかったの。制服着ると、なんか自分が戻ってくる感じもして好きでさ。だから……好きな服で好きな人に抱かれたかった」


 潤んだ瞳が俺を見る。


「ねぇ、どうしても、だめ?」


 自分の中にダメな理由を探したが、もうどこにもなかった。


 脱いだ防寒着の上に無防備な白肌。

 頂きを世話しながら開いた花を、俺は誰にも見られないようにひっそりと散らした。




 少し荒れた息は、吐いてすぐに白む。

 スマホの時計はもうだいぶ経っていて、身支度を整えるくらいしか残っていなかった。


「大丈夫か」

「ちょっとずきずきするけど嬉しいし、平気。走れるよ」


 来華が微笑む。

 ……何だこの可愛いの。鼻血出る。


「じゃあごめんけど、ちょっと急ごう」


 慌てて準備を済ませると、二人して洞穴の外へ出た。

 もと来た道を戻り、バス停へと近づく。

 丁度バスも来たようで、ヘッドライトの明かりが見えはじめていた。


「よかった、間に合ったね」


 停車と共にドアが開き、来華がホッとした表情でステップを登る。

 次に俺が手すりを持ちながら体を持ち上げた時、


「そのヲんナを、よこセ……!!」


 と不明瞭なことを言いながら誰かが俺の腰にタックルを仕掛けてきた。


「ぐっ。ちょ、なにすんだよ!!」


 よく見ると、それは昨日バス停で来華にちょっかいをかけてきた男だった。

 こちらも顔が土気色で、目の焦点が合っていない。


「くそっ、はっ、なっ、せ……っ!!」


 俺は体を少しよじった後、相手の顔目掛けて肘を打つ。


「ギャッ!」


 きちんとヒットしたようで、腰から()がれた。

 が、倒れる時に往生際(おうじょうぎわ)悪く足に引っ付いてきた。


「達也くん、タイミングよく自分の足引っ込めて!! 閉まる扉にご注意、くださいっ」


 困っていたところ声がして、ブーッという音と共に扉が閉まる。

 合わせて俺は、もう片方の足を使って相手の手を押し退けた。


「ギッ!」

「急発進になっちゃうけど出すわよっ!」


 同時にブルンというエンジン音がして、バスが走り出た。

 来華はちゃんとつかまれたようだが、俺は(したた)か体を整理券発行機に打ちつけた。


「いてっ」

「達也! 大丈夫?」


 平気と返す横目にドア窓の外を見れば、他にも幾人か人影が見えた。

 進路上にいたそれらを、バスが蛇行して避けたようだ。

 その数に。

 ただでさえ雪に晒されていた体が、凍るかのようだった。


「マジかよ……」


 同時に、バス運転手の機転に心底感謝した。

 背もたれ角の取っ手を持ったまま、呆然としている来華をシートに座らせると、俺は運転席近くへと移動した。


「ありがとうございました」

「どういたしまして」


 にこりと笑ったその顔は見知ったものだった。


「え、美久ねぇ?!」

「やっほー。久しぶり」

「美久ちゃん、ありがとう」


 気づけば、来華も運転席そばのシートまで来ていた。


「来華ちゃんと達也くんが困ってそうだったから、お安い御用よ。それにあの人、なんか変だったし」


 ウインクしながら話すその人は、五つ上だけど弟が俺たちと歳が近く、よく遊んでくれた人だった。

 運がいい。


「あの様子だと、なんか追いかけて来そうね。普段の乗り継ぎを使うのはやめて、迂回した方がいいかもしれないわ」


 停車中、そう言うと美久ねぇは自分のポケットから財布を出し、お札を渡してくる。


「もらえねぇよ」

「これは餞別。……何かおかしくなって来てるのは、私たちもうっすらわかってたのよ。けど何もできなかった。ううん。何もしてこなかったから……」


 言外に後悔の滲む声。


「美久ねぇは大丈夫か?」

「少し前から村の様子が変だったし、うちは前に引っ越ししてるの」

「確か去年、だよね」

「ええ。村への路線も事情を話して担当にならないようにしてもらってて、今日は同僚が病気でたまたまなのよ」


 マジで運が良かったらしい。

 俺たちは有り難く餞別をもらい、降りるバス停までの間にどのルートで行くのが一番良さそうかを話し合った。


「じゃあ、検討を祈るわ」


 いつもは降りないバス停で下り、美久ねぇとも話し合ったルートで迂回した。

 徒歩とタクシー、いつもは使わない駅。

 周りを伺いながら慎重に進み、俺たちはなんとかほうほうの体で東京のアパートへとたどり着いたのだった。


 それからも大変だった。

 病院でこれまでの虐待の傷を見てもらい診断書をもらったり、分籍届や住民票の変更、支援措置申請等々。

 とにかく今ある制度だのを使い倒し、なんとか生活の目処を立てた。

 高校は、単位は全て取得していたことと、家庭の事情から、最低限の登校日と卒業式のみを残し通学を免除してもらえた。

 親父達は周囲を説得したものの、聞き入れてもらえず、土地家屋を売却し県市内へ転居。

 俺の実家は真新しくなった。


「だいぶ迷惑かけちゃったね……」

「家族になるんだから、当たり前だろ?」


 新しいアパートへ転居し、荷物を開梱しながら来華は申し訳なさそうに言った。

 一人暮らしをさせるのも心配すぎて、俺は早々に来華へとプロポーズを済ませていた。

 サポートするにも、婚約者の方が色々と話が通しやすいのではとも考えたからだ。

 両親にも伝え済みで、来華の卒業と共に入籍、俺が就職しお金が溜まり次第ささやかにだが挙式をする方向で話がまとまっている。


「心機一転。ここからまたスタートだ」


 ホームセンターで購入したカーテンをつけながら、心底今を楽しんでいるのがわかるように言う。

 気持ちが通じたのか、彼女は無言で頷くと笑顔を返してくれたのだった。




 何度目の春だろう。

 桜ももう葉が青々と生い茂っている。

 昨今の気候変動もあり、日中額にはじんわりと汗が滲む。


 季節は流れた。

 俺たちは結婚して子宝にも恵まれた。

 けれど産後の肥立ちが悪くて、来華は俺たちをおいて行ってしまった。

 仕事を変え、在宅ワークとなったのは、向こうの親に頼れない上に自分の親にも頼れないからだった。


 今俺の右手は、愛しい我が子へと繋がれている。

 園からの帰り道、今後ますますキツくなるだろう日差しへの対処を思案していると、鼓膜を涼やかな声がふるわせた。


「おとーさん、わたしにおよめさんになれっていうの」

「誰が? 幼稚園の男の子か?」

「ううん。へび」




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