日常現象研究会
黄木きりん。
ギャルである。
いや、ヤンキーか?
茶髪と言っていい明るい髪色に、褐色に焼いた肌、短すぎるスカートからすらりと伸びた長い脚、毎日のように変わる髪型、時々派手すぎるメイク。
そんな要素だけで健全な少年には充分警戒対象なのだが、さらに彼女はMMA界隈でちょっとした有名人だった。
どこかの団体のジュニア総合格闘技大会で優勝したとかで、雑誌に紹介されたとか。
何にしろ、俺にとっては近づきたくないというか、間合いに入りたくない相手だった。
その接近に気が付かなかったのは、図らずも猫探偵にきれいな『あなたが犯人です』を決められたショックが大きかったせいだろう。
「これ、ウチらのことやん」
突然、声が降ってきた。
目を上げると、肌色があった。
机の天板より高い位置に見える太腿。
それほど長い脚とそれほど短いスカートの組み合わせを、俺はひと組しか知らない。
「えっ」
咄嗟に変な声が出た。
見上げると、くしゃくしゃに髪を巻いた長身のギャルが御堂の現文ノートを広げている。
「きっ、き…」(おいおい、お嬢さん、人のものを勝手に見るのはちょっと行儀がよろしくないな)
俺の大脳新皮質はごくスマートに対応しているのだが、圧倒的な肌色の視覚情報が視床下部を刺激して、俺から知的な言葉を奪う。
「誰が書いたん?これ」
「えっと、それは…」
応えかけて気が付いた。
きりん嬢の見ているのは御堂の顔だ。
それは御堂への問いかけであって俺にではない。
今のところ黄木きりんは俺の事を完全に無視していた。
まあ、仕方ない。
クラスメイトとはいえ彼女と俺は特に知り合いではないんだからな。
俺だってよく知る女子と知らない女子が話してるとこに出くわしたら、照れ臭くて知らない子の方は無視しちゃうもんな。
「それはクボチンが書いたんだよ」
きりんの問いに、御堂はナチュラルに俺を売る。
「クボ…?」
御堂が俺を指差すと、初めてきりん嬢はこちらを見た。
どうやら俺の名前を知らなかったようだ。
それも仕方ない。
色+木という憶えやすい戦隊ネームの彼女たちに比べたら、『久保靖』なんて名前は印象に残らないのだ。
「クボ君。はじめまして」
きりんが俺の目を真っ直ぐ見て挨拶した。
何だか少し怖い。
「クボ君、アタシと初絡みやんな?」
絡み?
「ちゃんと話した事とかないやんな?」
ああ、そういうことか。
「まあ…そうだね…」
「よう知りもせん人の事を、笑いものにするのはどうかと思う」
束の間、俺には何の事だか分からなかった。
ちょっと怖くてたいへん色っぽい同級生が発した言葉の意味が、頭に入って来なかった。
何か怒ってる。
怒ってる顔もキレイよなあ。
手に持ってるのは何だっけ?
あれは御堂のノート…
『一見茶髪ミニスカヤンキーギャル』『ナイスバディだが本人は背が高いことがコンプレックス』『パンチラ要員』
色々思い出した。
俺は素早く立ち上がり、彼女の手からノートを奪い取ろうとした。
しかし、俺は、ほぼ立ち技打撃のみでMMA大会に優勝した猛者の動体視力を甘く見ていたようだ。
俺の手が届く前に彼女はノートをさっと上に躱した。
結果、空を切った俺の手は彼女の最もふくよかな部分に激突した。
…というか掴んだ。鷲掴みにした。
きりんの右脚がゆっくり上がるのが見える。
どこかで女の子が、嬌声にも聞こえるか細い悲鳴を上るのが聞こえた。
体が重く、スローモーションのようにしか動かない。
これはあれだ、死を予感したときにアドレナリンの大量分泌とかで意識が加速するヤツだ。
『黄色…』
御堂の頭越しに振られた右ハイに吹っ飛ばされながら、俺は『そこも戦隊カラーなんだ』と考えていた。
「先生は、俺がふざけて一人で転んだって事で納得してくれたか?」
保健室のベッドはまだ大型客船のようにゆっくりと揺れていた。
「うん、大丈夫だったよ」
きりんの一撃を食らって生まれたての仔鹿のようになった俺は、御堂の肩を借りて保健室に来た。
ベッドで俺が休んでいる間に、御堂が職員室方面に出向いて穏便に事を収めてくれた。
「ありがとう、な」
「こっちこそだよ。きりんちゃんの名前出さないでくれて。大会とかも控えてるからね、暴力沙汰を起こすわけにはいかないんだ、彼女は」
「いやいや、女子の誹謗中傷を落書きしたうえ、セクハラかまして蹴り倒されたなんて言えるわけないから」
「それはそうだ」
俺は溜息をついたんだと思う。
御堂が、ベッドの端に飛び乗るように座った。
「クボチンさあ、超研部に入りたいんだろ?」
「え?」
「見てれば分かるよ」
「いや別にそんな…」
「じゃなきゃあんな落書きとかしないだろうしね」
「…」
「理由も、分かるし」
御堂とは、浅中時代からの付き合いだった。
…見た目は変わってしまっても、やっぱりこいつは俺の一番の理解者であるようだ。
親の仕事の関係で引っ越しが多かったせいか、一人っ子だったせいか、俺は本を読むのが好きな子供だった。
そのため、いつのまにか俺は小説の主人公達の行動を人生の手本にする様になっていた。
一つ、嘘をつかない。
一つ、卑怯な振舞いをしない。
一つ、友を大切にする。
…そんな感じだ。
まあ、最後の一つについては、なにせリアルより本の中に生きている子供だったので、そもそも大切にする友が居なかったのだが。
『手本にする』と言っても、その頃の俺にそんな意識があった訳ではない。
むしろ、些かステレオタイプなジュブナイルに耽溺していた身としては、これだけ本が読まれている世の中に、未だに物語の中の悪役・端役の典型的振舞いを実践している人が多い事に日々驚いていた。
気の弱い子にイジメくさい絡み方をしてる男子を見ると、『雑魚キャラ確定じゃん』と思ったし、人の噂でヒソヒソクスクスしてる女子グループには、『モブキャラ丸出しだな』と心の中で呟いていた。
そんな風だったので、俺は小学生の間、外見的には単に『真面目で大人しい男の子』だった。
それが、中学生になると、少し変わった。
今思うと所謂『厨二病』って奴なのだろうが、小学生の時に持ち合わせていた小賢しい常識人のペルソナを、俺は脱ぎ捨てた。
一種の焦りがそこにはあった。
そろそろラノベの主人公を張る年齢に届こうとしている。
しかるに俺は未だに何も始められていなかった。
異星人との邂逅も、異能の発現も、美少女からの突然の告白も、始めて1ヶ月の競技で天才と謳われる傲慢な上級生を打ち負かすことも、何もなかった。
いくら主人公らしく生きることを心掛けていても、結局このリアルライフにおいて俺はモブに過ぎないのではないか、と恐れ始めたのだ。
超能力、霊能力の類が自分に無い事は中学に入学するまでに思い知っていた。
中1の時には陸上部に入り(主人公向きでない種目なのは勘弁してほしい。球技や格闘技のような勝負事に挑む勇気は無かったのだ)、『競技場全体を俯瞰で見る視野』や『一度見ただけで技を盗める能力』、『先輩が命じた地味な基礎練習を、命じた本人が忘れているにもかかわらず翌日朝まで延々と続ける根性』のどれも無いことを痛感した。
もっとも、基礎練習の反復を命じて忘れる先輩に関しては、まずそれ自体存在しなかったが。
「膝を傷めた」と理由をつけて陸上部を辞めた俺は、次に魔術、伝承についての学術書を読み漁った。
結果、ケルト・北欧・アフリカ・南北アメリカ大陸の諸民族の自然観には詳しくなったが、現実世界に魔術は存在しないという確信だけが深まった。
中1の終わりに、それでも自分が平凡な人間であると結論付けるのを先延ばしにしていた俺は、比較的俺を甘やかしてくれる小学校以来の友達と、秘密結社(笑)を作った。
日常系アニメによくある超常現象研究会的なアレだ。
厨二らしく『日常現象研究会』などと名付けたその場所で、俺は楽しく日々を過ごした。
中2の夏休みまでは。
終わりは突然やってきた。
と言っても、実のところ俺は俺の作った秘密結社がどういう終わりを迎えたのか、はたまた下級生に代替わりして未だに存続しているのかすら定かに知らない。
夏休み、何という事もない親の仕事の都合の引越しで、俺は転校した。
幼い頃にも2度引越しを経験していた俺にとっては、まあ、そういうもんだよね、という程度のイベントだった。
二度と会えない地の果てへの旅立ちなどではない、ほんの2駅、隣の校区への引越しだ。
けれど、例え自転車で30分の距離であっても、中学生にとって学校が違うということは決定的な離別であったのだ。
初めはたまに電話をかけたりしていた友達とも、次第に疎遠になった。
新しい友達ができたからではない、落ちぶれた自分を知られたくなかったからだ。
引越し先の学校はやや『荒れて』いて、そこで許されるのはヤンキー漫画系世界観だけだった。
温い日常系世界でやれやれ系主人公を気取っていた俺は、いちいち凄みながらコミュニケーションをとってくる学友たちと、口を利くのもままならなくなった。
目をつけられたら大変な目に遭うけれど、舐められたらもっと酷い目に遭う、そんな環境で過ごすうち、俺の一人称は『僕』から『俺』へと変わっていた。
卒業して、学区1の進学校、浅黄高校に進学すればヤンキー漫画世界から脱出できる。
ただそれだけを希望に俺は生き延びた。
今年度、ある事情から浅黄高校の合格偏差値が下がっていたこともあり、俺は目出度く合格できた。
そして、楽しい日々を共に過ごした浅黄中学の面々と再会できた。
高校一年生という、ラノベ第一話最頻値タイミングに間に合って、俺の主人公ライフはようやく幕を開けた。
はずだった。
果たして、ラノベ第一話イベントは発生した。
4月の某日、突然現れた小柄で傲慢な美少女先輩が、名前からして前世の因縁でもありそうな5人(一人は怪しいが)を呼び出して、超常現象研究会への入会を命じたのだ。
何らかのストーリーが現実世界で始まった。
ずっと主人公になろうと努力してきた俺を差し置いて、名前が主人公っぽいというだけの連中をメインキャラにして。
「御堂、お前は俺の気持ちを分かってくれてたんだな」
「当り前じゃん。一緒に日常現象研究会やってた仲じゃんか、分かるよ」
『主人公になりたい』なんて恥ずかしくて誰にも言った事なかったが、見抜かれていたんだな。
気恥ずかしさよりも嬉しさが勝って、俺は涙が出そうになった。
あるいは脳震盪の影響で心が不安定だっただけかも知れないが。
「風香ちゃんのことが、好きなんだよね?」
「はあ!?」