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彼女は何者

「わたくし――あの子達の言葉が分かるのです」


 フィオレンティナが、耳を疑うようなことを口にした。思わず、眉間にシワが寄る。

 父を横目でチラリと見てみたが、彼も同様に眉を寄せている。理解の範疇を越えてしまって混乱しているのだろう。

 

 ジルベルトとしても「正気か」と真顔で問い詰めたいところだが、こちらをまっすぐに見つめる彼女の顔は大真面目だった。思わず本気にしてしまいそうになるほどに。


「そんな――馬鹿なことがあるものか」

「……そうですわね、馬鹿な冗談を申しました。でもそのくらい、昔から勘が良いのです。信じてくださる?」

「あ、ああ……」


 どのような仕組みであるのか分からないが、彼女の勘は鋭いらしい。現に、ブラックが父親になること――ヘーゼルが身篭っていることを、いとも簡単に言い当てたのだ。只者ではない。


「加えてお節介を申し上げますと……今晩は、気をつけたほうがよろしくてよ」

「――それはなぜだ?」

「お子が産まれるでしょうから」


 そう言うとフィオレンティナはにっこりと微笑んで、再びブラックを撫で始めた。

 信じ切れないジルベルト達を置いてけぼりにして。



◇◇◇



「ジルベルト様。あのお嬢様はすごいですよ」


 翌朝の食堂では、メイドのリリアンが感嘆の声を上げていた。昨夜のフィオレンティナについてだ。


「本当にヘーゼルは産気づきましたし、出産後もご令嬢とは思えないほどの手際の良さで……!」


 フィオレンティナの予言めいた忠告を受け、昨夜は念の為に厳戒態勢を敷くこととなった。屋敷の者達で交代制をとり、夜通しの番をしたわけだ。


 すると夜も更けた頃、本当にヘーゼルの陣痛が始まった。

 陣痛に苦しむヘーゼルの部屋の外には、いつの間にかちゃっかりとフィオレンティナも待機していて。部屋を暖めたり敷布を用意したりと、メイドに混じってあれこれ気を回しては走り回った。

 

 ヘーゼルは幸いにも人の手を借りることなく、五頭もの元気な子を産んだ。今は暖かく保たれた小部屋で、生まれたばかりの子犬と共に産後の疲れを癒しているところだろう。


「――それで、彼女は今どこに?」


 昨夜フィオレンティナには客間を用意したのだが、結局あのような騒ぎになってしまった。

 遠路はるばる馬を駆けて来たというのに、眠りにつく暇もなかったのではないだろうか。どんなに怪しい人物とはいえ、ノヴァリス伯爵家に来た客人がそれではいけない。

  

「フィオレンティナ様はもう朝食も食べ終えたので、ブラックと一緒に厩舎へ行くと仰っておりましたよ」

「厩舎?」

「昨日乗ってきた馬の世話をするとかで――」




(彼女自ら馬の世話をするというのか……)

  

 ノヴァリス伯爵家の厩舎は、屋敷の裏手にあった。

 レンガでできた厩舎には、よく世話をされた馬が五頭ほど。そのうち一頭はフィオレンティナの馬で、皆そろって朝の草を食んでいた。

 

 手早く朝食を終えたジルベルトはフィオレンティナの様子を確認しに来たのだが、入口から厩舎を覗いてみても彼女らしい姿は見当たらない。


(いないな……)


 彼女が乗ってきた栗毛の馬は、すでにブラシをかけられた後のようだった。ツヤツヤと美しい毛並みから、日頃からよく手入れされていることがよく分かる。いい馬だ。


 そういえば、昨日見た馬の扱いも素晴らしいものがあった。

 雪道にもかかわらず猛烈なスピードで飛ばしたうえ、叫びながら手を振るあの余裕。そしてこちらに逃げる隙も与えぬほど身軽な着地は、よほど馬に慣れていないと出来るものでは無い。


(彼女は……一体、何者だ?)


 あの神々しいほどの見た目。加えて、丁寧過ぎる話し口調や洗練された礼儀作法などは、どこをどうとっても貴族令嬢で間違いない。

 

 けれどジルベルトのイメージしていた貴族令嬢とは、何もかもがまるで違って見えた。

 指輪もネックレスも身につけず、極寒の中で馬にまたがる。動物達の世話までも嬉々として行なうその姿は、実に令嬢らしからぬものだった。それに。

 

『すんげ~性格の悪さだということだ……』

 

(父よ、話が違うのではないか……?)


 己の目で見たフィオレンティナと、父から聞いたフィオレンティナが同一人物とは思えない。それとも今は見えていないだけで、とんでもない性悪な一面があったりするとでもいうのだろうか。想像し難い。


 考え事をしながら厩舎を出ると、足元にコロコロとボールが転がってきた。藁を布でくるんだ軽いボールは、ブラックのお気に入りだ。


「ジルベルト様ー!」

  

 顔を上げたその先で、ふわふわの防寒着に身を包んだフィオレンティナが大きく手を振っていた。

 昨日眠れていないにも関わらず、彼女は満面の笑顔だ。

 

「そのボール、こちらへ投げて下さいませー!」

 

 彼女の足元では、ブラックがちぎれんばかりにシッポを振りつつ、このボールを待っている。


 ブラックはボール遊びが好きだった。フリスビー然り、投げられたボールも見事に口でキャッチする。そしてその口にくわえたボールを持ってきては、もう一回、もう一回……と終わりなきボール遊びが続くのだ。

 一度始めたら最後、肩が上がらなくなるまでボール遊びは続けられる。


 もしかして、フィオレンティナはこんな朝からボール遊びをしてくれていたのだろうか。

 そうだったなら、令嬢の華奢な腕にはかなり堪えるものなのだが。


「……よし、いくぞブラック」

 

 ジルベルトは、軽くボールを投げた。

 ふわりと弧を描いて落ちてきたボールを、ブラックがジャンプキャッチする。


「まあっ! 上手ですわブラック!」


 フィオレンティナは大袈裟なくらいにブラックを褒めた。すると彼は、くわえたボールをフィオレンティナの足元へポトリと落とす。

 もう一度投げてくれ、ということなのだろう。

 

「こら。だめだブラック。ボールは俺が……」

「いえ、構いませんのよ。さあ、ブラック。投げて差し上げますわ」


 いきますわよ! と高らかに声を上げると、フィオレンティナはおおきく振りかぶり――勢いよくボールを投げた。


「何!?」

 

 彼女の手から離れたボールはぐんぐんと飛距離を伸ばし、厩舎の向こうへポトリと落ちる。ブラックは一瞬ボールを見失ったあと、急いでその後を追いかけた。


「……すごいな」

「えっ! ジルベルト様、もしかして今……褒めてくださいましたの!?」


 彼女はこちらを振り返り、大きな瞳をキラキラと輝かせながら走り寄る。その顔には分かりやすく「嬉しい!」と書かれてあった。

 

「ああ、褒めた。すごいな。令嬢にしておくには惜しい」

「それって褒められているんですの?」

 

 ボールをくわえたブラックが、雪を蹴りながら二人の元へと走ってくる。そしてそのボールは再びフィオレンティナの足元へと落とされた。


「……あの! わたくし、もっと出来ますのよ! もっと遠くに!」


 フィオレンティナからは、しつこいくらいに「見て!」という圧を感じる。仕方がないので、ジルベルトは腕を組みながら彼女の投球を見守った。

 

 気を良くしたフィオレンティナは、先程よりさらに大きく構えると――その華奢な腕で風を切る。


「見ていて下さいませ! ジルベルト様!」

「おい……待っ……」


 小さな手から離れたボールは、高速回転しながら遥か遠くへ飛んでいく。

 そのボールはやがて肉眼では分からないほど小さくなり――白い景色に溶けてしまった。もうどこへ行ってしまったかも分からない。

 

 ジルベルトとブラックは、ボールが飛んで行った方向を呆然と見つめるしかなかった。ブラックのシッポが、しおしお……と垂れていく。

  

「見てくださいましたか!? 凄いでしょう!」

「あ、ああ……すごいな」

「また褒めて下さった! 嬉しいですわ!」

 

 ジルベルトが少し褒めただけで、フィオレンティナは両手を上げて飛び上がる。

 

 その人懐っこい喜びようが、まるで小型犬のようだとジルベルトは思った。  

 

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