女達の修羅場(フィオレンティナ)
「あなたは確か、昨日お会いした……」
「メリッサよ! 名前くらい覚えなさいよ、失礼ね!」
エントランスには、腕を組んだメリッサが立っていた。
メリッサは鋭い目つきでフィオレンティナを睨んでいる。ジルベルトのそばからフィオレンティナを排除したいという、底意地悪い女の目だ。
ただし、この目つきには王都の生活で嫌というほど慣れている。彼女には申し訳ないが負けるつもりは毛頭無かった。
「フィオ様。メリッサはこうやって時々、女主人きどりで屋敷にやってくるのです」
「女主人きどり……?」
「使用人の働きぶりとか、屋敷の具合なんかをチェックしに来るのですよ。近い将来住むことになるからって……これってどう思います?」
後ろに控えるリリアンが、耳元でコソコソと囁いた。
「どうって……今のところ、ジルベルト様とはただの知り合いなのでしょう? なぜ屋敷のチェックを……?」
「ですよね? おかしいですよね?」
「ちょっとあなた達! 聞こえてるけど」
目を吊り上げたままのメリッサは、つかつかとこちらまで近付いてくる。敵意を剥き出しにして興奮しているものだから、顔は紅潮し鼻の穴が膨らんだ。
(せっかく可愛らしい顔をしているのに、このような顔をなさるなんて……勿体ないですわね)
フィオレンティナはメリッサに少し同情しつつ、迎え討つため探りを入れる。
「ごきげんようメリッサ様。おそらく、今日はわたくしに帰れと言いに来たのでしょう?」
「……そうよ! 突然現れてノヴァリス伯爵家に居座るなんて図々しいにも程があるわ。ジルベルト様のおそばには私一人で充分なの。だって私は将来、ノヴァリス伯爵家の――」
「わたくし、ジルベルト様を愛しておりますの。こちらへは、ジルベルト様の妻になりたいと思って参りました」
「なっ……!?」
「メリッサ様がなにを仰られても、帰るつもりはございませんわ」
フィオレンティナは、メリッサに向かってキッパリと宣言した。先制攻撃だ。
メリッサは持ち前の勝気な性格で周囲を牽制し続けてきたかもしれないが、逆に、面と向かって言い返された経験は少ないのではないか。
だからこそ、このように女主人気取りで大きな顔ができるのだ。――というのが、フィオレンティナの予想であるのだが。
メリッサの焦った表情を見るからに、その予想はあながち外れていないようだ。
だとしたら、こちらからも攻めるべきだとフィオレンティナは思った。妻の座は渡さない。
「なにも、今すぐ受け入れて頂けるとは思っておりませんわ。わたくしはいつまでもお待ちします。一年でも、五年でも、十年でも……ジルベルト様が振り向いて下さるまで」
「ば、馬鹿言わないでよ。私はもう何年もずっと待ち続けているのよ。私の方が先なのだからあなたが引くべきでしょ」
「そちらこそ可笑しなことを仰らないで。こういうことって早い者勝ちなのかしら、ねえ、リリアン?」
「えっ!?」
フィオレンティナは不意にリリアンを振り返った。
二人の修羅場を傍観していた彼女は、思いがけず話を振られて動揺している。
「は、早い者勝ちなどではありません! すべてジルベルト様のお心次第です!」
とりあえずリリアンという力強い味方からの加勢を取り、フィオレンティナはにっこりと微笑んだ。これで、メリッサの独壇場では無くなる。
(引くだなんてとんでもないですわ……わたくしにだって、妻の座を狙う権利は平等に在るはずですもの)
一方、リリアンの返事を聞いたメリッサは、悔しげにフィオレンティナ達を睨み続けている。
そっちがその気なら、とさらに畳み掛けようとした時――
「何をしている」
バチバチと火花散るエントランスに、ジルベルトが駆けつけた。
彼は長靴を履いており、厚手の服には雪で濡れたあとがある。どうやら、外で作業をしていた最中に、誰かからこの騒ぎを伝え聞いたようだ。
「これはどういうことだ」
「ジルベルト様、ここはわたくしが」
「いや、君は下がってくれないか」
血気盛んなフィオレンティナを、ジルベルトは手で制した。そしてメリッサの鋭い視線を遮るように、彼は前へと進み出る。
「……メリッサ。結婚の申し出については何度も断ったつもりでいたのだが、君には伝わっていなかったようだ」
「っ……納得できません! 私は将来、このお屋敷へ嫁ぐつもりでずっと……」
「我が家の客人や使用人達を睨みつけるような人間が、女主人としてやっていけるだろうか。俺はそう思わないし、そのようにしか出来ない君を妻として娶るつもりは無い」
ジルベルトからの決定的な言葉が、メリッサの顔を歪ませた。
これではもう、彼女にはチャンスすら無くなったことになる。メリッサの迷惑行為には長らく苦慮していたようではあるが、優しいジルベルトがこんなにも強く拒むなんて、フィオレンティナでさえ驚いた。
「もっと理由が必要なら、君が納得するまで説明しよう。奥で話をするか」
「……話は致しません。フィオとかいう女……あなた覚えてなさいよ」
メリッサはすれ違いざまに小さな声で呟くと、怒りに任せた足音を立てながらエントランスを後にした。
残されたフィオレンティナとジルベルト、そしてリリアンは目を合わせると、三人揃ってため息をつく。
「ジルベルト様、あの……ありがとうございます。間に入ってくださって助かりましたわ」
「いや、こちらこそ助かった。フィオレ……フィオ」
慣れないながらも、ジルベルトは律儀に「フィオ」と呼ぶ。そんなところが大好きだ。
大まじめな顔を見るだけで、愛しさが爆発する。我慢できずにジルベルトの腕へしがみつくと、珍しく彼が抵抗しなかった。
「……すまなかったな。また君に迷惑をかけた」
「迷惑?」
「メリッサはなるべく関わり合いたくない相手だ。しかし俺がメリッサとの話を避けていたことで、客人であるフィオにまで被害が及んだ。増長した彼女を放っておいた俺が悪い」
町で根回しをするだけでは飽き足らず、メリッサは今回、フィオレンティナを威嚇するためにわざわざやって来た。
こうしてフィオレンティナがメリッサの標的になったことで、ジルベルトは自分を責めた。
「なにを仰るのです。ジルベルト様は今、伯爵家当主として、わたくし達を守ってくださったではありませんか。わたくしもリリアンも感激いたしましたわ」
フィオレンティナが隣に並ぶリリアンへおおげさに目配せをすると、彼女もにっこり大きく頷いた。
「そのとおりですジルベルト様。これでメリッサも懲りたでしょう」
「そうだといいのだが……」
メリッサは去り際にも、フィオレンティナをぎろりと睨みつけた。
『覚えてなさいよ』と、捨て台詞を吐きながら。
仲良くなれない猫のようだと、フィオレンティナは思った。
「大丈夫ですわ。また来るようでしたら、わたくしが返り討ちにして差し上げますから」
「わっ、フィオ様たのもしい!」
「だが、無理をするな。彼女は何をするか分からない」
(また、心配して下さるのね……)
ジルベルトが好きだ。
呆れられても、帰れと言われても、身を引こうなどとは思えなかった。
彼の傍ににいられることは、奇跡のようなものだから。
その夜また夢を見る。
ずっと心の支えとなっている、フィオレンティナだけの幸せな夢だ。
まだ誰にも踏み荒らされていないフカフカとした新雪の上を、全力で駆けまわる。
雪は止み、一面に広がるのは白い空。足は凍りそうなほど冷たいけれど、身体はポカポカとあたたかい。
何よりも、走っているだけで楽しかった。息が切れても、雪で全身がびしょ濡れになっても、夢中で走った。
とにかく幸せで、ずっと外で走っていたくて。まだまだ屋敷へは戻りたくないから、何度もボールを拾っては少年の足元へポトリと落とす。
『しょうがないな……』
銀髪の少年は仕方ないと笑いつつ、こちらがボール投げに飽きるまで付き合ってくれる。
こうして、大好きな笑顔のそばに、ずっとずっといたいと思っていた。
その命が尽きるまで。




