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憧れの場所

 フィオレンティナが遥か彼方へ放った、ブラックのボール。


 まず我に返ったのはブラックだった。ボールが忽然と姿を消したため、ワンワンと吠え出したのだ。

 その鳴き声に、ジルベルトもやっと頭が冷えて。ひと通り敷地内を探しては見たものの、とうとうボール見つからなかった。


(仕方がないな……)

 

 ジルベルトはボール探しを中断し、中腰であった身体をグッと伸ばした。

 あのボールはブラックのお気に入りであったが、これだけ探しても見つからないならもう諦めるしかない。春になり雪が溶ければ、いつかひょっこり出てくることだろう。


「も……申し訳ないですわ……」


 同じく我に返ったフィオレンティナも、半べそをかきながら延々とボールを探していた。調子に乗ってしまった自分に、責任を感じているらしい。

 

 しかし、晴れているとはいえ冬のアルベロンドは身も凍る寒さだ。彼女の鼻は赤く、あの長いまつ毛はもしかすると凍っているのではなだろうか。そろそろ暖かい部屋へ連れていかねばならない。


「もうかまわないと言っているだろう。ブラックには新しいボールを用意してやる」

「でも……」

「それに、フィオレンティナ嬢の投球は一見に値するものだった。ボールと引き換えに見ることができたと思えば安いものだ」


 実際、ジルベルトは先ほどのフィオレンティナに衝撃を受けた。まさか令嬢の手からあのような瞬速が繰り出されるなんて、誰だって考えもしないのではないか。ボールは惜しいが、良いものを見たとすら思う。

  

 しかしフィオレンティナはというと、また褒められて嬉しいような、申し訳なくて手放して喜べないような、複雑そうな表情を浮かべている。その気持ちは分からなくもない。


「わたくし、ジルベルト様を前にすると、どうしても我慢がききませんの……」

「確かに、我慢できないようだな」

「ブラックに申し訳ないですわ……」


 当のブラックはというと、探しているうちにボールのことなど忘れたようで、今は雪の中を駆け回っている。彼の無邪気さには救われる思いだ。

 

「昔から、身体を動かすことは好きなのです。夢にまでみた北の大地アルベロンドで、ジルベルト様にお会いできて、こうしてのびのびとボール遊びもできて……やはりここは素晴らしい場所でした」

「……君は、ここに来たかったのか?」

「ええ、ずっとずーっと、憧れておりましたの」


 フィオレンティナはやっと顔を上げると、向こうにそびえる屋敷を眩しそうに眺めた。

 雪に負けぬようレンガで丈夫に造られた、古くて大きいだけの屋敷だ。憧れるようなものではないが――


「そうか。では良い思い出ができたな」

「ジルベルト様……」

「あなたがどうやってここまで来たのか分からないが、少し駆ければ宿場町まではすぐだろう。幸い、今日は天気も良い。明るいうちに出て行ってくれないだろうか」


 規格外で人懐っこいフィオレンティナに、思わず絆されてしまうところだった。危なかった。

 

 彼女はアルベロンド(ここ)を「憧れ」と言った。もしかすると、地図か何かでここのことを知ったのかもしれない。

 雪国、大自然、ストレスの無い田舎暮らし。都会に疲れた令嬢なら、そのような土地に夢を見てもおかしくは無いだろう。

 そしてアルベロンドのこと調べるうちに、未婚であるノヴァリス伯爵家当主ジルベルトに辿り着いた。「憧れ」に夢を見て、ジルベルトと結婚すれば――と思い込んでしまったのではないだろうか。

 

 しかし北国の暮らしは「憧れ」だけでやっていけるものでは無い。

 冬になればこうして雪に覆われ、厳しい寒さの中を生きていくことになる。身動きも取れない不便な生活が、都会で暮らす令嬢に務まるとは思えない。それも、結婚してしまえば一生だ。


 だから、ジルベルトは『ご令嬢』が来ても困るのだ。

 たとえフィオレンティナのように、明るく、美しく、物怖じしない――妻に相応しい女性であっても。


「わ、わたくしは、ジルベルト様のおそばに居たいですわ……」

「こちらは縁談を了承していない。いきなり来て居座られても困るんだ。アルベロンドには、またじきに雪が降る。吹雪にもなるだろう、そういう土地だ。そうなればフィオレンティナ嬢は長い間帰ることが出来ない。ここでの生活に飽きて都会へ戻りたくなったとしても、簡単には帰れない。今、帰ったほうがあなたの為だ」


 ジルベルトは彼女の肩にその手を置き、瞳を合わせて言葉を伝える。

 憧れに惑わされたフィオレンティナに、北国の厳しさを懇々と説明をした――つもりだった。

 しかし。

 

「……ジルベルト様は、心配してくださっていたの?」

「は?」

「わたくしのために……?」


 ジルベルトの説得とは反比例するかのごとく、先程までしょんぼりと萎んでいた彼女の瞳は、みるみるうちにキラキラと光を取り戻した。

  

「帰りたくなったら――なんてそんなこと有り得ませんから、どうかご安心くださいませ。わたくしは一生をここで終える覚悟で参りましたのよ」


 なぜだ。帰るよう促したはずだったのだが、フィオレンティナは完全に復活してしまっている。


「わたくし、ファーストキスの責任は取らせていただきますわ。絶対に」


 勢いを取り戻した彼女は、ジルベルトをきつく抱きしめた。

 防寒着の上からでも感じる力強さからは、彼女の覚悟が伝わってくるようだった。

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