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66:黒衣の女剣士

森は、静まり返っていた。

黒い結晶体の魔獣がいた場所には、その巨体が霧散したかのように、何も残っていない。

僕とシロツメは、目の前に立つ黒衣の女剣士から、目が離せずにいた。


彼女は僕たちを一瞥すると、まるで道端の石でも見るかのように興味なさげに、しかし手にした長剣の血を慣れた仕草で振り払った。


「……セナだ」

彼女は、短くそう名乗った。

「君たちは?」


「カイ……です。こっちは、シロツメ」

僕が答えると、僕たちが引きずってきた革袋に目をやった。

「子供と……森の住人か。そんなものを引きずって、何をしている?」


(子供って…失礼だな…こわそうだから文句言わないけど…)


僕は、自分たちが森の『病』の原因である石を回収していたことを必死に説明した。

「この石は、周りの生物が出す思いを全て吸い取ってしまう『沈黙の石』です。この沈黙の石で、奥にある遺跡の力を抑えようとした人たちがいたんですけど、逆に暴走してしまったようで……」


僕の話を、セナは怪訝そうな顔で聞いていた。

「沈黙の石……遺跡……。妙なことを言うんだな、君は」

彼女には、僕が感じているような世界の『声』は聞こえないのだろう。彼女にとって、沈黙の石はただの奇妙な黒い石にしか見えないのかもしれない。


やがて、彼女は一つため息をつくと、口を開いた。

「……まあいい。私もギルドの依頼で、この森の異常の調査と、その原因と思わしき番人の討伐に来ていた。君たちの話が本当なら、その『暴走』とやらが魔獣を狂わせている原因だというわけか。筋が通らなくもない」


(信じてくれたのか…?)


「まだ、あるのか。その石は」

「多分、あと一つだけ……」

「そうか。だが、君たちだけでは危険だろう。私が変わろう。」

セナがそう言って歩き出そうとするのを、僕は慌てて止めた。


「待ってください! あの石は、僕たちじゃないと、見つけるのが難しいんです!」

シロツメも、こくりと強く頷いた。

「僕たちが、最後の石の場所まで案内します。だから、その……護衛を、お願いできませんか」


僕の提案に、セナは少し考えるそぶりを見せた後、やれやれといったように肩をすくめた。

「……なるほどな。君たちが『探知役』で、私が『戦闘役』か。悪くない取引だ。いいだろう、乗ってやる」


こうして、僕とシロツメ、そしてセナは、最後の沈黙の石を回収するための、即席の共同作戦隊を結成した。

僕とシロツメが先導し、セナが周囲を警戒しながら後をついてくる。その道中も、狂乱した魔獣が何度か襲いかかってきたが、すべてセナが僕たちに近づく前に、一瞬で切り伏せてしまった。


(すごい! 師匠とどっちが強いかな)


やがて、僕たちは最後の石が置かれた場所にたどり着いた。

「あそこです」

僕が指さす先、ごつごつした岩陰に、最後の石が黒く鎮座している。


「よし、君たちは下がっていろ」

セナはそう言うと、息を止め、一気に駆けだした。僕やシロツメが感じるような苦痛はないにせよ、生命の本能がその石を拒絶するのだろう。彼女は最短距離で石に近づくと、それを足で革袋に蹴り込み、すぐさま僕たちの元へと戻ってきた。


セナは集めた石が詰まった袋を、訝しげな顔で眺めている。

「それで、この厄介物はどうするんだ?」

「人の寄り付かない、深い場所に……捨ててもらえませんか。僕たちでは、この石を安全に運ぶことが難しいんです」

「分かった。任せておけ。ギルドへの報告も、私の方でうまくやっておく」


セナはそれだけ言うと、僕たちに背を向けた。

「忠告しておく、少年。この先の森は、さっきの化け物みたいなのが、まだうろついているかもしれない。君たちのような子供が来る場所じゃない。さっさと森を出るんだな」

そう言い残し、彼女は一陣の風のように、森の奥へと姿を消した。


「なんか、すごい人だったね」


僕はシロツメに話しかけた。シロツメも彼女が消えた方をみつめながらうなずいた。


《…『声』を隠した…黒い戦士…時々、森に現れるらしい…》


彼女と、沈黙の石が去った後。

森に、ゆっくりと、だが確かな変化が訪れた。

死んでいたはずの『声』が、戻ってきたのだ。

風が木々の葉を揺らす音に、微かな囁きが乗り始める。地面から、か細い生命の響きが立ち上る。それはまるで、長い高熱から覚めた病人が、初めて深く息を吸い込んだかのようだった。


シロツメが、安堵に満ちた『声』を発したのが分かった。

僕は、約束を果たすために、改めて『遺跡』の方角へと向き直った。僕たちは、森の古傷の正体を、この目で見定めるために、ゆっくりと歩き始めた。


やがて、木々が途切れ、僕たちは不自然な広場に出た。

その中央に、『遺跡』はあった。

それは、想像していたよりもずっと小さく、祠ほどの大きさしかなかった。

太い蔦が幾重にも絡みつき、一見すると、森に呑まれたただの岩塊のようにも見える。だが、蔦の隙間から覗くその表面を見て、僕は息を呑んだ。

継ぎ目ひとつ見当たらない、磨き上げられた黒曜石のような、滑らかな石の肌。この森の永い時間の中で、風雨に晒されてきたはずなのに、傷一つない。それは、森の理を拒絶する、異質な存在だった。


そして、もっと近づこうとした、その瞬間。

僕は、見えない壁に叩きつけられたかのような衝撃を受けた。魂を直接握りつぶされるような、圧倒的な声の圧力。シロツメもまた、森との繋がりを断ち切られるような苦痛に、その場に膝をついた。

これ以上は、進めない。


僕はその場に座り込み、約束に従い、ただひたすらに、遺跡から流れ出てくる『声』を傾聴した。

それは、歌だった。

交響曲になるはずだった、壊れた歌。

《助けて》という祈りの声。《ごめんなさい》という懺悔の声。《なぜ》という怒りの声。《愛している》という喜びの声。《憎い》という呪いの声。

相反する無数の魂の叫びが、調和を求めて混ざり合い、決して交わることなく、ただ互いを傷つけ合いながら、永遠に同じフレーズを繰り返している。

美しいはずだった悲劇のコーラス。


(これが、古傷の正体……。あまりにも、哀しすぎる……)


僕は、自分の無力さを悟った。今の僕では、この森の本当の病には、到底太刀打ちできない。


僕たちは、モリビトの里に戻った。

古き声の主は、すべてを知っていた。彼は、僕と、そしてコダマの働きに、深い感謝の『声』を送ってくれた。そして、約束通り、霧降りの谷へと続く、森で最も安全な道を教えてくれた。


僕たちは、里で丸一日、休息を取らせてもらった。

シロツメが持ってきてくれた木の実や山菜を食べ、傷を癒し、旅の支度を整える。


そして、別れの時が来た。

里のはずれで、僕とシロツメは、二人きりで向き合っていた。


《カイ》


彼が、初めて僕の名前を『声』で呼んだ。


《また、会えるか? 》


その『声』には、寂しさの音色が滲んでいた。


「ああ、必ず」


僕は、力強く頷いた。


シロツメは、自分の髪に咲いていた小さな白い花を一つ摘むと、僕の胸ポケットにそっと差し込んだ。


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