87話 真の羽団扇
「真の羽団扇とは、何なのでしょうか」
天狗ではないのに口を出して良いのかと迷った一樹は、若干躊躇った後に尋ねた。
聞かせられないことであれば、一樹の前で話すはずもない。
はたして宇賀は、驚く義経の前で、秘伝の一つを呆気なく開示した。
「真の羽団扇は、鳥の妖怪の風切羽か、天狗の羽根11枚を加工して作る団扇よ。使った妖怪や、天狗の力を引き出せるようになるわ」
「使った妖怪や、天狗の力を引き出せるのですか」
一樹は多少驚きつつも、それでA級に至れる理由には思い至らなかった。
五鬼童家の当主であれば、一族の技術は身に付けているだろう。凪紗の鬼火は強かったが、義経が使えないとも思えない。
だが宇賀の話には、続きがあった。
「使った妖怪や、天狗の力の5%ほど、気も籠めておけるわ。つまり元の5%程の力を11体分、加算できるわけ」
「するとB級妖怪の羽根11枚で作れば、B級の55%の力を加算できるのですか」
理解した一樹は、目を見張って驚いた。
宇賀の話が事実であれば、天狗は、勾玉や管玉の代替品を作れることになる。
5%の力を籠められるのであれば、A級中位の羽根を使えば、1枚でB級下位の力を溜められる。それらの加算があれば、A級到達まで数年の義経ならば、A級にも届くだろう。
欠点は、呪力の補充だ。
B級中位の天狗が、同等の羽団扇を持った場合、『自身の呪力回復』と『羽団扇への呪力注入』で、呪力の回復までに2倍の期間を要する。
C級上位の紫苑が持てば、自身の呪力回復と、自身の呪力の5倍も力がある羽団扇への呪力注入とで、万全の状態になるまでには6倍の回復期間を要するだろう。
だがそれだけで、紫苑はB級中位の力を手にすることが適う。
一樹は宇賀を注視して、話の続きを促した。
「量産は出来ないわ。それに天狗の羽根は、あくまで鳥の風切羽の代替だから、欠点もあるわ」
前置きした宇賀は、紙に必須条件3つと、問題点1つを書き連ねた。
・11枚の羽根は、異なる個体でなければならない。
・羽根に宿る五行のバランスを偏らせてはならない。
・抜けて1年以内の新しい羽根でなければならない。
・天狗の羽根を用いる場合、提供者の呪力を損なう。
「バランスを偏らせすぎてはならない……そして提供者の力を損なうとは、どういうことですか」
前のめりになった一樹に対し、宇賀は長い髪を軽くかき上げながら、小さな溜息を吐いた。
「落ち着きなさいな。とりあえず4人分の飲み物でも用意して頂戴」
「分かりました」
自身の影から幽霊巡視船員を2人出した一樹は、炊事場に向かわせた。
「宇賀用って伝えて、桐の箱に入ったボトルのお茶を出してもらって。1本60万のやつよ」
宇賀の指示を背に受けた幽霊船員は立ち止まり、振り返って頷いてから向かっていった。
協会本部には、宇賀専用のお茶が置いてあるらしい。
「すみません。今、1本60万と聞こえたのですが」
聞き間違えただろうかと不安を抱いた一樹が、恐る恐る尋ねたところ、宇賀は平然と答えた。
「1本750ミリリットルで60万円ね。グラスワインで6人分だから、丁度良いのではなくて」
「……高すぎませんか」
「良い状態のほうが、良い仕事ができるでしょう。我慢して失敗しては、元も子もないわよ」
学校や職場に、お茶を持って行くことは、世間一般では広く認められている。
宇賀が個人で支払っているのであれば、協会に置いてあっても、口を出す話ではない。
そして仮に経費であっても、虎狼狸を予知して防がせたり、獅子鬼の危機を察知して被害の拡大を防いだりする宇賀であれば、認められるだろう。
先の獅子鬼との戦いでは、参加しないと見せかけた宇賀を含む人外3人は、結局のところ揃って手を貸している。
正面からA級7名が全員で向かえば、全滅も有り得た。逆に誰も行かなければ、都市部が壊滅して、協会が存続困難なほどの批判があったかもしれない。
あらゆる選択肢の中で、宇賀の対応は、おそらく最適解だった。
一流のスポーツ選手も、コンディションを高めることには最大限の努力をしている。
宇賀がモチベーションを保つ手段として、食道楽を追求しているのであれば、それは否定されることではない。
そのように一樹は考え直した。
「失礼しました。宇賀様が仰せのとおりです」
「それじゃあ、羽団扇の話に戻るわ」
一樹は認識を改めたところ、宇賀は微笑して気を取り直し、話を再開させた。
「バランスを偏らせてはならないのは、五行相生の循環を作らないと、力を打ち消すからよ。五行が2枚ずつ入るのが理想で、使う羽根も、力が偏りすぎないほうが良いわ」
「羽根の力は、五行が釣り合わないと駄目なのですね」
循環させるためには、バランス良く、五行が配されなければならない。
一樹が天狗であったとして、羽根を提供したのならば、羽団扇が木行に偏る。
それは一樹と名付けた父親の和則が、名前に木の意味を込めたからだ。
『木の有から、無の紙になった符を、1つの樹(有)の一樹が力を加えて、再び流転させる。転じて、一樹が式神や世界に力を与え、無を有に、陰を陽に、負を正に変えていく』
そのように名付けられた一樹自身は、輪廻転生した自身を『世界にしっかりと立つ1つの樹』と捉え、命名の意味に繋げている。
一樹が符術を異常なほどに得意とするのには、一樹という存在の名が紙に力を与えるからだ。
もしも一樹が羽根を用意できるのならば、それは他の力を打ち消すほどの強大な木行となる。
一樹とD級陰陽師10人で1枚ずつの羽根を提供したならば、一樹の木行が他を圧倒して、五行相生の循環など生まれず、真の羽団扇は作れない。
別々の個体、それも五行のバランスが取れないと循環しないことは、一樹の腑に落ちた。
「別々の個体で、11枚が必要な理由は理解しました。それで天狗の羽根を用いると、提供者の力を損なうとは、一体どのような理由なのでしょう」
「本来は、鳥の風切羽で作るの。それを天狗の呪力で代替するなら、効力を保つためには、魂の欠片を分割して封じないといけないわ。そんなことをしたら、力が落ちて当然でしょう」
宇賀の説明を受けた一樹は、自身が沙羅に、神気の欠片を分け与えたことを想起した。
沙羅の手足を治すために分け与えた神気は、一樹が持つ神気全体の1%ほどだったが、一樹からは永久に失われている。
閻魔大王、地蔵菩薩、泰山府君など偉大な名を併せ持つ神仏の欠片。
それを一樹の魂から、沙羅の魂に移したからこそ、損なわずに移植ができた。
だが天狗の気を羽団扇という道具に移すのであれば、力が全く損なわれずに移せるとは、一樹には思えなかった。
「5%を与えるには、力が2割ほどは落ちるのでしょうか」
「1割は落ちるでしょうね。でもB級以上の鳥の妖怪は捕まえられないし、天狗から集めれば力を損なわせるから、現代では基本的に作れないの。加工するから、形や大きさは違っても良いのだけれど」
「なるほど。自己犠牲を強要できない現代では、力を差し出させるのは難しいですね」
一樹は納得したが、話にはまだ続きがあった。
「ええ。それに持ち主の呪力を混ぜて作るから、作るときに持ち主が居なければ作れないし、本人しか使えない。だから過去に作った物も、使えないわ」
それほどの宝具であれば、相応の力の見返りもあるだろう。
だが材料の提供者について、一樹は大いに不安を抱いた。
義経を昇格させた臨時の常任理事会では、同時に沙羅と凪紗もB級に昇格させている。
凪紗は五鬼童家の所属だが、沙羅は一樹の事務所に所属している。
もしも沙羅に提供させようとするならば、一樹が沙羅を守る必要がある。五鬼童家から羽根を寄越せと言われても、一樹は断る考えだ。
「五鬼童沙羅の力を損なわせる話であれば、私はお断り致します」
一樹は義経にも聞かせる形で、要求が出る前にハッキリと告げた。
「別に、そんなことは考えていないわ。貴方に聞かせたのは、八咫烏が5羽ともB級下位だから、換羽で抜けた風切羽5枚を提供してくれれば、11枚のうち半分近くが揃うからよ」
「なるほど、八咫烏の抜けた羽根ですか」
説明を受けた一樹は、納得を示した。
鳥の羽根は消耗品で、一定のサイクルで生え替わる『換羽』がある。
カラスの風切羽は、繁殖期が過ぎた5月頃から9月頃にかけて、左右の翼が交互に生え替わる。
バランス良く交互に抜けるのは、飛行能力を損なわないためだ。
エネルギーを消費するので、繁殖期と、餌が少なくなる冬には換羽が無い。
ハシブトガラスの風切羽は、片翼が初列10枚、次列6枚、三列5枚。両翼では、合計42枚。
初列風切羽は、外側にある羽根で、推進力を生み出す。
次列風切羽は、内側にある羽根で、揚力を生み出す。
三列風切羽は、次列の内側にある羽根だ。
1年で全ての羽根が生え替わるのかは一樹には分からないが、5羽が巣にしている相川家の納屋では、相応に落ちている。
霊符や呪術の素材として有用なため、一樹は八咫烏達の羽根を集めていた。
そして8月半ばの現在であれば、これからも集められる。
「確かにありますね。5羽とも10枚以上は」
外で抜け落ちる分もあるために、全てを回収できているわけではない。
それでも初列、次列、三列は揃っており、選び放題だ。
山のように持っていると話した一樹に、宇賀は表情を明るくした。
「羽団扇を作るとき、鳥が協力して呪力を注いでくれたら、抜けた風切羽を使う倍は強くなるわ。B級の羽根が、5種類も揃うの。しかも、貴方のところは五行が一種類ずつ集まる」
宇賀が一樹と協会長に話したのは、素材の確保と、状況説明のためであったらしい。
一樹は当事者で、八咫烏達の風切羽を提供できる。
協会長も、状況を把握する必要がある。
「残り6枚だったら、魔王が出た有事だと言えば、引退した五鬼童一族から集められるでしょう。五行のバランスは考えないといけないけれど、実現可能な範囲に収まるわ」
説明を受けていた時、宇賀が飲ませてくれるという1本60万円のお茶が届いた。
それが風切羽を得る交渉材料の一つに感じられた一樹は、宇賀の手筈に舌を巻いた。もっとも一樹は、5種類をたくさん持っている自身が、有利な立場であるとも理解したが。
「八咫烏達の風切羽を提供する対価として、沙羅の羽団扇も作成して頂きたいです。沙羅の羽団扇を作成するために必要な風切羽は、こちらで集めますので」
現状で金銭的に困窮していない一樹は、自陣営の強化を企図した。
対する宇賀は、五鬼童が集められない風切羽を6枚も集めると宣う一樹に、歓心の瞳を返した。
























