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縁談は雪の向こうからやって来る

お読みいただきありがとうございます。

 昨夜は稀に見る大雪になった。

 

 膝上まで埋まってしまうほどの雪は、北の大地アルベロンドでも珍しい。

 もう少しで屋敷の入口が埋もれてしまうところを、ジルベルトは使用人達と雪かきに精を出していた。


 吐く息は白く、睫毛まで凍りそうな冷たい空気が指先の体温を奪っていく。ひとつに束ねた銀髪には、ぽつりぽつりと雪が積もった。


「皆、あとで温かいワインでも飲もう。あと少しだけ頼めるだろうか」


 気の良い使用人達は、ジルベルトの言葉に頷いた。

 皆、極寒にもかかわらず、文句を言うことなく協力してくれている。

 


「大変だ……!」


 そこに、屋敷の中から父が血相を変えて走ってきた。

 踏み固められた雪でつるりと滑りそうになりながら。


(――父よ、どうした……?)

  

 体の弱い父は、元来のんびりとした性格をしている。愛犬ブラックと暖炉の前に陣取っては、一日の大半を微動だにしない男だ。


 そんな彼が、雪の降り積もる極寒の中、部屋着で外に飛び出るなんて――これはもうただ事では無い。


 ジルベルトは着ていたコートをおもむろに脱ぐと、息を切らす父の肩に羽織らせた。


「ジ、ジ、ジ……ジルベルト!」

「父よ、どうか落ち着いてくれ。身体に障る」

「これが落ち着けるものか……!」


 父の後ろでは、ブラックがシッポを振って待っている。父と追いかけっこでもしているつもりなのだろう。かわいい奴である。


「……まさか! ヘーゼルが産気づいたか!」

「違う! お前は犬にしか興味無いのか!」


 ヘーゼルとは、我がノヴァリス伯爵家で飼っている茶色の雌犬だった。


 ブラックとの子供を身ごもっているヘーゼルは、最近見るからに腹が大きくなった。出産間近であることは間違いなく、他の犬より気を配らなければならない。

 けれど、その事では無いらしい。


「違うのか……ではなんだ」

「ジルベルト、落ち着いて聞いて欲しい」

「大丈夫だ、父よりは落ち着いている」

「お前に縁談が来た」


 

 ジルベルトと父に、静寂が訪れた。


 聞こえるのは、愛犬ブラックのヘッヘッヘッ…という嬉しそうな息遣いだけ。

 


「なんだと……?」


 ノヴァリス伯爵家を継いだばかりのジルベルトは、あからさまに顔をしかめた。そんな話、ありえない。

 

 ノヴァリス伯爵家は一応、この北の大地アルベロンドを治める貴族ではあるけれど。貴族とは名ばかりの、それはそれは素朴な家だった。


 こうして雪が降れば屋敷の者総出(そうで)で雪かきをするし、多くの家畜を飼っているため毎日の世話は欠かせない。

 その生活は貴族の生活とはかけ離れたものだった。うちに嫁ぎたい者などいるはずがない。

 

「縁談? まさか」

「しかも相手は侯爵家のご令嬢だ。その名もフィオレンティナ・エルミーニ……」

「そいつは正気か?」


 父に見染められた母は、ここアルベロンドに住む町娘だった。父の父も、そのまた父も……この土地に慣れた娘を娶っている。


 ジルベルトは結婚願望こそないが、いつか自分にその時がきたならば、やはりこの土地の娘を娶るのだろうと、そう思っていた。


 貴族令嬢なら、こんな雪深い土地に来ること自体が苦行のようなものだろう。

 アルベロンドでは、パーティーも無い、最先端のドレスも流行りのジュエリーも買えやしない。

 提供できるのは、美味しいシチューと真っ白な景色だけ。


 ジルベルトとしても、貴族令嬢なんかに嫁がれても困るのだ。


「その話は断れないのか」

「それが、もうこちらへ向かっているらしい」

「そいつはイノシシか……?」


 こちらの了承も得ず、一方的に送られてきた手紙には「そちらへ向かう」とだけ書かれてあったという。

 呆れて口が塞がらない。


「イノシシでは無い。噂では、絶世の美女らしいが」

「興味は無いな」

「そんで、すんげ~性格の悪さだということだ……」


 父のアルベロンド訛りが出た。内心、苦々しく思っている証拠だ。ただし、温厚な父がそれを表に出すことは出来ないだろう。


 ここは自分が毅然とした態度で断らなくてはなるまい――そう心に決めて、愛犬ブラックにフリスビーを投げたその時。




「……なんだ?」


 真っ白な雪景色の彼方から、馬の嘶き(いななき)が聴こえた。

 

 皆、雪かきをする手を止め、遥か遠く、雪の向こうから来る()()に目をやった。


 その()()は、雪をまき散らしながら近付いてくる。

 目を凝らして見てみると、誰かがこちらを目掛けて、馬で駆けているようだ。とんでもないスピードで。


「皆、不審人物だ! 屋敷へ逃げろ!」


 危険を察知したジルベルトは使用人達を屋敷へ逃がすと、門の前に立ちはだかった。


 あいにく雪かきの最中で、剣も銃も持ち合わせていない。手には丈夫なスコップだけ。

 そして足元には、フリスビーを咥えてシッポを振る愛犬ブラック。


「お、お前っ……逃げなかったのか!」


 彼はこちらを見上げ、期待の眼差しを浮かべている。もう一度投げて欲しいのだ、フリスビーを。


「ブラック、それは後でな……」

 

 先にフリスビーを投げたのはジルベルトだ。もう一度を期待するブラックはなにも悪くない。

 

 仕方がないので、ブラックと共に来たる敵を迎え撃とうと、鈍色のスコップを構えたその時――


「ジルベルト様――!」


 馬上の何者かが、こちらへ向かって名を叫んだ。

 馬を華麗に操りながら、大きく手を振っている。


(女? 俺を知っている……?)

 

 みるみるうちに距離は詰められ、やがて馬は速度をゆるめ――女が馬から飛び降りる。

 


「ジルベルト様!! 会いたかったですわ!」


(何っ……!?)


 逃げる間もなく、女はジルベルトを勢いよく押し倒した。

 後ろに吹っ飛ぶジルベルト。

 宙に飛ぶ鈍色のスコップ。

 一緒になって、雪の上に覆いかぶさる謎の女。


「会いたかった……っ!」


 女は、呆然とするジルベルトの頭を撫で、胸板をペタペタと触り、首筋をスンスンと嗅ぎ回る。

 そして頬に、額に、目蓋に、ツンとした冷たい鼻を擦り付けると――ジルベルトの乾いた唇にキスをした。 


 そのすべてが、愛おしいものであるかのように。 


「ジルベルト様……」

 

(な、何だこの女は……)

 

 非常事態にも関わらず、彼女から立ち上るような甘い香りが己の思考を麻痺させる。


 ジルベルトは女の勢いに抵抗もできず、ただされるがままに謎のキスを受け入れた。

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