結婚しちゃえばいいのに(リリアン)
「お、お帰りなさいませ……」
屋敷へ戻ってきたジルベルトとフィオレンティナに、メイドのリリアンは目を疑った。
二人が、手を繋いでいるのだ。
どうにも妙な雰囲気を携えて。
(え……一体、何があったの……?)
フィオレンティナがジルベルトの腕に絡みついているなら、まだ分かる。
でも違う。これは間違いなく、互いに手を繋いでいる。
というか……ジルベルトの大きな手が、フィオレンティナの小さな手をしっかりと握っているように見えた。まるで「俺のものだ」と言わんばかりに。
「ず……随分と遅かったのですね? お寒かったでしょう」
「ああ、フィオがボールを探してくれていた。リリアン、なにか温かい飲み物を頼めるか」
「は、はい。只今お持ちいたします」
リリアンは狼狽えながらも、あらかじめ用意しておいたブランケットをジルベルトへ手渡した。
するとジルベルトは、そのブランケットをフィオレンティナにフワリと被せた。それはもう、大切な何かを包み込むように、やわらかく。
(うっそでしょう、ジルベルト様……??)
こちらの動揺を気取られぬよう、目だけで彼等を追うけれど。
リリアンには今見ている光景が信じられなかった。そこはかとなく醸し出される甘い空気に、穏やかな眼差し。その目は、まっすぐにフィオレンティナを見つめている。
そこにいるのは紛れもなくリリアンの主であるはずなのに、まるで人が変わったようで。
「ありがとうございます。でもジルベルト様のお身体も冷えておりますわ。わたくしだけこのような……」
「無理をするな、風邪をひいては困る。さあ暖炉へ」
過保護なほどフィオレンティナを気遣うジルベルトは、さらにフィオレンティナの肩へ手を添えた。
そしてそのまま二人並んで、暖炉のあるリビングへ向かって歩き出したのだった。
――リリアンは彼等の後ろ姿を見送りながら、口がポカンと開いたままであったことに気付いた。
(はっ……そうだ、お飲み物を頼まれていたんだった……! フィオ様に、なにか温かいものを)
我に返り、パタパタと厨房へ急ぐ。途中、廊下を速足で進みながら自分の頬を軽く叩いた。気の抜けた顔を元に戻すために。
二人を見ていた自分の顔は、きっと相当間抜けであった。なぜなら、ジルベルトに肩を抱かれるフィオレンティナ当人も同じ顔をしていたからだ。隣からジルベルトを見上げる目には驚愕の色が浮かび、口も唖然と開いたまま。
(フィオ様まで……よほどびっくりしていらっしゃったんだわ)
手を握られた嬉しさよりも、肩を抱かれたときめきよりも、驚きが勝ったのかもしれない。でなければ、ニコニコと喜んで抱き返すくらいはしそうな人なのに。
あのフィオレンティナが、大人しく肩を抱かれたままなんて。まさかジルベルトが、こんな甘い男だったなんて――
リリアンが温かいミルクティを持ってリビングへ戻ると、ちょうどジルベルトがフィオレンティナの部屋について切り出しているところだった。
「えっ……わたくしの部屋を、用意して下さるんですの……?」
「ああ。ずっと客間にいては落ち着かないだろう。俺は二階奥の部屋はどうかと思っているんだが」
今朝、ジルベルトと相談していた例の部屋だ。
彼の部屋と同じフロアでは無いものの、互いに気配を感じ取れるほど近い部屋。そんな部屋を、フィオレンティナへ用意すると言う。
突然部屋を与えられることとなったフィオレンティナも、目を丸くして驚いている。
「どうした?」
「い、いえ、その……急なお話でしたので、心の準備が間に合いませんでしたの」
「なにをそんなに驚くことがある?」
「だって……」
リリアンは戸口で、ひたすらフィオレンティナを見守った。
彼女の困惑する気持ちがひしひしと伝わってくる。そもそも、うちの主は唐突過ぎるのだ。恋愛経験の無さが災いしてか、距離の詰め方が相当おかしい。しかもおそらく、本人にこれっぽっちも自覚はない。
だが、彼女に部屋を与えるなんてそれはもう――
リリアンもフィオレンティナも、考えていることはきっと同じだ。分かっていないのはジルベルトだけ。
「ジルベルト様、ついにわたくしを妻として迎えてくださるお覚悟が……?」
「妻!?」
「違うのですか? てっきりわたくしは、そのように思いましたわ」
(ですよね、フィオ様もそう思いますよね……!)
彼女へ部屋を用意するということは、これからもフィオレンティナをここへ住まわせるつもりであるはずだ。
それが『結婚』への覚悟であるのだと、リリアンもフィオレンティナもそのように察した。
はたから見れば、フィオレンティナを自分の保護下に置いておきたいという独占欲さえ感じられる。
しかし当の本人としては、そんなつもりではないらしい。
「俺はフィオに居場所を作りたいと、ただそれだけで――」
「部屋なんて与えられましたら、わたくしはもうずーーーーっとこちらに居座りますわよ?」
「ああ。そうすれば良いと思った」
「でしたらもう、妻でもよろしいのではなくて?」
フィオレンティナがそう言うと、その場に居合わせた者達は皆うんうんと頷いた。ジルベルト以外が。
リリアンも、そう思う。
もうフィオレンティナと結婚すればいいじゃないか。
なんだかんだで二人はお似合いだ。色恋に疎いジルベルトには、フィオレンティナくらい押しの強い相手が丁度良い。
現に、無意識とはいえ心惹かれているようであるし……彼女に部屋を与えて囲い込みたいと思うまでに。
「……妻と同居人とでは、まったく違ってくるだろう?」
しかし、ジルベルトは自身の本心に気づかない。
「違う……たとえば、どのように?」
「まず、君の名前が変わってしまう。君はフィオレンティナ・ノヴァリスになる」
「まあ素敵! 夢のようですわ」
「ノヴァリスを名乗れば、俺のパートナーとして認知されることになるんだぞ」
「わたくし、そうなりたいですわ」
ジルベルトは忠告しているつもりなのかもしれないが、フィオレンティナにとってそれらは全てご褒美のようなものだった。
結婚することによって名前が変わることも、ジルベルトのパートナーとして隣に立つことも。彼女は最初からそれを望んでいるのだから。
「そ、それに、夫婦は愛し合うものだ。そう簡単に結婚など――」
「……わたくしはジルベルト様のことを愛しておりますわ。ジルベルト様はわたくしのこと、愛せないと仰いますの?」
傷付いたようなフィオレンティナの表情に、ジルベルトは突然立ち上がった。
「そのようには言っていない!」
強く否定したその声は、ぎょっとするほど大きくて。
ジルベルトの焦った声はブラックを驚かせ、ブラックの鳴き声が引き金となって屋敷のあちこちで犬達が吠え始めた。
遠吠えが遠吠えを呼び、屋敷中にこだまする。
もう何が何だか分からない。
「まあ……大合唱ですわね……」
「すまない、つい……」
(もう、早く結婚しちゃえばいいのに……)
屋敷に響き渡る犬の遠吠えを聴きながら、リリアンはそう思った。
 




