31 マリアナ海溝谷での反撃
危ないタイミングだった。ヤザン、ナサナエル、クラウディアは、アダクから派遣された2機の飛翔体に、寸でのところで乗り込むことができた。彼らはすぐにカリフォルニアの海溝谷を脱し、その上空へと上昇した。
その上空にはすでに煬帝国の大宇宙艦隊が、ビルシャナの監督の下に艦隊司令官林聖煕が隙間なく艦隊を二重三重に展開していた。
「正面の敵艦隊、艦影数6000を確認。おそらく巡航爆撃艦隊と思われます。そして、さらに上層にも同数の艦影を確認しました。これは旗艦艦隊及び巡航宇宙艦艦隊です」
ナサナエルの声に、クラウディアはヤザン機に向けて無線で悲鳴を上げた。ヤザン機、クラウディア機の突き進む上空からは、艦隊の艦影のみならず、非常に細かい無数の光点までが見え始めた。
「あれは爆弾です。正面からの爆弾です。総数は確認できません。カリフォルニアの海溝谷を目標にした攻撃ですね。危ないタイミングでした」
ここまで飛翔体を操縦してきた係員が、ほっとしながら指摘した。だが、正面の爆弾は無数であり、それらを突破するだけでも一苦労であることは容易に想像できた。それを聞いたナサナエルは蒼白顔をしながら、隣のクラウディアを一瞥した。
「クラウディア、僕はあんたに命を預けたよ」
クラウディアはその声にこたえる余裕もなく、ヤザン機に呼びかけていた。
「ヤザン、このまま突っ込むのですか?」
「もちろんだ」
その返事が終わる前に、大艦隊からの大物量の爆撃が届き始めていた。飛翔体には直撃こそなかったものの、近接信管によって誘爆の衝撃が絶え間なく続いた。
「耐えろ、もうすぐ敵艦隊を突破できるぞ」
帝国艦隊からは大物量の爆弾を弾幕のように降り注いだにもかかわらず、ヤザンたち飛翔体の上昇速度は落ちなかった。
「このままでは、敵飛翔体によって防衛線を突破されます」
副官たちの悲鳴に、艦隊司令林聖煕は大声で怒鳴っていた。
「全艦、地球表面前面に向けて弾幕。続いてミリオンガングナー展開。急げ」
2機の飛翔体は上昇速度を増して、艦隊の第一波を突破した。だが、その先にもまた二重に展開した帝国巡洋艦隊が待ち構えていた。
「前方より弾幕、膨大な剣密集雲群が確認できます」
ナサナエルが悲鳴のような報告をした。すると、クラウディアが続いて大声を上げた。
「ヤザン、これでは逃げきれない」
「前方の敵艦隊、前方11時方向に手薄な部分発見」
ナサナエルの報告に、クラウディアとヤザンは反射的に応じた。
「前方11時に転進。上昇速度増強20」
この直後、2機の飛翔体は機体に直接衝突する弾幕と、密集体形の刀剣からなるミリオンガングナーの濃密な衝撃とによって、激しく振動を受け始めた。
「ヤザン、この機体、持つの?」
「そうよ、こんな激しい衝撃に耐えられるの?」
「大丈夫だ」
ヤザンはそう言って、無言のまま上昇をし続けた。さらに上昇を続けると、その前方には、今までのミリオンガングナーよりもさらに大きな鉄の杭の塊の密雲が、びっしりと前方をふさぎ始めた。この状況を確認したヤザンは顔を蒼くした。
「これはいけない」
それを認めるように、スキャナーを見つめていたナサナエルが捕捉した。
「前方の剣密集雲群は、構成している杭がこの飛翔体ほどの重量があります。我々を粉砕する質量です。このままでは、この機体は無事で済まないですよ」
「地表へ引き返せ」
「速度が速すぎます。これでは逃げきれません」
「いや、急加速で逃げ切れるはずだ」
「そんなあ」
「体がもたない......」
そんな騒ぎをしつつも、二機の飛翔体はかろうじて鉄杭の密雲の前方をかすめて地表へと急降下した。
「鉄杭群、追ってきますよ。爆弾のような自由落下じゃない。あれは誘導されている......」
「敵の霊剣操......」
「それなら、僕があの群れを乗っ取ってやるよ」
ナサナエルはそういうと後ろを向き、強い念波を意識した。この時、ナサナエル本人も自覚していなかったのだが、彼は渦動結界を生じせしめていた。それにより、誘導されていたはずの鉄杭群はあっという間に進行方向が出鱈目になるとともに、次々にばらばらに地表へ墜落していった。
「敵、非常に強い渦動結界を形成」
副官の報告に林聖煕は耳を疑った。
「敵に味方する神邇がいるのか?」
「いえ、神邇は見当たりません。あの飛翔体には4人の人間しか乗っていないはずです」
「では何者が渦動結界を形成したのか?」
「不明です」
このやり取りに、ビルシャナが反応した。
「林聖煕司令官、それはおそらくナサナエルだろうよ。月の南極基地で、帝国は彼に念波の増幅宝珠を埋め込んだ。おそらくそれが彼に結界形成の能力を与えてしまっている」
それを聞いた聖煕は、ミリオンガングナーなどの誘導体による攻撃を止めざるを得なかった。それでも帝国軍は、地表に方向を転じたヤザンたちを追い詰めつつあった。
「敵飛翔体、間もなく地表に到達します」
袁元洪が報告をしたと同時に、艦隊総司令の林聖煕は矢継ぎ早に司令を飛ばした。
「奴らを、マリアナへ追い込め。そうだ、このまま進むと、マリアナ海溝のどこへ向かっていくのかを算定せよ。いずれにしても、マリアナの近くならば帝国軍の地上部隊と挟撃できるぞ」
「敵機、さらに高加速度を増しています。このままでは、地上軍の展開、間に合いません」
「敵機がマリアナ以外に向かおうとしたら、爆弾攻撃を加えよ」
こうして、巧妙な帝国軍の追い込みによって、ヤザンたちはマリアナ海溝の中へと降下し続けざるを得なかった。
「このままでは......」
ナサナエルが絶望の声を上げた。ヤザン機からも悲鳴のような声が聞こえた。
「前方直下のマリアナ海溝谷には、煬帝国陸上戦力が展開しつつあります。そこは避けねばなりません」
ヤザン機とクラウディア機は、なんとかマリアナ海溝谷を反れて西へ向かった。それでも、地表に近すぎたために、マリアナ海溝谷の西のヤップ谷へ着陸するのがやっとだった。
三人は、飛翔体に係員を残して着陸地点の周囲に展開した。
「ここにはまだ帝国軍は展開していない」
ナサナエルがホッとしたように指摘すると、ヤザンは上空を見上げながら返事をした。
「いや、安心はできない。上空に帝国艦隊が集結している。陸上戦力展開の時間稼ぎだな。僕たちの飛行を妨げて此処から逃がさないつもりらしい」
「東から帝国の陸上戦力が接近しつつあります」
飛翔体の中に控えていた係員が声を上げた。その声とともに、東の谷あいから帝国軍陸上部隊の機械音がこだましてきた。
「敵の戦力はどの程度なのか、分かりますか」
ナサナエルが飛翔体の係員に問いかけた。すると、ヤザンが飛翔体の係員の下に走り寄り、スキャナーに表示された像を見入って様々に話し合っていた。
「敵の戦力はざっと40万人。この陣形はいわば鶴翼陣形だ。さらに後方には砲兵部隊が展開し始めている」
ヤザンはスキャナの映像を見立てて簡単に指摘した。その指摘にナサナエルは蒼白になって独り言のように繰り返した。
「40万?」
「そう、それもおそらく五行鬼と呼ばれた新人類たちだね」
ヤザンは淡々と指摘を重ねた。他方、ナサナエルの絶望した顔に、さすがのクラウディアも呆然自失だった。
「じゃあ、どうすれば......」
「作戦を立てなければね」
ヤザンは、二人の若い男女が共に蒼白な顔をしているのを見ながら、すました顔で続けた。その顔に、幾分元気を取り戻したナサナエルとクラウディアは、全くわからないという顔をしながら返事をした。
「作戦?」
「僕は、あんたたちに霊刀操を教えたはずだよ」
「でも、あれは対人近接戦闘用の技ですよね」
「あれ、分かってないね。口頭での授業もしたはずなのだが」
「詠唱は確かに教えてもらいましたが、説明はまだです」
「あれ、そうだったっけ。まあ、味方に刀を向けないことさえ守ってくれれば、後はなんとかなるよ」
こんなやり取りをしている間に、帝国軍陸上部隊が三人と飛翔体2機とを囲むようにして迫ってきた。それを一瞥し、ヤザンは二人に重ねていった。
「敵は、ほら、陸上の戦闘部隊の後衛に砲兵部隊を展開してるし、上空からおそらくは精密爆撃をしてくるに違いない。さらには霊剣操によって、刃の嵐も降らせてくるだろうよ。彼らは必ず飽和攻撃を仕掛けてくる」
「え、じゃあどうするの?」
「飛び道具の飽和攻撃は、僕が引き受けるから、陸上部隊を二人に任せたよ。いいかい、じょうほうのぼくとみかたには刀を向けないことは守れよ......」
ヤザンはそう言いながら、係員を控えさせていた飛翔体にさっさと乗り込んで空へ舞い上がってしまった。あっという間の出来事に、クラウディアとナサナエルは恐怖と戸惑いに混乱していた。
「そ、そんなあ」
ドドドド。ガラガラ。様々な音が谷に響き渡り、膨大な数の敵兵たちが、クラウディアとナサナエルを囲み始めた。
「ディア、引き付けて霊刀操で敵戦闘員の足を払うようにしよう。そうすれば、倒れたやつらに後続が足を取られるに違いないよ」
「そうね、じゃあ、その作戦でいきましょう」
二人は霊刀操の詠唱を始めていた。だが、クラウディアはあまりよく覚えていなかった。
「ディア、何やっているんだよ。教えてもらった通りに詠唱しろよ」
「でも、難しい言葉を使うんだもの、覚えられなかったのよ」
「ええ? じゃあ、僕の後に続いて詠唱をしてみろよ」
「うん」
二人はゆっくり詠唱をした。初めにナサナエルが詠唱すると、そのフレーズをクラウディアが繰り返す。そんな調子で始めたため、通常の4倍の時間がかかった。
「時間がかかりすぎだ。もう50メートルも無いじゃないか」
ナサナエルがそう言って、両手に真刀と空刀とを出現させ、少し遅れてクラウディアも両手に真刀と空刀とを出現させた。二人は両手に両刀を出現させると同時に、周囲360度すべての敵兵の足めがけて両手を扇のように広げて薙ぎ払った。
その途端......
二人は敵兵の足を薙ぎ払ったつもりだった。ところが、敵兵と機械化部隊は、見渡す範囲のすべての兵たちはおろか、周囲の崖までもが一瞬にして蒸散した。その結果はナサナエルとクラウディアから見える地平線に至る範囲にあったすべての五行鬼たちや武器、砲弾、岩などが混ざり合い、ガラス質の平坦面が広がっていた。
「こ、これは......」
「確かに、味方に刀を向けてはいけないわね」
ナサナエルは霊刀操の威力にしばらく口を利くことも、さらに戦いを続けることも忘れるほどに驚いた。クラウディアは冷静に見えたのだが、口にした内容は、頓珍漢な言葉だった。そして、彼らが顔を見合わせて上を見ると、彼らの驚きがさらに増した。
「林聖煕総司令!。敵が、味方地上部隊の3個師団をいっぺんに消滅させました」
「何、何が起こっている?」
「観測班によりますと、地上の二人が我々の知らない武器を用いています」
「何が起こっておるのだ?」
聖煕は席から身を起こし、報告しているか士官の手許のスキャナーを見て言葉を失った。先ほどまでは、帝国軍陸上具体が、谷筋に沿って見えないほどの前方にまで戦列を伸ばしつつ突撃進軍していた。それが一瞬にして消滅して溶融し、ガラス面となっていた。その後続部隊でさえも、大きなけがを負った招聘たちが転がっていた。それでも帝国軍陸上部隊は進軍を止めていなかった。彼らは友軍がが取り込まれたガラス面の上を突撃していった。その戦列に対して、ふたたび二刀が振るわれ、突撃していったはずの陸上部隊が再び消滅して溶融した。聖熙の目の前で、数万人の兵士たちが次々に溶融していく光景は、この世の地獄と見えた。
「こ、これは」
聖煕は思わずビルシャナの方を振り向いた。だが、ビルシャナは目をつぶったまま動じてはいなかった。
「あれは未知の絶対兵器だ。戦闘空間で使われては我々は手が出せん。陸上部隊は、本来ならば詰めに使うべきだろうな?」
「わかりました。陸上部隊の突撃を中止します」
聖煕がそう答えた途端、別の報告がなされた。
「敵機一機が上昇してきます。尋常ではない載り方、というか、人間がひとり身を乗り出しています」
それを聞いたビルシャナが立ち上がって傾国のような声を発した。
「何?、それはまずい。十字砲火で撃ち落とせ!」
だが、その命令は遅すぎた。
ナサナエルとクラウディアが見上げた上空には、砲弾と刃と爆弾が飽和攻撃によって空いっぱいに放たれていた。落ちてくる際の風切り音は一切聞こえてはおらず、それらが二人めがけて降り注ごうとしていることは明らかだった。上空へ飛びあがっていたクロスアラベスクは、それらの下で猛烈な速度で円軌道を描き始め、ヤザンがコックピットから両手を広げたまま身を乗り出した。そのとたん、空を満たしていたすべての砲弾も刃も爆弾も、一瞬にして蒸散した。すると、ヤザン機は休む間もなく、さらに上空に展開する帝国艦隊めがけて突き上げるように上昇していき、ふたたび一瞬にして、天空いっぱいに展開していた大艦隊を、一瞬にして消滅させていた。
「あ、あれは何?」
「あ、あれがヤザンのわざ?」
地上の二人は、ヤザン機のあっという間の殲滅行動に、自分たちの戦いを忘れていた。だが、彼らはわれに返らざるを得なかった。彼らの周囲には、ふたたび敵の陸上部隊が迫っていた。
「総司令。我々の下方で、飽和攻撃を仕掛けたはずの爆弾と砲弾が、敵機からの閃きのようなもので、一瞬にして消え去りました」
「なにい?」
。聖煕もスキャナによって地上、そして上空の爆撃艦隊の爆撃、さらに十字砲火の様子を見ていたはずだった。だが、聖煕は何が起こったのかをまだ理解していなかった。すると続けざまに報告がなされた。
「敵機、爆撃艦隊にむけて真っ直ぐに上昇中です」
「十字砲火はどうした」
怒鳴ったのはビルシャナだった。聖煕は驚いてビルシャナの方を見ると、ビルシャナは怒りの形相でまくし立てていた。
「その一機を打ち落とせ。急げ、対空砲火、十字砲火を強化せよ」
しかし、次の報告は、その処置が間に合わなかったことを告げた。
「総司令、展開中の味方爆撃艦隊が一瞬にして消滅しました。残りは航行不能。爆撃艦隊壊滅しました! 敵機なおも上昇中、中英の宇宙巡航艦隊に向けて上昇してきます」
「まずい。艦隊全艦散開して迎撃せよ」
ビルシャナが直接命令を下していた。それほど事態は急速に悪化していた。
このような戦いがしばらく続いた。さすがの帝国軍陸上部隊はもう攻撃を止めており、手を持て余したクラウディアとナサナエルは飛翔体に乗り込んで、上空の戦闘の様子をスキャナ越しに見ていた。
上空では、帝国艦隊を構成していた前衛の爆撃艦隊、中衛の巡航宇宙艦隊はすでに壊滅し、後衛の旗艦艦隊が散開してミリオンガングナーを駆使しつつ、ヤザン機との死闘を繰り広げている最中だった。
「あ、ヤザンがまた敵艦を撃沈した。あ、また一つ……」
「僕たちにヤザンが教えてくれたこの技は、使い方を間違えるととんでもないことになるね」
「私、もう使いたくないわ」
「でも、また敵軍が攻めてきたら......」
「そうね、そうしたら、霊剣操で対抗するし、剣技でも十分対抗できるわ」
「そうか......」
いつの間にか、上空からは敵艦隊が逃げ去っていた。それとともに、ヤザン機がゆっくり降下してきた。
「敵は、まだ全滅していない」
ヤザンは地上に降り立つとそう指摘して、疲れ切った体を横にした。
「さすがに疲れたよ。あんたたちも疲れたはずだよ。この技は、敵にとってみれば未知の絶対兵器だろうよ。ただ、われわれも疲れてしまうのが欠点だ。僕はしばらく眠りたい。あんたたちも寝ておきなよ。帝国はしばらく攻撃をしてこないはずだ。念のためにスキャナで見張りをさせておくから......」
ヤザンはそう言うと眠ってしまった。




