40:尻尾のある師
光る苔が示す、か細い光の道を頼りに、僕は荒野を進んでいた。
それはもう、以前のような闇雲な逃避行ではなかった。夜になると、僕は点在する光る苔の安全地帯から、次の光る苔の群生を見つけ出し、そこを目指して移動する。光は『音無し』から僕を守り、苔そのものは渇きを癒してくれた。最低限の安全と水分は、確保できるようになったのだ。
しかし、深刻な問題が一つ、僕の体に重くのしかかっていた。空腹だ。あれから数日が経ち、懐に入れていた最後の干し肉も、とうに胃の中へと消えていた。光る苔から得られる水分だけでは、衰弱していく体を支えることはできない。
空腹が思考を鈍らせる。僕は、ほとんど無意識に周囲の岩肌に視線を走らせていた。何か食べられるものはないか、なんて期待はもうしていない。ただ、次に現れるかもしれない『音無し』の気配を探るためだけの、習慣的な索敵だった。
その時、僕から少し離れた場所にある岩の形が、ほんの少しだけ変わったような気がした。
(音無し!?)
僕はその岩を凝視した。そこにあるのは岩だ。何も変わらない。
…いや、違う。その「岩」の一部が、ゆっくりと動いた。それは、爬虫類特有の、ぎこちなくも確かな生命の動きだった。僕が岩だと思っていたものは、岩ではなかったのだ。
(生き物だ…!)
驚きで、息が止まる。この死の大地に?
草木一本、虫一匹いないこの場所に?
信じられなかった。けれど、目の前でゆっくりと首を動かすその姿は、紛れもない現実だった。ごくり、と喉が鳴った。乾ききっていたはずの口の中に、唾液がじわりと湧き出してくる。
(…食料だ)
それは、硬い岩のような鱗に覆われた、一匹の大きなトカゲだった。僕の二の腕くらいの太さがある、がっしりとした体躯。その鱗は周囲の岩肌と全く同じ色と質感をしていて、じっとしていれば、僕がそうであったように、誰もがただの岩だと見間違えるだろう。完璧な擬態だった。
残りわずかな干し肉も底をつきかけていた僕にとって、そのトカゲはまさに天の助けに見えた。僕は貴重な食料を確保するため、慎重に、そして静かにその後を追った。
トカゲは驚くほど巧みだったが、今の僕にはコダマがいる。コダマが岩の振動からトカゲの正確な位置を教えてくれるおかげで、僕は確実に距離を詰めることができた。
僕は岩陰に身を隠し、革紐で作った投石器に手頃な大きさの石を番えた。狙うのは頭でも胴体でもない。硬い鱗に弾かれる可能性が高いからだ。狙うは、動きを止めるための足。
風の声は聞こえない。だから、己の感覚だけが頼りだ。僕は神経を研ぎ澄まし、トカゲが苔の水を飲もうと岩陰に立ち止まった瞬間を待った。
トカゲが無防備に頭を下げた、その一瞬。
僕はスリングを数回、頭上で回転させ、遠心力が頂点に達した瞬間に石を放った。石は唸りを上げて飛び、狙い通りトカゲの後ろ足に命中する。硬い鱗が衝撃をいくらか殺したが、それでも骨を砕くには十分だった。
甲高い鳴き声と共に、トカゲは足をひきずりながら逃げようともがく。僕は好機を逃すまいと、ナイフを手に岩陰から飛び出した。
しかし、トカゲの生命力は僕の想像を遥かに超えていた。僕がとどめを刺すより早く、トカゲは自らその太い尻尾を切り離し、囮にしたのだ。僕の注意がぴくぴくと動く尻尾に一瞬それた隙に、身軽になった本体は岩の裂け目へと巧みに逃げ込んでしまった。
後には、切り離されてもなお、しばらくの間力強く動く尻尾だけが残されていた。
その光景は少し不気味だったけれど、それ以上に僕の心を占めていたのは、安堵と感謝だった。僕は肩の上のコダマに向かって、小さく息をついた。
「…やったな、コダマ。…まあ、半分だけだけど」
僕はその尻尾を拾い上げた。ずしりと重い。ごつごつとした鱗の手触りが、これが現実の獲物なのだと教えてくれる。完全な狩りの成功とは言えないが、これで数日は食いつなげるはずだ。
近くの岩陰で火をおこし、貴重な肉を慎重に焼き始めた。脂が焼ける香ばしい匂いが鼻をくすぐり、空腹の胃がきりりと痛む。焼けた肉は硬かったが、滋味深く、体の隅々にまで力がみなぎっていくようだった。僕は焼けた肉の塊にかじりついた。硬い。けれど、噛めば噛むほど、苔の金属質な水とは全く違う、生命そのものの味が口の中に広がっていく。温かい肉が胃に収まると、体の芯からじんわりと熱が生まれるようだった。
「…うまいなあ…オマエも食べるか? …」
コダマに、焼けた肉の小片を差し出してみせる。コダマは興味なさそうにぷいと顔を背けた。
僕はその様子に小さく笑いながら、再び肉にかぶりついた。
一息つきながら、僕は考えていた。あのトカゲを完全に仕留めるのは、至難の業だ。また同じように尻尾を手に入れられる保証もない。
そんな僕の目の前を、何事もなかったかのように、別のトカゲが悠々と通り過ぎていった。最初に見つけた個体よりも、ひと回り大きいかもしれない。僕はとっさにナイフを握りしめたが、すぐにその力を抜いた。
(…いや、待てよ…狩るんじゃない。学ぶんだ)
僕は獲物として追うのをやめ、その生き方を学ぶ『師』として、二匹目のトカゲの行動を遠くから観察し始めた。




