20:肩の上の重み
コダマが目覚めてから、一夜が明けた。
水の都アルメの朝は、窓から差し込む光までどこか澄んでいるように感じる。宿屋の食堂へ下りていくと、看板娘のミーナが「おはよう、カイ! それと……コダマも!」と、満面の笑みで迎えてくれた。
僕がテーブルにつくと、コダマは僕の膝から床にとてとてと降り、さっそく食堂の隅の探検を始める。昨日までただの石の人形だったのが嘘みたいだ。
「わー、元気いっぱいだね!」
ミーナが運んできた焼きたてのパンの香ばしい匂いに、コダマがくんくんと鼻を動かす(ように見える)仕草をして戻ってくる。その様子に、向かいの席に座っていたリラも、くすりと笑った。彼女は最近、工房へ向かう前にこうして立ち寄るのが日課になっているらしい。
「食いしん坊なのは、カイに似たのかもな」
「心外だな。僕はこれでも小食な方だよ」
僕がパンを食べている間、コダマはテーブルに置かれた僕のスプーンに興味を示したらしい。小さな石の指で、ちん、とスプーンを弾いては、その金属音に首を傾げている。その無邪気な姿を、僕とリラとミーナ、三人が自然と笑顔で見守っていた。
(……温かい)
故郷を失ってから、こんな風に誰かと食卓を囲む朝なんて、どれくらいぶりだろう。胸の奥が、じんわりと熱を持つのを感じた。
朝食を終え、明日の食費を稼ぐために冒険者ギルドへ向かうことにする。僕が椅子から立ち上がると、足元で遊んでいたコダマが、待ってましたとばかりに僕のズボンの裾をよじ登り始めた。
「おっと。よっこいしょ、っと」
そのずんぐりした体では肩までたどり着くのに時間がかかりそうだ。僕は思わず笑って、その小さな体をひょいと掴み上げ、昨日からの定位置――僕の右肩の上に乗せてやった。心地よい重みが、そこにあった。
ギルドの喧騒は相変わらずで、一歩足を踏み入れただけで傭兵たちの荒々しい感情が流れ込んでくる。僕は意識して『影の方程式』を心の中で呟き、依頼掲示板へと向かった。今の僕の役目は、この街の『探し物の名人』だ。
幸いにも、ちょうどいい依頼がすぐに見つかった。『お屋敷の庭からいなくなった飼い猫探し』。これなら、僕の能力を使いやすい。
依頼主の屋敷は、アルメの貴族街にある立派な建物だった。案内された広大な庭で、僕とコダマはさっそく捜索を開始する。
(さて、どうしたものか……)
僕は目を閉じ、意識を庭を撫でる風に『耳をあわせる』。
《猫の匂い。……湿った土と、古い水の匂いが混ざってる》
次に、僕は足元の石畳の道に意識を沈める。
《速い足音。四つ足。慌ててた。……何かに驚いて、水の記憶がある方へ》
(湿った土と、古い水路……。二つの情報を合わせると、答えは一つしかない)
庭の隅を流れる、今は使われていない石造りの水路。そこに沿って歩いていくと、一部がトンネル状になっている場所に行き当たった。しかし、その入口は数日前の雨で流れてきたらしい土砂で完全に塞がれている。
(ここに違いないはずだが……どうやって中に入ったんだ?)
僕が途方に暮れていると、肩の上のコダマが、急にそわそわと身じろぎした。そして、土砂で塞がれたトンネルの入口を、小さな腕でしきりに指し示している。
「どうした、コダマ。何かあるのか?」
その時だった。土砂の向こう側から、チリリ……と、か細い金属音が聞こえた。
はっとして、僕は気づいた。猫の首輪についているという、銀の鈴だ。僕の声に驚いて、猫が中で身動きしたのだろう。石や金属の音に敏感なコダマは、そのかすかな音を、僕より先に聞きつけていたんだ。
「そうか、やっぱり中にいたのか!」
僕は夢中で土砂に手をかけた。石や泥を掻き出すと、やがて猫が通れるくらいの隙間ができ、そこから泥だらけの猫がよろよろと姿を現した。
帰り道、夕日に染まるアルメの街は、水面のきらめきが息をのむほど美しかった。いつもなら一人で眺めるだけの景色も、今は少し違うように見える。
「うまくいったのは、君のおかげだな、相棒」
僕は肩の上の小さな相棒に、そっと語りかけた。
コダマは言葉の代わりに、こてん、と首を傾けて応える。言葉はなくても、確かに心が通じ合った気がした。誰かと一緒に何かを成し遂げる喜びなんて、いつ以来だろう。一人でいることが当たり前だった旅路に、確かな温もりが灯ったのを感じた。
宿屋に戻ると、リラとミーナが夕食をとりながら待っていてくれた。
「おかえり、カイ! コダマも! どうだった?」
「ああ、うまくいったよ。ほら」
僕が報酬の革袋を見せると、ミーナは「わーっ、すごい!」と目を輝かせ、リラも少しだけ目を見開いている。
「大したもんだな。もうすっかり一人前の『探し屋』か」
「一人前、かな。正確には、二人前、だけどね」
僕がそう言って肩の上のコダマを示すと、リラは一瞬きょとんとして、それからふっと口元を緩めた。
「……そうか。そうだな。いいコンビじゃないか」
その夜の食卓は、いつもより少しだけ賑やかだった。僕の隣に、初めて本当の相棒ができた。そして、その誕生を自分のことのように喜んでくれる友人たちがいる。その事実が、たまらなく嬉しかった。




