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きっと叶わない恋をしてる  作者: 長野智


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6/8

おまけ:羽鳥恭一の恋愛事情①

 とんでもなく鈍感で、突拍子もなく、掴みどころのない、妙に落ち着いた十五歳年下の女の子――妹尾架南を婚約者に定めたのは、今から二年前のことだった。


 妹尾家と政治的な繋がりはない。しかしその界隈では「仁義と誠実」を売りにしていた妹尾家当主はそこそこ有名で、俺の耳にも名前だけは届いていた。だけどまさか、突然「食事をしたい」なんてことを言われるとは思ってもみなくて、当日は緊張気味に指定場所に足を運んだ。


 俺がまだ三十一歳の頃だった。突然妹尾家当主の妹尾和弘氏に呼び出されて、それはそれは立派な料亭で懐石料理をご馳走になった。そしてどこか機嫌の良い和弘氏は渋顔をニコニコと和らげ、噂に違わない人柄で俺をもてなしてくれたのだ。なるほどこれなら誰もが彼を称えるわけだと納得してしまったのを覚えている。

 そうしてその席で、羽鳥くんももう結婚を考えているのか、と確認された。しかし俺はまだまだ働き盛りであり愛だの恋だの面倒でそちらに割く時間なんてないと踏んでいたため、そんな予定はないと首を振る。いずれはしなければならないと分かってはいたが、一夜以外の関係ともなると、今はとても重荷である。

 少しして、和弘氏は確信に迫るように言う。曰く、もし良ければ、娘が分別をつけられる大人になった時、キミに大切な人が居なければ見合いをしてやってくれないか。とのことだ。

 何か「羽鳥」と繋がりが欲しいのかとも一瞬思ったが、繋がりというならむしろこちら側が持ちたいものであり、「妹尾」から「羽鳥」に求めるものは総合的には少ないようにも思える。では何か他にあるのだろうかと、そんなことを考えるだけ無駄だったのだとすぐに理解した。

 話を聞けば、和弘氏はただ娘を思ってこの話を持ちかけただけだった。

 そこまで噂通りで柔和な人柄に、つい頷いてしまった。この人と家族になるのも悪くないと思ったからだ。


 その席で知らされたのは、実は俺と和弘氏の娘、架南とは、俺が二十三歳の時にすでに出会っているらしいという昔話だった。

 言われてみれば、覚えている。無邪気で可愛らしい、小さな女の子のことである。

 当時、会社を継ぎたてだった俺は、その見た目から会社の人間から不審感しか得られていなかった。

 今となっては跡形もない――コンプレックスが過ぎて頑張って体作りをした――が、当時はまだ成人男子にしては線が細く、顔も女顔で、だけど各所節張ったゴツゴツさとくっきりとした喉仏というミスマッチ感に、何度二度見をされたか分からない。当然ながら、そんな見た目が俺自身でも大嫌いであり、コンプレックスだった。

 もちろん、立場的にもそんな見た目では威厳も何もない。だからこそ不審感を抱かれていたし、認められてもいなかった。

 そんなこともあって、あの時はちょうど人生で一番沈んでいた。本当はいけないことだが、その当時は会社に居るのが苦痛で、度々家の近くの公園にふらふらと出向いてはデトックスして会社に戻る、ということを数日おきに行っていた。


 そんな時に出会ったのが、小さな女の子だった。

 名前を聞けば「知らない人にはないしょなの」と言って教えてもらえなかった。もちろん俺は名前を吐かされたが、どうしてか女の子が俺を名前で呼ぶことは一度もなかった。


 何故かずっと「お姉さん」と呼ばれていたからだ。


 この子どもはどうして俺のことを「お姉さん」と呼ぶのか。コンプレックスとは正面からぶつけられると案外平気なものらしく、しかもそれが悪意ゼロであったなら尚更気にならなかった。

 それに女の子は、存外俺の癒しになってくれていた。

 コロコロと変わる裏表のない表情に、疑いの一切感じられない言葉、少し大人ぶった会話も楽しくて、その公園に行く頻度がぐんと上がったのは言うまでもない。家で待ってくれている愛玩動物を愛でるような感覚で癒されていたのだが、少し前向きになれたからかおかげで仕事の方も快調に回り始めていた。

 そんな時だ。ある日女の子が、へにゃっとした顔で公園で待っていた。どうやら「明日にはもうここにいない」ということらしい。

 二軒隣に引っ越してきた妹尾一家は、少しだけの滞在なのだと聞いていた。だからその時がくることはわかっていたのだが、いざ別れの時ともなると、らしくもなく寂しく感じてしまったものだ。

『お姉さん、また会えるかなぁ』

 今にも泣きそうな女の子は、眉を八の字にして俺を見上げていた。

『また会いたいなぁ。ねえお姉さん、はなればなれになっちゃうの、いやだよ』

 それでも最後まで、女の子は泣くことはなかった。

 翌日、当然見送りなんてできなかった俺の知らぬ間に、妹尾一家はそこから引っ越していた。

 

 それが、妹尾架南との一番最初の出会いである。

 

 ああ、あの時の女の子かと思い出して、その後すぐに和弘氏から「あれが娘の初恋らしいんだ」と言われてしまえば、照れてしまったのも仕方がないのではないだろうか。

 もしも今後、俺にも彼女にも大切な人が出来なければ、会ってみたいかもしれない。

 あの時の女の子は、いったいどう育ったのだろうか。今でも、裏表なく純粋な笑顔を浮かべているのだろうか。

 考えれば楽しくて、それでも十五も上のおじさん相手で良いのかとも疑問が残る。

 彼女に会えるという期待と、拒絶されたらという不安。

 それらを胸に妹尾の本家へと出向いたのは、二年前のことである。


 妹尾本家は、セキュリティのしっかりとした、和弘氏自慢の広い庭を所持している由緒正しい日本家屋だ。相変わらず広い家だと、車をおりたところでそんなありきたりなことを思い、篠原に車を回すようにと手で指示を出す。もう十年の付き合いになる篠原も俺の指示方法に慣れたもので、間違うことなく瀬尾家の広い駐車スペースへと車を走らせていた。

 あと数メートルで妹尾家の門というところで、それが内側から勢いよく開かれたことについ足をとめる。


 出てきたのは、肩までの真っ黒な髪をボブにしている女性だった。顔は俯いているために分からないが、大きめのトレーナーと短めの短パンという格好から、飛び出してきたのは想定外であると分かった。それにあの年頃の女性であるなら、きっと瀬尾家の一人娘の、俺が訪ねてきた理由のその人だろう。


 ということまではなんとなく理解できたのだが、彼女が飛び出してきて、どうして俯いているのかが気になった。そうして近づくにつれて彼女が泣いているのだと知る。

 抱きとめるように引き止めれば、彼女はようやく顔を上げた。


「すみません!」

 驚いて見開いた目は真っ赤で、潤みを帯びている。真っ黒な少しつった大きな目に、下唇が少しぽってりとしたそれは、八歳の頃から変わらないらしい。しかし受け止めた感触は確かに成人女性であり、そうなれば大泣き後なのであろう彼女の様子に、立場上慰める以外の選択肢は浮かばない。

「……どうして、泣いてる、んだ。何があった」

 どうすれば良いのかと行き場のない手を泳がせていると、素直な彼女は知らない人間への抵抗感はないのか、ぐにゃりと顔を歪めた。

「ぅええええ! 信じられない、信じられない! 私は結婚なんかしないもんー! 絶対絶対、そんなことしてやらないんだからー! そんなことするなら死んでやるー!」

「おや、これはこれは。相変わらず女泣かせでございますね」

「篠原ッ……! 違うこれは……その、キミ、ここはちょっとあれだから、一緒に来るか? 一回落ち着こう。大丈夫、俺たちは変な人間じゃない」

「変な人間が『変な人間です』とは言いませんよ」

「うるさい。車を出せ」

「たった今いれたばかりなんですが……」

 なんて言いながらも車に逆戻りする篠原を見送って、彼女を見下ろす。


 何も言ってこないあたり、もしかしなくてもついてくるつもりなのだろう。俺たちは本当に怪しくないから良いが、これが本当に怪しい人物ならばどうするつもりだったのだろうか。

 篠原も心配そうにしていたが、後の彼女曰く「良いスーツ着てたし良い時計してたし運転手付きの高級車乗り回してたから拾われてむしろラッキー」ということらしい。金持ちらしいということが分かっていながら、踏み込んで「もしかして今日会う予定だった人?」とならないところが彼女らしいと言えばそうなのだろう。

 車内でも俺について聞かれるのかと思えばそうではなく、事情を話し始めて「結婚なんかしたくない」を繰り返すばかり。

 さすがに十五も年上の男との見合いなど嫌なのだろうが、真正面から突き付けられると胸に刺さるものがあった。しかしあまりにも弱っている様子の彼女に見合いの話を出すなど出来ず、その時はただ泣いている彼女の事情を静かに聞いていた。

 家に着く頃には、彼女は泣き疲れたのか眠っていた。その隙に電話をかける。

「もしもし、羽鳥です。定刻にそちらに伺わなくてすみません。実は近くまで行っていたのですが、門の外でお嬢さんと出くわしまして……ああ、いえ、大丈夫です。いえ、本当に気にしないでください。……はい。そうですね、すごく泣いていて……いえいえ、なにも。とりあえず落ち着くまではと思って家に連れてきてしまったのですが、もちろんなにもしませんので。――そうですか、ありがとうございます。はい。……分かりました」

 すぐに、家族間で何かがあったのだと理解した。

 あの和弘氏が泣きそうな声で、よかったらしばらく娘の面倒を任せたい、と言ってきたからだ。

 ――羽鳥くんが私の娘に簡単に手を出すような不誠実な男ではないと分かっている。むしろこちらがすまない。こちらがしばらく立て込んでいるのため、そして娘が落ち着くまでは、そちらで面倒をみてはくれないだろうか。

 というのが、和弘氏の言い分だった。


 一方の彼女は、和弘氏の発言を明瞭とするかのように、俺にある程度の事情を語った。

 一つ、無理やり結婚させられそうになったこと。

 一つ、家族とそれで大喧嘩をして帰れなくなったこと。

 一つ、身一つで飛び出したために行くあてもないこと。


 そうして和弘氏には、年頃の娘さんを預かるのだしきちんとけじめをつけようと「婚約者として彼女を家に置かせてほしい」と頼み込んだ。家政婦の三戸さんには「奥さん」だと伝えることで彼女の発言権を強く持たせて、極力言うことは聞いて欲しいとお願いをした。

 こうして、事態が落ち着くまでの彼女との奇妙な同居生活が始まったのだ。

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