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きっと叶わない恋をしてる  作者: 長野智


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第1話

 完璧主義かつ神経質な同居人は、絶対に無駄なことなんかしないことを私は知っている。

 どんなに急いでいても靴は玄関先で脱ぎ捨てることもなく丁寧な仕草で整理整頓するし、どんなに疲れていてどんなに面倒でもスーツは絶対にハンガーに掛け、シャツはしっかりと畳んでから洗濯機へ。さらには襟や袖が黒くならないようにとそれ用の液体をつけてから入れるという日もある。もちろん部屋はホコリ一つなく、キッチンにも油のシミは一滴も見えない。スリッパはきちんとスリッパ立てに戻すことを徹底している上に、着ている服にもシワの一つさえ見えたことはない。

 きっちりと第一ボタンまで止められたシャツと、ツヤのある背広。手首にはお気に入りだという有名ブランドの一つ云百万円もする腕時計をぶら下げ、足元は渋みのある光沢がさす高級革靴が構えている。

 それらすべてが、虚勢なんかじゃない、私生活から外観までもが完璧であるという同居人……あの男の「完璧性」の証明である。

 いったいあの男が普段何をしているのかは、家に引きこもっているただの居候である私は知りもしないのだが。

(……しかしこれは……)

 洗面台に残されているのは、完璧主義かつ神経質なあの男には珍しい忘れ物だった。

 洗面台に置かれたそれはキラリと光り、その存在を主張している。

(恭ちゃんにもとうとうかぁ……もう三八って言ってたもんなぁ……)

 この「年齢」という情報は、(くだん)のあの男……羽鳥恭一(はとりきょういち)という男のことで知っている数少ない一つである。そのほかは、完璧主義で神経質であるという性格的なこと、そして私よりも十五歳上で無駄に身なりと雰囲気の良いお金のある男ということは分かっている。

 とはいえ、恭ちゃんが「忘れ物」なんて失敗をするわけがないことは間違いなくて、ともすればこれは「忘れ物」ではなく、私への言外の「主張」ということになる。

 

 洗面台で光っているのは、ネックレスにされた対の指輪だった。

 指輪にはあまり詳しくないのだが、二つあるということも、婚約指輪と結婚指輪だとすれば納得である。

 それでは、そんなものを揃えて私の目に止まるところにあえて置いた意味は……。

「……結婚、したのかな……」

 出て行け、ということになるのだろう。

 二年前に恭ちゃんに拾われ、オートロックの家に連れられて、何から何までお世話になって、だらだらとしたニート生活を楽しんでいた私も、とうとう年貢の納め時ということか。

 残念ながら、仕事はしたくない。訳あって実家にも戻れない。ここを追い出されてしまえば、行くところなどどこにもないのだが。

架南(かなみ)様、お料理が終了致しました」

「あ、ありがとうございます~。お疲れ様でした」

「はい。また一週間後に参りますね。失礼致します」

 恭ちゃんの雇っている家政婦さんが、料理の作り置きを冷蔵庫に入れ、礼儀正しく頭を下げた。いつも来てくれる、穏やかで優しいご年配のベテランさんだ。

 家政婦さんはエプロンを丁寧に鞄にしまうと、静かに家から出て行った。

 家政婦さんを雇っているのは、掃除をすれば物を壊し、料理をすれば鍋を二つはダメにする私の家事能力の皆無さを考慮した恭ちゃんの気遣いである。ただし掃除は恭ちゃんが「他人に部屋を触られるのは耐えられない」とか何とか言って、暇さえあれば自分でやっているみたいではあるが――料理だけはどうにもならなかったのだろう。

「それにしても……あの指輪を見た以上、今日中に出て行かないといけないのかな……」

 しかし、しかしだ。

 あえて放置しておくというのはどうだろう。気づかないフリ、をしてみては。なにせ決定的なことは言われていない。そうなれば、完璧主義なあの男の「言わずに察せよ」なんて勝手で独りよがりなルールが悪いのだ、という私の主張もまかり通るのではないだろうか。

 それに、私が家に居た時の反応も気になるところである。例の指輪に気づかれなかったと知った時のあの男は、やっぱりらしくもなく慌てたりするのだろうか。普段から表情筋が死んでるとも思えるあの無表情に、頬が染まる程の怒りを浮かべるのだろうか。

 そもそも、彼は周りに無関心だ。特に私にはてんで興味がないのか、何かをしても、何かを言っても、いつでも反応はイエスしかない。喧嘩も言い合いもした事はないし、要するにどうでも良いのだろう。

 そんな私が、もしも結婚をしたのに居座っていたら。

(この家を出るのが面倒なだけの言い訳なんだけど……)

 家の広さや身なりから察するに、彼はいいとこのお坊ちゃんで、たぶんいい職についている。そんな彼の結婚相手なのだから、お相手はだいたい同じかそれ以上の家柄、もしくは最重要取引先の娘さんで、つまるところ愛のない結婚のはず。

 それならば、少しくらい居座っても誰にも怒られないのでは。

(恭ちゃん、恋愛なんてしばらくしてないってちょっと前に言ってたし)

 大きく欠伸をして腕をめいっぱいのばすと、久しぶりに余計なことばかりを考えて疲れたのか、睡魔が一気に押し寄せてくる。

 麗かな晴れた日。ちょうど良い室温。それに逆らえるわけもなく、いつもの昼寝場所に向かい、うとうとするままに横になった。

 

 

「架南。起きろ」

 何時間が経ったのか。

 大きく二回ほど揺すられて、もともと寝起きの良い私はパチリと目を開けた。最も、この男がこの図書室――部屋いっぱいに本があるから私はそう呼んでるただの部屋――に入ってきた時からうっすらと意識は覚醒していたのだけど。

「おかえり、恭ちゃん」

「……はぁ。姿が見えないから探してみれば、またキミは……何のための寝室だ」

「はいはい分かった」

 まだ寝てたいなあ、なんて思いながら、この男の前でそんな「甘えてます」みたいな姿は見せたくないという妙なプライドから、渋々立ち上がる。

 これは部屋に戻ってから二度寝に決まりだ。

 わざわざこの部屋まで来た恭ちゃんを置いて、私は先に図書室を出た。しかしもちろん、すぐに後ろから足音がついてくる。

「ずっと家に居たのか」

「そりゃニートだからね」

「……何かなかったか」

 わざとらしいその聞き方にはさすがに、わざわざ居候のために用意されただだっ広い寝室へと繋がる扉の前で、自然と足が止まった。

 何かなかったか、なんて今までにない質問だ。さらに言えば、今まで外に出たことのない私が家にずっと居たことも分かっているはずで、だとすればこの男は私があれ(・・)を見たと確信して言っていることになる。

 そもそも、洗面台なんて目に付くところに置いているのだから見えないわけがない。

(……なんか腹立つ……)

 言いたいことがあるのならはっきり言えばいいじゃないか。しかしこの男は、どういうわけだか私に言わせようとする。そこに何の意味があるのかも分からないが、まるで誘導尋問のように問われているこちらからすれば、不愉快極まりない。

 完璧主義かつ神経質という性格的情報に、底意地が悪いということもプラスしておこう。

 腹の底から湧き上がる苛立ちをなんとか抑え込み、自然な仕草で振り向いた。すると、思ったより私の近くで立ち止まっていた彼は、目が合った瞬間にピクリと微かに唇の端を揺らす。まるで私から返ってくるであろう答えに、どこか緊張しているようだ。

「……別に、今日もいつもと変わらない一日だったけど?」

 不愉快さを滲ませないようにと強く意識して、いつものようなトーンで言葉を吐き出した。

 二年間一緒に居て、初めてこの男に腹を立てたかもしれない。

 基本的に私に興味のないこの男は、私の発言を何でも許してきた。家政婦さんに料理のリクエストもさせてくれるし、毎日毎日働いて疲れているだろうに、休日に行きたいところがあると言えば、観たい映画があると言えば、必ずいつでも連れて行ってくれる。

 そんなふうに何でも許して私を甘やかすからこそ喧嘩にもならなくて、さらには腹が立つなんてこともなかった。

(いや、居候させてもらってるんだから、偉そうに言うのもあれなんだけど……)

 とはいえ、感情が煮え切らないのも事実である。

「……そうか。ならいい」

「ふぅん。じゃ、おやすみ~」

「夕飯は」

「いらない。また明日」

 ばいば~い、なんて手を振って、後ろ手に寝室の扉を開ける。

 閉める直前、もう一度だけ見上げたその瞳は、どこか残念そうな、そして気まずそうな、いろんな気持ちが混じり合った色をしていた。

 そんな目をするくらいなら、最初から遠まわしになんか聞かず、この部屋から強引に引きずり出して「今すぐ出てけ」と言えばいいじゃないか。

 パタン、と静かに閉じた扉は分厚く、私たちに確かな深い溝を作る。

(…………でも、素直に答えても良かったかも……)

 今更、罪悪感なんてものが湧き出てきた。

 なにせ居候の身である。想い合っているわけでも、もちろん恋人なわけでもなく、ましてや友人でもなければ、特別親しい仲でもない。当然「身体だけの関係」なんて色っぽいこともない。

 ただの居候。さらには生活費も全部あの男もちで、炊事も家事も一切出来ないただの引きこもりのニートときた。休日に出かけてもあの男が全部支払いをするため、私が男の身であればヒモと呼ばれても仕方がない。

 そんな私が、あの男のプライベートを踏みにじるということが、あの男にとってどれだけ理不尽なことなのかと考えれば、私の良心も痛むというものだ。

(……ぅうん……明日には謝るか……)

 明日には素直に、あの指輪のことを言ってみようか。

 明日にはきっと、私のあのよく分からない苛立ちも大人しくなっているはず。

 休みも少なく毎日忙しく働いているあの男には「奥さん」という癒しが必要なのだろう。それこそ、何もできない、身体で癒すことさえもしないような他人を家に置いておくよりも。

 ふう、と一つ息を吐き出して、一度寝てリセットしよう、とベッドに潜り込んだ。


     *

 

 携帯と財布と通帳と印鑑を持って、二度と帰らないつもりで家を飛び出したのは、もう二年も前になる。

 最後まで母は泣いて謝りながら私を引き止めた。それでも私の決意は変わらなかった。

 母の腕を乱暴に振り払った感覚だけは、今でもまだ覚えている。

 悲しそうな顔をする母の後ろには、少し前まで私を睨んでいた渋い顔をした父が、腕を組んでつんと背を向けて立っていた。頑固一徹な父らしい、私を絶対に許さないとでも言いたげな背中だった。

(元気かな……お母さん……)

 母は悪くない。だからこそ、母からの着信を無視するのは胸が痛んだ。

 未だに家を出た日の夢をみる。あの時の、すごく悲しそうな母の顔だけはきっと、一生忘れられないのだろう。

 それでも、仕方のないことだった。売り言葉に買い言葉とは言え、私も父も意地を張り合ってしまった。最後に私を「家族じゃない、出て行け」と勘当の勢いで怒鳴りつけたのは父である。意地になった私も悪かったかもしれないが、仕事の道具にするような真似をされては黙っていられなかった。

 それでも、

『架南ちゃんお願い、行かないで、ねえ考え直して、お父さんも勢いで言っちゃっただけなの。お父さんの性格分かるでしょう? 落ち着いて明日また話し合いましょう、お願い架南ちゃん、お願いだから、』

 あんなふうに泣いて縋ってくる母を振り払うのは、さすがに胸が潰されそうだった。

 

「架南」

 静かなノックの後、すぐに低い声がした。

 目を開けて、朝が来たのだと理解する。そして今はあの家を出てから二年が経っていることも、さっきまでなんとなく思い出していたことが夢なのだということも理解して、布団の中で気怠く身動ぎを繰り返す。

 あの男は私の目覚めが良いことを知っている。だからこそ、ノックと言葉を投げかけるというだけで黙っているのは、私の返答を待っているということなのだろう。

「……おはよ~、恭ちゃん」

「おはよう。……仕事に行くが、しばらく帰れない。家を頼む」

「はいはい。引きこもりニートとして、自宅警備頑張りま~す。行ってらっしゃ~い」

 いつものようなやり取りに、何故かあの男はすぐに返事を返さなかった。

 しかししばらくの後、小さく「行ってくる」と呟くような声が届く。

 そこまで聞き届けてすぐ、昨日の指輪の話をする予定だったことを思い出した。しかし時既に遅く、あの男は無駄な仕草を一切見せずにまっすぐ玄関に向かったのだろう、遠くで玄関の扉が閉まる音がする。

(あー……だから間があったわけか……しまった……)

 返事までに少し時間がかかったのはきっと、追い出す方法を探っていたのだろう。だけど朝っぱらから昨日の話を持ち出すのも、と考えたのか……なんともお人好しな男である。

 勢いで起き上がったけれど、もうあの男も仕事に行ってしまったし、と再び布団にもぐり直した。

 

 まったく馬鹿な男だ、というのが、羽鳥恭一のイメージである。

 どちらかといえば綺麗で端正な顔立ちに、ほんのりとだけ筋肉がついているらしいという体躯。身に付けるものが一級品なら、それに包まれている人間さえも一級品であると、通りすがる誰もが思うことだろう。

 常に無表情で、雰囲気さえも尖らせているあの男に最初は近寄りがたさは感じるだろうが、一度言葉を交わせばなんてことはない、ただの普通の男だと気づく。それでも一級品と言わしめるほどには威厳もあり、纏う全てが別格であるがために、おいそれとプライベートに踏み込むという愚行は犯せない。

 この男は話してみると普通なのに、きっとその心の内を見せあったり、なにより近しい関係にはなれないのだろう。

 隙のない完璧な男。しかしお人好しな馬鹿。そんなちぐはぐなイメージが、私から見た彼である。

(道でぶつかっただけの泣いてる女の話を馬鹿みたいに大真面目に聞いて、慰めるフリをして襲うこともなく、こうして家にまで住まわせちゃうんだから)

 本当に本当にお人好しで、まったく馬鹿な男だ。

 それでも、あの時出会ったのがあの男でなければ、私は今頃誰かに襲われたりしていたかもしれない。

(私なら絶対無視するけどなぁ……)

 あの、家族に裏切られたような気持ちで泣きながら家を出た日。

 家から飛び出したすぐのところで、あの男とぶつかった。私は下を向いていたから人が居ることに気付かず、すぐに謝って立ち去ろうとしたのだけど……彼がいやに優しい目で私を見て、どうしたのかと話を聞いてくれるものだから、弱っていた私はつい甘えてしまった。

 事情を話して、もう嫌だと何度も呟いた。帰りたくない、死んでやる、なんてことも言ったと思う。初対面の女にそんなことを言われて戸惑わないわけもないだろうに、あの男は面倒くさそうな素振りを一切見せることなく、何度も頷いて静かに私の話を聞いてくれた。

 あの時、確かに私はあの男に救われた。恩と言ってもいい。あの時のあの男の登場は、それほどまでにあの時の私の「救い」になっていた。

 さらに、その後も裕福な生活をさせてくれて、休日さえ私のせいで潰すことがあるにも関わらず、文句一つ言わずに置いてくれている。

 思えばあの指輪は、あの男からの初めての主張ではないだろうか。

(……しばらく帰らないって、また出張かな)

 だとすれば、いったいいつ帰ってくるのか。指輪の話はその時でいいのかなと考えながら、ひとまず布団の中から身を起こす。

(電話は無理だし……)

 母からの着信を無視することに胸が痛んで、随分前に携帯は解約した。それからは持つ意味もないと感じたために、その手の連絡機器は持っていない。だからもちろん、あの男との連絡手段も一切ない状態である。

 職業も知らないから会社にも電話はできないし、当然ながらあの男の交友関係も知らない。

 そうなると、帰ってくるまで待つという選択しかない。

(……あーあ、面倒くさいなあ……)

 なんとなく、帰ってきてほしくないと思った。

 そうすれば今まで通りの生活を、できるだけ長くしていられる。楽をしたいからというのもあるけれど、それだけではない気もしていて――しかしどうにも、答えは見つかりそうもなかった。

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