90話 3羽の怪鳥
春日邸の応接室は、一樹が想像したよりは普通の造りだった。
30畳くらいの応接室には、床にピンクの絨毯が敷かれており、格調高いテーブルが4つ並び、テーブルごとに身体が沈み込みそうなソファーが4席ずつ、合計16席配されている。
ホテルの応接室としても豪華だが、目を剥くほどに非常識ではない。
――もっとも、応接室が何室あるのかは、知らないけどな。
秋田市高清水丘陵に居を構える春日邸は、千年続く秋田春日家の自宅だ。
だが同時に、一樹の前世に比べて3分の2にあたる約60万人の人口を抱える秋田県で、対妖怪戦を統括する陰陽師の事務所でもある。
また不動産業も行っており、春日家が所有する周辺の土地を管理している。
応接室のテーブルに地図が広げられて、一樹達と結月は囲んで座した。
「それでは、春日家のお婿さん探し、第一回目の会議を行います」
「違います、鳥探しです」
一樹達を集めて行った結月の宣言に対して、すかさず沙羅がツッコミを入れた。
その瞳には、諦めろという強い意志が籠められており、冷たい視線が結月を突き刺した。
「沙羅ちゃん、冷たい。小さい頃は、あたしの小指を握って、一緒にお散歩してくれたのに」
「いつの話をしているんですか」
「沙羅ちゃんが3歳の時」
沙羅は冷めた視線のまま、結月に向かって微笑んだ。
「その頃の結月お姉ちゃんは、もっと純粋で優しかったと思いますよ」
沙羅が3歳の頃であれば、結月は10歳だ。
それは確実に、23歳の今よりも純粋だっただろう。
人は立場があると、行動に打算を入れざるを得なくなる。あるいは打算的でなければ、立場を保てない。
千数百年も続く陰陽大家の当主、秋田県の統括陰陽師、大地主兼不動産業。
秋田県で対妖怪を担っており、雇っている従業員の生活もある。
結月が打算的なのは、その立場故だ。
「お姉ちゃん、とっても困っているの」
統括をB級と定め、ルールを守らせているのは、真のA級のみで構成される常任理事会だ。
A級の1位から3位が、いずれも数百歳以上の人外かつ設立メンバー。
そしてA級を任じているのが、いずれかの神である『やんごとなき御方』のため、陰陽大家如きの脅しも、賄賂も、不服従も、何もかもが一切通用しない。
元々が、陰陽寮を廃止した政府に反発して、勝手に陰陽師の互助組織を立ち上げた者達だ。
47都道府県の陰陽大家が反旗を翻したところで、3者と御方は、反旗を翻した全員を切り捨てるか、組織ごと乗っ取られても着いてくる者だけを引き連れて、新たな組織を作るだけだ。
妖怪と戦うに際して、現在B級の陰陽師と、祖先がB級だったC級の陰陽師とでは、現在B級の陰陽師の方が役に立つ。
それは陰陽師に詳しくない国民目線でも明らかだ。
祖先がB級の陰陽大家であったならば、子孫をB級にするための助力は得ていた。
相応の優遇と機会があったのに、それを活かせなかったのだから、失敗した後にまで同じ優遇を続けろというのは無理がある。
春日一族がC級しか居ないときに、B級の誰かが秋田県に赴任すると言えば、統括陰陽師の地位は春日家から他へと移る。
そうしなければ下から上がる者の意欲を削いで、下の陰陽師達は向上心がなくなる。
だから春日家は、C級に落ちれば統括の立場から外されるし、それを事前に教えて奮起させようともしている。
――現行の制度は、陰陽師の質を保つために有意だよな。
実力主義の制度について理解する一樹は、A級の人外達と陰陽大家が争えば、人外達に付く。
確実にB級以上を維持できる五鬼童家や花咲家、そして良識ある陰陽大家や、実戦に出るC級以下の陰陽師達も人外に付くであろうから、一部の陰陽大家が反乱したところで主導権は握れない。
従姉妹の窮状に鑑みた沙羅は、ふと思い付きを口にした。
「一樹さんと結月さんでは、年齢が合いません」
「そんなこと、無いよ」
否定する結月に取り合わず、沙羅は主張を続ける。
「ですから結月さんは、A級になる義経さんに、妾にして貰えば良いと思います。A級だったら、妾を持っても良いと思います」
そう言い切った沙羅は、あからさまに一樹のほうを見た。
すると蒼依の手がソファーの肘掛けに、バシンと音を立てて置かれた。
「そんな法律、ありませんよね」
蒼依が微笑みながら告げると、沙羅も微笑み返して応じた。
「罰則も、ありませんよね。私は、正妻になったら、妾を認めます」
「よし、本題に戻ろう。鳥探しだ!」
危機感を抱いた一樹が強引に割って入り、話を流した。
「それで春日さん、秋田県には、どんな鳥の妖怪が居るのですか」
結月は、義経との可能性について思慮している様子だったが、一樹に話を振られて我に返った。
「秋田県の周辺には、3羽が思い当たるわ。そのうち2羽は、山形県だけど」
「3羽も居るのですか」
一樹はあからさまに声を上げて、驚きを露わにした。
2つの都道府県で3羽も居るのであれば、47都道府県では70羽にもなる。
もちろん春日家の歴史は古く、他県は春日家ほどには情報を抱えていないだろう。それでも6枚を集めれば良い一樹達にとっては、目標の実現可能性が大いに高まる話だ。
なお蒼依の追及する視線と、沙羅の妾を認めますよと訴える視線は、それぞれ無視した。
「不確実だけれど、1羽目はB級からA級だと考えられるわ」
「それはどのような妖怪なのですか」
一樹に問われた結月は、一種類目の妖怪である『大森山の怪鳥』に関する資料を渡した。
大森山の怪鳥は、1481年に秋田県鹿角市で、最初の目撃例がある。
当時、牛のような鳴き声を上げる怪鳥が、昼夜を問わず、大森山の麓を飛び回っていた。
両翼を広げると20メートルはありそうで、口からは金色の光を噴き、田畑を荒らし回るため、近隣の尾去村に住む村人達は、山伏と共に調伏を祈願し続けた。
そしてある晩、大森山から苦悶の泣き声が上がり、怪鳥が飛んでこなくなった。
そこで村人達が様子を見に行くと、大森山の黒瀧という場所で、怪鳥が首から血を流して死んでいた。
死んでいた怪鳥は、両翼を伸ばすと24メートル。
頭は大蛇で、足は牛の蹄に似ており、死因は首に数ヵ所あった深い切り傷だった。
腹を割いたところ、金銀銅鉛などの鉱物が出てきて、試しに大森山を掘ってみたところ同じ鉱物が出てきた。それが尾去沢鉱山の始まりになったという。
「最初の怪鳥は倒されたけれど、地脈の力を得て発生する妖怪だから、次の個体が現れるの」
「成程。倒しても次が発生するのでは、倒しても意味がありませんね」
秋田県の統括陰陽師である春日家が怪鳥を見逃す理由について、一樹は納得を示した。
日本で一番大きなワシとされるオオワシは、両翼2.4メートル、全長88センチメートル。主な獲物は、全長40から60センチメートルのサケなどだ。
怪鳥の全長と翼の比率が、オオワシと同じならば、両翼24メートル、全長8.8メートル。
獲物のサイズは、4から6メートルのホオジロザメなどが程良く、体重は700キログラムから2トンになる。なお陸上生物では、キリンのオスがホオジロザメと同じサイズだ。
もっとも秋田県鹿角市は、日本海側の秋田県と、太平洋側の岩手県の中間にある内陸部。
海洋生物は得られないし、キリンのような巨大な陸上生物も生息していないために、餌は大きな妖怪になる。
妖怪の強さと大きさは、必ずしも一致しない。
だが大きな妖怪を捕食するためには、獲物を捕らえられる強さが必要だ。食性も考えれば、C級妖怪を捕食できる程度には強いと考えられる。
「怪鳥の全長は、大鬼と同程度ですし、少なくともB級はありそうですね」
「もしかすると、A級かもしれないわ。戦った記録が無いから、分からないの」
A級の可能性を示唆された一樹は、その強さについて想像を巡らせた。
標高1827メートルの赤城山と、標高2486メートルの男体山に陣取っていた蛇神並びにムカデ神は、少なくとも千年以上の長きに渡って地脈の力を得ていたが、S級下位だった。
対する大森山は、標高549メートル。
地脈から得られる力は、3分の1から4分の1以下だ。
1481年に一度倒されており、それ以降に集まった分であれば、集まった期間も蛇神らの半分以下だ。
どれほど大きく見積もっても、S級下位の6分の1から8分の1ほどの力しか得られていない。したがってA級下位からA級中位の呪力が順当となる。
「一番強くてA級中位と見積もりましたが、それならば大丈夫です」
A級中位は20万の呪力だが、対する一樹の呪力は、式神に割り振った残りが90万。
一樹と怪鳥の呪力差は4.5倍以上で、同時に2羽が現れても勝てる。
断言した一樹は、ほかの怪鳥について確認した。
「2羽目について、教えて下さい」
「2羽目は、金文の霊鳥よ。運んだ2つの卵のうち、右の卵からは薬師如来、左の卵からは日光・月光菩薩が生まれたとされるわ」
「……3羽目は、どんな鳥ですか」
「虚空蔵菩薩の遣いらしき白鷹」
結月の説明に固まった一樹は、やがて粛々と宣言した。
「まずは、大森山の怪鳥を倒しに行くこととします」
かくして一樹達は、必然的に大森山へ向かうこととなった。
























