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身勝手な指先


「さすがに疲れましたわね……」


 ノヴァリス伯爵家の屋敷へと戻ったジルベルトとフィオレンティナは、リビングのソファへと沈み込んだ。

 すぐ隣ではブラックが遊びたそうにシッポを振っているけれど、今日のところは勘弁して欲しい。また明日、ブラックの気が済むまで遊び相手をするしかない。


「すまないなブラック、また明日だ」

「あら……よろしければ、ジルベルト様に代わってわたくしがボール投げのお相手を――」

「いや、フィオは部屋でゆっくり休むといい。君こそ疲れているに決まっている」

 

 デルイエロの町と屋敷を往復しただけで、こんなにもくたくたになってしまうなんて。

 

 二人が疲れ果てているのは、なにもメリッサと睨み合ったせいではない。

 あの後、住民達への対応に追われていたからである。サインを延々と、何枚も何枚も……


「結局、サインは何枚くらい書いたんだ?」

「さあ……もう、数える暇もありませんでしたわ」

 

 フィオレンティナのサインを欲しがる行列は、伸びに伸びた。

 その行列も最初は子供だけであったのが、そのうち大人の姿も混ざるようになり――やがて人が人を呼び、フィオレンティナの周りは人だかりで埋め尽くされてしまった。

 書き始めてしまったからには途中でやめるわけにもいかず、結果として、フィオレンティナはくたくたに疲れるまでサインを書くことになってしまったのである。


「止めることが出来ず、すまなかった。皆フィオに興味があったようだ」

「そのようですわね。わたくしの悪名高さったら、想像以上でしたわ」


 フィオレンティナはそう言って自嘲気味に笑うけれど。

 ジルベルトは、隣からずっと見ていた。フィオレンティナを見上げる少女の眼差しや、サインを手渡された少年の笑顔、フィオレンティナに見惚れる住民達の表情を。

 最初こそ『エルミーニの薔薇』として興味を持たれたのかもしれないが、彼等の顔に、もう壁を感じることはなくて。


「……君と話せば、ゴシップ誌に書かれていることは嘘であると分かる」

「えっ、そうでしょうか」

「ああ。俺はそう思う」


 ジルベルトだってそうだった。フィオレンティナが『性悪令嬢』と呼ばれていると知っても、そのことが信じられなかった。

 

 実際目の前にいる彼女は、決して悪名を轟かすような人物ではない。

 たとえ子供であっても分かっただろう。フィオレンティナに話しかけるあの瞳の輝きを見れば、一目瞭然である。


「――実はあの少女に、今度おうちに遊びに来て、と誘われましたの」

「ああ。行ってやるといい、きっと喜ぶ」

「もしよろしければ、ジルベルト様も一緒に来てくださる? わたくし、子供を怖がらせたらと思うと……」


 彼女はもじもじと戸惑いを隠せないでいる。

 フィオレンティナ・エルミーニとして生きてきて、遠巻きに噂され、距離を取られることはあっても、こうして誘われることには慣れていないのかもしれない。

 そのような姿さえ微笑ましい。

 

「一緒に行ってもいいが……もう、彼等がフィオを怖がるようなことなど無いだろう」

「でもわたくし、サインを書いただけですのよ?」

「そうだな。君が、皆へ平等にサインを書いたおかげだな」


 彼女は、誰であってもわけ隔てなくサインを書いた。

 そのおかげで、住民の多くと言葉を交わせたのではないだろうか。


 メリッサが広めた噂は、瞬く間にデルイエロの町中に広まった。今回のことも、住民達によってすぐ広まっていくことだろう。そうして噂など、消え去ってしまえばいい。


「子供の目は確かだ。君を怖がってなどいなかった」

「そうかしら……」


 フィオレンティナは、照れくさそうに指先を弄んだ。あの少女のクレヨンで汚れた、美しい指だ。

 ジルベルトは彼女の指先を手に取ると、まじまじと見つめる。

 

「ずいぶん汚れたな」

「え、ええ……」

「よく手を洗ったほうがいい。彼等から、手も握られていただろう」


 彼女はサインだけでなく、住民たちから握手まで求められた。

 求められるまま拒むこともなく、誰彼構わず手を握られていた気がする。そのことについては、一言忠告しておかなければならないと思っている。


「フィオ。男に、手を握らせてはいけない」

「え?」

「『握手』という名目で手に触れられるとなっては、それを言い訳にして触りたがる男が増えるだろう。そうなると、また君に対する余計な評判が立たないとも限らない」

「そんな、まさか」

「いや、君の手は美しい。性的な目で見られてもおかしくない」


 実際、握手を求める男は多かった気がする。そして一度手を握ってしまえば、ずっとその手を離さなかった……ような気もする。

 彼女の手の甲を撫で回した男なんかには、制裁を加えてやりたかった。そんな男共に、再び近づかれてはたまらない。


 (今日だけで何人に触られた? やはり、俺が邪魔すればよかったか。しかし――)


 彼女の手に触れた男達の顔を思い出すだけで、どうしようもなく腹立たしくなる。

 そんなジルベルトを不思議そうに見つめていたフィオレンティナは、おもむろに口を開いた。

 

「……ジルベルト様も男性ですけれど、よろしいのですか?」

「何か?」

「先程からわたくしの手、ずっと握っておりますわ」


(は……?)


 その言葉にようやく、自身の手を見下ろした。

 

 確かに己の手は、フィオレンティナの手をしっかりと握っていた。

 細くしなやかな指の一本一本を確かめて、華奢な関節をなぞり、クレヨンで汚れた爪を慈しみながら。

 

 今日見た男達の中でも、群を抜いてしつこい触れ方であると言える。

 愕然とした。何をしているのだ、自分は。


「嫌だったか……! すまない、無意識だった」


 思わず手を離そうとするジルベルトを、フィオレンティナは素早く捕まえた。

 そして両手で、ジルベルトの手を包み込む。


「嫌なわけありません」

「そ、そうか……」

「わたくし、嬉しいのですわ。ずっと握っていてくださいませ」


 フィオレンティナが、そうやって笑いながら許すから。

 身勝手なジルベルトは、つい彼女の手を握り返した。

 

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