94話 声良鶏の怪
「牛太郎、そして信君殿、迎撃願います」
呼び掛けに応じて顕現した牛鬼は、迫り来る怪鳥の正面に仁王立ちして、棍棒を構えた。
信君は刀を携えて、牛鬼の横合いに控える。
一樹が使役する式神で最大戦力は、牛鬼と信君の2柱だ。それらで正面から対抗して、他の式神で補助する構えである。
蒼依は、天沼矛を生み出しながら、八咫烏達が前に出ないように睨みを利かせた。
沙羅は、金剛杖を手にしており、一樹を守るべく傍に控えている。
水仙は、糸と毒で中距離が可能であり、牛鬼と一樹の中間地点に入った。
そして一樹も、式神符を持って構えているのだが、表情は不本意そのものだった。
「ゴッゴ、ゴッゴォーー」
怪鳥が発した咆哮で、大気が鳴動する。
轟いてくるのは、明らかなニワトリの鳴き声だ。
ただ一点、怪鳥がニワトリであるという現実を受け入れ難かった一樹は、水仙に疑惑の視線を向けた。
「声良鶏は、日本三大長鳴鶏の一種で、20秒以上も鳴くことがあるよ」
「……分かった」
一樹が理解したのは、声良鶏が、肺活量の凄いニワトリであるということだ。
肺活量が大きければ、沢山の酸素を取り込めて、運動能力が高くなる。したがって無駄な情報ではないのだが、一樹は梅干しを食べたような渋面を作った。
――先代の怪鳥が死んだ後、地脈の力が、地元のニワトリに流れ込んだのだろう。
大森山の怪鳥には、地脈の力が流れ込む。
先代の怪鳥が死んだのなら、地脈の力は、次の何かに流れ込む。
流れ込む先が鳥である理由は、解明されていない。
だが実例として、1481年に秋田県鹿角市で大森山の怪鳥が調伏されており、地脈の力が鳥に流れ込んでいることは確かだ。
翼を広げると24メートルの鳥など、番と繁殖できず、種族として成り立たない。
怪鳥の元となった鳥は、元々は普通の大きさで、地脈の力が流れ込んだことで巨大化したのだ。
今回の場合、地脈の力が流れ込む鳥が、地元のニワトリだったわけだ。
現代ですら予見不可能であるから、当時の飼育していた人間に責任は無い。
そして妖怪化したのであれば、陰陽師が調伏することも認められる。
そもそも天然記念物であろうとも、文化財保護法で禁止されているのは現状変更に過ぎないので、家畜として飼育されているニワトリであれば、売買や食用も認められるが。
「……あの怪鳥を倒して、風切羽を手に入れる」
チベットスナギツネのような表情を浮かべたまま、一樹は結論を下した。
迫り来る怪鳥は、鶏冠が立派なオスの声良鶏だ。
年齢は計り知れないが、巨大化しているのだから、相応に生きて地脈の力を得ているはずだ。
推定年齢100歳以上と考えれば、立派な怪鳥の1羽である。
身体を巡る妖気の循環は清澄で淀みなく、力は熟練している。
油断なく構えた牛鬼は、急降下してきた怪鳥の足に向かって、棍棒を振り抜いた。
「ブォオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
牛鬼と怪鳥は、身体のサイズが同等だ。
牛鬼に翼を生やした大きさが怪鳥であり、力強い雄叫びと共に振るわれた棍棒は、怪鳥の足の爪を強かに弾き返した。
「ゴッゴ、ゴッゴッ」
爪を叩かれた怪鳥は、翼を羽ばたかせて滞空しながら、牛鬼の棍棒を蹴り返す。
バサバサと力強い羽ばたきが行われて、発生した風が一樹達の身体を強く押した。前屈みになった一樹は、舞い上がる砂塵を左腕で防ぎながら、牛鬼と怪鳥との攻防を見守った。
大地に降り立った怪鳥が、地面を蹴って飛び上がり、牛鬼に跳び蹴りを放つ。
鋭い爪が繰り出され、牛鬼の棍棒に弾き返された。
――力は、互角か。
すなわち怪鳥は、A級下位の力を持つ。
風圧が酷いため、式神の鳩は飛ばせない。吹き飛ばされて、味方の傍で燃え上がろうものなら、味方がダメージを負ってしまう。
八咫烏達は怪鳥の10分の1の力しかないので、突撃させるのは危険だ。
蒼依が八咫烏達を抑え、沙羅が守り、水仙が待機する形は、維持だと一樹は判断した。
この状態でも、形勢は一樹側へと傾く。
なぜなら、信君が控えているからだ。
「面妖な輩よ」
一言だけ呟いた信君は、刹那に爆ぜた。
雷鳴が轟いたように、怪鳥の風圧を押し退けて爆風が巻き起こる。
それを引き起こした信君は、怪鳥の足元で、刀を振り抜いていた。
居合い切りの一閃。
いつの間に振り抜いたのか、まるで分からない剣戟は、人の身から解き放たれた妖怪であればこそ成し得た妙技であろう。
戦国時代に生まれ、武田二十四将の一人として数多を斬り殺した信君の初撃は、木の幹のように太い怪鳥の左足を半ば断ち切っていた。
「ぬぉおおおおおっ!」
信君は、全身を捻るように回転させながら、刀を振り抜いた。
鮮血と共に、怪鳥の左足が斬り落とされる。
「ゴゲェッ、ゴッゴッゴッゴッ」
残った右足で飛び上がろうとした怪鳥の頭上から、牛鬼の棍棒が振り下ろされる。
羽毛に包まれたニワトリの頭部が、棍棒に打たれて鈍い音を立てた。
岩を殴ったような衝撃だったのか、牛鬼は棍棒を握った手を痺れさせていた。
だが怪鳥も体勢を崩して、横倒しになっていく。
「支援を!」
到来した最大の機会に対して、一樹は大雑把な指示を飛ばした。
最初に走ったのは、もちろん信君だった。
おそらく信君は、自身の身の安全を顧みていない。
防御を無視した捨て身の攻撃が叶うのは、呪力で復活できる霊体の式神であり、一樹の呪力が豊富にあるからだろう。
補給が万全な信君は、一条の矢と化して突き進み、その切っ先を怪鳥の首に突き立てながら、切創の長さを拡大すべく走り抜けた。
「うおおおおおおおっ」
野太い雄叫びが上がり、怪鳥に刀を突き立てた信君が走り抜ける。
『天沼矛』
信君が走り抜ける中、背後から怪鳥の腹に目掛けて、矛が投げ付けられていた。
A級同士の接近戦に割って入る無謀を避けた蒼依が、呪力で生み出した矛を投擲したのだ。
倒れる怪鳥は巨大な的であるし、遠距離から投げるのであれば、蒼依も傷付かない。投げ槍のように飛ばされた矛は、怪鳥の腹に突き刺さった。
『鬼火』
遠距離攻撃を行ったのは、蒼依だけではなかった。
沙羅も呪力を炎に変えて、怪鳥の足を撃っていた。
呪力は怪鳥の5分の1に過ぎないが、攻撃する部位を一カ所にすれば、十分に効果を及ぼす。
目的が風切羽でなければ翼を焼いただろうし、信君が首のほうに居なければ頭を狙ったかもしれないが、それらを選択できなかったので足を狙ったのだ。
怪鳥の攻撃手段は、嘴と爪だ。それらを奪えば、怪鳥の攻撃力は大幅に落ちる。
首を斬り付けられ、腹に天沼矛が突き刺さり、足を焼かれて横倒しになる怪鳥の身体に、麻痺毒が塗られた蜘蛛の糸が絡まり始めた。
ピンと張られた鋭利な蜘蛛の糸は、怪鳥の身体を傷つけて、その傷口から毒を流し込んだ。
さらに八咫烏達の五行の術が、矢雨となって怪鳥に襲い掛かった。
「ゴゲェッ、ゴッゴーーッ!」
一斉に攻撃を浴びた怪鳥が、苦悶の鳴き声を上げた。
それは既に、断末魔に近い。
横倒しに倒れたところに、同格の牛鬼から棍棒で殴られている。
そして同じく同格の力を持つ信君の刀で、首を斬られている。
蒼依の矛を腹に突き立てられ、沙羅の炎で焼かれ、水仙の妖糸で刻まれ、八咫烏達の術を浴び、刻一刻と死に近付いている。
あと一押しで倒せるところまで追い込んだ一樹は、わずかながら、怪鳥の身体に水仙の毒が入ったことを残念に思った。
――八咫烏達に喰わせて強くしようと思ったけど、毒入りはどうだろうな。
一樹は地蔵菩薩の神気を持っており、万病熱病平癒の修法で、毒が効かない。
そんな神気で育てた八咫烏達は、毒は効かないかもしれないが、確信は出来ない。
毒に耐性のある食べ物を食べたからといって、食べた者が毒の耐性を得るとは限らない。
水仙の麻痺毒を身体に蓄積させて身体機能を落としては困るため、一樹は怪鳥を食べさせられないと判断した。
毒さえなければ、ニワトリは食用として優れていただろう。もっとも怪鳥は身体が大きすぎて、一部を食べても大して強化できなかっただろうが。
――龍は、毒の耐性はあるのかな。
一樹は不意に、柚葉を思い出した。
ムカデに苦手意識を持つ柚葉だが、ニワトリが苦手だとは聞いたことが無い。
もしも毒に耐性があれば、柚葉に食べさせるのもアリだと考えた一樹は、直ぐに思い直した。
――ムカデを食べたくないばかりに、毒でも我慢して食べそうだから、却下だな。
柚葉は、おかしな部分で無理をするだろう。
一樹が我に返ったところ、すでに断末魔の鳴き声は、聞こえなくなっていた。
























