6 二年生の国術教練
「いいか、お前たち。お前たちは単なる消耗品だ。お前たちは、最後に突撃して死ね」
教練教官は遠慮も躊躇もなくそう言い放った。
新学期になってから、二年生全員はこうして毎回毎回大講堂に集められ、男女とも銃剣を持たされて突撃の訓練を受けることが日課になった。そこに含まれていたクラウディアもアドナーンも隊列を乱さずに教練を繰り返していた。
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コロンビア連邦太平洋岸一帯には、煬帝国が前進を果たしており、ロッキー山脈の谷沿いに煬帝軍は進軍していた。だがロッキー山脈やアンデス山中では、谷あいでゲリラ的に出没するコロンビア陸軍の戦術に苦戦し、煬帝国軍は山脈越えはおろか、谷あいや山中で次々に戦力を失っていくばかりだった。
その事情から、煬帝国参謀本部は月のハイスクールで消耗品同様に扱われている大量の強制労働者たちの子息たち、無数の月ハイスクール生に目を付けたのだった。こうして、月の各地でハイスクールの生徒たちでは、最低限の兵士技能を着けさせて欧州・コロンビア方面派遣軍に入隊させるための国術教練が始まった。当然に、クラウディアたちのハイスクールでも、他の月ハイスクールと同様に国術教練が始まったのだった。
アドナーンたちのところに来た教官は、煬帝国によくみられる非常にハンサムな本国人の男女だった。途端に、女生徒たちは熱心さを顔に表して熱心に練習に励みだし、男子生徒たちもまた、美貌の教官に心を奪われて我先にと熱心に練習を重ねていた。このように、どのハイスクールでも生徒たちは、美貌の異性に心を奪われ、素直に教練を受けた末に、従順に戦地へ送られてしまっていた。
「全員、構え、突撃!」
「全員、構え、突撃!」
「そこ、遅れているぞ」
三か月後のある日、この日もいつものように教練が行われていた。だが、この日、教練教官は全体の中から一歩先を行く鋭い動きをする数人を見出した。
「二年生、一時休め。呼び出されたものは、前に出て来い。そこ、そこ、そこ、その三人。では、三人とも俺の後に続いてこい。よし、他の人間は先ほどの突撃訓練を続けろ」
「え、クラウディアが?」
女生徒たちは彼女たちの中から選ばれたクラウディアに、羨望と嫉妬のまなざしを向けた。男子たちも、彼らから選ばれたアドナーンに羨望と嫉妬のこもった歓声を上げていた。
「クラウディアはすばしっこいし、体力も身体能力もずば抜けているから選ばれるだろうよ。でもなあ、アドナーンはクラウディアが応援しているとき以外、全然役に立たないもんなあ。それなのに、なんで選ばれているんだよ?」
「ほかに選ばれた奴もいたぜ!」
「へえ、だれだい?」
「ナサナエルとかいう男だよ。スイスアルプスの山岳ゲリラ捕虜の息子らしい」
「なんでそいつが?」
二年生たちがうわさをしていると、男性の教練教官が声を上げた。
「お前たち、訓練を再開しろと言っただろう。まあ、説明してやろうか。名前を呼ばれた三人は選抜生だ。まずナサナエルは新参者だが、お前達より念波を強く発する力を持っているうえに、三次元思考、いや四次元思考の能力を持っている。クラウディアは、何らかの影響を受けてだと思うが、最近能力を飛躍的に伸ばした。それからアドナーンだが、クラウディアが飛躍的な能力を発揮する際に、アドナーンが傍にいるからとも考えられるからだ。以上だ。......さあ、三人とも私たちについてこい」
教練教官は、ペアだった女性教育士官に指導を任せ、クラウディア、アドナーンの二人と、二人やハイスクールの他の二年生にはなじみのない転入生ナサナエルを連れ出した。
連れてこられたところは、様々な武器・武具の陳列された部屋だった。しかも、飾ってある武器・武具は手に取ってみることができる施設だった。
「お前たちのような、優れた能力を持っている選抜生は、消耗品の突撃兵とは違う戦列に入れてやる。明日から国術という我らの母国煬帝国の武術を指南してやる」
ハンサムな教練教官のその言葉はクラウディアを十分に舞いあがらせた。その様子を見ながら、アドナーンは複雑な表情をしつつ、もう一人をみた。
「確か『ナサナエル』という名前だったよな」
その、ナサナエルは一歩後ろに控えて、無言のままクラウディアとアドナーン、教官のやり取りを聞いていた。
「では、三人とも、それぞれ自分の気に入った武器を取りなさい」
教官はそう言うと、三人を部屋中の武器を手に取るように指示をした。だが、異様な武器が並ぶ部屋の中で、三人とも委縮していた。
「え、ここは武器・武具の博物館じゃ......?」
「何を言っている? ここは教練道場だぞ」
教練教官は、萎縮しながら武器を遠目で見るだけの三人たちを促し、それぞれに見合いそうな武器を選んで手に取らせた。すると、アドナーンとクラウディアは銃剣を手に取った。ナサナエルは多数の暗器を手に取っていた。
「ここで国術院と同等の訓練をここで享受してやる。それにもし煬帝国に忠誠を誓うなら、アサシンに匹敵するほどの技を身につけさせてやる。まあ、アサシンにはできぬがな」
こうして、三人は他の生徒たちの基礎的な訓練をよそに、並行して帝国国術院の訓練を受けていった。
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「アド、あんた、選ばれたといっても、後ろががら空きよ。後ろからの攻撃に無防備ね」
「ディア、今なんて言った?」
クラウディアは生まれながらの運動神経をさらに研ぎ澄まし、アドナーンの目の前では優れた剣技を現した。アドナーンもまた、周囲の基礎的訓練性よりは優れた技を示すのだが、クラウディアに生まれてこの方勝ったことが無いため、悔しさを表しながらも反論できなかった。
「昔からディアは、何かと僕に自慢をするんだよ」
アドナーンはナサナエル相手ににそうぶつぶつ独り言を言った。それを聞いたクラウディアは自慢げに、アドナーンに指摘をした。
「へえ、自慢じゃないわ。事実でしょ。アドは、昔から素直じゃないのよね。保育園の時から……・保育園の鉄棒だって、私が教えてあげようとしたら、怒っちゃって……フフ、笑える」
アドナーンは、無駄なことだとわかっても地団太を踏んで悔しがった。
彼らの様子を見ながら、男の教官はクラウディアに声をかけた。
「あんたはアドナーンがいると、調子を上げるんだな。彼もあんたがいると調子を上げるようだし......」
「へ?」
突然の教官の質問に、クラウディアは戸惑った。教官は単純にアドナーンの存在がクラウディアの能力アップにつながっていると感じて、この質問をしたのだが……。ただ、それでも、教官はもちろんクラウディアとアドナーンの二人とも、互いの存在を意識したことで能力をアップしたのではなく、互いの小脳近くに埋め込まれたアバチャイトガーネットの有している、絡み合い(entanglement)の作用によって互いの認識の共有をさせることで、認識能力がアップしたことには、気付いていなかった。それよりも教官の指摘をうけて、クラウディアは教官がクラウディアに好意を持っていて嫉妬してくれていると勘違いしていた。
「アドナーンとあんたは仲がいいんだな?」
「いいえ、そんなことはないです。彼は単なる幼馴染でし、彼と仲がいいなんてことはないですよ。私の方が出来がいいし、彼なんて足手まといにしかならないんですよ。私が頑張れているのは、教官が教えてくれるから......」
教官に話しかけられたクラウディアは、完全に舞いあがっていた。その反応を確かめながら、教官は話をつづけた。
「へえ、じゃあ、私のためにそう思ってくれているのかい」
教官はそう言うと、下士官に任せっきりだった他の生徒たちの様子を見に行ってしまった。そのそっけない反応にクラウディアは不平そうな反応を示し、そっと教官の後を追っていった。すると、別の講堂で、他の女生徒たちをほめそやしている教官の姿を目にした。その時、クラウディアは悔しそうな顔をし、独り言を言っていた。
「何よ!。教官は私のことを好ましく思っているわけじゃなかったの?」
この時、クラウディアの後ろには、アドナーンがいた。彼はニヤニヤしながらクラウディアの表情を観察し撮影していたのだった。そして、彼はいい機会だと思って彼女に声をかけた。
「さっきまではメロメロだったよね。そして今は振られたんか? 残念だったねえ」
「何よ、趣味の悪い覗き魔だわね」
クラウディアは後ろからの声掛けに慌てて応えた。それに畳みかけるようにアドナーンが言葉をつづけた。
「もしかして、教官が好いてくれていると思っていたの? ふーん? ところが現実は痛い勘違いだったんだ。笑える」
「なんだって? アド、もう一回言ってみなよ。ただじゃすまないよ」
クラウディアはすごんで見せたのだが、アドナーンはそれを見透かすようにさらに畳みかけた
「いやあ、ディアのメロメロとガックリかあ? そして嫉妬したんだ。笑える」
アドナーンは、クラウディアに一矢報いたと思ったのだが、少し言いすぎていた。ついにクラウディアは真っ赤になってアドナーンに襲い掛かった。このまま保育園時代に受けた手痛い打撃がアドナーンに当たる......はずだった。
「おっと、僕だって攻撃されてもかわせるんだよ」
取っ組み合いのような喧嘩をしたのは保育園以来だった。だが、互いに不思議に感じたことなのだが、互いに互いへ打ち込むことができなかった。幼い時はクラウディアの素早さのゆえにアドナーンはしばしばクラウディアに手痛い打撃を受けていたのだが。今でもクラウディアはアドナーンよりはるかに素早いはずだった。それなのに、アドナーンもクラウディアの打撃を受けることがなかった。もちろん、クラウディアがアドナーンの打撃を悠々とよけることができていた。
結局、クラウディアは悔しいまま、教練時間が終わった。
「頭に来た。それなら、あいつの隠し持っているポルノ写真集を暴いてやる」
その夜、クラウディアはアドナーンの寝室に隠れ潜んでいた。アドナーンはまだ帰宅していない。その間に、彼ぐらいの年齢の男子なら持っているであろう写真集雑誌を探し回った。だが、そんなものが、クラウディア以外に興味のない彼が、持っているはずもなかった。
「なるほどね、それなら私を隠し撮りした写真を暴露してやる」
クラウディアがアドナーンを今まで観察したかぎりでは、彼はいつもカメラを持っており、ハイスクール訓練生たちの訓練の様子を盗み撮りしていたはずだった。その後も、何もめぼしいものが見つからなかったが、諦められないクラウディアは物色をつづけていた。そうしているうちに、部屋の主であるアドナーンは戻ってきた。慌てたクラウディアはベッドの下に隠れて、アドナーンの寝入るのを待って再び部屋を物色することにしたのだが、ふと油断したのか、彼女はそのまま寝入っていた。
朝方、クラウディアはやっと目を覚ました。ベッドの上のアドナーンの寝息を確認すると、クラウディアはアドナーンの姿を観察するために静かに寝ている彼を覗き込んだ。クラウディアは暗がりのなかで、アドナーンが女性を写した写真媒体を握りながら寝ていることに気づいた。そのとき、彼は苦悶の声を挙げながら苦しみだした。
「え、どうしたの?」
クラウディアの声に気づいたアドナーンは目を覚まし、彼女が彼を覗き込んでいることに気づいた。
「あぁ、僕はなんてことを」
アドナーンはそう言うとクラウディアを彼から遠ざけるようにして、ベッドサイドに立ち上がった。その時、彼は様々なことに気づいた。先ほどまで苦しみつつ夢で見ていたクラウディアが、今目の前にいること。クラウディアの写真媒体を抱えたまま寝入っていたこと。昨夜風呂から出たまま何も身に着けずに寝入っていたこと。そして、彼にとって初めての夢精をしていたこと。そして、クラウディアとアドナーンは向かい合わせになって、互いに悲鳴を上げた。
アドナーンが悲鳴を上げたのは、彼が夢でつい先ほどまで見続けていた彼女を、目が覚めても目の前に見ていたからだった。しかも、彼の夢のなかでの彼女の姿は、14歳の女の子のはずなのに、様々な姿勢とあられもない姿をさらしていたのだった。他方、クラウディアの悲鳴は、彼の頭の中から彼女の頭の中に流れ込んでくる彼女のイメージに驚いたからだった。それは、アドナーンの夢の中で異様に性的にデフォルメされた彼女の姿であり、彼女のそんな姿を見つつ夢精をした罪に苦悶する彼の思いだった。
無言のまま、クラウディアはアドナーンから目をそらした。アドナーンもまた目を伏せたまま何も言えなかった。二人は互いに目を伏せたままで、クラウディアは静かにアドナーンの部屋を出て、自室に帰った。こうして彼ら二人は、無言のままそれぞれの未明のベッドに入った。もちろんそのあと、彼らがそれぞれに目に焼き付けた相手の姿によって、彼らは眠れるはずもなかった。