57:隙を突く
昨日の夕暮れ、僕が初めて捉えた、攻撃の後のほんの一瞬の「間」。その夜、僕は囲炉裏の前で、あの感覚を何度も何度も、自分の体と心に刻み込むように反芻していた。
「なあ、コダマ」
僕は、膝の上で丸くなる小さな相棒に話しかける。
「昨日のあれ、すごかっただろ。…まあ、正直、僕にもなんでできたのか、よくわかってないんだけどさ」
コダマは、僕の指先をその小さな手でぎゅっと握った。
翌朝、訓練を始める前に、ダリウスは僕に新たな課題を告げた。
「昨日、てめえは俺の隙を見た。…今日の訓練は、その隙を突け」
彼の目が、僕を試すように細められる。
「避けながら構え、隙あらば撃て。ただし、隙がねえと判断したら、絶対に撃つな。それができなきゃ、ただの自殺行為だ」
訓練が始まると、僕はすぐに新たな壁にぶつかった。攻撃の予兆を捉え、避けながらスリングを回転させる。そして、ダリウスの体勢を見る。見える。昨日と同じように、攻撃の後のほんの一瞬の「間」が。
(今だ!)
そう思って石を放っても、それはあまりにも遅すぎた。僕の石が届く頃には、ダリウスはすでに次の動きに移っており、僕の攻撃は虚しく木の幹に当たるか、彼のナイフでこともなげにあしらわれてしまう。
「隙とはな、光だ」
打ちのめされた僕に、ダリウスの言葉が突き刺さる。
「てめえは、消えた光を追いかけてるだけだ」
(消えた光…? 見えてからじゃ、遅いってことか…?)
見るのと、突くのでは、全く次元が違った。見えていても、僕の体がそれに反応する頃には、その隙はもうどこにも存在しないのだ。
何度も何度も、同じ失敗を繰り返した。僕は焦っていた。どうすればいい? もっと速く? もっと力を込めて? 考えれば考えるほど、僕の動きはぎこちなく、鈍くなっていく。
その時、ダリウスの呼吸が、攻撃の予兆を告げた。僕は大きく避けながらスリングを回す。そして、見えた、一瞬の隙。
(…ダメだ、間に合わない!)
そう思った瞬間、僕の頭の中から、全ての思考が消えた。考えるな。ただ、感じるままに。僕の指が、スリングの片紐を離したのは、僕の目が「隙だ」と認識するよりも、ほんのわずかに早かった。
放たれた石は、ダリウスの体を狙ったものではない。彼が次の攻撃に移るために踏み込もうとした、その一歩先の地面に突き刺さった。
ドンッという鈍い音と共に、ダリウスの体勢がほんのわずかに、しかし確実に崩れる。僕が初めて、師の動きに干渉した瞬間だった。
動きを止めたダリウスは、自分の足元に転がる石を一瞥し、そして初めて、その口元に満足げな笑みを浮かべた。
「…そうだ。それが、てめえの戦い方の入り口だ」
その後も、僕たちは日が暮れるまで訓練を続けた。ダリウスの動きは、相変わらず目で追うことすらできない。けれど、僕はもう焦らなかった。思考を捨て、ただ感じる。心音の乱れ、呼吸の深さ、筋肉の収縮。それらの「声」が告げる、ほんの一瞬の隙。僕はその全てに反応できたわけじゃない。十回に一回、いや、二十回に一回くらいだ。それでも、僕が放った石弾が、ダリウスのナイフの軌道を逸らさせたり、次の一歩を躊躇させたりすることが、確かに増えていった。
小屋に戻った僕は、久しぶりに上機嫌だった。鼻歌交じりで夕食の準備をする僕を、ダリウスは何も言わずに、ただ囲炉裏の向こうから眺めている。今日の夕食は、僕が昨日仕留めた鳥の丸焼きだ。味付けも、完璧なはずだ。
食事を終え、僕が満足感に浸っていると、ダリウスが不意に口を開いた。
「いい加減、てめえの相手をするのにも飽きた」
突然の言葉に、僕の心臓がドキリとする。
「明日からは、森の連中に相手をしてもらえ」
森の、連中…?
僕が聞き返す前に、ダリウスは続けた。
「明日の課題は、モリオオカミを一匹、狩ってくることだ。ただし、条件がある。深手を負うな。無駄な争いは避けろ。そして、必ず日が沈む前に戻ってこい。できなければ…わかるな?」
初めての実戦。ダリウスとの訓練とは違う、本物の魔獣との戦い。緊張で、喉がからからになった。僕の顔を見て、ダリウスはふっと息を吐いた。
「てめえが掴んだものが、本物かどうか。その身で確かめてこい」
それだけを言うと、彼はさっさと自分の寝床についてしまった。
僕は、燃える囲炉裏の前で火を見つめていた。コダマが僕の脚に手をおいてじっとこちらを見ている。
「コダマ…大丈夫だ。モリオオカミが師匠よりも強いわけじゃない…僕が…あせらなければいいだけだ」




