第45話:罪と追撃 (Part 5)
【????、渓谷の底】
重たい霧が谷を包み、足元すら霞むような中、女の冷たい声が沈黙を破った。
「ヴェルザンディ、これはどういうことだ」
白銀の長髪が微かに揺れる。冷たい紫の瞳が、氷刃のごとく目の前の男を射抜いていた。
アストラルド帝国魔導士――セラフィナ・アストラルド。
銀のローブにあしらわれた星刻の紋が淡く光り、彫像のような静けさの中に、張り詰めた怒気がにじむ。
その冷徹な視線の先、黒い霧をまとった男がいた。
ゾルティス連合魔導師――ヴェルザンディ。
彼は微笑みを浮かべたまま、セラフィナの視線を正面から受け止めた。
ヴェルザンディは低く呟いた。
「……カルヴァスが裏切ったのか?」
静かな声だった。だがその響きには、計画の綻びを呪うような鋭さがあった。
ヴェルザンディは、唇の端を吊り上げる。だがその内心では、焦りがひそやかに膨らんでいる。
(……召喚者二人が揃うとは、想定外だ。だが、利用価値はむしろ高まる)
男の瞳には、計算と野心の光が宿っていた。
黒の杖を静かに傾けると、先端からしずくのように闇魔法が滴り落ちる。
「監視していると言ったな。では問う。これからどうするつもりだ。この先は厄介だぞ」
セラフィナの言葉は氷のように冷たく、容赦がなかった。
彼女の胸元の紋が一瞬だけ強く輝き、谷底の闇に切れ目を走らせる。
その苛立ちが、空気にまで影響しているかのようだった。
だがヴェルザンディは揺るがない。
「慌てるな、セラフィナ。どちらか一人でも生きていれば、我々の目的は果たせる。男が駄目なら、女に代わるだけのこと」
滑らかに応じる声は、用意された台詞のようだった。
セラフィナの目が細くなる。
彼女にとって、召喚者とはただの「駒」にすぎない。だが、ゾルティスの狡猾な論理に乗せられるつもりもなかった。
「ここは星刻の干渉が及びにくい。つまり、中央監視塔の結界も届かない。無駄な時間をかけるな」
彼女は冷たい声音のまま、木の扉を睨みつけた。
そこに至る通路の先には、教会――召喚者たちが「目覚める」場所がある。
そして、そこに込められた何かが、すでに二人の記憶を揺さぶりはじめている。
***
誰でもない記憶が、俺に……。
そのとき、強く背中を押され、体制を崩した。
「……な、なんだ!?」
夢から急に引き戻されたような感覚に、しばらく何が起こったのか分からなかった。
「……たしか、祭壇の裏から……」
思い出せない。
何かを見せられていた気もするが、本当の夢のように何も残っていなかった。
ふと隣をみると、レイラが床に倒れていた。
「レイラ、おい! 大丈夫か!?」
曖昧な記憶のまま、レイラを揺すって起こす。
一体何があったんだ?
再び激しい衝撃に見舞われ、俺は咄嗟にレイラに覆いかぶさった。
埃が舞う先に、木の扉が砕け散っているのがかすかに見えた。
「クソ、もう来たのか……」
目まぐるしく変わる展開に、思考が追いつかない。
それでも、レイラを守って逃げる、これだけは明確に分かる。
「レイラ、起きろ」
肩に力を込めて揺する。
「……あなた、誰?」
その言葉が、ナイフのように俺の心を裂いた。
目の前にいるのは確かにレイラだ。でも、俺を、ツバサを知らない目で見ている。
一体、何が起きてるんだ……?
自分という存在が、彼女の記憶からも抜け落ちてしまったかのような嫌な感覚。
「……あ、もう!」
気持ちを振り切るように、俺はレイラを担ぎ上げ、魔導アームを撃ち放った。
少しは時間稼ぎになるだろ。
レイラのおぼつかない歩みをなんとか支え、教会の奥――何者かが出てきた方へと歩き出した。
祭壇の裏にある小さな通路。
俺は、身を屈め、レイラを掴みながら先の見えない暗闇へと足を進めた。
背後で、何かがこちらを見ていた気がしたが、振り返らなかった。
(第4章 第46話に続く)




