80話 黎明期
二次試験から3日後の8月4日。
昨年と同じく、練馬区の光が丘公園で、陰陽師国家試験の三次試験が行われた。
1ヘクタールの試合会場が5つ用意されて、各会場で10試合ずつが行われた結果、概ね成績上位者が下位者に勝って、D級の国家資格を手に入れた。
17位だったD級中位の小太郎は、84位だったE級の受験生と対戦して順当に勝ち、花咲一族ならびに同好会の会長としての面子を保った。
2位と3位の香苗と柚葉は99位と98位に勝ち、1位の凪紗も100位に勝っている。
1位と100位の対戦では、一樹と晴也が戦ったような一方的な展開になる。
D級とE級の戦力差は、10倍の人数差にも等しい。
C級の五鬼童家などが出る年は、C級とE級との対戦で100倍差にもなる。
それでも協会は、『格上と戦えば一方的に負けると受験生達に知らしめ、無謀なことをさせない』意図を以て、力量差の明らかな試合もキッチリと行う。
かくして一方的な試合が3度も行われ、その勝者達が待機所に集った。
豊川稲荷と縁を持った香苗と、龍神の巫女らしき柚葉は、巫女服を着ている。
対する凪紗は、昨年の沙羅達のような簡易な山伏様の衣装に、薙刀を携えていた。
「もしかして、強くなりましたか」
凪紗の第一声は、柚葉の力を問うものだった。
凪紗と柚葉が顔を合わせたのは、3日前の二次試験で、作成した霊符の耐久力をプレス機で測っていた時だけだ。
その僅かな邂逅と比較して力の変化を推し量った凪紗に対して、柚葉は一瞬固まった。
次いで行った返答も、内心の動揺を誤魔化しきれないものだった。
「ど、どうしてでしょうか」
隣の香苗はポーカーフェイスを保つが、柚葉の動揺が配慮を台無しにしている。
「私には、分かります。龍気が増していますね」
流石に柚葉も答えず、困った表情を浮かべながら香苗に視線を向けた。
柚葉に助けを求められた香苗は、質問に質問を返す。
「その力は、霊視ですか」
「はい、少し違いますが、見鬼です。目を凝らして、意識を少しずらすと、視えますよ」
事も無げに力の一端を開示する凪紗に、香苗は困惑した。
「お二人の気は、妖狐と龍神で、C級中位。それと強い呪物を3つ持っていますね」
スラスラと言い当てられた香苗と柚葉はたじろぎ、半歩ずつ後退った。
凪紗の琥珀色の瞳が、引いた二人を観察する。
「実は私、賀茂陰陽師を視に行ったこともあります。でも視えませんでした。それに賀茂さんは、私が見つからないと思ったはずの距離で、私に気付きました」
そこで言葉を切った凪紗は、一度溜息を吐いた。
「私も、花咲高校を受験したいのですが、反対されそうなのです」
天才の前評判に違わぬ力を示した凪紗には、ライバルとなるような存在や、関心を示す存在が少ないに違いない。
そのように香苗は理解したと同時に、一樹が凪紗の関心を惹いたのだと察した。
何かに惹かれて家を出る場合、帰って来ないことも有り得る。
まして一樹は男性で、凪紗は一歳年下の女性だ。自由恋愛の末に結婚でもしようものなら、五鬼童家であろうと連れ帰れなくなる。
凪紗の才能を考えれば、反対する一族の者も当然いるだろう。
納得しかけた柚葉と香苗に、凪紗は追加で告げた。
「最大の反対者は、沙羅姉です」
「……あーっ」
沙羅を思い浮かべた香苗は、大いに納得した。
沙羅が誰の方向を向いているのか、分からない人間は同好会には居ない。もちろんクラスメイトの9割も察している。
香苗から共感を得た凪紗は、残念そうに呟いた。
「沙羅姉は、親戚にも根回し済みです。どう思われますか」
凪紗と香苗の話を聞いていた柚葉は、表面上の質問に素で答えた。
「興味があって受験したいなら、気にせず受験しちゃえば良いんじゃないですか」
香苗が内心で「沙羅と五鬼童家が懸念しているのは、それじゃない」とツッコミを入れる中、受験の経験者である柚葉は堂々と言い切った。
「そうなのですか」
「陰陽師の資格を取って、中学も卒業すれば、独立で良いんじゃないですか。もしも縛られているなら、解放を依頼すれば良いと思います。本気の賀茂さん、五鬼童当主より強いと思いますし」
自身の体験を踏まえて無責任に宣う柚葉に対して、凪紗は大きく頷いた。
「心に留めておきます。あまり親しくすると攻撃し難くなるので、この辺で終わります。最初から本気で来ないと、すぐに負けてしまいますので、気を付けてください」
「はい、それでは後ほど。来年、待っていますね」
話を終えた凪紗が背を向けて去ると、笑顔の柚葉と困惑気味の香苗も、待機所を後にした。
◇◇◇◇◇◇
5つの会場が統合された、野球場5つ分のフィールドの端に移動した香苗は、指示を出した。
「最初から全力で飛んでくるって沙羅が言っていたから、こっちも短期決戦」
「はい、出し惜しみ無しですね」
2人は確認し合うと、香苗が2個、柚葉が1個の勾玉を取り出して握り、開始の合図を待った。凪紗も反対の位置に着いて、薙刀を構える。
程なく、試合開始の青いランプが灯った。
すると凪紗の瞳が紅く輝き、呪力で背中に、天狗の翼が生み出された。
翼は金色で、天狗の始祖とされるインドの金翅鳥、竜を食べる鳥の王、仏教を守護する霊鳥を想像させる始祖の色だ。
あるいは天狗と化した崇徳上皇が金の翼を持っている。
香苗と柚葉が目を見張った次の瞬間、凪紗は地面を抉るように蹴り飛ばして踏み出すと、まるで砲弾と化したように爆発的な勢いで、一直線に突っ込んできた。
夏の陽光を浴びた薙刀が、白刃の輝きを放つ。
対する香苗は、勾玉を握り締めた右手を突き出して、式神術を唱えた。
『召喚、水行護法神!』
香苗が突き出した右手の勾玉には、C級中位分の呪力が籠められていた。
高度な儀式の祭具は、香苗に宿った魂の欠片を引き出し、世界に顕現させる。
眩い光が迸った中心から、半径5メートルほどの空間に、光の粉雪が舞い散った。
そこから現れたのは、霊符作成試験で香苗が見た、日本刀を携えた二尾の白狐だった。
二尾の白狐は、迫り来る凪紗を見据えると名乗りを上げた。
「洞泉寺源九郎、参る」
抜刀した日本刀の刃先が、正面から飛び込んだ金翼の天狗の首を刎ね飛ばさんと、閃光のように振り抜かれた。
どれほどの人間が、その居合いを肉眼で捉えられただろうか。
人の瞬きが0.3秒、カマキリが獲物を捕らえる速度が0.05秒。そして瞬きの瞬間には、全てが終わっていた。
流線を描きながら振りかぶられ、閃光の如き速さで振り抜かれた刀に、薙刀の刀身が滑り込んでいたのだ。
2つの刃が重なり合い、剣戟によって白金の光が生まれていた。
そして引いた両者の武器が再び引かれ合い、瞬く間に幾度も打ち合った。
鬼神の膂力と、大天狗の俊敏さとで振るわれる薙刀が、練達した二尾が操る刀と打ち合い、線香花火が輝くように、次々と火花を散らしていく。
『鬼火』
人外の領域で白狐と打ち合う凪紗の周囲に、拳大の炎が4個、浮かび上がった。
鬼火は、2個が凪紗を守り、残りが二尾の白狐と香苗に飛んでいく。白狐は、向かってきた鬼火を素早く躱すと、返す刀で瞬く間に斬り捨てた。
だが白狐の位置からは、香苗に迫る鬼火は、斬り払えない。
『召喚、金行護法神!』
香苗の左手から、新たな輝きが生まれた。
その光が収束すると、今度は弓矢を携えた二尾の金狐が、姿を現していた。金狐も、霊符作成試験で香苗が見た片割れである。
飛び出した金狐は、迫る鬼火を瞬く間に矢で射貫くと、凪紗に向かって新たな矢を射た。
射掛けられた凪紗は、残る2個の鬼火を向かわせて、反撃の矢を迎撃した。
白狐が近接戦闘を行い、金狐が矢で支援する間、勾玉を握り締めて瞑想していた柚葉にも、大きな動きがあった。
『神降ろし』
勾玉の呪力を用いた柚葉は、遠方にいる母龍の意識を喚び寄せていた。
虚ろになっていた柚葉の瞳に、やがて強い意志の光が宿る。
すると柚葉の口が開き、一樹も見知らぬ術が、紡がれた。
『不知火』
蜃気楼のように、柚葉の周囲に5個の灯りが、ユラユラと浮かび上がっていく。
それは青白い炎で、意志を持つかのように滑らかに動き回っている。
『鬼火』
柚葉の術を見た凪紗は、新たな鬼火を5個生み出すと、柚葉に向けて一斉に撃ち出した。
対する柚葉も灯りを撃ち出して、両者の炎が次々とぶつかり合った。
凪紗はB級中位で、柚葉は勾玉で呪力を強化してもC級上位。
両者の呪力は5倍差で、凪紗の鬼火は、柚葉の不知火を圧倒した。
それでも不知火は、5個で鬼火2個を打ち消した。衝突した炎が炸裂し、試合会場に次々と爆炎を撒き散らしていく。
激しく炸裂した火球の間から、残った3個の鬼火が飛び出して、柚葉に迫っていく。
『不知火』
神懸かりの柚葉は、瞬く間に新たな不知火を生み出して、鬼火に向かわせた。
流れるように飛んでいった新たな青い炎は、鬼火のうち2個を消滅させた。それでも消しきれなかった1個の鬼火が柚葉に直撃して、柚葉の身体が白く輝いた。
すると数秒後、会場に灯されている柚葉側のランプが、青色から黄色に変わった。
柚葉が使用している3枚の守護護符のうち1枚が、破壊された表示である。
「呪力が足りぬ。ムカデを喰らって、力を取り込んでおらぬからじゃ。一度戻ってくるか」
言葉を発した柚葉は、何故か涙目になった。
その間も、鬼火を放った凪紗に対して、白狐と金狐は攻撃を続けていた。
二尾の狐達の攻撃は、自身の犠牲を一顧だにしない特攻だった。
疾走した白狐の刀が、凪紗の胸元に迫る。凪紗は金色の翼で上空に飛ぶが、白狐は大地を蹴って高く跳躍すると、さらに空中を蹴った。
『水蜘蛛』
二尾の白狐は、空に水の固い足場を生み出していた。
それを蹴り飛ばして二重に跳んだ白狐の刀が、凪紗の首筋に滑り込んだ。
白狐の刀に籠められた必殺の呪力が、斬られた首から、凪紗の身体に注ぎ込まれる。
「うぐっ」
呻いた凪紗の身体が輝き、守護護符の1枚が破壊された。
途端に凪紗側のランプが、青色から黄色に変わる。
だが凪紗は、斬られながらも薙刀を振りかぶり、上段から鬼神の腕力と呪力とで振り抜いた。
使っている10倍の呪力を浴びせられた白狐が、空から叩き落とされて、大地に衝突する。勾玉に籠めていたC級の呪力が掻き消えて、白狐は消滅した。
「一体目……っ!?」
『封魔』
凪紗と白狐の身体が離れた瞬間、金狐は狙い澄ました矢を射た。放たれた矢は、凪紗の身体に吸い寄せられていき、凪紗が呪力で生み出していた右の翼を見事に射貫く。
それは単なる矢ではなく、破魔の術を籠めた特別な矢だった。
破魔矢によって、金の片翼を封じ込まれた凪紗は、大地に引き摺り下ろされていく。
『鬼火』
『不知火』
凪紗は片翼で滑空しながら、柚葉に5個の鬼火を飛ばした。
そして柚葉が迎撃に手一杯となる間、降り立った凪紗は薙刀を構えて、金狐に飛び掛かった。
襲い掛かられた金狐は、素早く跳び退きながら矢を射た。
射られた凪紗は、矢を鬼火で受けながら、さらに追い縋る。
金狐は次々と矢を射るが、凪紗はダメージを負いながらも強引に迫り、ついに薙刀の刺突で金狐の首を貫いた。
金狐の首を貫いた薙刀が大きく振るわれて、振り飛ばされた金狐の姿が、虚空に掻き消える。
「二体目っ!」
凪紗には、余裕があったわけではない。
金狐が消えたとき、凪紗と柚葉の守護護符は1枚ずつ減っており、どちらも2枚目を多少消耗させていた。
「…………はぁっ、はぁっ」
浅く呼吸する凪紗が次に狙ったのは、二尾の狐達を失った香苗だった。
二尾の狐達が前衛と後衛を担い、柚葉が術で援護する間、香苗はろくに動けていない。戦闘能力があれば支援したはずで、香苗は典型的な式神使いだと判断できる。
余計なことをされる前に倒してしまうべきと判断した凪紗は、薙刀を振りかぶりながら、無防備になった香苗に容赦なく飛び掛かった。
抵抗する術を失った香苗が、一方的に打ち据えられるかと思われた瞬間、凪紗の周囲に猛吹雪が生まれて、視界を覆い尽くした。
「雪菜!」
猛吹雪の中から現れたのは、陽光が反射して煌めく雪女だった。
冷然と凪紗を見据えた雪女は、凍える世界の全域に、雪と氷を生み出した。
『氷雪華』
凪紗を覆う世界の全方位から、雪と氷の弾丸が襲い掛かってきた。
鬼火が間に合わないと判断した凪紗は、香苗に向けていた薙刀を雪女に向けて振り抜いた。
振り抜かれた薙刀が、雪女の身体に触れようとした瞬間、雪女は吹雪と化して自ら消える。
「ふふふふふふっ、あはははははっ!」
氷の礫となった雪女が、笑いながら凪紗の全身を打つ。
氷弾の大半は、凪紗の纏う鬼神の気に弾かれた。
だが翼を封印された凪紗の右肩だけは、気を纏えずに、打たれるがままとなった。
それは矢を受けて消耗していた凪紗の守護護符に、トドメとなる打撃を与えた。
「香苗、呪力が尽きたわよ。もっと気を高めて……でも勝ちね」
そう言い残した雪女と雪原が消えた時、凪紗側のランプは赤く灯されており、会場には試合終了のブザーが鳴り響いていた。
呪力を使い果たした香苗は座り込んでいるが、香苗を示すランプは青色のままだ。
柚葉も煤塗れだが、2枚の護符を残したランプは、未だ黄色く光っている。
1300年の歴史を持つ、A級常連の五鬼童家。そんな五鬼童家でも、天才と知られる凪紗を、陰陽術を習い始めて4ヵ月、呪力も格下の2人が下した。
中継を介した会場のざわめきが、波紋のように広がっていった。
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・源九郎狐
桓武天皇(在位781年~806年)の時代、雨乞いのために、
仙術を会得した雄雌の狐の皮で『初音の鼓』が作られた。
それが400年後、後白河法皇から源義経に下賜され、愛妾の静御前に渡される。
静御前が鼓を打つと、その音を慕い、鼓となった狐夫婦の子狐が追ってきた。
静御前の危機を幾度も救った子狐は、やがて源義経に正体を暴かれるが、
全ての事情を話すと、自身も親と引き離された義経の同情を買い、
義経の仮名『源九郎』と共に、鼓を譲り渡された。
「二親に別れた折は何にも知らず、
一日々々経つにつけ、暫くもお傍にゐたい、
産みの恩が送りたいと、思ひ暮らし泣き明し、
焦れた月日は四百年。雨乞い故に殺されしと、
思へば照る日がエヽ恨めしく、曇らぬ雨はわが涙」
『義経千本桜』(1747年)
慶長20年(1615年)に起こった『大坂夏の陣』では、
大和郡山藩の城下が、豊臣方の大野治房に焼き払われそうになると、
源九郎が大雨を降らせて、郡山の町と人々を守る。
だが徳川方に味方したとして、豊臣方に毒殺されてしまった。
奈良県の大和郡山市、洞泉寺町には、源九郎稲荷神社が作られている。
以降、源九郎の魂は豊川稲荷にあったが、
香苗が捧げた歌唱奉納に、かつてを偲び、最期に魂の欠片を託した。
源九郎は黙して語らず、香苗は知らない。
























