86話 A級への近道
人と妖怪との境界線が引かれたのは、弥生時代の『環濠集落』にまで遡る。
環濠集落とは、周囲に水堀を廻らせた集落のことだ。
堀の幅と深さは、幅2メートル、深さ1メートルほど。
高低は集落側を高くして、V字状にして、周囲には先端が尖った逆茂木を植え込む。
すると歩幅が狭い小鬼は、容易には飛び越えられなくなる。重い武器などを持っていれば行き来し難いし、村から人や物を持ち運ぶのも困難になる。
夜中であれば水音が響くために、侵入者の誰か一人でも水堀に落ちれば、水音で侵入が分かる。
稲作文化の導入で人間が土地に定住するにあたり、守りを固めた内側に集落を作り、身を守ったのが境界線の始まりだ。
やがて時代が進むと、居住地に近い妖怪の駆除が始まった。
妖怪を追い出した土地は、人間の領域。
手が及ばない土地は、妖怪の領域。
境界線は、土地の奪い合いによって拡大と縮小を繰り返しながら、現代に至っている。
『現在の中継映像は、箱根山からお届けしています』
陰陽師協会の談話室に置かれた大型テレビに、蜃気楼に覆われた静岡県の御殿場市が映っていた。
その御殿場市に向かって、箱根山に移動した富士の部隊が、砲撃を行っている。
富士の部隊には、射程十数キロの重迫撃砲中隊や、6個の射撃中隊を擁する特科教導隊もある。各中隊は、155ミリ榴弾砲、多連装ロケットシステム、12式地対艦誘導弾などを扱っている。
「蜃が居なければ、それなりに効いたかしらね」
談話室に居合わせる4人のうち、一樹の隣に座る宇賀は、人類の技術力向上に感心していた。
妖怪の身体は呪力で守られており、C級妖怪になれば、12.7ミリ重機関銃が効かなくなる。魔王であれば、C級妖怪の千倍もの呪力を持つが、自衛隊の兵器も強力だ。
19式自走砲とは、射程50キロメートルで、舗装された道路で発射可能な自走する砲である。読んで字の如く『自分で走る砲』が自走砲で、砲門を積んだ車輌のようなものだ。
155ミリ榴弾砲であれば、命中地点から半径40メートルに高速で破片を撒き散らし、範囲内の敵を殲滅する。
多連装ロケットシステムは、12連装のロケット発射車輌だ。
ロケット1基に、644個もの子爆弾が内蔵されており、それを飛ばして空中でバラ撒く。
射程30キロメートルで、子爆弾1発でも半径4メートル内で10センチの鋼板を貫通できる。それが7728個も降り注ぐクラスター爆弾にあたるが、対魔物・対妖怪への使用は条約で禁止されていない。
「それなりには効いたと思います。倒せたかは、分かりませんが」
一樹も賛同しつつ、所見を述べた。
それに現代兵器で殺しても、死んだ後に怨霊化されることがある。怨霊には実体弾が効かなくなるので、兵器での殲滅は多用されない。
だが獅子鬼が死んだ場合、怨霊化は予想されるが、使役している蜃と気の繋がりは断てる。
繋がりを断てば、獅子鬼が蜃気楼の中に身を隠せなくなる。そうなれば調伏の難易度は下がると協会は判断して、それを政府に伝えた。
そのため自衛隊は、御殿場市の霧の中にいる蜃と獅子鬼に向けて、砲撃を行っている。
今年のお盆における日本人のスタンダードは、テレビ中継を見守ることとなっていた。
『自衛隊の攻撃は、昼夜を問わず続けられております。ですが、陰陽師協会は撤退しており、砲撃の成果は不明瞭です』
「いい加減にして欲しいものだ」
一樹の正面に座る協会長が、テレビに向かって苦言を呈した。
6日前に出現した獅子鬼に対して、協会は序列4位から7位のA級陰陽師4名を投入して、敗退に追い込まれた。そのうち1名が殉職し、もう1名は負傷引退している。
真のA級陰陽師が4人も参加して敗退したのは、戦後初だ。
陰陽師の質が落ちたかと言えば、決してそのようなことはない。
参加者の1人であったA級6位の一樹は、900年以上も占拠されていた比叡山を解放したり、数百年も奪われていた瀬戸内海を解放したりと、数百年に渡って誰も成し得なかった調伏の実績を挙げている。
4位の五鬼童と、7位の花咲も、A級の常連であった。
義一郎は当主で、一族の技術と力を継承していた。
花咲家の式神は同一個体なので、力が落ちたわけでもない。
5位の協会長も守鶴の子孫であり、5位に相応しい呪力と術を使っていた。
その4人が負けて不安に駆られた国民は、協会に対応を求める要求や苦情を殺到させている。
代表のメールアドレスはパンクしており、電話は鳴りっぱなしで、職員は大わらわだ。
相応の権力を持った相手だけに対応している協会長も、目には濃い隈ができていた。
「陰陽師協会は、防衛省ではなく、民間団体のはずですが」
税金では運用されておらず、補助金も受けておらず、所属者も民間人だ。
山からイノシシが下りてきて、原因とは無関係にもかかわらず、近所から「アレを何とかしろ」と言われているくらいには、理不尽な苦情が殺到している。
口元をへの字にして、嫌そうな表情を浮かべた一樹が訴えると、宇賀も賛同した。
「政府との契約は『蜃の勢いを弱める』だったでしょう。達成したのだけれどね」
政府との契約は、『調伏』ではなく、『勢いを弱める』だった。
蜃には相当のダメージを与えており、侵攻も止まったために、依頼は達成している。
契約内容は協会のホームページに載せて、各メディアにも伝えてから挑んだ。従って、自衛隊と一緒に再攻勢を行わないことについて、文句を言われる筋合いは無い。
「民間団体で、依頼も達成したのに苦情が殺到するなんて、酷い話ですね」
一樹が共感を示したところ、目の据わった協会長が、苛立ちを露わにした。
「君の発言を聞いていると、どこか他人事のように聞こえるが、君は次の協会長の候補筆頭だぞ。将来のために、今回の対応を手伝ってみるか。副大臣以下の国会議員をあしらうだけで構わん」
「絶対に、嫌です」
一樹は、毅然とした態度で、力強く言い切った。
S級中位と評価された獅子鬼は、A級上位である宇賀5人分の力だ。
1位の諏訪、2位の宇賀、3位の豊川で5分の3。
A級中位の義一郎から一樹までの3人で10分の3。
A級下位の花咲で20分の1。
A級の1位から7位まで全員で向かっても、獅子鬼の95%の力しか揃えられておらず、相手は妖怪・蜃を使って隠れながら人間側の力を消費させ、配下にはA級中位の羅刹も居た。
総力戦でも負けていたし、戦力が減っているので、再戦しても勝てない。
この状況で要求されても、どうしようも無い。
そして口を出してくる国会議員は、論理的な説明を受けたいわけではない。協会から何らかの約束を引き出して、国民を安心させて、自身の票に繋げたいだけだ。
協会が約束すれば、約束を引き出した功績は自分のもの。
協会が成功すれば、自分が行動させたおかげ。
協会が失敗すれば、協会が判断を誤ったせい。
そんな自分本位な国会議員が、集団で殺到してくる姿は、想像するだけでも嫌気が差す。
「対応も嫌ですし、次の協会長候補も嫌ですね」
陰陽師協会の会長は、1位から3位の人外を除いたA級陰陽師5名の中から選ばれる。
1位の諏訪は協会の権威であり、実務を担わせて失敗させられない。
2位の宇賀と3位の豊川は、厳しさと優しさのバランス調整係だ。片方を会長にしてしまうと、もう片方が協会長の意見を否定する側になるため、好ましくない。
そのため協会長になるのは、残るA級5人の誰かだ。
そして協会には『最も優れた陰陽師が指揮する』や、『自分より上の陰陽師には従え』の不文律があるため、真のA級しか協会長になれない。
妖怪を倒すのが陰陽師で、倒すためには強さが必要だ。
都道府県の統括陰陽師はB級陰陽師で、大半は長い研鑽の歴史を持つ陰陽大家の当主である。同格以下の命令には、いくらかの反発心を持つ。
だが真のA級陰陽師が指示を出せば、不文律を叩き込まれた統括陰陽師達は、素直に従う。
A級の協会長に従わないなら、統括陰陽師や陰陽大家が下位者に従われなくても、文句を言えない。内心でどのように思おうとも、自身と自家のためには、従うしかない。
現在、協会長を担えるのは、現会長の向井と一樹の二人だけだ。
「今のところ、君の他には居ないぞ」
キッパリと告げられた一樹は、舌打ちを耐えて宇賀に視線を送り、是非を問うた。
すると宇賀は首を傾げて即答せず、迷う素振りを見せた。
「賀茂は、16歳だったわよね」
「はい。先月に誕生日でした」
「16歳は、元服に遅いくらいよね。四代将軍の徳川家綱なんて、数え年で5歳に元服したし、11歳で征夷大将軍になったわよ」
一体いつの時代の話をしているのか。
とんでもない前例を出された一樹は、首を横に振って抵抗の意思を示した。
「現代の元服は、18歳です。年功序列の意識が強い日本で、協会長が未成年だと、統括陰陽師も複雑な心境でしょう。魔王が復活した時代に、統括陰陽師を混乱させるのは、好ましくありません」
言葉を句切りながら、力強く主張した一樹は、同席する4人目の男にも視線を向けた。
男の名は、五鬼童義経。
先に負傷引退した義一郎の長男であり、B級上位の実力者だ。
一樹よりも12歳年上だが、呪力は成人以降も伸びる。
義経は協会が繰り上げなくても、数年でA級下位に届くほどには、優れた陰陽師だった。
「あたしは賀茂でも良いし、真のA級に上がった後なら、五鬼童でも良いわよ」
「それでは向井会長に頑張って頂き、その後は五鬼童家が良いと提案します。年功序列、万歳」
厄介ごとを押し付ける一樹の主張に、頑張らされる側の協会長は、深い溜息を吐いた。
「それで良いけれど、だったら五鬼童には、早急に真のA級に上がって欲しいわね。A級の人間が向井と賀茂だけだと、2人の負担も大きいでしょうし」
宇賀に指摘された一樹は、自身の仕事を想像した。
協会長には、協会長としての様々な仕事がある。
するとA級として現場に赴くのは、一樹の役割になる。今までは義一郎、花咲、一樹で分担していた仕事が、単純に見積もって3倍になる。
「それは酷い」
思わず呻いた一樹の様子に、宇賀は重ねて告げた。
「だから真の羽団扇を作って、早々にA級に上がって欲しいのだけれど」
羽団扇と耳にした一樹は、首を傾げて疑問符を浮かべた。
羽団扇とは、天狗が持つ団扇で、昔の偉い天狗は持っている姿で描かれることが多い。
それに対して義経は、目を見張って驚いていた。
























