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きっと叶わない恋をしてる  作者: 長野智


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第2話

 普段私は、あの男と一緒でない限りは外には出ないようにしている。

 方向音痴であるがために、一人で外を出歩くことが出来ないからだ。とはいえ別にあの男と出なくても良いのだけど、残念ながら連絡手段もない私にはあの男と出かけるという選択肢しか残されておらず、つまり出張であの男が居ない今、外に出たいと言ってもそれが出来ない状況である。

 とはいえ、行きたい場所があるわけではない。

 それでもさすがにしばらくあの男が帰って来ないとなると退屈で、天邪鬼な人間である私は、自然と外に出たいという気持ちになってきてしまった。

(……海外にでも行ってるのかな……)

 あの指輪の後のタイミングだ。新婚旅行という可能性も否めない。

 今頃海外で奥さんとうはうはラブラブ幸せなハネムーンを楽しんでいるのかと考えれば、今あの男の家に居座っている自分がなんとも惨めに思えてきた。

 もともとこの家に私の物は少ない。実は出て行くのは簡単である。

(……うーん……)

 分かってはいても、足は動かない。

 諦めのため息を吐き出して、ごろりとベッドに身を投げ出す。それと同時、食欲をそそる良い匂いが部屋まで漂ってきた。

 釣られるようにキッチンまで足を運ぶと、トントンと断続的な音を立てて調理に勤しむ家政婦さんが居た。

 年齢は不詳だ。見た目が若々しくて正直分からない。鈍いオレンジのエプロンを身につけて髪を一つに縛り料理するその背中は、まさに「お母さん」だった。そういえば、二人の子を持つ主婦だとあの男が言っていた気がする。そうであればあの料理の上手さも、どこからか漂ってくる「お母さん感」も頷けるというものだ。

「ねえねえ、家政婦さん」

 これまで会ったことはあれど、私用で話しかけたのは初めてだった。

 だからこそ驚いたのか、家政婦さんはそんな感情を隠しもしないまま目を見開いて、私の方に振り向いた。

 名前はあの男が教えてくれた気がするが、忘れてしまった。しかし名前で呼ばれなかったことは気にならなかったのか、あるいは気づいていないのか。家政婦さんは「はい」と礼儀正しく返事をくれる。

「家政婦さんの旦那さんて、どんな人?」

「……旦那、ですか……難しいですね……」

 家政婦さんは相当真面目なのだろう。私の質問に真剣に悩んでくれているようだった。「優しい」とか「誠実」とか、そんな無難な答えを適当に言わない辺りがすごく好印象に映る。

「じゃあさ、どうして結婚しようと思ったの?」

 私が止めなければずっと悩んでくれていただろう家政婦さんに新しい質問を投げれば、それには即答と言ってもいいほどすぐに答えが返った。

「あの人と、一緒に居たいと思ったからですかね」

 苦しい時も、楽しい時も、いつでも一緒に乗り越えて、一緒に笑って、そうやって人生を「半分こ」したいと思ったんです。

 どこか照れくさそうに、だけどキラキラした笑顔でそう言うものだから、自分で聞いたくせに反応に困ってしまった。

 病める時も、健やかなる時も。そんなよく聞く誓いの言葉が浮かぶあたり、私は案外ロマンチストなのかもしれない。

「架南様もそうなのではありませんか?」

「……私?」

「はい。人生を分け合いたいと思ったからこそ、羽鳥様と一緒になられたんですよね?」

 羽鳥様、とはあの男のことだ。

 思い当たってすぐ、気がついた。家政婦さんには、私たちは夫婦に見えているのだろう。傍から見れば、男女がひとつ屋根の下で生活をしていて、さらに私は働いてもいなくて家事をするでもない、そんな女を黙って養っている男が夫に見えなくて何に見えるというのか。

 可哀想な誤解を解かねばという正義感に駆られて、言っても良いのか悪いのかも考えずに、否定する言葉が口から出ていた。

「違うよ。私たち別に、結婚なんてしてないもの」

「……? ですが……」

 家政婦さんは何か言いよどんで、しかしその先は口にすることなく「何でもありません」と最後には首を振った。

 そういえば家政婦さんは私のことを「架南様」と呼んで、あの男のことを「羽鳥様」と呼ぶ。少しだけ疑問だったそれも、私たち二人ともが「羽鳥」であると思っていたためだと思えば納得もできた。最も、あの男が私の苗字を知っているのかも、そもそも私があの男に苗字を名乗ったのかも定かではないから、そのせいかもしれないのだけど。

「私ね、初恋の人がずっと胸に残ってるの。今でも好きかって言われたらそうでもない気もするんだけど……でもその後に好きになった人も居ないからかな。ずっと残っててね。……そのせいで家も追い出されちゃって、いろいろあって成り行きで恭ちゃんがお世話してくれてるんだよ」

 家政婦さんは簡潔にまとめた私たちの関係を聞いて、不思議なその関係にごく単純に驚きを示した。

「……そう、ですか……」

「そう。というかそもそも私、恭ちゃんを好きになんてなれないし。……家政婦さんはさ、恭ちゃんと話したりしないの?」

「そうですね。契約時にお話した限りです」

 う~ん、と首をかしげている家政婦さんは何かを考えているのか、何かに納得が出来ないのか。腑に落ちないという表情のまま、美味しそうな中華料理を仕上げていく。

 話しながらでも手際のいいその様は私には絶対に真似出来ない姿であり、女として普通に格好いいと思うし憧れてしまう。家政婦さんの料理を食べるたびに、さらに家ではきっと料理以外のことをたくさんしているのだろうと考えればますます憧れが募り、そして「お母さん」としての家政婦さんと自分の母が重なって、申し訳なさでいっぱいになった。

 こんなにも毎日大変なことをしてくれていたのに、私は最後には腕を振り払って、その上携帯まで解約して連絡手段さえも絶ってしまった。

(お母さんとだけでも連絡とってれば良かったかも……)

 思い出すのは、苛立ちを隠しもしなかった父の背中。そして、私の言葉を「何を言ってるんだ」で流して、最後には「出て行け」と言い放った父の怒った表情だ。

 落ち着いて考えてみれば、売り言葉に買い言葉で勢いで出てくるのは間違っていたとわかる。私だって心にもない酷い言葉を吐いた。

 だけどもしかしたら、父は別に私の心配なんかしていなくて、あんな親不孝な娘は出て行って正解だと思っているかもしれない。

 そうだ。父の手駒になれない私は、きっと不要で邪魔な存在になったはずだ。

 あの人は最後まで私の言葉を受け入れなかった。お前の都合は知らない、言う通りにしろと言わんばかりに、私よりもうんと歳上で、大企業の経営者で資産家の金持ちの男と結婚しろと譲らなかったのだから。

 それこそ、今頃母に連絡して無事を言ったとしても「ああ、そうなの」なんてさらっと終わって、すぐに電話を切られそうだ。薄情だとも思う反面、それが私の選んだことだと思えば、苦々しく感じながらも納得はできた。

「それでは架南様。また一週間後に参ります」

 はっと顔を上げると、家政婦さんが折りたたんだエプロンを腕に引っさげて穏やかに微笑んでいた。

 キッチンには料理も並んでいない。すでに冷蔵庫や冷凍庫にパンパンに詰め込んだ後なのだろう。

 さらに、コンロ周りに目をやってもピカピカである。調理汚れを一切拭き取って去るのは、最初にあの神経質な男から厳命されているのか、毎回素晴らしいとため息さえ漏れそうになる程である。現在そこまでの一通りの作業が終わっているのを見ると、家政婦さんはもう帰り際で、私はだいぶぼんやりと考え事をしていたということなのだろう。

 慌ててありがとうと微笑むと、家政婦さんは「とんでもございません」ともう一度頭を下げて家を出て行った。

 

 静かになった部屋で一人。やることがなくなってしまったなと、ソファにだらしなく腰掛ける。

 大型テレビはリビングにあるし、私が図書館と称する部屋にはあの男の趣味なのかDVDだって揃えてある。天井から引っ張り下ろせばスクリーンも登場して、3D音響のスピーカーもあるからそれはそれは映画館さながらの迫力でDVDを観れるのだろう。

 暇つぶしなんていくらでも溢れている。だけど毎日何もしたくなくて、引きこもって寝てばかり。何をしているんだろうと思うものの、今はまだ充電中だと言い訳をしていたら、何もしなくてもいい気にもなってしまう。

 毎日毎日、誰とも接触することなく、ただただ無駄に時間を過ごして。


 そういえばあの男は、いつまでそんな私の面倒を見るのだろう。


 ふと思い至って、一週間前にそれをやめようとしたじゃないかと首を振る。

 あの男の主張に気づかないフリをして、この生活を手放さないことを選んだのは私だ。あの男はいつだって、この生活をやめてもいいと思っている。

 当然と言えば当然なのだろう。あの男がこんな厄介者をいつまでも無条件で抱え込んで養う義理はない。私だって疑問に思っていた。どうしてこんな何もしない女を養ってくれているのかと。

(……分かってたつもりだったけど、私って最低だなぁ)

 指輪という意思表示。結婚したから出て行けという言葉のない主張を無視した私に、さすがにあの男は呆れただろうか。

 その方がいっそしっくりくる。だからこそ帰ってこないのかもしれない。本当は出張なんかじゃなく、奥さんの居るセカンドハウスとやらに住んでいるのかもしれない。いや、ここがセカンドハウスという説も否めないし、自宅に帰ったということなのだろうか。

 とにかく、ここに居る自分が今更すごく惨めに感じる。あんなふうに家政婦さんから旦那さんについて幸せそうに語られたからだろうか。その影響で、両親のことを思い出したからだろうか。

(……馬鹿みたい……)

 お金がないわけではない。通帳にはそれなりのお金が詰まっていて、だからこそ家を出る時に忘れないようにとひっ摑んだ。

 出て行こうと思えば出ていける。それこそ、今からだって。

(出てく、かぁ……)

 普通に考えて、この二年がおかしかった。あの男のような「善人」はそうそう居ない。居るわけがない。私を家に置いてくれたとしても、見返りとして身体を差し出せ、なんてことに普通はなるはずだ。

 それというのにあの男は馬鹿なのか、私に寝室まで用意してくれた。家事や炊事が出来なくても、怒ることはなかった。働かないことに関しても、何一つ口出ししなかった。

 こんな状況が「普通」でないことは分かっている。

 ここから出て行くということは、それをただ「普通」に戻すだけである。

「……ここはちょっと、出てみますか……」

 とはいえ、急に居なくなると驚かれるだろうから、一言メモを残しておこう。

 こういうことは、思い立ったが吉日である。早速無駄に広いリビングへ向かい、ペンと紙をそれぞれの場所からかき集めて、再びキッチンへと戻ってくる。

『二日くらいあけます』

 こんなもので良いだろうか。一応「二日」と書いたものの、まあ気が向いたら戻ってこよう。うんうんと数度頷いて、まずは数日から「この家離れ」を始めるのだ。そうすれば次第に帰ってこないのが普通になる。私自身もこの家で至れり尽くせりだらだら過ごさなくなることが、自然と「生活」に変わるだろう。

 重たい足をなんとか動かすと、通帳と印鑑と財布だけを持って、久々とも言える外に飛び出した。

 の、だけど。

 現実とは、だいたいにして理不尽なものである。

 暇だとかまだ帰らないのかとか思っている間は帰ってこないというのに、どうせまだ帰ってこないだろうと思っていれば、何故か反作用してしまうのだから。

「おかえりなさいませ、羽鳥様」

 いつも玄関ホールで控えているコンシェルジュの男の人が、あの男の姿を見ていつものように頭を下げた。しかしそんなことにも慣れっこのあの男は、片手を上げて返事をしていた。

 間一髪、コンシェルジュさんの動きが変わったことで誰かが来ることを察した私は、エレベーター横にある非常階段へと続くわずかなスペースへと身体を滑り込ませ、身を隠すことに成功した。

「……篠原、ここまででいい、明日は頼んだ」

 あの男が、一緒に帰ってきた秘書らしき男の人に声をかける。

「承知致しました。……時に、つかぬ事をお伺い致しますが、あの方とは変わらずなんですか?」

 その言葉に、遠目にもあの男の眉が揺れたのが見えた。しかしそれ以上は確認できず、すぐに身を隠す。

「だったらなんだ」

「いい加減決着を付けませんと……今のままでは、」

「分かっている。余計なことを気にしていないで、早く戻れ」

 少しだけ荒だった声音に、あの男と話していたもう秘書らしき男はびしりと背筋を伸ばすと、恭しくも一礼をしてから玄関ホールから出て行った。

 そうなれば当然、あの男はエレベーターへと向かってくる。物音を立ててバレないようにと、呼吸さえも押し殺した。

 やがて、男の気配が消える。エレベーターが動く音がしたために、今頃部屋に向かっているのだろう。おそるおそる顔を出すと、やはりあの男の姿はなかった。

 あの男と入れ違いで現れた私に、コンシェルジュさんが驚いた顔をしていた。エレベーターが上に動いているために、どう現れたのかが分からないのだろう。分かっていながらも、「行ってきます」と手を振って誤魔化しておいた。

「さて、どこ行こっかなぁ」

 マンションの外に出て、とりあえず適当に歩く。

 行く宛は当然ない。ひとまず駅近くにあるカプセルホテルか、ネットカフェに身を寄せよう。とは思うものの、携帯も何もない私には、最寄りのそれらを検索する手段がない。

 がむしゃらに歩くしかないのか……とがっくりと肩を落として、とりあえず駅前に向かうかと、よく分からないまま駅の方へと踏み出した。

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