第10話 白銀の天満月
小さな窓から顔を覗かせる美しい天満月と星々に目を奪われた零は、気づいた時には無くなっていた食事に目もくれず、窓に向かって歩き出す。
彼の瞳に映っているのは……白銀に輝く壮麗な天満月が放っている月華ではなく、暗闇だった――。
***
僕は机の上から視線を外し、窓の外を見る。ちなみにその窓は小さく、ガラスが使われていない物だ。
……窓から見える景色は非常に美麗で、思わず魅入ってしまう。
その景色の中でも際立って目を惹くのは、白銀の盈月である。
それは、今まで見てきた月の中でも随一の美しさを誇っている(?)。昼夜逆転生活を送っていて、月を眺めるの日課だった僕が言うのだから、相当美しいと分かる……はずだ。
コツ、コツ……
僕が歩くと、靴音がやけに鮮明に響いた。だが、それを気にせずに窓《月》へ向かう。
「ふぅ……」
窓枠に手を掛け、嘆息する。こうして見ると、月がどれだけ遠いのかが分かった。
「なぜこんなにも月が遠いのだろう」
あそこへ向かわなければならないのに。俺は、行かなければならない。俺は果たさないといけない。俺は……。
それからしばらくの間、僕は死んだように微動だにせず、月を眺めていた。しかし、急に疲労が押し寄せてきたため中断し、カーテンらしき布を下ろしてから、靴を脱いで寝台に横たわる。
身体が異様に怠い。まあ、あんなことがあったからな……。
熊からの逃走を思い出したが、それを頭から振り払い、目を閉じる。その時、ようやく身体の異変に気がついた。
……全身の痛みが消えている。
目覚めた時からおかしいとは思ったが、気づかなかった。普通に動けるようになっていたことに違和感を抱くこともなかった。
最近は頭がモヤモヤし、記憶も曖昧になってきている。その上、注意力も欠けていく。
これが意味することは、身体が不安定な状況だということ。この症状が正常なわけがない。
また、全身の痛みが消えたことも気にかかる。重症だったはずなのに少しの時間で治るのは明らかに異常だ。
……本当に訳が分からない。この世界のことも、僕自身のことも。
この世界について知っていることは極めて少数である。自身のことすら満足に知らない僕はこの世界について知る権利がないのかもしれないな。
……そもそも、この世界の住人ではないのだから当然のことか。
部外者の僕はこの世界にいてはならない異分子だろう。仮に神がいるとしたら僕は厄介者として扱われ、消される可能性もある。
あの世界でもこの世界でも需要が微塵もない僕は、消えた方がいい人物である。
しかし、僕はあの人からの『使命』を果たさなければならない。そして、俺には彼女との『約束』がある。
それを差し置いて果てるのは禁忌だ。今は果ててはならない。
思い出せ、与えられたあの日を。奮い立て、あの刻を想いながら。
進まなければならない。違えてはいけない。あれだけが、僕《俺》が生きる意味だから。
……意識が深い深い沼に沈んでいく。きっと、身体も限界なのだろう。
***
美しいな。
月を見た時はいつもそう思う。僕は気づいた頃には月が好きだった。
……ここは東響都千代区にある「睦月病院」。その大きな病院で月を眺めているのは僕――黒雨零だ。
現在の時刻は午前2時。午後ではなく午前だ。僕は昼が嫌いなこととショートスリーパーなのが相まったのか、幼少期から日々昼夜逆転生活を送っている。ちなみに、睡眠をとる時間帯は午前10時頃から午後2時頃だ。
そんな僕は日中に本を読み、夜は月を眺めるのが日課となっている。
そして、今日は黄金色に輝く上弦の月を眺めていた。
「ふぅ……」
温かいコーヒーを飲み、嘆息する。これをすることにより、心が安らかになる……気がする。
そんな風にくつろいでいた僕は、無意識のうちに呟いていた。
「月は果てしなく遠い。そんな月に、手は届くのだろうか?」
僕の疑問に答える者は、誰一人もいない。僕は……独りだから……。
***
「「「「神に感謝を」」」」
目を開くと、胸の前で手を合わせているティグリスたちが目に入った。
「あ! レイ君が目を覚ましたよ!」
ティグリスがそう言うと、その他の3つの視線が僕に向かう。
その視線は、アル村長とソルデウス。そして……知らない少女のものだった。
「おっと、レイ君はステラちゃんと会ってなかったか……。じゃあステラちゃん。自己紹介をしてくれ」
いきなりの展開で混乱していたが、一つだけ言わせてほしい。
どうしてこうなった!?