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7 選抜生から国術院への道

 次の朝、タイガーはカミラの協力のもとにいつも通り朝食を用意し、タイガーたちの出勤やハイスクールに登校する予定の二人に合わせてダイニングのテーブルについていた。そこへいつもよりはるかに早く朝の支度を終えて出て来たのは、クラウディアだった。彼女は、ダイニングに聞こえてくるアドナーンの部屋の音を聞きながら、食事を早々と済ませ、出て行こうとした。

「ディア、どうしたの? そんなに早く登校するの?」

 カミラが心配そうな顔をしてクラウディアに声をかけた。

「いえ、カミラおばさん、何でもないの!」

 クラウディアは返事をしたのだが、それが出かける時刻を少し遅らせてしまった。ちょうど、アドナーンがダイニングから玄関への出入り口に立っていた。

「あっ」

「あっ」

 いつもなら、彼ら二人は軽口と悪態のジャブを交わしながら、どたばたと出て行くのが常だったが。この朝は、二人とも互いに目を伏せると、凍り付いたように立ち尽くして動けなくなっていた。ただ、登校した後も、生徒三人と教官だけの授業と教練が続くのであり、互いに黙ったままでは後に差し支えることを、二人ともよく認識していた。それゆえ、何かを話そうと二人は努力した。そんな様子を見て、タイガーは中学生にありがちな羞恥心がそんな反応をもたらしたのだろうと思っていた。

「あ、あの、先に出るね」

「え、あ、うん、でも、昨夜のこと謝る.......」

「え、どうして? 私の方が悪いのに」

「だって、変なものを見せてあんたを驚かしただろ?」

「変なものって?」

「あ、あんたの写真を眺めながら寝ていて......それであんなことまでしちゃってて」

「あ、写真ね。でも私があんたの部屋にいたから」

 クラウディアは、自分の姿を見てアドナーンが何を感じていたかを思い出し、それ以上何も言えなかった。アドナーンもそれ以上何かを言うことができなかった。ただ、かろうじて互いに会話ができたことは、彼らにとって少しばかり救いだった。それは、二人の間の気まずさを見たタイガーとカミラにとっても、少しばかり安心できる材料ではあった。


 二人の間の微妙な空気はそのまま教練場へ持ち込まれていた。

「ほう、皆静かに待っていたんだな。このことを伝えるにはよい日だな......。これから私が国術の神髄を伝授することになる。まず、あんたたちはこれを身に着けるんだ」

 この日、教練教官が持ち込んだものは、宝珠ともいうべきアカバガーネットを埋め込んだチョーカーだった。

「ちょっと前までは、この教えは限定されたものにしか享受されなかった。だが、今の時代では考えが変わって、まず神髄たる霊剣操を教えてから、国術の様々な技へと展開することになっている。では、まず、このチョーカーを首に着けて。そう、これからまずあんたたち三人には、このアカバガーネットと呼ばれる太極を用いた戦い方を教えていくつもりだ」

「太極? 教官、先ほど『霊剣操』とおっしゃたことからすると、これは渦動結界をもたらすガーネットですか」

 この質問をしたのはナサナエルだった。

「そうだ。お前、よく知っているな。そうか、お前たちは最近地球から来た強制労働者の子供だろう。そう、お前たちは国術院の卒業生たちが帝国軍の前面戦闘部隊にいることを知っているんだな。まあ、今はお前も選抜された立場だ。お前の働き次第でお前の両親は、強制労働から解放されて、上層に住む商人になれるぞ」

「はい、ありがとうございます」

 ナサナエルは短く返事をした。

 教官の言う『商人』とは、タイガーと同様に月の表面層近くで経済活動を司る経済人である。いや、地球に戻ることはもうないことから言って、経済奴隷と言ったほうが良いかもしれなかった。それでも、死と隣り合わせの強制労働者階級から脱出することは、それだけ優遇されることを意味していた。

それでも、ハイスクール生にとって、親が月の下層に囚われている限りは人質であり、帝国に反抗することは到底無理なことだった。選抜生も含めてハイスクール生全員は、今後も帝国に反抗せず忠誠を誓わなければならないことは明らかだった。


「よし、三人とも身に着けたな。次に、詠唱を学んでもらう」

 三人は、すぐにでも教練が始まるものと思った、だが、教官が始めたのは、まるで古文の授業だった。これには、授業の苦手なクラウディアには苦行そのものだった。


 教官が教え始めた詠唱は、『霊剣操』とよばれている陰陽道だった。

「よく聞けよ。煬帝国の本国域には、古代に藤原五星という道家がいた。彼が諸学問を学び、集大成として書き記した真理に関する一節が、霊剣操と呼ばれるものだ。内容をそのまま読むと......

『霊剣操。

 霊は精神なり。霊剣とは陰陽未分の剣にして渾渾沌沌たる所の一気なり。

 易曰闇と淵の水の面を無極動きて陽を生じ静みて陰を生じ一気発動し陰陽分れて万物を生ず。剣を直に立るは渾沌未分の形陰陽有て万象を生ず。故に是を陰陽剣生れと云う。

 先ず己が情欲に同て敵を屠て敗退を思はず。心中の陰剣と陽剣と一致になりて千変万化の業をなす。再び剣を直に執るは万物一源に帰する形に表す。

 此気を墨家に明鬼神と号し帝鴻氏是を太一と名づく。我朝 魔醯首羅マケイシュラと称す。始もなく終もなく火に入て焼けず水に入て溺れずと死て滅びざるとを以て当流未来までの執行とする者なり。

 然りと虚ろに得て言べからず。耳に得て聴べからず。心に得て会し自得して知べきなり。』

 この詠唱によって発動するのが、渦動結界だ」

 教官の詠唱とともに、施設の壁に保持されていたすべての武器が、教官の周囲に殺到した。ただ、飛翔と言っても、教官を中心にして、教官の指さす方へと全ての武器が施行し、ある武器は火を噴き、ある武器は突進していった。教官は複雑な制御をしつつ、説明を加えた。

「霊剣操とともに詠唱者の周囲には渦動結界が形成される。渦動結界のなかでは、詠唱者の意のままに武器が火を噴き、突進していく。以前の煬帝国ではアサシンと呼ばれた国術院卒業生のみがこの術を体得実践してきた。だが、煬帝国が一度崩壊した際に多くのアサシンが失われ、その後は国術院卒業生全てに体得させるようになった。そのために、近い将来国術院の月分校が開設される。お前たちもそこに行くことなる」


 やっと、教練の時刻となった。三人は、教官の詠唱をそのまま真似をするように繰り返した。だが、武器武具はグラグラと壁で振動し始めるだけで、まだ飛翔し始めるまでには至らなかった。

「まだまだ武器を作動させるまではいかないな。いや、もしかすると三人が同時に詠唱しているためだろうか。うーむ、三人の意志が混乱のもとになるのかもしれないな。それならば、一人づつ詠唱してみろ」

 教官はそう分析すると、一人づつ詠唱するよう指示を出した。

「まずはナサナエル。ガーネットと渦動結界の知識があるなら、おそらくある程度知っているんだろ? やってみろ」

 ナサナエルは、指名されるとおもむろに立ち上がり、淡々と詠唱をし始めた。すると、教官ほどではなかったものの、うようよと剣たちが泳ぎ出した。その後に銃が降らりふらりと教官と同じ軌道をゆっくりと動き出した。

「そこまででよい。お前は念波が強いな。力まかせだが、一応、出来上がっているといってもいい。あとは繰り返しの練習をすれば済む。では、次は?」

 クラウディアがスっと手を挙げた。

「私がやります」

「ほう、積極的だな。やったことがあるのか?」

「いいえ、でも運動神経には自信があるので。私」

 クラウディアは対抗心を燃やしたのか、率先して二番手に名乗り出た。

「じゃあ、やってみろ」

 クラウディアは立ち上がり、記憶したフレーズを思い出そうと目をつぶった。すかさず教官が声をかけた。

「目をつぶるな。非常に危険だ。剣がコントロールできなくなるぞ。それにな、剣がいきなり自分のところに飛んできた際に、よけられなくなる」

「はい、わかりました」

 クラウディアは素直に教官の指示に従い、詠唱を始めた。


 アドナーンは、クラウディアの詠唱が始まってからぼんやりとクラウディアを見つめていた。それは、クラウディアの動きが夢で見たクラウディアの姿とあまりに似ていたからだった。いや彼女の実際の姿が彼の夢想していた理想の彼女の姿と一致していたからだった。そして、彼のその思念が煌めきとなった時、クラウディアが突然詠唱を狂わせた。全ての武具が、突然に床に墜落したり、軌道を反れて暴走していった。そのうえ、一つか二つがクラウディアの腿と足首とをしたたかに打っていた。

「い、痛い!」

「どうしたんだ?」

 教官は慌ててクラウディアに声をかけた。

「急に詠唱を乱したな?」

「え、ええ、申し訳ありません。突然頭の中が混乱して」

 クラウディアはアドナーンを睨みつけた。先ほど彼が煌めきを感じて戸惑い、彼の目線を彼女からそらした時、彼女の頭の中に、アドナーンが夢想したクラウディアの姿とそれに対するアドナーンの感情と罪の意識が、先ほどの煌めきと同時に流れ込んでいたのだった。

「大丈夫か」

「ええ、何ともありません」

 クラウディアは、周りに悟られることが嫌で強がりを言いつつ平然とした顔をした。だが、教官とナサナエルが去り、アドナーンが一緒に帰ろうといった時、アドナーンに食って掛かった。

「あんた、何を考えていたのよ」

「いや、僕は何も」

「嘘おっしゃい!」

「いや」

「そんなはずは......いっ」

「どうしたんだ、さあ帰ろうぜ」

「......」

 クラウディアは突然無言になって何かに耐えるようにまっすぐ前を見定めつつ、冷や汗を流し始めた。

「なぜ動かないんだ、冷や汗か? あ、どこを打ったんだ? 先ほどの剣が当たったのは、ここか」

 アドナーンは、頭の中に閃いた彼女の痛みの個所を無造作に触れた。

「いったーい! 痛い!」

「え、ちょっと待ってろよ」

 アドナーンはそう言うと、備え付けの救急セットを持ち込んできた。

「あの、治療するから、脚の道着をまくり上げられないか?」

「いたくてうごかせない」

「あ、あの、僕がやるよ」

 彼は苦労してまくり上げるているとクラウディアが声をかけてきた。

「汗くさいでしょ」

「いや、僕の方こそ汗臭くて、ごめんな」

「そんなことない......」

 クラウディアの返答は聞き取りにくいほど小さかった。アドナーンは反射的にクラウディアの顔を見つめ、その声の意味を確かめたいと思った。それでも苦労してその思いを押さえつけると、ためらいがちに声をかけた。

「あの、痛みの場所を精確に知るためだから......あの……少し触るぞ」

 こうして打撲の個所を確定させ、冷たい湿布薬を適用した。その時のクラウディアの声にアドナーンは目喰らった。だが、彼はその声に反応しないように気をつけつつ、声を出したクラウディアを睨みつけた。驚いたことにクラウディアもアドナーンを睨みつけていた。

「変な声を出すなよ」

「しかたないでしょ」

 その後、二人が互いを意識しすぎていることからくる気まずさに苦労しつつ、おんぶで帰宅したことは言うまでもない。


 霊剣操の体得が終わってから、選抜生の三人は、国術として、教練教官を相手に銃と剣ばかりでなく体術までも指導を受けるようになった。三人はそれぞれ、秀でたところがあった。ナサナエルは相変わらず念波の強さが目立った。だが教官の目を引いたのは、アドナーンとクラウディアの二人だった。

  もちろん三人とも、しばらくの教練ののちには、教官の教え込む様々な国術を素直に吸収し、教官に匹敵するほどのわざを示すように担っていた。クラウディアとナサナエルは、もともと身体能力が優れているらしく、棒術、剣術、体術、銃槍術は問題なくこなしていた。アドナーンは、戦術に才を現し、複数同士の戦闘の際に敵方に対する味方の陣形や動きについて工夫する才能を、特に発揮した。念波と陣形指揮能力とを持ち合わすナサナエルは、前線の指揮官として期待できる人材だった。

 そのうち、教官は、アドナーンとクラウディアを一組として、教官・ナサナエルと戦う形で訓練を始めた。すると教官の狙い通り、アドナーンとクラウディアは各自の背中や左右に目があるのかと感じられるほど、隙の無い動きを示した。確かに背中合わせであれば、背中を預け合うという戦闘が可能なのだが、彼らの場合、大きな距離が二人の間にあっても、何らの掛け声も通信もせずに互いにパートナーの危機をカバーする立ち位置を、すばやく取っていた。

「お前たち、どうして離れたパートナーの危機を知ることができるんだ?」

 教官は驚きと賛辞の混じった歓声を上げつつ、二人を称賛していた。ナサナエルも、褒められた二人の実力が教官の指摘通りであることを、認めていた。すると二人の答えはいつもの通りだった。

「特別の感覚はありません。ただ、視界外の敵の動きも分かるんです。いや、離れているパートナーに危機が近づくことも分かるので、思わず援護をしているんです」

「二人の息がぴったりなんだな。戦闘でこれほどの息があっていることは、非常なアドバンテージだ。しかも、アドナーンは陣形の知識もあるようだ。選抜生としてさらに高みを見ることができるぞ。そうだ、お前たちにはおそらくあと4か月後の進級時に、新設の月面国術院へ行ってもらう」

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