フィオレンティナは帰せない
「あの女、王家の奴らに連れ去られてしまったの」
メリッサの額から、つつ……と一筋の汗が流れた。
それは冷や汗か、必死に走ってきた証拠か。早く伝えなければと息を切らす彼女の言葉には、疑う余地が無くて。
「連れ去られた……?」
あの女とはフィオレンティナのことだろう。
デルイエロの町で、フィオレンティナが王家の者達に連れ去られた。
身体から血の気が引いていく。
「メリッサ……詳しい話を聞かせてくれないか」
「いいけど、早く追いかけてあげなさいよ!」
メリッサは顔の痕を擦りながら、当時のことを話し始めた。
ノヴァリス伯爵家を一人きりで出たフィオレンティナは、問題なくデルイエロの町へと到着した。
その際、親切な住民達が、フィオレンティナと少女を引き合わせてくれたようだった。おかげで、無事に少女と合流することができたらしい。
しかし会えて安堵したのも束の間、町に突然、蹄の音が響いた。
何事かと思えば、大柄な男達が馬に乗ったまま町へと入り込んでいた。
彼等のマントには王家の紋章。それはこの男達がはるばる王都からやって来た王家の遣いであることを意味している。
『ノヴァリス伯爵家はどこだ?』
男達は、ノヴァリス伯爵家の屋敷を探しているようだった。
彼等は、我が物顔で町の広場を踏み荒らす。花壇を踏み、美しい煉瓦道を抉り……広場に居合わせた住民達を威圧する。
住民達は恐ろしさに固まったが、決して伯爵家の場所について口を割るものはいなかった。たとえ王家の遣いであっても、このような狼藉者達に情報を与えるわけにはいかない。
『フィオレンティナ・エルミーニはノヴァリス伯爵家へ向かったとのことだ。彼女はそこで匿われているはずだろう』
彼等の目的はフィオレンティナのようであった。
彼女は王都を追放されたはずだ。なのになぜまた王家に捜索される必要があるのだろうか。
住民達が納得できないまま、彼等の横行は続く。
『居場所を教えないとなれば、王家に協力しないノヴァリス伯爵家も反逆罪として上に報告させてもらうことになる』
卑怯にも、男達はノヴァリス伯爵家を囮にした。
そんなことをしたら、フィオレンティナは黙っていられないに決まっている。
『貴方達、何を仰っているの!?』
フィオレンティナは少女を住民達に託し、一人で広場へ飛び出した。
目の前に出ていくなんて、男達の思うつぼだ。しかしフィオレンティナはそういう人だった。
正義感が強く、度胸があり、きっと誰よりもノヴァリス伯爵家を――ジルベルトのことを、守りたいと思っている。
『わたくしとノヴァリス伯爵家は関係ありませんわ』
『こちらとしてはフィオレンティナ様に来ていただきさえすれば、ノヴァリス伯爵家に関しては不問に致しますが。どうされますか?』
男達の提案は、下劣だった。
答えをフィオレンティナに委ねる形ではあるが、実質は脅迫のようなもので。
『行きますわ。行きますから……ノヴァリス伯爵家には、絶対に手を出さないで。金輪際、この町にも入らないで』
そうしてフィオレンティナは、満足げな男達に連れられ、町を出た。
『みなさん……わたくしのせいでお騒がせしてごめんなさい』
去り際に、悲しい微笑みを残して。
「この頬は、男達を注意したら打たれたの。痕が残っちゃったわ。もう最悪……」
「メリッサ、あなた意外とやるじゃない? 見直したわ」
「だって許せないでしょ。私、こう見えてあの町への愛情はあるの」
ジルベルトは、リリアンとメリッサの会話をどこか上の空で聞いていた。
「それにあの人、やけにあっさり出ていっちゃったんだもの。町とノヴァリス伯爵家を庇ってあんな男達に連れてかれるなんて、そんなの……」
メリッサは声を震わせ、それだけ呟くと口を噤む。
デルイエロの町からノヴァリス伯爵家までは、馬でおよそ半刻ほど。
メリッサが馬に乗り、ノヴァリス伯爵家まで駆けつけた――となると、フィオは最低でも半刻前には町を出たことになる。
「メリッサ、恩に着る。奴らはどちらに向かったか分かるか」
「さあ……南に進んでるんじゃないかしら。あいつらが北に進む理由はないでしょ」
(南……)
ずっと南へ下っていけば、やがて王都へ辿り着く。
フィオがやっとの思いで逃げ出した、忌々しい場所だ。
そんなところへ、彼女はまた連れ戻されようとしている。
(……そんなことはさせない)
フィオレンティナを王都へ帰すわけにはいかなかった。
彼女は、ジルベルトと結婚したいと言っていたのだ。ここにずっといたいと、そう望んで――
何より、ジルベルト自身が、フィオレンティナを手放せない。
頭が、正気を失っていく。
ジルベルトは猟銃だけを手に取ると、脇目も振らず屋敷を飛び出した。




