10 院祭へ
クラウディアは、化粧の副教科も学んでいた。それも国術の一種とされているのだが、それは見る者を魅惑するものだった。彼らやクリスパーアーレスの女生徒、そして火炎族・土塊族、水明族、木精族の女生徒たち、白兵戦や武術を受講する男女で敵に威圧を与えたいと考えている男女たち、舞踊や接触奉仕を受講する男女たちもももれなく受講していた。
「まずは洗顔だね」
国術院の師範や教官の中でも、化粧術を究め晴れて国術院の講義をする教官は、極めて美しい傾国と言われていた。その傾国が化粧術の結果としての自らの肌と、手にした洗顔料を学生たちに示して説明をつづけた。
「洗顔料をこのように手に取って……、ああ、そうか、ここは月基地だから水は貴重だね。でも、しっかり洗い落とす必要がある」
教官はさらに地平線上に鋭く光る太陽を示しながら次の説明を始めた。
「月表面では紫外線が非常に強いから、日焼け止めは必要だね。その上に化粧下地、ファンデーションを適用すれば、一応は終わっている。この上に、様々な顔料を重ねて外観を意のままにするんだ。例えば、威嚇のためならば目の周りの印象付けの顔料を使う。また、美貌のためならばコンシーラーとフェイスパウダーをつかう。こんな紫外線の強いところに長く居たものであれば、肌にメラニンの焦げ跡が沈着してくるよ。そうしたら、コンシーラーでその傷跡を隠してから、フェイスパウダーを使うんだ」
クラウディアに限らず、学生たちは一生懸命メモを取っていた。
受講している学生らにとって、煬帝国の辺境の地、東瀛で生産されるきめ細かいファンデーションやチタニア・カオリンなどの顔料エマルジョン液は、なかなか高価だった。それでもこの様な化粧術の学習の場があれば、男女の学生たちは競って化粧術を学び、毎朝思い思いの化粧を施して登校するようにさえなった。特に女子生徒たちは見かけの美貌について研究熱心なこともあって、男子学生たちが振り回されるようになった。次第に施術の上手な数名の女子学生たちが、男子学生たちから目立って注目され人気を集めるようになっていた。
「こんなに美男美女がいたのか」
「ああ、皆自分自身を磨き上げたんだろうよ。ここでは、もともと国術院で教壇に立つ師範や教官が煬帝国人の中でも美男美女なんだろ。だから、学生もそれに負けないほどの美貌を獲得しようとするのさ」
「誰が一番だろうかな」
「ドラウグル・ミルシテインじゃないか。木精族の女はやはり美貌の醤油顔が特徴だな」
「インドレイ・キーンもなかなかの美貌の木精族女子だぞ」
「なんだよ、木精族ばかりだというのか? ケンラルド・コアムイも火炎族の女らしいソース顔だぞ」
「ぺリアルドン・ケンコロラルーは土塊族らしく身体は大きいが、それだけスタイルがいい。それが美貌を引き立てているぞ」
「パメラ・エカンドロはどうだ。シャイな雰囲気が水明族の特徴だが、それが黒褐色の美しさを引き立てているぞ」
院内でそんな会話が盛んにされるようになると、名前があげられるようになった女子学生たちは、互いに互いを意識し、また彼女たちを見つめる男子学生たちの視線をも意識するようになった。すると、騒ぎの好きな男子学生連中が悪だくみをし始めていた。
「そうか、そろそろ院祭の季節だな。その一番の催しが出来そうだな。さあ、誰が一番なのか、投票しようぜ。」
「そうということであれば、男子学生ばかりじゃない、私たち女子学生たちにも投票させろよ」
「そうか、それではわれわれ師範たちにも投票させよ」
「ということは、美しい国術院生とともに祭事を行うと呼びかけて『ミス月国術院コンテスト』開催は本決まりだな」
このようにして、毎年行われる院祭に伴って時々行われる「ミス月国術院コンテスト」が、いつの間にか師範たちも巻き込んで開催されることが決まった。師範の一部はそれを利用して化粧術ばかりでなく舞踊術の出来栄えも競う場にしようと考える者たち、さらには「コンテスト」を祭事にまで格上げしようとする者まで現れた。そして、いつもであれば単なる競技披露大会という院祭が、「コンテスト」がメインテーマとなった院祭に変質してしまった。
ナサナエルは、そんなお祭り騒ぎが始まったことに少しばかりの異様さを覚えていた。但し、クラウディアはそんな美女コンテストに全く興味を払わず、またクラウディアしか目に入らないアドナーンはクラウディアの参加しないお祭り騒ぎなど、当然気にしていなかった。
国術院での生活の日々はこうして過ぎ行き、院祭の準備が本格化した。月の南極地にあることから、院祭を見に来る見学者たちは、どうしても月表面で活動を許されている経済奴隷や、地球の煬帝国本国からの客人たちに限られていた。それでも煬帝国皇帝後宣明帝御夫妻がいらっしゃるという話が伝わってから、さらに院祭開催の雰囲気が高まった。
会場となる国術院演武場は、六重層のエリアから構成されていた。舞踊・闘技などの身体競技は最下層の最大面積を有する講堂部分だった。その上は艦隊操作術や陸戦陣形術の机上訓練をする場であり、操作盤の前には指令を出した結果を映し出す戦況が映し出される広大な三次元戦況空間が備えられていた。さらにその上には最上階に後宣明帝をお迎えする場とともに、その階下二層にわたって御前試合の特別エリアが設けられていた。
さて、ミス月国術院生コンテストは、予備的に男子学生のみで行った投票の結果、全ての候補者が同数となった。五行鬼である女子学生たちには、優劣つけがたいことを考えると当然のことだった。ただ、このままでは投票結果にほとんど差のないものになり、騒ぎになりなねないという恐れが生じてきた。
そんな相談事のために、ある昼休みに院祭委員たちが雁首をそろえて嘆き節を謳っていた。
「明白な投票差が生じないと、コンテストにならないぜ。ほかの種目なら、勝ち負けではっきり結果が示せるのに......」
「でも、いまさらやめられないぜ。今の候補者たちは皆懸命に競い合っているものなあ」
「師範たちも、心配しているぜ。ある師範は、圧倒的な勝利でわかりやすい形で結果をだすべし、だとさ。後宣明帝陛下の御前でもめ事を起こすな、ということらしい」
「じゃあ、その圧倒的な勝利を得る女子学生はいるのか」
「いや、いないんだな、これが」
そんな差し迫った議論をしているところへ、化粧術の講義を受けにクラウディアが通りかかった。彼女の連れ合いのアドナーンとナサナエルは、二人とも武術を受講することになっており、彼女と別れて別の講義棟へと向かった後だった。
「あれは、どこの娘だ?」
「あれだけの美貌だ、候補者リストを見れば名前がわかるさ」
「そうか、そうだったな......いや、無いぞ」
「そんなバカなことがあるか、美女は皆自信家だ。自信家ならば必ず登録しているはずだが......」
「いや、このリストにはいないぞ」
「この国術院に、そんな消極的な女子学生が入れるはずがないぞ」
「じゃあ国術院の学生じゃないのか?」
「いや、確かに国術院生だぞ。身に着けていた章でわかる。確かにうちの学生だった」
こんな議論をしている間に、クラウディアは化粧術の講義室に入ってしまい、院祭委員の視界からは消えてしまった。
夕方となり、クラウディアは化粧術を受けたほかの女子学生たちとともに講義室を出て、別の講義等へと移動をし始めた。それは、アドナーンとナサナエルの待つ武術の講義棟だった。そのクラウディアを、院祭委員たちが見逃すはずはなかった。
「お嬢さん、ちょっとお待ちを」
「え? なんですか」
「相談です」
こんな呼びかけ方では、クラウディアでなくとも警戒するだろう。特に五行鬼の男たちが囲んで引き留めてしまっては、クラウディアは絶対に警戒心を解かなかった。
「今、急いでいるんです」
「おっと、少し待ってくれないかな」
「いやです」
こうなるとクラウディアも必死だった。何度か身をかわすと、院祭委員の五行鬼たちを振り切って駆け去ってしまった。
「あれはだれなんだ?」
「あれは、人間族のクラウディアだよ。あの学年には人間族は3人しかいない。そして他の学年には皆無だ。それにしても、あの美貌だろ。もったいない。圧倒的な得票となるだろうな」
「じゃあ、登録してしまえよ」
「そうだな、出場を嫌がる奴なんていないよな」
こうして、クラウディアは本人の知らないところでコンテストに出ることになった。
こうして、国術院では院祭に向けて、意識する者も全く意識しない者も、平等に時が流れていった。そして、地球での夏を避けることをかねて、後宣明帝御夫妻が月の南極地に行幸した。




