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ゴシップ誌の夜

 その日の深夜。

 暖炉に火がくべられただけの薄暗いリビングに、ランプの明かりが灯される。

 

 小さな灯りを頼りにして、ジルベルトは冷たいソファに腰掛けた。

 手には本が一冊。それは父の愛読書――昼間、ソファの下へ隠しておいたゴシップ誌である。


(本当に書いてあるな。『性悪令嬢フィオレンティナ・エルミーニ、婚約破棄』……)


 かじかむ指で、そろりと表紙をめくってみる。

 普段ならゴシップ誌に興味の無いジルベルトであったが、今日ばかりはどうしてもこの目で確かめたくなった。 

 フィオレンティナが何をして『性悪』と騒がれているのか。王子の婚約者にまで上り詰めた彼女が、なぜ婚約破棄されなければならなかったのか。

 信憑性には欠けると分かっていても、情報はこのゴシップ誌からしか得られない。アルベロンドのような田舎では。

 

 街でメリッサに対して見せた、好戦的なあの瞳。

 フィオレンティナの堂々とした立ち振舞いの前では、あのタチの悪いメリッサが小物であるかのようだった。

 それはフィオレンティナが『性悪令嬢』と呼ばれている事実を裏付けるような気がして――


 ジルベルトはゴシップ誌の中からフィオレンティナの名前を見つけると、ランプを手に読み進めた。

 彼女の記事は、最新号の中でも大きくページを割いて特集されている。察するに、王都ではかなりの話題になっているのだろう。


【王子クラウディオ・ランベルディ、性悪令嬢フィオレンティナ・エルミーニとの婚約破棄を発表】


 見出しには、でかでかとそのように書かれてある。

 クラウディオ・ランベルディ――我がランベルディ王国の第一王子であり、歳は確か二十歳前後のはずである。

 一国の王子として婚約者はいて当然であるが、まさかそれがフィオレンティナであったとは。


【悪行の限りを尽くしたフィオレンティナ・エルミーニ――その美貌で男を誑かし、弄ばれた男は数え切れぬほど。贅の限りを尽くし、男達を喰い潰す『エルミーニの薔薇』の悪意は、留まるところを知らなかった】


【心優しき男爵令嬢マリエッタ・セルヴァは、傍若無人なフィオレンティナを庇い続けた。その慈悲深い姿に、王子クラウディオは心惹かれていくことになる】


【嫉妬に駆られたフィオレンティナは、ついにマリエッタ・セルヴァの命までをも狙った。到底許されることの無い行為に、王子クラウディオはとうとう婚約破棄を言い渡した】


【投獄されることと思われたフィオレンティナの処遇は、被害者であるマリエッタの温情より王都追放に留まった。今後、『エルミーニの薔薇』が華々しい表舞台へ戻ることは無いだろう】


【彼女に命を狙われた罪無き令嬢マリエッタ・セルヴァは、王子クラウディオに無事保護され、婚約者候補として王城に在留中である――】


(あのフィオレンティナ嬢が……男を誑かす……? 命を狙った……!?)

 

 ページをめくる指が震える。

『性悪』と言われる理由(わけ)など、せいぜい自分勝手だとか喧嘩っ早いだとか――そんなものだろうと軽く想像していたらとんでもなかった。

 ゴシップ誌に書かれてあったのは、()()()()()では済まされない罪の数々。もし書かれてあることが事実であったのならば、かたくなに帰ろうとしないフィオレンティナにも納得がいく。

 

(まさか……王都へ戻ったとしても、彼女には帰る場所が無いということか……?)

 


 

 

「……ジルベルト様、何をなさっているの?」

「! フィオレンティナ嬢」


 ゴシップ誌の内容を受け入れることが出来ないでいたところに、突然、声を掛けられ驚いた。

 真っ暗な廊下からフィオレンティナがこちらを覗き込んでいたのだ。

 ジルベルトは、手に持っていたゴシップ誌を慌てて隠す。

 

「……君こそ、こんな夜中にどうしたんだ」

「わたくしは出産したばかりのヘーゼルが気になりまして……ちょうど目も覚めたものですから、見に行こうと思いましたの」

「そうか、すまない」

「そこは『ありがとう』でよろしくてよ、ジルベルト様」


 フィオレンティナはにこにこと微笑みながら、ジルベルトのそばに歩み寄る。

 彼女が着ている丈の長いナイトドレスは、今日買ったばかりのもの。淡いピンクベージュの優しい色は、フィオレンティナが自ら選んだものだった。

 その上から毛布のように分厚いガウンを羽織ってはいるが、廊下は冷えたことだろう。鼻の頭がほんのりと赤くなっている。


「そうだな。ありがとう、フィオレンティナ嬢。暖炉で少し暖まっていくといい」

「……『フィオ』ですわ」

「は?」

「昼間、ジルベルト様が仰ったのではありませんか。わたくしのことを『フィオ』と呼ぶって。あれは嘘でしたの?」


 フィオレンティナは眉を下げ、しょんぼりとこちらを覗き込む。その表情はひどく残念そうで、言いようのない罪悪感がジルベルトの胸を襲う。


「確かに、町ではそう言ったが……」


 あれはメリッサの手前、彼女の名を誤魔化したい一心であって、愛称で呼ぼうだとかそういった意図はなかった。

 しかし、あの時に見たフィオレンティナの顔は忘れない。腕を絡ませた彼女は、目を輝かせて本当に嬉しそうだった。

 そしてジルベルトは思ったのだ。「これは期待させてしまった」と。

 拗ねるフィオレンティナは悪くない。咄嗟のこととはいえ、期待させた自分が悪い。


「――分かった。君のことはフィオと呼ぶ」

「ジルベルト様……!」

「ただし、俺だけではなく屋敷の者達にもそう呼ばせることにしよう。いいか?」


 こうなったら、父や使用人達まで巻き込むことにした。

 これ以上、フィオレンティナに期待させるようなことがあってはならない。皆でそう呼べば、ジルベルトだけが特別扱いしていることにはならないだろう。


「ええ。嬉しいですわ!」

 

 てっきりごねるかと思っていたが、フィオレンティナは意外にも素直に喜んだ。

 こんなことで嬉しそうに笑う彼女を見ていると、先程読んだゴシップ誌に書かれていたことが嘘のように思えてくる。


(あの記事は果たして事実なのだろうか……?)

 

 雪の中、馬にまたがりやって来たフィオレンティナ。

 ヘーゼルの出産を言い当て、ブラックとのハードなボール遊びにもとことん付き合い、メイド服を喜んで、素朴な芋料理に涙する――

 そして今、『フィオ』と呼ばれるというだけのことに、こんなにも屈託なく笑う。 

 目の前にいるその姿は、決して『性悪令嬢』には見えなかった。

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