2R 『剣魚』号
寂れた街の小さな整備場に現れた紳士は、先のレースの勝者だった。
「私よりも、疾かった」
目を輝かせている紳士は続けた。
「だから、もう一度、私たちとレースに」
紳士は手をとった。今日は仕事がなかったので汚れていなかったが、少し気になり振りほどいた。
「さっきも言った通り、金が無いんでね。あれを再生するのに何年かかるか」
紳士はもう一度手をとり続けた。
「資金も、技術も、私たちが提供します。『流れ星』号を再生しても、全く新しく、造り上げてもいい」
手に力が入り、少し痛い。その手を引き剥がそうとしながら、なぜこれ程『流れ星』に執着しているか気になってしまった。
「悪いが、何故『流れ星』を?『剣魚』はいい機体だし、故障もないだろう。わざわざ敵を増やしてどうするんだ?」
紳士の手が緩んだので手を引き抜く。ほんの少し逡巡したように見えたが、何かに気づいたように目を丸めた。
「言って、ませんでしたね。失敬、失敬。あー……」
空を握っていた手を胸ポケットに入れ、ごそごそと探り中から取り出したピンバッジを見せてきた。それは『蒸気機関からエプロンまで』でお馴染みの知らない人はない大企業、「タワーズ」のものだった。
「私、ここの、ちょっと偉い人、なんです」
大企業の――自称ではあるが――オエライサンがなぜここにいるか、《流れ星》を修復したがっているか、全くつながらない。飲み込めないまま頷き、続きを促す。
「単刀直入、優秀な、好敵手と、操縦者が、欲しいのです」
「……競争は優秀な製品を産む?」
そう呟いた。顔は酷く困惑した表情だっただろう。呟きと表情を見て紳士は続けた。
「その通り、です!競争相手、重要です!ですから、あなたに、あなたと、『流れ星』に、我々と共に」
興奮気味だった紳士は一度言葉を切り、深く息を吸った。こちらの目をしっかと見据え、はっきりと意志を言葉にした。
「我々と共に、最速を目指しましょう」
とても断れる雰囲気ではない。これだけの熱量をぶつけられて断るなどできるものか。
「……わかった。やろう」
根負けした、半ば投げやりな返事にいつの間にか握られていた手がブンブンと振られる。
「~~~ッ!ありがとうございます!では、早速、行きましょう!」
そこからはあっという間だった。車に『流れ星』と人が詰め込まれ、「タワーズ」製品の試作・試験場と思しき場所で降ろされた。車庫のような場所には『剣魚』がジャッキアップされ置いてあった。
「ようこそ。ここが、『剣魚』の船渠。そこにいる、作業員に言えば、なんとでもなる」
設備が豪華だ。なにからなにまで、それこそ「蒸気機関からエプロンまで」ある。あっけにとられていると作業員が一人、近づいてきた。
「こんちわっす!『流れ星』の修理、手伝いますンでなんなりと!」
元気だ。紳士はニッコリ笑い、時計を見ながら「たのみましたよ。では、私は、ほかの仕事があるので」と申し訳なさそうに足早に車に乗り込んだ。車を見送り、改めて『剣魚』を見た。
「ウチの最高傑作っす。もう身内っすから思う存分見ていい、ってことらしいっすよ」
許可が出たので近づき、舐め回すように見る。気球が外され一層細さが際立っている。船主はなにも飾りがなく、空気を切り裂くようにうすい。乗り込む場所のほんの少し後方にヒンジが見えた。ここからがばっと開くらしい。船尾に回り込み、速さの根幹である推進装置を見る。奇妙なスクリューが見える。
「船体横のパネルで舵とってるンす。推進方式は空気ネジっす。」
空気中をネジのように進む特殊形状のプロペラ、空気ネジ。相当な回転速度がないと推進力は得られない。これは、『剣魚』の蒸気機関が優れた物である証左だった。
「ありがとう、速いわけだ」
作業員は誇らしげだ。彼がチューンナップしたのだろう。
「さて……」
『流れ星』が運ばれ、『剣魚』の横に並べられていた。あの日のようだ。『流れ星』に近づくと別の作業員に声をかけられた。
「すみません!プロペラって支えてるのってこれだけですか?」
細い棒をもっている。確かに、プロペラを支えていたものだ。
「ああ、そうだ。気球を繋いだらワイヤで補助するがね」
ギヤボックスとプロペラが大きく左右にせり出ている『流れ星』だが、その重要な推進装置を支えているのは細いブレース一本とワイヤだけなのだ。あり得ない、といった表情で床にギヤボックスと千切れたプロペラ、ブレース、動力伝達用のシャフトと並べた作業員は驚きと困惑の表情を隠さないまま会釈して去ってしまった。
「修理、ね……」
千切れたプロペラの断面をみる。固定していた金具が粘土のようになっている。もちろん素手でこうはならない。ピッチ調整の機構の為に加工しやすい、柔らかい金属を使ったからだろう。ピッチ機構は諦めよう。
「プロペラ、余ってるか?」
「余ってはないっすけど、ウチの製品なら自由に使っていいっすよ」
「そう……だったな。じゃ、この長さの持ってきてくれるか?なかったら少し短くていい」
「あいさ!」
元気な返事を残して作業員は行った。ついでにコーヒーでも頼めばよかったと思いながら回りを見ていると、別のマシンが目についた。まだ骨組みだけのマシンだが、それでも奇妙と分かるものだった。