18 深海の怪物
煌めかない星、底なしの漆黒の空。それは、カミラにとって地上フロアで見る最後の外環境だった。その時、彼女は祈りの言葉を口にしていた。
「啓典の主よ。私はすでになすべきことを為しました。虫けらのような私の仕事は、取るに足らぬものです。それでも少しばかりでも、啓典の主のお役に立てれば......願わくば、彼ら二人をお守り下さい」
彼女は、美姫アーレスの決定により、後はただ最下層へ送られるだけだった。そんな彼女に誰も彼女の動作に無関心であり、最後の風景に祈る彼女以外、見慣れた外環境に注意を払う者はいなかった。
(あ、あれは誰なのか?)
彼女の視線の先には、外環境に平然と立っているマッドサイエンティスト レビ・アイアサン博士の姿があった。
「あなたの願いは必ず聞き届ける。あなたの思いは必ず実現する。あなたの悔しさは必ず火炎となって実現する」
驚いたことに、彼は真っ直ぐにカミラを見つめ手を差し伸べつつ、彼女の心に疑似声音で語りかけていた。そして、 彼女の祈りは確かに聞き届けられていた。ただ、併せて与えられた預言の内容は陸上の生物を全て殺す火炎の到来だった。それは、約600光年の遠くのオリオンの主星ベテルギウス崩壊を意味していた。ただし、それらは兆しさえまだ地球に届いていなかった。
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ロッキー山脈の南端にあるオアハカは、今ではコロンビア連邦からも、また煬帝国からも見放された辺境の地となっていた。ほとんど熱帯雨林と霧雨に覆われ続ける未開世界であり、ジャングルの中に連邦軍の秘密軍事基地だけが忘れ去られたように残されていた。
その司令官タエは数十人の部下たちとともに、ニュートリノレーダーの運用を任まかされていた。レーダーの心臓部は、オアハカの海岸の近くの海溝7800メートルの深海中に沈められた巨大なセルで、耐圧ドーム中に大量の純水を入れたものだった。
この日、タエと部下数人は、巨大なセルの定期点検のために深海用潜水艦で潜りつつあるところだった。数日前から、月の南極域基地の地中深くへと次々と帝国軍宇宙艦隊が帰投しつつあった。それゆえ、月地中深くの帝国軍宇宙艦隊の動向を、いつでも高感度で検出できるように、セルのガドリニウムの濃度を調整するために潜水作業に向かっているところだった。ただ、海底7800メートルにあるため、潜るのにも数日かかっていた。そして、非常に不便なことに、ふたたび浮かび上がるのにはもっと日数と時間を要するはずだった。
そんな物思いにふけっていた時、操舵手が大声を上げた。
「司令官、何かが深海から上がってきます」
その警告と同時に、深海の深い漆黒の闇から四つの足の生えた巨大な深海魚のような怪物がゆっくりと浮かび上がってきていた。
(タエ、聞いているか)
突然、タエの頭の中に疑似声音が響いた。
「はい」
タエは突然声を出したように、周りには見えただろう。
「あなたはどなたですか?」
それは聞き覚えのある疑似声音だった。それはかつて神殿トカゲと呼ばれていた怪物に似ていた。
(私は、以前には神殿トカゲとしてあなた方に臨んだことのあるレビ・アイアサンである)
「レビ? いや、私はあんたを存じ上げている。あんたは大天使ミカエルと呼ぶべきではないですか?」
(今はそんなことを議論する時間が無い。よいか、タエ、よく聞け。あなたたちはふり返ってはならない。残りの者たちは全て深い谷に入り込み、そこに住まえ。もうすぐ、そう、一年後、地表は生物のみを殺す火炎によって焼き尽くされるから)
「それはどういう意味ですか」
「ベテルギウスにおいて、あんたたちが超新星爆発と呼ぶ恒星の崩壊現象が起きる。しかも、ベテルギウスの回転軸がこの太陽系に向いている。それゆえ、一年後に地球上でベテルギウスからのガンマ線が届き、全地上はガンマ線によって焼き尽くされる。そして、数年後には衝撃波によって水が失われる。あなた方は急ぎ、6500メートルより下に隠れなければいけない」
「なぜそんなことを信じられると?」
「啓典の主の御名によって来る者に祝福あれ。これは必ず成就される」
タエは、驚きつつも預言を受け止めるしかなかった。
タエたちは、ニュートリノレーザーのセルに到着すると、係員がタエたちに駆け寄ってきた。
「ちょうどよいところにいらっしゃいました。ベテルギウスからのニュートリノに明らかに異変が感じられました。今までの炭素核融合から、酸素核融合に段階を移していると思われます。おそらく一年後に超新星爆発が観測されると考えられます。いや、観測どころのものではなく......」
それを受けてタエが口走った。
「超新星のガンマ線バーストが太陽系を、地球を襲う......」
「ええ、その通りです」
タエが受け取った預言は現実だった。その時疑似声音がタエの頭の中に響いた。
(啓典の主は、現実の神、生ける者の神である)
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帝国軍の月南極域基地は、巡航爆撃艦が徐々に帰投し始めていた。それでもすべての艦艇が再び集結を終えるには、まだ時間を要する見込みだった。総参謀本部は、前回の空挺作戦が失敗に終わったことを顧み、再度作戦の練り直しをしていた。
「帝国宰相のおっしゃるとおり、今は帝国戦士のかわりに、ベテランアサシンたちが五行鬼たちを指揮するしかない。今から地球のすべての国術院を使って即席でもよいからアサシンを養成する必要がある」
「しかし、養成には少なくとも一年はかかるでしょう」
「そうでもなければ、五行鬼たちを指揮できないから、な」
「では、帝国戦士はどう活用すべきなのですか」
「上陸強襲艦隊の艦船、そして旗艦及び準旗艦には、我々参謀本部付のベテランアサシンたちが登場することにする。また上陸強襲艦には上陸部隊を乗せる。上陸部隊指揮官はやはり国術院卒のアサシンが務めることとする」
参謀たちは、さらに続けた。
「そして、美姫アーレス、あんた達帝国戦士たちは、上陸強襲艦隊とは別行動をとる爆撃艦隊を操艦してもらう。それらの艦の艦長、航海長、戦闘指令を務めろ」
だが、事態はそう簡単ではなかった。前回の空挺作戦で2万4千名ほどの帝国戦士が死亡しており、その補充には煬帝国や欧州方面軍、アフリカ方面軍などの各方面軍から、補充の帝国戦士を募り集結させて訓練を終えるには、1年ほどの年月を要した。また、国術院卒の即席アサシンたちを確保するにも一年を必要とする見込みだった。
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オアハカの深海でタエが予告を受けてから一年半後、深海都市建設はオアハカと北方辺境地アダクとで、急ピッチで完成に近づいていた。
「連邦軍があのとき、帝国の宇宙からの攻撃を撃退できたことは、たしかによかった」
「ああ、これで海底都市建設の時間が稼げたんだ」
タエはそう言いつつ、ほっとしたような顔をした。久しぶりに見せた微笑みだった。そして間もなくニュートリノレーダーのセル周囲の大空間も、海底都市として利用する工事が完成まじかだった。そして一年がたとうとした時、ニュートリノ検出器の巨大なセルがついに帝国の動きを検出した。
「タエ司令官、月の南極域基地からの出撃の様子が観測されました」
「そうか、いよいよ戦いが始まる・・・・」
だが、次の日、ニュートリノレーダーは、月世界とは異なる全く別のところからのニュートリノの微弱ながら異常な挙動を伝えてきた。
「タエ司令官、非常に気になるニュートリノを捕らえました」
「月からか?」
「いえ、オリオンの主星ベテルギウスからです」
タエは独り言のように、繰り返した。
「超新星? 超新星......」
(もうすぐ、火炎が大地を襲う、と言われたことがある。これか? 本当なのか。あと3日経つと、ガンマ線バーストが大地を襲う......)
「そうです。三日後におそらくガンマ線が到来します。三日目までに地表からの避難を完了する必要があります」
こうして、要塞群にのみ残っていた連邦国民、すなわち要塞の全戦闘員は全てが急ぎオアハカ沖の海溝に設けられた海底都市へ、もしくは、アダク島沖の海溝に設けられた海底都市へ、退避を進めた。三日目には、コロンビア連邦のオアハカ要塞以外の各要塞は全てもぬけの殻と化していた。




