84話 逢魔時
『御殿場市に侵入した蜃は、自衛隊の砲撃により進路を変更。現在、東富士演習場を西進中』
緊急の常任理事会から8時間後の午後五時。
山梨県にある山中湖上に、幽霊巡視船が陣取っていた。
巡視船の戦闘指揮所には、ヘリコプターテレビ伝送デジタル船上受信装置によって、自衛隊が撮影する標的の映像が入っている。
テレビ中継や無線通信も入っており、それらを合わせた情報の精度は極めて高い。
一樹は概ねの状況を把握しながら、湖上で待機状態にあった。
山中湖は、富士山の東、蜃が出現した小山町の北側にある湖だ。
山中湖と小山町の間には、神奈川県、山梨県、静岡県を隔てる三国山が聳え立っている。
山が射線を遮るために、山中湖上から御殿場市には、砲撃は出来ない。そのため本作戦では、蜃を北富士演習場まで誘導してから、撃とうとしている。
――幽霊巡視船は、最大火力だからな。
幽霊巡視船の燃費ならぬ呪力消費は、尋常ならざる激しさだ。
だが射程は10キロメートル、毎分330発が連射可能で、時速3675キロでありながら命中精度も極めて高い。
しかも一樹の呪力も、尋常ではなく高い。
一樹が協会長や自衛隊であれば、これほど理不尽な陰陽師と式神を使わない手は無い。
そのため一樹は、砲台役よろしく湖上に配置された次第である。
蜃の誘導役は、他のA級陰陽師と自衛隊が担っている。
『目標は、北上を開始しました』
誘い込む富士演習場は、陸上自衛隊にとっては庭先も同然だ。
演習を繰り返してきたために地形を熟知している。
駐屯地には装備も揃っており、他のどこに誘い込むよりも、上手く誘導が出来たはずだ。
攻撃用の呪符を積んだヘリコプターを飛ばして、物理に霊的な攻撃も混ぜながら、強引に蜃を引き寄せている。
攻撃用の呪符は、各都道府県支部から運び込んだ。
協会が出し惜しみをしなかったのは、蜃の特性に危機感を抱いたからだ。
『蜃の半径数百メートルに入った人は、死亡しています。小山町から東に移動すれば、東京都です。進路上には横浜市、川崎市、目黒区、世田谷区、杉並区……』
放置した場合の被害は、計り知れない。
協会が民間組織であろうとも、国民からの非難は絶大だろう。
そのため協会は、A級4位から7位までの4名を投じて対応にあたっている。
五鬼童は飛行と鬼火、協会長は式神術、花咲は犬神を出して、誘導に参加していた。
だが五鬼童と花咲は、近距離型の陰陽師だ。
協会長の向井も万能型であって、遠距離には特化していない。
A級であればこそ遠距離で戦えなくもないが、不得手な戦い方で同格のA級妖怪を倒すのは、不可能だろう。
蜃は、殺した人間の気を吸い込んでいるのか、受けたダメージは回復している。
このまま三者が遠距離攻撃を続けても、倒せる見込みはない。
「あれで倒すのは無理だな。ところで良房様、なぜこちらに」
巡視船の戦闘指揮所には、なぜか白面の三尾が居座っていた。
一樹が現地に到着したところ、協会長と共に来た良房が、一樹のほうに来たのだ。
「先だっての奉納品が多かった。その分、利益が返ってきたと思えば良い」
「……はぁ」
先だっての奉納品とは、香苗を強化するに際して、一樹が豊川稲荷に納めた品々だ。
泰山府君の秘符10枚、鎮札10枚、紙の人形の撫物10体。
それらと香苗自身の歌唱奉納によって、香苗は成仏する狐の魂の欠片を5つ受け取った。
呪力はE級上位から、C級中位へと上がっており、一樹は奉納に見合う結果が出たと考えている。
だが狐側から見れば、お釣りが出たらしい。
――香苗の歌唱奉納も良かったし、奉納品も本物の泰山府君の神気で作ったからなぁ。
泰山府君は、陰陽道の最高神霊であり、生命と魂を司る。
その力を籠めた奉納品を使えば、人間でも病気快癒や延命長生が容易に可能だ。仙術を使える三尾の狐であれば、並々ならぬ祭祀を行えるだろう。
不充分と見なされると恥であるために、たくさん奉納したが、やり過ぎたらしい。
「私も万能ではない故、気休め程度に考えておきたまえ」
「畏まりました。御守り頂き、有り難く存じます」
かつて豊川に守られたことがある一樹は、三尾の強さを体験済みだ。
幾許か安心して礼を述べた後、映像の確認に戻った。
蜃は鬼火に炙られ、犬神に噛まれながら、術者がいる方向へと北上している。
協会長の術であるらしき式神の狸達も、一樹が飛ばす鳩のように、蜃に触れては爆発していた。
「協会長の術は、初めて見ました」
狐と狸の仲は、あまり良くない。
四国では、弘法大師(空海)が、「鉄の大橋が架かるまで戻ってくるな」と狐を追い出している。そして昔話にも、両者の争いはたくさん載っている。
「彼は、僧侶・守鶴の子孫であるらしいね」
「守鶴ですか」
守鶴とは、江戸時代後期に平戸藩主(長崎県)の松浦静山が著した『甲子夜話』に記録される大妖怪だ。
室町時代、群馬県にある茂林寺の10代住職に仕えた優秀な僧侶がいた。
僧侶は千数百年を生きた化け狸で、インドで釈迦の説法を受け、中国を経由して日本に渡ったという。
釈迦が居た時代は、紀元前7世紀から紀元前5世紀頃と伝えられる。
釈迦に会った者が、現代まで生きていれば、2500歳から2700歳になる。
室町時代(1336年から1573年)の初期に1900歳だったならば、現代では2500歳を超えており、釈迦に会ったという守鶴の年齢は計算が合う。
その守鶴が愛用していた茶釜は、いくら汲んでも湯が尽きず、人々に福を与える意味から『分福茶釜』と呼ばれていた。
分福茶釜は守鶴の化身であり、夜中には茶釜に尾が生えたり、手足が伸びたりした。
その伝説を元に、絵本の『分福茶釜』も作られている。
ある日、守鶴が昼寝をしていたときに別の僧が覗いたところ、守鶴の股から狸の尾が生えていた。正体を知られた守鶴は恥じて、茶釜を残したまま去ってしまった。
只人に正体を見られたことで、よほど恥じたのだろう。
狐と狸が同等の存在だと考えた場合、当時の守鶴の年齢であれば、狐の七尾から八尾に達する。現代まで生きていれば、確実に九尾以上だ。
「大妖怪である守鶴の子孫ならば、呪力がA級にも届きますね」
呪力の高さは、遺伝要因と環境要因に影響される。
何代前が守鶴なのか、途中でどのような血が混ざったのかは知らないが、守鶴の子孫であれば、A級になっても不思議はない。
納得した一樹に対して、狸とは不仲な狐の良房は、つまらなそうに鼻を鳴らした。
その間にも蜃は、着実に北富士演習場へと誘導されていた。
山中湖から、西側の北富士演習場に向けては、三国山のような障害物がない。
だが蜃の巨体が幽霊巡視船の射程に入った後も、直ぐの砲撃は要請されなかった。
容易には逃げられない位置まで引き寄せてから、ようやく幽霊巡視船に砲撃の指示が出る。
『フェーズ2終了。誘導部隊は、射程内から退避した。これよりフェーズ3に移行せよ』
「こちらフェーズ3担当、賀茂一樹。PL200、砲撃を開始します。撃て!」
発令の直後、巡視船の40ミリ機関砲2門が霊弾を撃ち出した。
時速3675キロ以上もの速度で撃ち出された霊弾は、巨龍の腹に叩き込まれて、蜃をのたうち回らせた。
腹から白煙を上げた蜃は、白い気を吐きながら、腹の底に響くような低音で呻り声を上げる。
「グォオオオオオォォッ」
気を吐き出した蜃は、半径1キロメートルほどの地上を白く染め上げた。
その範囲に入った人間は、吐き出された妖気を浴びて、軒並み殺されている。
だが巡視船もA級の力を持っており、4キロメートルから5キロメートルほど離れた位置から砲撃している。蜃の反撃は届かないし、届いてもA級の巡視船は倒せない。
射程外から一方的に撃たれた蜃は、吐く気も届かず、苦しみながらのたうち回った。
巡視船で情報収集のために点けているテレビの中継では、大盛り上がりだ。
戦場にカメラが入ると気を使わなければならないが、協会の活躍を見せなければならないので、一樹は渋い表情を浮かべつつ受け入れる。
全弾が命中しているわけではないが、一樹の呪力は尋常ではなく高い。
かつてムカデ神と戦った時のように砲弾を撃ちまくったところ、蜃は動きを弱めていった。
『蛇は、存外にしぶとい。油断しないことだ』
「数ヵ月漬けた蛇酒の蛇が生きていて、人を噛んだ話を聞いたことがあります。妖怪の蛇などは、死んでも復活しそうですね」
良房から忠告を受けた一樹は、呪力の8割を消費するまで、砲撃を続けた。
TVを見守っている人々も、ここまでやるのかと呆れているだろう。それくらいまで撃ち続け、完全に蜃が動かなくなったところで、ようやく砲撃を止めた。
「こちらPL200。呪力の大部分を消費。砲撃を完了した」
『フェーズ3終了。繰り返す、フェーズ3終了。これより、フェーズ4に移行する』
一樹の報告後、A級3人がトドメを刺すために、横たわる蜃へと向かった。
義一郎が空から降下し、協会長は鬼神大王が鍛えた日本刀を携えて走り、花咲は犬神を向かわせる。
対する蜃は、倒れたまま完全に動かない。
「勝ったな」
宇賀の予知は、外れたのだろう。
そう判断した一樹は、安心しながら、A級の三者が向かう様子を眺めた。
すると突然、蜃の身体から、白煙が激しく立ち上り始めた。
怪訝そうに眉を顰めた一樹がモニターを見守ると、白煙が晴れて、怪物が姿を現していた。
それは身の丈が五丈(約15メートル)もあり、獅子のような鬣を持つ怪物だった。巨大な獅子鬼は、身の丈に見合う巨大な斧を手にしながら、威風堂々と佇んでいる。
その傍らには、牛鬼に匹敵する大きさの醜陋な黒鬼も、畏まって控えていた。
























