93話 大森山の怪鳥
「暑いな」
一言だけ呟いた一樹は、肌にべた付く汗を拭い、扇子で風を扇いだ。
だが周囲に満ち溢れる気が熱を帯びており、生み出した風を生暖かい風に変えてしまう。
溜息が吐き出された後、扇子が静かに閉じられた。
暑さの原因は、地脈の力を無駄遣いさせている地面にある。
一樹は大森山の怪鳥に力を送っていた地脈の流れを変えて、地面を循環させた。エネルギーを無駄遣いさせたかった一樹は、無駄な螺旋構造も形成した。
すると循環する気の流れが、必要以上に大地を温めて、地熱を発したのだ。
地熱が発生する可能性は、一樹も考慮していた。だが結果として、見積もりが甘かったということになる。
「暑いですよね」
一樹の溜息から溢れた感情に、蒼依が賛同した。
未だ早朝であるにもかかわらず、尾去沢鉱山の周囲は、既に真昼の暑さだ。
充分な睡眠によって確保されたはずの体力が、この場に居るだけで削られていく。
木陰にいるので多少はマシだが、クーラーという文明の利器を知る現代人には、過酷な環境だ。
沙羅は不満を見せていないが、額には汗が滲んでいた。
そして水仙は、とっくの昔に一樹の影へと避難している。
「地脈の流れを断ち切られた怪鳥は、戻ってくるはずだ。戻って来ないと、身体を維持する力を失ってしまう」
B級上位からA級下位であろう怪鳥は、巨体に見合う相応の餌を獲っている。
もしも力を失えば、その餌が穫れなくなって、巨体を維持できなくなる。
それを座視して、餓死を待つだろうか。
一樹は、怪鳥が座視せずに戻ってくると考えている。
問題は、いつ戻ってくるかである。
「涼しくなる術は無いのですか」
「水行で、水を出せば良いんだ。俺は術を使っている最中だが……玄武、こっちに来い」
「クワッ」
蒼依に上目遣いで見詰められた一樹は、手軽な解決手段を呼び寄せた。
一樹が使役する八咫烏は、それぞれ五行の一つを司る。
木の枝に留まっていた、水行の八咫烏である玄武を一樹が呼んだところ、玄武は枝から一樹の左肩に飛び降りてきた。
「よし、水を出してくれ」
「クワアアァ」
声を上げた玄武の前方に、白い光が集まっていく。
それらは霧となって、一樹達の周囲を覆った。
霧に包まれた範囲では、木の葉が濡れて水滴を垂らし、温度が急速に下がっていった。
体力の消耗が止まり、逆に回復していく効果を体感した蒼依は、玄武を褒めた。
「はぁ……涼しくなりましたね。玄武、偉いよ」
「クワッ」
蒼依に褒められた玄武は、嘴を上げて、誇らしげに一声鳴いた。
すると残る4羽の八咫烏達も、玄武が発生させた霧の中に入ってきた。
暑いと思っていたのか、単に水浴びをしたかったのか、いずれにせよ霧の範囲内にある木の枝で、熱の篭もった翼を広げていた。
「俺は水道の蛇口を想像していたが、こっちのほうが良いな」
八咫烏達を育てた一樹自身も、玄武の術に感心した。
人間である一樹は、術式を用いて気を変換し、事象を引き起こしている。
神鳥である八咫烏は、術式を用いずに神気から直接変換し、事象を引き起こす。
神が放つ御業を、術式で再現したのが陰陽術などであるとすれば、一樹が行っているのは陰陽術で、八咫烏達が行っているのは御業だ。
八咫烏は、『古事記』では高御産巣日神、『日本書紀』では天照大神が、神武天皇を導くために送り込んだ遣いだ。
高御産巣日神は、天地開闢の時にあらわれた別天津神・五柱の一柱だ。別天津神の中でも、最初にあらわれた造化三神の一柱であり、天を創造した。
天照大神は、別天津神の次にあらわれた神世七代・十二柱の七代目、イザナギとイザナミの子供であり、天津神が住む高天原の主宰神だ。
両神のうち、上位は高御産巣日神だが、明治には神道事務局によって、造化三神と天照大神の四柱が最高位の神格とされている。
したがって、八咫烏が何れの遣いであろうとも、天や神々を生み出した最高位の神から送り込まれた神鳥となる。
八咫烏の術は御業で、それぞれが属する五行であれば、それなりに使える次第だ。
――こいつらが式神だと、賀茂家の子孫は代々、特別な力を持つな。
一樹が閻魔大王から与えられた陽気や神気は、一樹の魂に付随するものだ。
穢れを抑え込むための陽気は、引き剥がせるはずもない。また神気も、肉体が無かった時点で魂に与えられており、遺伝的継承で子孫が引き継げる類いではないと考えられる。
したがって閻魔大王に与えられた力は、子孫に継承される保証が無い。
だが龍神から得た龍気は、一樹が今世で個人的に獲得したもので、閻魔大王の制約は無い。
A級上位分にあたる50万の龍気のうち、1割の5万でも継承できれば、相当の式神を使役する力を持つ。
大抵の式神は、その力に見合う呪力を与えなければ、使役できない。5万の呪力で十全に使役できるのは、B級上位分の式神だ。
だが式神の中には、花咲家のような例外もある。使役者の呪力はD級だが、A級の力を持つ式神側が花咲家を気に入っているので、憑いている。
それを意図的に引き起こすことは、八咫烏を育てた一樹の立場であれば、可能だ。
――カラスは、群れで生きる。
そのため一樹が、八咫烏達と自分の子供と一緒に暮らせば、一樹の子供も仲間と認識する。
寿命は一樹よりも八咫烏達のほうが短く、一樹は霊体化した八咫烏達を使役するつもりだ。そして一樹の生前に、一樹が八咫烏達との呪力の繋がりを子供に移せば、継承完了である。
それから一樹の寿命が尽きても、一樹の子供を仲間だと認識しており、繋がりも持つ八咫烏達は、子供と一緒に居る。
そして子供から孫に呪力の繋がりを移させて、それを数代ほど繰り返せば、八咫烏達は賀茂家の子供と居るのが当たり前だと認識するようになる。
なにしろ生まれたときから、育ての親である一樹に促されて、その形を続けているのだ。
使役者の呪力が不足しており、かつ理不尽に扱われれば反発するだろうが、そのような切っ掛けが無ければ関係は続く。
かくして賀茂家には、八咫烏達が憑く次第だ。
――賀茂家は、第二の花咲家になれるかもしれないな。
八咫烏達がB級中位に成長すれば、5羽を合わせてA級下位の力になる。
使役者が未熟でもB級、上手く扱えると評価されればA級に認定されるだろう。
1つの群れである八咫烏達は分けられず、式神を継承できるのは一人だけとなるが、継承できる本家はB級の陰陽大家を超えて、A級の花咲家に並ぶ評価を得る。
春日家ほどではないにしろ、それでも父親から陰陽術を習って賀茂家を継承する一樹としては、次代以降が安泰になるのは気が楽になる話だった。
「…………来たか」
涼しくなった木陰で未来に思いを馳せていた一樹は、接近する呪力を感知した。
はるか遠方の空から、雲を引き裂いて、鶏冠の赤い巨鳥が真っ直ぐに向かってくる。
次第に明らかとなってくる、怪鳥の異名に相応しい偉容。
鶏冠は赤色で、クチバシと首の後ろは白色、身体は黒く、足は黄色い。
その姿を見た水仙が、思わず声を上げた。
「アレって、声良鶏じゃないかな?」
「その声良鶏って、何だ」
飛んでくる怪鳥を見ながら、素早く尋ねた一樹に対して、水仙も手短に答えた。
「秋田県の北部で飼育されている、ブランドのニワトリ。国の天然記念物に指定されているよ」
「…………はぁ?」
自分の耳がおかしくなったのか、あるいは水仙が巫山戯ているのか。
それらの可能性を疑った一樹は、念のために聞き返した。
「現実、受け入れようね」
水仙に諭された一樹は、再び空を見上げた。
すると、大きさと飛行能力以外はニワトリに見えなくもない怪鳥は、一樹の思いを否定するかのように高らかに声を上げた。
「ゴッゴ、ゴッゴォーー」
鳴き声は、「コッケ、コッコー」と聞こえなくもない。
「……アメリカだと、クックドゥードゥルドゥーって鳴くらしいな」
「ここ、日本なんだけど?」
一樹は頬を引き攣らせながら、見事な赤い鶏冠の怪鳥に向き直った。
遠目にも分かる大きさは、直下の木よりも大きそうだ。
恐竜時代を彷彿とさせる鋭利な爪は、ホオジロザメなども掴めそうだ。
飛行できる程度には立派な羽根には、風切羽が生えそろっている。
「ゴッゴ、ゴッゴォーー」
戦闘準備の指示を出そうとした一樹の耳に、ニワトリの鳴き声が響いてくる。
声良鶏と呼ばれるだけあって、低音ながらも、周囲に響き渡る美声だ。
「声良鶏って、声の良さを競う、謡い合わせ会もあるんだよ」
東北出身の水仙から説明を受けた一樹は、無言のまま、右手の指で額を押さえた。
























