3R 新生『流れ星』号
骨組みだけだが、それでも奇妙と分かるマシンに目が吸い込まれた。Y字になっているその骨組みにはギヤボックスとプロペラが仮設置してあった。『流れ星』がそうであるように双発は珍しくない。しかし、その機体は三つめのプロペラが反対方向についていた。プロペラが多ければ速度は出やすいが反面、蒸気機関に大きな負荷がかかる。つまり、抵抗が大きくなるので蒸気機関が弱ければ速度が出なくなるということだ。
「あれ、気になるっすよね」
プロペラを抱えて戻ってきた作業員に声をかけられる。
「でもあれ、社長のおニューなんでイジらせてもらえないっすよ。サ、『流れ星』直しちゃいましょう」
促されるまま、『流れ星』の修理に取り掛かった。
修理は驚くほど滞りなく、すぐに終わった。作業員が持ってきたプロペラは新開発された高効率のものだったらしく、回転テストでこれまでの壊れる寸前より何割か良い成績を残した。もちろん、プロペラは離脱も、破断もない。ついでに蒸気機関も替えないか、と打診されたが今使っているものよりも大きく重いものだったので断った。その後簡単な検査を行い、ギヤボックスを支えていた細い柱がレース中に歪み、推進力を削いでいたことがわかったのでそこも改修した。計算上では重量増加による減速よりも歪みを取り除いた推進力の向上の方が大きく、ほんの少し速くなるようだった。今考えると、プロペラの複雑な装置を外した分機体は軽くなっているので気を揉む必要はなかった。舵はギヤボックスで推力偏向を生み出して行うように変更した。
『流れ星』は復活した。気球をつければすぐにでも飛べる。元々大した破損ではなかったが、しばらくは空に浮かぶことすらできなかったのだ。少しくらい感動してもいいだろう。そういえば、
「なぁ、『流れ星』は直ったがこの後どうすりゃいいんだ?」
今後が気になって聞いた。
「アレ?社長から聞いてないっすか?」
作業員は意外だ、と読めるような顔をした。社長には会ってないないし、そもそも顔を知らない。あの紳士――『剣魚』の操縦士で、後で出走表をみたが名は忘れてしまった――に連れてこられた時にも「『流れ星』を修理してレースに出てくれ」としか言われなかったはずだ。いや、技術提供もするんだったか。
「まァ社長が来ないとなんにもできませんし、あっちで休んでてください」
椅子と、テーブルと、屋根しかない場所を指して作業員はそう言った。
「わかった。ありがとう」
そう言い、休憩所に向かう。すでに頭の中は『流れ星』ではなく、あの奇妙なマシンで一杯だった。
上がりの喇叭が聞こえた。日が傾き、目を刺してくるのを避けて座り直してしばらくのことだった。喇叭までに手すきの作業員が二、三人話しかけてきたが、特段面白いこともなかった。ほとんどあのレースのことだったからだ。ただ、悔しかったとだけ答えてやれば満足して帰っていった。
「お疲れさんっす。うちのやつの話に付き合ってもらって悪いっすね」
「いや、構わないさ」
「そうっすか?うちはおしゃべりが多くって賑やかなのはいいんすけど……」
後ろにつけた車からあの紳士が降りてきた。それに気づいた作業員は話を切り上げ、じゃあこれで……と逃げてしまった。
「やぁ、すまないね。少し、手間取ってね。さて」
紳士は『流れ星』をみて満足そうに頷いた。
「うん、直ったみたい、ですね。じゃあ、レースにエントリー、しましょうか」
いくらなんでも早すぎる。レースは毎週行われているとはいえ、『流れ星』が壊れてからまだ四日も経っていない。
「次のレースは応募が締め切られているから……」
「次の次、です。つまり、アレです」
アレ。そう言い船渠の端に飾られているトロフィーを指さした。そのトロフィーは蒸気気球舟競技者全ての目標。
「蒸気機関記念」
「そうです。蒸気機関記念、もちろん、出ます、よね」
出たい。しかし、不安もある。
「『流れ星』は故障した。審査で不利だろう。他が強いとな」
ちら、と妙な形のマシンを見る。
「大丈夫、です。その子……『蠍』号は、開発中、ですし、『流れ星』は、人気、です」
紳士はこちらの目を見据え、力強く続けた。
「信じてあげてください」
まんまとエントリー用紙に記入した。所属:タワーズ社の表記を加えて。
そこから出場者の決定まではすぐだった。発表されたレース出場者の名簿には『剣魚』に並び『流れ星』の文字もあった。娯楽新聞は蒸気機関記念の特集がでかでかと掲載されている。昨年の覇者であるタワーズ社の新型機、『剣魚』と、故障での除外とはいえ最後まで競っていた『流れ星』の決戦だとなっていた。記事の中では『流れ星』の所属が個人名義からタワーズ社に変更されていることについて触れられていたが、どうやら「些末な事」らしい。
そういえば、と思い『剣魚』の操縦者の名前を見る。R・タワーズとなっていた。おえらいさん、というのは本当だったらしい。気にもしていなかったが。
出場決定からのは『流れ星』と『剣魚』の更なる改良の余地を探り、改善していくだけだった。『剣魚』は『流れ星』が断った強力な蒸気機関を積んだ。空気ネジは蒸気機関への負荷が少ない分、回転数が上昇しても速度が上がりにくい、という特性がある。ほんの少しでも速くしたかったのだろう。『流れ星』の変更点はプロペラの枚数と角度で、結局五枚に落ち着き、気球がはじけ飛ぶ寸前の速度が期待できるようだった。また競争除外にならなければいいが。
この間、あの紳士、タワーズとは顔を合せなかった。彼は忙しく、滅多に作業場には現れないらしい。『流れ星』を運んできたあの日が特別だったのだとも。
そして、「蒸気機関記念」当日。タワーズは現れなかった。