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きっと叶わない恋をしてる  作者: 長野智


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第3話

 頬を流れる涙を拭いもしないまま、ずずずと鼻を吸い上げて、その漫画を閉じる。

 駅前のネットカフェに引きこもって何日が経ったのか。私が生まれた頃に大ヒットした大正ロマンス漫画、全九十巻を読んでいたらついつい日にちも分からなくなってしまった。

 すれ違いにすれ違って王道中の王道を行く、身分差や年齢差などの困難は当たり前のこの漫画、読み出したら止まらなくなり、勢いのまま無事全巻制覇である。

「はぁ、すごいよかった……満足」

 菊乃と蓮太郎の恋路は見届けたし、もう心残りはない。妙にすっきりとしているし、一度家に帰るとしよう。

 支払いを済ませ、階段を降りる。久しぶりに外に出て、ここが駅前であるということを思い出した。そうだ、確か外に出ることに慣れようと少しの間家を空けたんだった。

 先ほどのネットカフェに居たのが正しく二日なのかは定かではないが……今更戻って、あの男は嫌な顔をしないだろうか。

 指輪を残して「何かなかったか」なんてわざとらしく聞いてくるような男のことだ。今頃のびのびと過ごしていて、それだけでなく奥さんまで居たらどうする。

 そこまで考えて、帰路についていた足がピタリと止まる。

(追い出したかった女がやっと家から出て行ったのに、って思われたりして……)

 これが菊乃と蓮太郎であれば、きっと蓮太郎は菊乃を追いかけるのだろう。しかし私たちは菊乃と蓮太郎のように恋仲でもなければ、想い合っているわけでもない。むしろあの男の「指輪の主張」から、一度追い出されそうになったこともある。

 そのため私が今戻れば、あの男は怒るかもしれない。

(う~ん……どうしたものか……)

 のろのろと動き出した足は、長い時間をかけてなんとなく見知った道を歩んでいく。

 家族に連絡をためらうのと一緒だ。「ああ、そう」なんて興味のない返事をされたら傷つくことは分かっている。もしも恩人とも言えるあの男から「戻ってきたのか」と残念そうに言われたら……そんなことを考えてしまえば、陽気に「戻ろう」という気持ちにはなれなかった。

「どうしよっかな~……」

 さすがに奥さんと鉢合わせは嫌だし……それ以前に、あの男に会うのもなんだか気まずい。

 とは思うものの、私の素直な足はまっすぐにマンションへと向かい、現在はその玄関ホールへ踏み入れる直前というところまで来てしまった。

 数日置いて冷静になってみれば、現在の私はなんて帰りづらい立場なのだろう。

 どうすべきかと悩んでいると、中にいつものコンシェルジュさんが見えた。不審者が居ると思って様子見に来たのか、最初は私を訝しげに見つめていたけれど、見慣れた人物であると理解した途端に驚いた顔をして、すぐに駆け足で私の前までやってくる。

「架南様!」

 決して大きくはない声で私を呼ぶと、私が戸惑っていることは関係がないのか、さりげない仕草でマンションの玄関ホールへと引っ張りこまれた。

「た、ただいま~、なんて……」

「なんて、ではございません。すぐに羽鳥様へ連絡致しますので、こちらへ」

「え、なんで、別に私これから部屋に戻るけど、」

「なりません。現在羽鳥様はお仕事に向かわれていて、架南様が戻られたら直ちに連絡をするようにと厳命されております。この場で申し訳ございませんが、どうかお待ちください」

 コンシェルジュさんはそう言って、玄関ホールにある奥の部屋へと消えていく。きっとあそこがコンシェルジュさんの仕事部屋なのだろう。

 しばらくして出てきたコンシェルジュさんは、こちらへどうぞと私をそのお仕事部屋へ案内してくれた。さすがは高層マンションのコンシェルジュさんのお部屋というべきか、まるでマンションの一室かのように広く綺麗だった。

「架南様、温かいお茶はお好きですか? 実は先日、静岡の実家から茶葉が届きまして」

「え! 静岡のお茶? 飲みたい!」

「ではお淹れしましょう。少々お待ちくださいね」

 にっこりと微笑んで、コンシェルジュさんは部屋の奥へと消える。

「そういえば」

 思い立ったように声を上げれば、奥から「はい」と返事が届いた。どうやら聞こえているらしい。距離があるように思えたが、そうでもないのだろうか。

「コンシェルジュって、どんなお仕事なの?」

「正確には、コンシェルジュ兼マンションの警備という役割ですが……そうですね。このマンションに住まわれている皆様の過ごしやすさのお手伝いをさせていただいておりますよ」

「へえ、忙しそう。じゃあコンシェルジュさんは強いんだ」

「強い?」

「だって警備員なんでしょう?」

「ふふ、そうですね。そうかもしれません」

 奥から戻ってきたコンシェルジュさんは、私の前に緑茶の香る湯呑をことりと置く。

「ありがとう。いただきます」

「はい」

 しばらくの間、私がここ数日見つめ続けてきた菊乃と蓮太郎の恋物語の話をしていた。なんとコンシェルジュさんはその漫画を知っていて、さらには「映画化されましたよ」と有益な情報まで惜しみなく教えてくれた。これは、あの家の天井に引っ込んだ巨大スクリーンと3D音響スピーカーが役立つ時が来るのもそう遠くない。大音響で二人の王道大正ロマンスを見られるのか。今まで役に立たなかったあれらも、この日のためと思えばなんともありがたいものだと感じる。

「ああ、戻られましたね」

 熱中して話していた途中、コンシェルジュさんが外を見て腰を上げた。私はそれを静かに見送っていたのだけど、玄関ホールに連れられた時のようなさりげない仕草と目線で気が付けばコンシェルジュさんの後ろを歩いて玄関ホールへと出ていたのだから、このコンシェルジュさんはやっぱりすごく出来る人なのだろう。

 コンシェルジュ、というお仕事は本当に謎である。きっと誰でもなれるものではない。

「世話になったな」

 大股で歩み寄ってきたその男は言うが早いか、がっちりと私の二の腕を掴むと、コンシェルジュさんの返事も聞かないままにエレベーターへと引っ張り歩く。

「いた、ちょ、恭ちゃん痛い! 手加減手加減!」

 エレベーターという小さな箱の中、この男は私の意見等何一つ聞こえていないかのような華麗なる無視を繰り広げ、腕は相変わらず強く掴まれたまま。エレベーターが開くと同時に歩み始めたために、私もわた

わたとついていくハメになる。

 そうしてあれよあれよと気が付けば、あんなにも戻ることを躊躇っていたはずの男の家に、あまりにも呆気なく戻ってきてしまっていた。

「さて、この四日、いったいどこに居たんだ」

 広いリビングで立ち尽くす私たちの静寂を裂くように、その言葉が落ちる。

 振り返った強い瞳とぶつかり合った。怒っているわけではない。だけど、いつも通りというわけでもない。

 私が出て行って清々したはずのこの男は、何をそんなにも知りたいというのだろう。

 ましてや「二日」と書いた期間よりも倍の日数居なかったのだ。願ったり叶ったりで、このまま帰ってこなければと思うところではないのだろうか。

「駅前のネットカフェだけど。ていうか恭ちゃん、お仕事だったってコンシェルジュさんから聞いたけどなんで帰ってき、」

「二日と言ってたはずだが。そもそもどうして一人で外に出る。キミは自分が連絡も取れない状態であると理解してるのか? 何かあったときどうするつもりだったんだ」

 そんなふうに言われては、なんとなく咄嗟に言い返すこともできず、ぐっと言葉を詰まらせる。

 だって、でも……そうやってたくさん言いたいことが浮かんでは、形になる前に消えていく。

 全部この男のせいにすればいい。それが正しいことのはずだ。そもそもこの男から私を追い出したいと意思表示をしたのだから、どうして出て行っていけないなんてことになる。どうしてこうやって問い詰められなければならない。

「何かあったって……別に関係ないじゃん。私はただの居候だし、居なくなったところで恭ちゃんだって、」

「一週間だ。一週間出張に行って、帰ってきたところであんなメモを見せられてみろ。誰だって肝が冷える。垣田に聞くまでいつから居ないのかもわからなかったから、二度と帰ってこないんじゃないかとすら思っていた。休日はキミを探すことで潰れるし、会社に行っても仕事は手につかないし……しかもなんだ、俺と入れ違いで出て行ったらしいじゃないか。どうして俺と一緒に出かけようと思わない」

 理解の遅い私の脳は、最後までこの男の言い分を聞き終わってやっと、コンシェルジュさんが垣田さんという名前だということを知った。最初にこの男に紹介されたはずなのだけど、いかんせん人の名前と顔を覚えることが苦手なためにすっかり忘れていた。本人に「コンシェルジュさん」なんて呼び方をしていないことだけを願っておこう。

「はあ……聞いているのか、架南」

 ぐに、と両頬を柔らかに引っ張られて、ふあい、と返事をする。

 それにはどこか不服そうに、引っ張っているこの男がなぜか、なんとも言い難く眉を寄せた。

「どうして急にあんな行動をとった」

 ぱっと手を離されたために解放された頬を撫でていると、上からやけに真面目に言葉が落ちる。

「どこかに行きたいなら連れて行く。一人で行くと言うなら、せめて携帯を持ってくれないか。どこに居るのかも、何をしているのかも、いつ帰ってくるのかも分からないままでは不安なんだ」

「継続的にお金がかかるものは要らないから、携帯はいい」

 ふいと顔を背けたのはささやかな反抗だった。しかしすぐに目の前の男の手の甲が私の頬に触れて、軽く押されることで向き直される。

「それならそれで、勝手なことはしないでくれ。気が気じゃない」

「ふ~ん。恭ちゃんには関係ない」

「……これは一応、お願いなんだが」

「そんなこと言って、恭ちゃんは……」

 そこまで言ってしまって、口を閉じた。

 恭ちゃんは本当は私には出て行ってほしいくせに。言いかけた言葉は吐き出されることなく、行き場をなくして口の中で静かに溶ける。

 一度口ごもってしまったらもうその話題に持っていくことが出来なくて、数秒黙り込んでから「勢いで言ってしまった方がよかったのかもしれない」という後悔が押し寄せた。

「架南?」

「もう寝る」

 今度は身体ごとそっぽを向いて、私を訝しげに見つめる男からひとまず一歩離れた。今度は追いかけてこない。それを確認して、寝室へと足を向ける。

 ――居候の私に寝室なんか用意して、そんなことをしたら住み着いてしまう可能性だってゼロじゃないのに、まったく馬鹿な男である。

 最初の頃は「なんとなく」で用意されたものだったのだろうけれど、いざ私が邪魔になった時……まさに今となっては、その「なんとなく」があの男の邪魔をしている。

(……自業自得じゃない、そんなの……)

 来た当初にはそわそわとしてしまう程に慣れなかった広い寝室も、もう私の匂いしかしない。寝心地も形も私にピッタリとなった大きなベッドに身を投げ、大きく息を吐き出した。

 家を出て二年。これからどうしよう、なんてことはこれまでに考えたことがなかった。

 しかしそんなことももう考えなければならないのかもしれない。

 面倒だなあ、なんて考えながら、それでも現実を見ないようにと目を閉じて、身体の下に敷いていた布団の内に潜り込んだ。

 


 家族仲は昔から良かった。

 父と母と私。一人娘だからか、両親はいつまで経っても惜しみない愛情をくれていて、もちろん両親の仲もすこぶる良い。そのためか私は反抗期もなく、それどころか両親がずっと大好きだったし、家族旅行にも定期的に行って、その度にまた両親のことを大好きになった。

 だからこそあの見合い話は青天の霹靂であり、まさか両親から仕事のために「売られる」という立場にされたことに驚いたのだ。

「私、結婚しないから」

 馬鹿げた見合い話を意気揚々と語っていた父にそう吐き出せば、父は誰が見ても分かるほどに固まった。父の隣に座ってニコニコとしていた母も、父と同じように私を「信じられない」という瞳で見つめる。

「……何を言っているんだ、架南。私はお前のために、」

「何が私のため? 自分の会社のためじゃない。人のせいにしないでよ」

 初めて、父にこんな言い方をした。家族に対して怒りを表したのは初めてだったかもしれない。

「……架南、座りなさい。ほら、前に言っていただろう、小学校の頃に少しの間遊んでもらっていた、」

「そうだよ、その話知ってるでしょ!? だったら私が男の人を好きになれないことくらい分かってるじゃない! なのに会社のために歳上のおじさんと結婚させるの!? 気持ち悪い!」

 嫌悪感を隠しもせずに怒鳴れば、父の琴線に触れたのか勢いよく立ち上がった。

「気持ちが悪いとはなんだ! 相手方に失礼じゃないか! そんなことを言う娘に育てた覚えはないぞ!」

「そんなことを言わせてるのはお父さんでしょ! まともな恋愛ができない娘だからって無理やりおじさんと結婚させるなんて最低!」

 私たちの間で、母は終始おろおろとしていた。気が小さく、仲介に入れるほどの器量もない。

 そんな母を尻目に、父はさらに顔を真っ赤にして怒りを吐き出す。

「家族に向かって最低と言ったのか! 私たちは架南のためを思ってだな!」

「子どものためって言って自分の利益しか考えてない最低な家族って言ったの!」

「私がいつおまえのことを利益として利用した! わけの分からないことを言うな!」

「わけの分からない!? よくそんなことが言えるね! 信じられない! こんな家に生まれるんじゃなかった!」

 不意に、思ってもいない言葉が飛び出した。

 言ってからとてつもない後悔が押し寄せて、違うのだと言いたいけど訂正なんて出来るほど素直にもなれなくて、おまけに冷静でも居られなかったから自分の発言の残酷さをすぐには理解できてなくて。それでも、母が泣きそうな顔をしていたのは分かった。父が口を閉じて、眉を下げているのも。

 ああ、違う。言いすぎた。きっと父にも言い分はあった。だっていつだって二人は私を大切に思ってくれていたのだ。

 それは、どこかで分かっていた。分かっていたけれど、やっぱり素直に謝ることも出来ない「勢い」という魔物が邪魔をして、私の口からは謝罪が漏れることはなかった。

「……なら、いい。出て行きなさい」

 小さく、微かに、父が吐き出す。

「お前はもう家族じゃない! どこへでも行け! 今すぐ出て行け!」

 母の手を振り払って、泣きながら家を飛び出した。

 大好きな両親。最後に見た二人の顔は、涙に滲んで余計に悲しく見えた。

 少し先で、あの男と正面からぶつかったのだ。まるで抱きとめるような仕草に多少驚いて、見上げた先にあった整った顔にも同じ表情が貼り付いていたから、なんだかおかしくなってしまって。

 何故か気が緩んでそのままわんわんと泣けば、あの男は慌てたけれどそれでも私の話をゆっくりと聞いてくれた。


 ――目を開けて、ああ夢かと安堵した。

 両親と決別した、二年前のあの日の夢。

(……悪夢だなあ……)

 この現実が、一番の悪夢だ。

 本当は分かっているのだ。背を向けた父が、本当はどんな顔をしていたか。

 私が「こんな家に生まれるんじゃなかった」と言った後の取り繕えなかったのであろう一瞬、初めて父が情けない顔をした。

(……最低)

 あんなことを言えた、自分が。

 

 嫌な気分を吹き飛ばしたくて、部屋を出るべく少し遠い寝室の扉へと歩み寄る。気分の重さを表すかのような重い足取りに苦笑をもらしながらドアノブに手をかけて、

「はい、大丈夫です」

 ピタリとその手を止めた。

 寝室の外。先にあるリビングから聞こえた、あの男が誰かと会話をしているかのような声に、来客かと耳を済ませる。しかし相手の声がしないことから、それが電話であると理解した。

「携帯の所持は断られてしまったので、今後はしっかりと見ておきます」

 あの男の困ったような声に、こんな声も出せるのかと意外に思いながら、寝る前に携帯を持つ話を断ったことを思い出す。どうやらあの男は、私の話をしているようだ。

 しかし私の話なんて、いったい誰と……。

「ええ、元気ですよ。はい……ご安心ください。大切なお嬢さんを預かっているんですから、安全は保証します。……いえ、迷惑だなんて。私も楽しく過ごさせてもらってますから」

 ゆっくりと、ドアノブから手が離れた。

 大切なお嬢さんを預かる。その意味が分からないほど、察しが悪いつもりはない。

 いいとこのお坊ちゃんで、いいとこで働いているのだろうとは検討がついていた。だけどこの広い世界でまさか、うちと接点があるなんて思ってもみなかった。

「はい。もちろん……妹尾家の大切な一人娘ですから。お任せ下さい」

 家を出たつもりでいた。だけどずっと、私の行動は見張られていたのか。

 その事実に、恩人と思っていたあの男から裏切られた気さえして、信じられない気持ちのままベッドへと戻る。

 思い出すのは、家を出た先で「偶然ぶつかった」と思っていた、あの男との出会いだった。

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