余裕の笑み
必要なものはあらかた買い揃え、大荷物を手に町の入口へと向かう。
初めて訪れたデルイエロの町にフィオレンティナは大袈裟なくらい喜び、店という店に立ち寄ったおかげでかなり時間がかかってしまった。
「も、もう帰るんですの?」
「そろそろ帰らないと日が暮れてしまう」
「まだもう少し、見て回りたいですわ」
「また日を改めれば良い。今日はもう諦めてくれ」
まだ帰りたくないと立ち止まるフィオレンティナをなだめつつ、ジルベルトは空を眺めた。
日が傾き始めている。早く帰らなければ、あっという間に日が暮れる。しかしフィオレンティナは地に足がくっついてしまったかのように、びくりともしない。
(まいったな……)
困り果てたジルベルトであったが、ふと前方から視線を感じた。
「ジルベルト様……?!」
二人の前へ立ちはだかるように立つ女が、こちらを強く見つめていた。
彼女は薄茶の髪を二つに束ね、首元にはマフラーをぐるぐると巻き付けている。おっとりとした垂れ目は控えめなようでいて、その人柄は意外と勝ち気であることをジルベルトは知っていた。
「――メリッサ、なにか用か」
「私という者がありながら……誰です、その女は」
彼女はメリッサ二十歳。デルイエロの町で幅を利かせる商店の娘だ。メイドのリリアンとは幼馴染であり、犬猿の仲でもある。
彼女達はこの町で共に育った。そして成長したリリアンは働き口を求めてノヴァリス伯爵家のメイドになり、メリッサはというと――
『私ならメイドなんて嫌。どうせなら、ノヴァリス伯爵家の女主人になるわ』
容姿の良さを自覚していたメリッサは、リリアンに向かって声高らかに宣言したという。
ノヴァリス伯爵家は代々、この土地の平民から妻を迎え入れていた。それを心得ていたメリッサは、虎視眈々とジルベルトの妻の座を狙っているのだ。
庶民と変わらぬ暮らしをしているとはいえ、ノヴァリス伯爵家は貴族である。貴族に嫁げば、商人として箔が付く。そのためメリッサの父まで周りに根回しする始末――
こうして勝手に外堀を埋められるのは、ジルベルトにとって気分のいいものではない。
恋人でもないというのに、ノヴァリス伯爵家女主人の座を自分のものだと誇示するその強引さには、辟易していたくらいであった。たとえ地元の娘を娶ることになったとしても、彼女だけは遠慮したい。
そんな訳で、メリッサはなるべくなら関わりたくない相手だった。
「ジルベルト様……あの女こそ、ジルベルト様の何ですの?」
「何でもないんだが彼女は思い込みが激しくてな……どうしたものか……」
ジルベルトとフィオレンティナは、メリッサに聞こえぬようコソコソと耳打ちをする。
恋人でも友人でも無い存在であるメリッサのことは、フィオレンティナへも説明し難い。ただこの状況に困っていることは、彼女も感じ取っているようだった。
「わたくし、追い払いましょうか?」
「は?」
「ジルベルト様の敵はわたくしの敵ですわ。ここはお任せくださいませ、すぐにでも――」
「ま、待て」
ギラついたフィオレンティナの瞳は、やけに好戦的だった。やはりジルベルトの事となると我慢が出来なくなるらしい。
しかしここで問題を起こし悪目立ちしては困る。余計に『性悪令嬢、フィオレンティナ・エルミーニ』の名を轟かせることになってしまう。ジルベルトは慌てて彼女を抑えると、メリッサへの言い訳をどうするか考えた。
「……では、話を合わせてくれないか」
「話?」
「フィオレンティナ嬢を利用するようで申し訳ないのだが――」
「いえ! ジルベルト様のためになるのなら、なんなりとお任せくださいませ」
彼女からの頼もしい返事を受け取ると、ジルベルトはフィオレンティナを庇うように前へ進んだ。
一方、メリッサは鋭い目つきでこちらを睨みつけている。よっぽどフィオレンティナのことが気に食わないのだろう。
「メリッサ。この女性は――俺の大切な客人だ」
「え……大切な!?」
「ああ、そのように睨まないでもらいたい」
ジルベルトは、フィオレンティナを『大切な客人』として紹介した。とりあえず嘘では無い。
いずれ王都に帰る人ではあるから、客人としておけば姿を消してもそれほど不自然ではないだろう。
ジルベルトに『大切な』人が現れたことで、メリッサは言葉を無くした。
彼女としては予想だにしなかった事態なのだ。ジルベルトの妻の座は自分が射止めると信じて疑わなかったのに、『大切な』女性――妻の座を揺るがす存在が現れるなんてことは想定していなかったのだろう。
しかもその相手は、このような田舎町ではお目にかかったことがない、絶世の美女だ。ぶ厚い防寒着を着ていても隠しきれない美しさ。メリッサが怯む気持ちも分かる。
(メリッサも、これで少しは大人しくなるか……?)
ちょうどメリッサと鉢合わせたことで、ついフィオレンティナを利用してしまった。
結果として効果は抜群であったのだが、なんと勝手なことを……と恐る恐る隣を見れば、フィオレンティナは目を輝かせながら頬を紅潮させていた。
幻だろうか。彼女の背後には、そこに無いはずのシッポがブンブンと振り切れているようにも見える。
フィオレンティナはジルベルトの前に歩み出ると、メリッサに向かって優雅に淑女の礼をした。
ジルベルトとメリッサは、その姿に思わず息をのんだ。つま先まで考え抜かれた角度に、ブレない身体。たとえドレスを着ていなくても分かる。彼女の所作は、一流のものであるのだと。
「お初にお目にかかりますわ。わたくし、フィオレンティ……」
「フィオ、だ! しばらく屋敷に滞在する予定だ」
つい名乗り出そうになったフィオレンティナを遮って、ジルベルトは咄嗟にその名を誤魔化した。
メリッサだって、ゴシップ誌を嗜んでいるだろう。もちろん『性悪令嬢フィオレンティナ・エルミーニ』のことは知っているに違いない。
「フィオ?」
「たった今、君のことはそう呼ぶことにした」
「まあ! 愛称呼びですのね……!!」
愛称といわれたら、そうなのかもしれないが。ただ名を誤魔化しただけのことなのに、フィオレンティナはこんなにも喜ぶ。
要らぬ期待をさせてしまっただろうか……と僅かに後悔するジルベルトの腕に、フィオレンティナはその腕を絡ませる。
そしてメリッサに挑発的な笑みを送ると、落ち着いた声色で宣戦布告した。
「わたくし達、このような仲ですの。メリッサ様、以後お見知りおきを」
(つ、強い……)
思わず、ジルベルトの脳裏に『性悪令嬢フィオレンティナ・エルミーニ』の名がよぎる。別に、彼女は性悪でも何でも無いのだが。
メリッサの敵意など物ともしない彼女からは、踏んできた場数の多さが伺えた。ブラックとボール遊びしていた彼女からは想像出来ないほどの貫禄である。
「……っ。ジルベルト様、私は諦めませんから!」
メリッサは捨て台詞を吐くと、二人の前から去っていった。ここはもうフィオレンティナの圧勝だ。
「……君はすごいな」
「あのくらいは可愛らしいものですわ」
フィオレンティナは腕を絡めたまま、余裕の笑みでメリッサを見送った。