32 千年帝国を拓く者
「あの見たことの無い力は何だ」
ビルシャナは慄きがまだ止まっていなかった。
「ヤザンだけではなかった。ナサナエルとクラウディアという二人の若い男女も、あの未知の技を使いおった。あれは何だ......あれほどいた私の艦隊を、私の軍を、眷属や味方を、一挙にことごとく殺し尽くしてくれた。このまま奴らをマリアナから誘い出さなければ、私の軍が根こそぎだ。我々の方から奴らを全て殺し尽くさなければ、奴らは我々を全て殺し尽くしかねない。煬帝国が滅亡するだけではない。わたしが生き残れない。そうだ、奴らの仲間は我々とは相いれぬ存在だ。そうか、今こそベラ様の来るべき時だ。ベラ様はそもそもこの世界を支配する方、全てを司る方だ」
ビルシャナは慄きながらも、以前から心の片隅に引っかかっていたアザゼル召喚の時期をそろそろではないかと考え始めていた。
「早すぎるかもしれん。しかし、このままでは煬帝国はおろか、将来の帝国を担うはずの私まで滅びてしまう。今こそ召喚の時に違いない。そうさ、我々の未来の帝国こそ、密かに言われて来た千年帝国に違いない」
こうして、ビルシャナは、商伽羅ともサゥヴァともいわれる、この世を統べるマケイシュラであるアザゼルを召喚することを決意した。
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「アドナーンもマリアナまで連れて来られているはずだ」
ヤザンはそう推定した。クラウディアは食いつくように反応した。
「それなら、このヤップの海溝谷からそう遠くないよね」
「飛翔体であれば、すぐにマリアナに到達できるよ」
ナサナエルは簡単にそう言った。だが、ヤザンは慎重だった。
「飛んでいくのは目立つね。そう、谷筋沿いに飛翔体で行くのがいいだろうね」
「じゃあ、暗くなったら行動開始ね」
クラウディアはすぐにでも出発しそうな勢いでそう指摘した。
ヤップの谷は霊刀操がその谷の中心で何回も発せられたせいか、広く平坦な盆地に変形していた。ヤザンたちはその盆地を超高速で低空飛翔をし、その後は谷底を這うよう縫うようにしてマリアナへと移動した。マリアナには煬帝国が建設した都市群が谷間の縁いっぱいに広がっていた。彼らは飛翔体に係員を残すと、三人で都市部のなかへと潜入していった。
「軍の司令部はどこなんだろうか」
戸惑って声を上げたのはナサナエルだった。それに同意するかのようにヤザンもまたため息のように応じた。
「ここに帝国軍が集結しているはずなんだが」
「彼らが軍隊の兵士たちなの? それにしてはみんな好き勝手に行動しているわね。まるで無秩序ね」
クラウディアは周囲の五行鬼たちの行為を見つつ目を背けつつ、ヤザンやナサナエルの後をついてきた。都市群とその周囲では、兵士を構成している火炎族、木精族、土塊族、水明族が勝手に避けや食べ物を引き出して酒盛りをし、または遊戯盤を使い、またごろ寝をしていた。そして、ナサナエルとクラウディアが赤面して顔をそむけたのは、何かで興奮した兵士たちが所かまわず不特定のそれも複数を相手に情の交換をし合っていた声と姿だった。
「これだけ奴らが無秩序では、たしかに、どこが司令部なのか分からないな」
ヤザンは、この様子を予想していたのか、顔色をあまり変えなかった。ナサナエルやクラウディアは、最初こそ顔を背け、また互いに互いの顔を見ることさえも赤面し避けているほどだった。それでも、周囲の五行鬼があまりに厳つい姿のままででプロレスリングのように絡み合っていたため、彼らのいかがわしい行為の声や姿にも、免疫が徐々にできつつあった。
「この新人類は、羞恥心を知らないのかしらね」
「そうだな。帝国戦士たちは、まさかそんなことになっていないことを願うよ。僕たちに似た色白の帝国戦士までがこんなことをしていたとしたら、そんな淫乱でなまめかしい姿態は見たくないね」
周囲の鬼たちの淫乱な光景にクラウディアも慣れて来たのか、平然と歩くまでになっていた。だが、この無秩序のために、司令部のありかはなかなかわからなかった。
歩き回っているうちに広大な平坦地にでた。宇宙艦の発着場のように見えたその場所から周囲を見渡すと、発着場の管制塔のあるビルが、谷の中で最も新しく見えた。
「ここに軍隊を集結させ始めたのは、新しい話だ。であれば、管制塔を伴ったあの新しいビルが、司令部だろうね」
ヤザンはそう推定し、司令部の中へと入り込んでいった。その後をクラウディアが推定に推定を重ねた結論をヤザンに向けて叫びながら、ついていった。
「それなら、此処にアドナーンがいるかもしれないわ」
「そうだよな、ディアはアドが好きなんだから......」
ナサナエルはそう独り言を言いながら、二人の後を追って管制塔ビルに入って行った。
司令部は、外の喧騒や乱雑さとは違い、廊下から各部屋ごとにかけて、整然としていた。守衛、漢詩所、から士官用食堂、寮、士官室、司令長官室、作戦室。それらをひとつづつ確認していった。
「どこなの、アドナーンを収容している施設は?」
クラウディアは焦りを見せながら、それでも建物の中をくまなく探し続けていた。それを見ながらヤザンが探す対象変更の提案をした。
「収容しているところを探すんじゃなくて、資料を探そう。そうだ、施設の設計図、それから会議資料......そうだ、司令本部の事務部門を集中的に探そう。資料を探すんだ」
これは、クラウディアにとって最も苦手な作業だった。走り回ることや体で覚えることは得意だったのだが、頭で段取りを考えて計画を立てて行動することは、彼女にとってさっぱりやり方の分からない、手に負えないことだった。そんなことを考えていると、ナサナエルが声をかけてきた。
「資料を見つけるのは、僕とヤザンがやるよ。場所が分かったらあんたが走って行けばいい。それまで待っていてよ」
ヤザンもそれに賛成した。クラウディアは確かにこの時までずっとアドナーンのことばかり考え続けており、はたから見ても疲れ切っていた。
資料は管理棟事務室にまとめられていた。ただ、様々な収納を終えた引き出しやスライダックを覘くと、急いで出撃していった様子がうかがい知れるように、乱雑に資料がしまわれていた。
「やっと見つけたぞ......拘置室がこの階のすぐ上にあるらしい。普通は地下なんだがな」
ヤザンがそう言うが早いか、クラウディアは階段室へと走り出していた。だが、ヤザンは次の資料を見て、もう一度クラウディアに声を掛けようと思った。
「クラウディア、ちょっと待て。ああ、行ってしまったか......結論から言うと、アドナーンは連れて行かれている。アドナーンを連れて、士官と艦隊乗組員たちはカムチャッカへ向けて遠征作戦に出撃している。なぜだろう。そして、アドナーンもつれていかれた......なぜだろうか」
クラウディアの走っていった階上には、確かにそこには最近までアドナーンが収容されていた跡があった。そして、出撃命令書もあった。それによれば、彼らはかつてカムチャッカ半島と言われたカムチャッカ大山脈の最高峰アバチャ火山の麓へ行くということだった。
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ビルシャナはアザゼル召喚を急遽決めたものの、そのためにはカムチャッカ大山脈のアバチャ火山まで行く必要があった。それゆえ、ビルシャナは全艦隊をもってカムチャッカへの遠征作戦を、突然命じたのだった。
今回の作戦は、表向きはカムチャッカへの遠征行によってナサナエル達をマリアナからおびき出すことだった。もちろん、この巡航艦隊によってナサナエル達をおびき出して艦隊を追わせることは、作戦としては間違っていなかった。しかし、恐ろしい力を有するナサナエルたちが後を追って来るという構図が、ビルシャナを恐怖に陥れていた。もちろん、後宣明帝などに彼の慄きを知られていないはずだったし、知られてはならなかった。ただ、後宣明帝などは、ビルシャナが急にカムチャッカ大山脈へ行くと言い始めたことには驚いたようだった。
ビルシャナは、乗り込んだ巡航艦の艦長をせかしていた。皇帝も司令長官らも急いでいなかったのだが、ビルシャナは敢えて巡航宇宙艦の艦長をせかしていた。
「さあ、この艦だけでも出来るだけアバチャ火山へと急ぐのだ」
「はい。しかし、なぜそんなに? 参謀の指示も司令長官の指示もありませんし......」
「急がなければならない」
「『この艦だけでも』ですと? なぜ急いで単独進撃するのですか。ビルシャナ様が何を求めていらっしゃるのですか、何を必要とされているのですか? なぜ必要とするのですか?」
「必要なものがあるのだ」
「ですから、何を、なぜ必要とするのですか。なぜですか あなた様がいればそれだけで煬帝国は十分に強いはずなのではないのですか?」
「そ、そうだ」
「どうしたのですか、まさか、あなた様に手に負えない何かが......」
「そ、そんなはずが無かろう」
ビルシャナは顔を隠しながら、何かを隠す言動すらもごまかしながら、艦内の自分の部屋にこもってしまった。
カムチャッカ大山脈のアバチャ火山へ行くに際して、ビルシャナは2000隻からなる巡航宇宙艦隊を率いた。最大戦力を伴ったはずなのだが、ビルシャナは戦慄を消すことができないままだった。
「ベラ様は、本来ならば千年ほど経った未来に召喚するはずだったのだが、事ここに及んでほかの手段はもう尽きた。あいつらの力に私は遥かに及ばぬ。仕方がない」
ビルシャナは独り言のように考えを口にして、自分を納得させていた。
ヤザンたちは、前方の宇宙空間に無数の光点、すなわち 煬帝国宇宙艦隊の幾重にも展開した姿を確認していた。
「おそらく、彼らは僕たち2機はおそらく彼らに追跡されているだろうね。宇宙空間ならば光学的に追跡可能なはずだ」
「ヤザン、それが分かっていて、このまま進んでいくんですか」
「その通りだ。僕たちがここに来ることは、彼らの作戦のうちだ。なぜかは知らないが、アドナーンを連れ去ったのは、クラウディアをおびき寄せるためだろうし、僕たちを此処に来させるためだろうな。彼らははじめから僕たちが来ることを知っているはずさ」
「それなら、なぜ隠密に隠れて着陸する場所を探しているんですか」
「それは、彼らのタイミングではなく僕たちのタイミングで彼らに攻撃を加えたいからだよ」
「私たちのタイミング?」
クラウディアは不思議そうな顔をヤザンに向けた。それにうなづきながら、ヤザンは重ねて指摘をした。
「クラウディア、あんたはアドナーンを取り戻したいのだろう。アドナーンがここまで連れて来られたのには、必ず理由がある。アドナーンはただの囚人、人質じゃあない。ここで何かをしようとしている彼らに取って、必要なのだろう。だから、彼らが一番必要としているタイミングであれば、彼らはアドナーンの見に集中しているはずだ。その際に、突入していくんだ。但し、彼らがアドナーンを使う前でなければならない。すべてが終わってしまっては、おそらくアドナーンは殺されてしまうだろう」
「わかったわ。私たちは現在把握している情報を活かして、そのタイミングを逃さないように、準備しましょう」
三人はわかっている限りの情報に、推定を加えて準備を進めて行った。
アバチャ火山の麓近くのカムチャッカ海溝谷には、遠い過去より儀式のために大洞窟が用意されていた。本来ならば1000年後に活用するはずのその洞窟にて、ビルシャナたちは急いで祭壇や司祭席、会衆席を設け、儀式の場を作り上げようとしていた。
現実には、儀式会場に祭壇を設けた後は、すでに実質的に儀式が始まっていた。ビルシャナは自ら式を司りつつ、その背後に士官たちを助祭司や会衆として整列させつつあった。
「ビルシャナ様、急遽用意しようとなさっているこの儀式は、何を目的としているのですか?」
「何を目的としているか? だと。そうだ、未来を拓くための儀式だ。そう、煬帝国の、これからの煬帝国が千年の帝国となる為の......」
ビルシャナは助祭司達にそう説明しつつ、祭壇に裸で気絶したままのアドナーンを運び込み、仰向けに寝かせていた。その時、大洞窟の入り口からヤザンの大声が聞こえた。
「ほお? あんたたちが千年帝国となるというのか? 啓典の書にある千年帝国が、あんたたちの手によって実現するというのか? 笑わせるな」




