条件
各々の皿が空になり小腹も満たされたところで、ジルベルトは話を切り出すことにした。
自身もついつい忘れてしまうところであった――フィオレンティナの、メイド服問題についてである。
「さて……リリアン、本題に入りたいのが」
「え? ジルベルト様、これはお芋の時間じゃなかったんですか?」
「違う。俺は君達の服装について話をしたかった」
先程までは彼女の涙でそれどころでは無かったのだが、向かいに座るフィオレンティナの姿を改めて見てみれば――急速に頭は冷えた。
まぎれもないメイド姿だ。裾の長い、黒のワンピースにエプロンドレス。ふわふわとした金髪は、赤いリボンできゅっと纏められている。
色合いはとても地味だというのに、その佇まいはまるで人形のような愛らしさだった。どんな服であっても、彼女は着こなせてしまうらしい。
(いやいやいや……似合っていても、やはりこれは駄目だろう……)
ジルベルトは頭を抱えながら、慎重に説得を試みる。
「フィオレンティナ嬢。とても似合ってはいるのだが、メイド服を着るのは遠慮してもらいたい」
「まあ……なぜですの?」
「そうですよジルベルト様。こんなにも可愛らしくてお似合いではありませんか」
リリアンが、フィオレンティナの肩を抱いて加勢する。その姿はメイドの後輩を庇うかのようだ。
しかし、似合うかどうかはまた別の問題。
ノヴァリス伯爵家当主として、これを見逃しておく訳にはいかなかった。
「フィオレンティナ嬢には、エルミーニ侯爵家のご令嬢という立場がある。その服を着せることは出来ないんだ」
メイド服は使用人の着る服だ。格上の貴族令嬢である彼女に、おいそれと着せておくわけにはいかなかった。たとえ本人が気に入っていようとも。
ジルベルトの言葉にフィオレンティナはしょんぼりと俯き、「仕方ないですわね……」と呟いた。今回はすんなりと分かってくれたようだ。自分が侯爵令嬢である自覚はあるとみえる。
「けれど……申し上げたとおり、わたくし着替えがないのです。メイド服なら洗い替えが沢山あるようですから、ご迷惑にならないかと思いましたの」
「リリアン、普通の服を貸すことはできるか?」
「もちろんです。ただ、下着なんかは貸し借りできませんし……フィオレンティナ様のためにも、一度買い出しに行かなければなりませんね」
下着に、お化粧品に、防寒着ももう少し。あとは細々とした物も――リリアンが、必要なものを指折り数え上げていく。
(そうか、下着……確かに必要だ。しかし化粧品とは、何が要るんだ……?)
それらはジルベルトにとって、めくるめく未知の世界だ。服さえあればなんとかなると思っていたらとんでもなかった。
母が早くに亡くなり、細かいことなどは古くから勤めてくれている使用人達に任せきりにしてしまっている。
まして女性の身の回り事情となると――ジルベルトでは全く役に立たない。
「……それはデルイエロの町で揃うのか?」
「ええ、ひと通りは大丈夫でしょう。幸い晴れてますから、今日中に行っておいた方が良いですね」
「分かった……が、リリアン。お前も付いてきてくれると頼もしいのだが」
デルイエロは、ノヴァリス伯爵家からほど近くにある町だ。
困り果てたジルベルトは、もう単刀直入にリリアンを頼ることにした。町へ行ったとしても、ジルベルト一人ではそれらー買い揃える自信が無い。
しかしリリアンも同じく困ったように眉を下げる。
「とは言われましても、積もった雪で荷馬車は動きませんし、私は馬に乗れませんから……難しいですね」
「そうか……となるとやはり俺一人で何とかするしか」
「なら、わたくしがご一緒いたしますわ」
突然、ジルベルトとリリアンの話に、フィオレンティナが割って入った。
ピンと背筋を伸ばし挙手をする彼女は、やる気に満ち溢れていた。
「フィオレンティナ嬢が?」
「わたくし、馬に乗れますの」
「知っている。あれは乗れるなどというレベルではない気もするが」
「わたくしなら、ジルベルト様と一緒に町まで行けますわ」
「それは……そうだが……しかし……」
ジルベルトは、チラ、と足元に目をやった。
ソファの下には父の愛読書が隠してある。王都のあれやこれやが面白おかしく書き散らかされたゴシップ誌だ。
それには王子の元婚約者であり『性悪』な有名人、フィオレンティナ・エルミーニについて書かれているらしい。
父が読んでいるということは、デルイエロの町でもきっと読まれているに違いない。侯爵令嬢フィオレンティナ・エルミーニの名は、こんな田舎町でも広まっていることだろう。悪い意味で。
「リリアンは良くて、わたくしが一緒に行くのは駄目ですの?」
「そういうわけでは無いんだが……」
歯切れの悪いジルベルトを、フィオレンティナが疑わしげにジト……と睨む。
けれど、もし彼女を町まで連れて行き、彼女が『フィオレンティナ・エルミーニ』その人であると知れてしまったら――そう思うと気が進まない。
王都から遠く離れた土地に来てまで『性悪』な元婚約者だと騒がれるのは、フィオレンティナだって辛いのではないだろうか。
もとより、見た目も能力も人並み外れているのだ。目立つことは前提にしても、特定されてしまうことは避けておきたい。
「なら、フィオレンティナ嬢……あなたを町に連れていくために、ひとつだけ条件がある」
「条件?」
「名を名乗らないことだ」
そう言ったジルベルトを、真顔のフィオレンティナの瞳がじっと見つめる。
町で名を名乗るな、なんて気を悪くさせてしまったかもしれない。暗に『その名は評判が悪い』と言っているようなものだろうから。
しかしフィオレンティナにとっては、それがこの土地で平和に暮らすためには最善であって――
(……ん? 俺は彼女を、いつまでここに置くつもりだ?)
いつの間にか、フィオレンティナのものを買い揃えることになっていて。そのうえ、彼女には嫌な思いをさせたくないと、そんなことまで考えている。
己の流されやすさに愕然とする。
つい今朝まで、彼女に「早く帰れ」と言っていたのは誰だ。自分だ。
「……ジルベルト様がそうおっしゃるのなら、そのようにいたしますわ」
フィオレンティナは条件の理由を追求することもなく、にっこりと微笑んだ。
 




