4R 「蒸気機関記念」
「蒸気機関記念」当日、タワーズは現れなかった。出場者確認の時間が過ぎても競技場にはいなかったのだ。知り合って間もない自分には意外に思えたが、よくあることらしい。存外に気分屋のようだ。もちろん連絡などつくはずもなく、『剣魚』は出場取り消しとなった。発表があった時会場では落胆の声と怒声が上がった。賭けをしている不埒な輩は『剣魚』の圧勝だと踏んでいたらしい。
『剣魚』が操縦者欠席による除外で行われる「蒸気機関記念」。ファンファーレが鳴り響き、マシンには火が入れられる。隣は『剣魚』だったらしく、一機分の空白がある。シュウ、と蒸気が溢れ、辺りに水と熱をまき散らす。他の機体も同じく排気管から蒸気を吹き出し始めた。笛が鳴り、上昇を開始する。上の方に陣取った『流れ星』に乗りながら、『剣魚』がいるはずだった場所をちらと見降ろした。何もない、ただ地面だけが見えた。息を吐きながらフラッグを見つめる。はためく赤いそれは高く掲げられ、選手の注目を集めている。
スタートのフラッグが振られ、鐘が鳴らされる。一斉にバルブを開け、はずみ車を回す。蒸気を吹き出し、バルバルと音を響かせ、発進する。『流れ星』は増えたプロペラが重いのかなかなか加速しない。最後尾でのスタートになった。レースが動くのは旋回と、その後の直線だ。暇、と言うには緊張が重くのしかかり、忙しいと言うにはあまりにも何もない直線が続く。『流れ星』は鈍い加速で最後方から二番手、先頭からは半秒ほどの位置につけている。かなり詰まっている。接触事故が起きそうだ。折り返しの柱が近づく。プロペラが増え、抵抗が大きくなった『流れ星』は右のプロペラを逆回転させて旋回する。今までよりもかなり小回りになるだろう。周囲は旋回と蒸気を溜める為に少し速度を落とし、『流れ星』が先頭に出た。柱は目前、旋回する。
大きな遠心力に振り落とされそうになりながら、プロペラの回転方向を素早く戻し、機体をゴールに向ける。最後の直線。『流れ星』は先頭だ。少し絞っていたバルブはそのまま、速度に乗るのを待つ。鈍い。後ろからは猛追されているだろう。あと少し、ほんの少し速度を距離を稼ぐ。バルブを開け放った。一気に解放された蒸気はクランクを回す。プロペラは唸りを上げ、気球を固定しているロープが軋む。増えたプロペラの加速は心地よかった。ゴールラインはすでに目の前で、水のタンクもほとんど空だ。あっさりとゴールラインを超え、「蒸気機関記念」を勝った。
後で聞いたが、旋回でほとんどの機体が接触しスピンしていたらしい。まともに進めた機体もあまり加速できなかったとか。手ごたえもなく、なにか物足りないと感じながら、勝者インタビューをあしらい、取材をすべてタワーズ社に取り次ぐよう伝言を残しながらタワーズ社の試験場へ向かった。『流れ星』もそこに送られたはずだ。もちろん、出場しなかった『剣魚』も。
物足りなかった。『流れ星』はいい機体だ。取材にきたメカニックもそう言う。勝利したのだからそうだろう、と言う素人もいる。自身でもそう思う。ただ、『剣魚』と競い、そう思えなくなっていた。もっと、もっと速く、そう考えていた。