完全無欠公爵令息はお見合いに向いてない
「ゼファー様、お会いできて光栄です! わたくしは南部の湖の西方を任されております、伯爵家の――」
ゼファーは濡れたグラスを持って、ずずずとオレンジジュースをストローで吸う。視線は遥か遠方、窓の外に向けられており、彼に向き合っている貴族令嬢は目許を笑わせながらも口角をひくつかせていた。窓の外の景色に夢中になっているゼファーは、令嬢の視線に気づくことはない。
――高層ビルの最上階に位置する高級レストランにて、食事よりも会話よりも景色に気をとられているこの男はゼファー・ディヴァイン、国内に唯一存在する公爵家の一人息子である。国内外問わず引く手数多の彼は、今日も今日とて見合いを行っていた。
「あの、ゼファー様……?」
「……ん? ああ……、丁寧に自己紹介していただかずとも、存じていますよ、令嬢」
ゼファーはふとストローから口を離し、グラスをことりとテーブルクロスの上に置くと、令嬢のプロフィールや彼女の家にまつわるエピソードを淡々と諳んじ始めた。最初は好意的に相槌を打っていた彼女だったが、良いエピソードも悪いエピソードも裏表なく等しくひとくくりにして語るゼファーに次第に辟易とし始めた。辟易どころか、ドン引きしはじめた。
社交の場では、というよりも、人と人とが関わる上で普通は口にしないであろう、口にするとしてもオブラートに包んだりするであろう悪しき真実も本人に語ってしまうゼファーは、コミュ障ここに極まれりといった感じであった。そのくせ本人は、「本当のことを言ってなにが悪い」などとのたまい、正義を盾にするためさらに悪質である。
「それだけ叩けば埃が出るような状態ですと……、いや、もはや叩かなくても埃だらけか。そのうち国王から爵位の返上要請がくるかもしれませんね」
ゼファー本人としては、何気ない世間話のつもりだった。だから悪くないなどと言うわけではなく、もはや取り返しのつかないコミュ障に成り下がってしまっていることが明確にわかる。
「――最ッ低」
というわけでゼファーはミルクティーをおろしたてのスーツにぶちまけられた。去って行く令嬢の後ろ姿を呆然と眺めるゼファーに、そばに控えていたゼファーのひとつ年上の執事、ノエマがけらけらと笑いながらゼファーの肩にタオルをかける。
「おやおや、大層惨めなお姿になられたようで」
目の前で見ていたというのに随分他人事な言い方だ、とゼファーは再びストローに口をつける。
「……なにが悪かった。僕は公爵の『相手を知るべき』という言葉に則っていただけだが……?」
「あれでよかれと思っていたのが逆に驚きですよ、坊ちゃま。いったい誰に似られたのか……」
はあとため息を零しているが、その声色はまったく呆れてなどおらず、むしろ楽しげである。この性悪男は主人が女性に嫌われる姿を大層愉快に思っているらしい。
「そもそも、女性に対する扱いがなっていないというよりも、人様に接する態度の基本を坊ちゃまは理解されていないようです」
一応ためになることを教える気はあるらしい。柔らかいタオルでぽんぽんと頭を拭かれながら、ゼファーはふて腐れた顔でジュースを飲み干した。
「まず第一に、お相手が話されているときはなにも口にしないでください、初歩中の初歩、基礎中の基礎ですよ! 坊ちゃま、普段はきちんとお行儀よくお食事されているでしょう、なぜ他人と食事するときだけはあんなにお行儀がよろしくないんです?」
ノエマが疑問に思うのも無理はない。ゼファーは幼少期からテーブルマナーを叩き込まれているし、そのあたりは公爵や講師などから厳しく躾されてきたから、付け焼き刃で覚えてきたわけではない。人前では緊張してボロが出る――なんて事態にはならないはずなのだ。
「――だろ」
「え? なんです?」
「……万が一にでも好かれたら困るだろ」
細々と絞り出されたゼファーの言葉に、ノエマがほぇえ? と素っ頓狂な声を上げる。その際につけていたモノクルがずれるが、咳払いをしたのち直した。
「ねえ坊ちゃま? ひとはテーブルマナーがきちんとしているくらいでは坊ちゃまのこと好きになったり致しませんよ?」
「わかっている。ただ僕は相手に嫌われたい――というか、そういったことに関する対象から外れたいだけなんだ。さすがに、飲み物をかけられるのは今日を最初で最後にしたいが……」
だって、誰も彼も違う。あの暖かな幸せの気配とは、まるで遠くて。今まで見合いで出会ってきた人々はゼファーが求める存在ではないからこそ、ゼファーはわざと相手の興味関心をなくすような言動をとっていた。
「坊ちゃまは選り好みする立場にないと思いますけど」
「……わかってる。だから相手にどうしても無理だと思ってもらって、政略結婚すらできない状態にしたい」
「遠回りで、しかも茨の生えている道に進む気なのですねえ、坊ちゃま。公爵様にバレたら折檻を食らうのでは?」
「……そんなの今さらだろ」
すると、コース料理の一品目である前菜が運ばれてくる。あいにくだが令嬢は一品も手をつけることなく怒って帰ってしまった。ノエマはけらけらと笑いながらゼファーの対面に座る。
「それにしても本当に愉快でございますね。世間では完璧だのなんだの言われている公爵令息たる貴方が、こうもお見合い下手で、これまで会ってきた方の中で怒って帰らなかったご令嬢がひとりもいないほどだなんて」
「……マナーだとか会話だとか、僕にだってやろうと思えばできるが?」
むすりと口を尖らせるゼファーに、ノエマは前菜にフォークを突き立てつつ、爽やかな笑顔で「ではやってください」と告げる。
「だから――いや、もういい。僕は誰になんと言われようと僕の考えを変える気はないぞ。これはもはや僕の信念なんだ。第一政略結婚できなくたって僕は困らない!」
「それ、公爵様の前で言わないでくださいね……」
ノエマの注意に大して耳を傾けないまま、ゼファーは苛立ちを晴らすように勢いよく前菜をかきこんだ。
「ところで、明日は侯爵――ミスティリオス家のご令嬢とのお見合いがございますよ」
「明日も時間を無駄にさせられるのかぁ……?」
ゼファーは重いため息混じりに辟易とした声を上げる。
「どうやら坊ちゃまが馬術やら狩猟やらの大会で好成績を残されたのが原因のようでございますね。その日から各地の貴族たちから連絡が途絶えないようですよ」
――「彼女」にいいところを見せたかったからって、やり過ぎたか。
ゼファーは少し前にあった大会での自身の立ち回りを思い出して、再度ため息をついた。
「あと、学校の試験でも全教科満点をとって一位……でしたっけ? お見合い申し込みリストの中には坊ちゃまのご学友の名前もちらほら見受けられましたよ。こんなにモテることなんて早々ないんですから素直に受け取ればよろしいのにー」
「適当なことほざくんじゃない。他人事だからって相変わらず無責任なことを……」
第一、勉強やらなんやらを頑張っているのはモテるためじゃなくて、「彼女」に見せたいからで、などとゼファーはうだうだと脳内で愚痴を吐く。
すると、ジャケットの内ポケットに入れていたスマホが震えだして、ゼファーはゆるりと姿勢を正し、スマホを取り出す。
「あ、うっ、あ!」
来ていたのは電話だったらしい。スマホの画面に映し出された名前を見て、ゼファーはスマホを落としそうになり、キャッチし損ねることを繰り返して結局床に落とした。
「坊ちゃま?」
「うるさい話しかけるな! 電話だ!」
「はいはい……」
突然顔を赤くして語気を強くし始めるゼファーにノエマはなにかを察して静かに食事を続ける。
ゼファーはノエマがこれ以上話しかけてこようとする様子がないことを確認し、屈んでスマホを拾う。こうしている間に切られやしないか、でも応答ボタンを押す勇気がなかなか出ない――などと頭を悩ませている間にぷつりと電話が切れた。
「ハッ……!」
目を丸めるゼファーに、ノエマが「ぷっ」と噴き出す。幸運にもスマホの画面は割れていなかったが、ゼファーの心が砕け散りそうになっている。
「モタモタするんじゃなかったぁ……」
これまでにないほど情けない声を上げて瞳を潤ませるゼファーに、ノエマは苦笑いする。
「かけ直してみては?」
「はっ……⁉ そんなの、できるわけッ」
「できますできます、ここのボタンを押してですね――」
「操作がわからないわけじゃないが⁉ あ、おいっ、勝手に操作するな……!」
席から立ち上がったノエマがゼファーの横にやってきて、ゼファーがツッコミをしている間にすいすいとスマホの画面を操作すれば、通話画面が現れてゼファーは再びスマホを落とす。
「ノエマ、お前……!」
「うるさい話しかけるな、電話だ」
淡々と先ほどのゼファーの真似をするノエマに、ゼファーはぐぎぎと歯を食い縛ってノエマを睨みつける。
『あ、もしもしゼフ? 今平気?』
「アッ、あ、ああ大丈夫だ、い、今は、そうだな……。暇で暇でしょうがなかった、は、ハハ……」
床に座り込みながら、ゼファーは辿々しく相手の言葉に返答する。
「そ、それにしても、珍しいじゃないか、電話をかけてくるなんて……。そもそも、会話自体久しぶりか?」
『そうねー! お互い親の目があってあんまり会えないじゃない? それで自然と連絡することもなくなっていってたし……。それじゃちょっと寂しいわよね?』
るんるんとした語尾、声色、こちらの顔色や機嫌をいい意味で伺ってこない気安い態度、そのどれも、今日まで会ってきた貴族令嬢とは大違い。――彼女はゼファーの幼なじみで、この国の王女、ロゼッタ・ユースティティアだ。
彼女とゼファーはわけあって積極的に関われない関係性なのだが、当人同士は決して不仲ではない。現に、ゼファーは彼女との会話に必要以上に緊張しつつも、その緊張を嫌とは思えないし、むしろ胸の中にあたたかいものが巣くいはじめている気配を感じ取っていた。
「そう……だな。さすがにスマホの中身は見られないだろうし、定期的に電話するのも悪くないかもな……。それで、なんの用だった?」
『あ、そうね、ちょっと前にゼフ、馬術と狩猟の大会で優勝していたでしょう? あれのお祝いをしたくって!』
「あ、う、知ってたのか……⁉」
『当たり前じゃない! ニュースにも出てたし動画も観たわよ!』
ニュースになっていたり各SNSで動画があげられたりしていたのはなんとなく把握していたが、それが彼女の耳に届くまでになっているとは知らなかった。ゼファーは歯痒い気持ちで彼女の話を聞く。
『優勝おめでとう、ゼフ』
水面に徐々に波紋が広がっていくような、しんと静かで、けれども意思の強い声が、己を祝っている、という事実にゼファーの胸が打ち震える。そのせいで、しばらく黙ってしまっていたのだが、そばにいたノエマが口パクで、「ありがとうと言いなさい!」などと告げてくるため、ゼファーは慌てて口を開いた。
「あ、ありがとうな、ロゼッタ……」
『あ、それじゃあそれだけだから! また会うことがあればよろしくねー』
あ、切られてしまう、とゼファーの心臓がどくりと嫌な音を立てる。なにか引き留める言葉を、となにかを探しているうちに、スマホはツー、ツー、という絶望の音を奏で始めた。
「う、うぐぅ……! せっかくの機会を無駄にしたぁ……ッ!」
「普段から嫌われるためにつれない言葉を吐いてばかりいるから咄嗟に好感度が上がるような言葉が出て来なくてそうなるのですよ、坊ちゃま? 普段から気の利いたことを言おうと努力すればよかったものをー」
「そら見たことか、みたいな顔をするな腹が立つ!」
ゼファーは敗北に臍を噬み、床をどんどんと叩く。
ううう! と床に臥せって噎び泣くゼファーを見下ろして、ノエマは先ほどの、ゼファーが電話で話していたことを思い出す。
――それにしてもやけに甘い声色だったな。しばらく甘いものは見たくない気分です。
――これで自分の気持ちに気がついてないってどれだけ鈍感なんでしょう、坊ちゃま。
「……彼女に接するのと同じようにすれば、もうミルクティーをかけられなくて済むと思うんですけど」
ノエマが小声で呟くも、ゼファーは一人反省会に夢中になっていてまるで聞いていないようだった。
「それは、坊ちゃまの信念とやらが赦してくれないんでしょうねえー」
直情的で、猪突猛進。自分の信じたものに対してまっすぐに突き進むがあまりに視野が狭くなっている己の主人に、ノエマは今日何度目かの苦笑を浮かべた。
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